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繁華街から離れていくほど民家が立ち並ぶ。
日中ならまだしも、夜間にこのあたりに観光客が訪れることは少ない。そんな繁華街からやや離れた市民街。そこにソフィーとメルドの家が構えていた。
彼女の店は、海外からの珍しい輸入品を主に置いてあるが、日常品からスナック菓子、飲料水など地域のコンビニエンスストアとしても活動を見せている。
店の入り口は入りやすいよう、店内が見渡せるように前方には商品は置かずにいる。また、広々とした入り口から直ぐは主に日常品を中心に配置しており、店の奥の方に……それでも、店の半分ほどを占めているのだが……海外から輸入した商品を陳列している。名のあるブランドからどこで手に入れたかもわからないような奇天烈な人形、こことは違うリゾート地の名が付いた商品すらも見かける。その様子は何か混沌を感じさせるが、それでも父曰く繁盛していると言うからソフィーはいつも不思議に思っていた。
そんなそこそこに繁盛店の一人娘は働き者として近所でも評判なのだが、今の彼女はただずっと彼方を見つめて、溜め息をつくばかり。
あの後からずっと彼女を悩ませているのは夕方に彼から言われた言葉のせいだ。
「はあ……もうどうしろっていうのよ」
ソフィーはカウンターで頬杖を付きながらそう愚痴った。近くに置いてある身元不明の不細工なラッコの頭を軽く小突く。
先に一人夕食を済ませた彼女は、両親と交代で店番をしていた。帰宅してからの彼女の様子に怪しんだ両親は先に休んでも良いと心配されてしまったが、それを大袈裟に否定して店番についたのだ。しかし、今日に限っては殆ど裏目に出てしまったかもしれない。
毎日、必ずといっていいほど客が数名いるこの店内に今日は珍しく誰もいなかったのだ。
こんな時は商品の整頓や補給を行っているのだがそれもすでに終わってしまっている。外掃除を行おうとも思うも近所付き合いのある近隣住民だったら見られても構わないのだが、島外の人がそれを見かけると入るのを拒んでしまうことが多い。先も述べたとおり、この時間ならばまずないとは思うのだが、いつもよっぽどのことがない限りは店仕舞いくらいにしか行わない。
折角、身体を動かして気を紛らわそうと店番についたというのに。
思いたくもないのに何もないから想ってしまう。
メルドのことを。
今まで小さいころから知っている彼のことを。
確かに、そんな気が今までになかったか、と聞かれれば否定は出来ない。
けれど、それは女の子の恋話が花を咲かせたときに自分の立場になって思い浮かべたくらいで、でも、それはメルドだけではなく今ソフィーを苦しめる原因を作った人物にもあったり。そんなことを考えた日は二人に顔を合わせるとどこかぎこちなくなってしまうが、次の日にはころっと忘れたりして、でも、こんなにも考えることは今までに無く、その……。
「……もうっ、いったいどうしろっていうのよっ!」
つい大声で喚きたくもなる。
『――え……あ、ごめ……違う、これじゃなくて』
そう、頭を抱えたソフィーの耳に音が届いた。
聞き慣れない、もしくは聞き取れなかったのか。いつの間にかそこにいた……実は店に足を踏み入れたのに気がつかなかったのだが……綺麗な長い黒髪を後ろで結った少女が顔を引き攣らせて立っていた。可愛らしいポシェットを震える手に握っている。
顔の作りからして東洋人だろうか。見たことがない。いや、顔の区別がつかないから忘れているのかもしれないがそれはありえない。こんな可憐な少女は一度見たら忘れられそうに無い。同性の自分でも惚れ惚れとしてしまいそうなのだから。多分、観光客だろう。
「ゴメンナサイ」
少女は片言の言葉でそう呟くと回れ右。そそくさと振り向いて入り口の扉に手をかけていた。
「ああ、ちょっとまってまって!」
大声で勘違いさせてしまったのだろう。急いでレジから飛び出し、少女の肩を掴んで店の中へと引き戻そうとする。だが、それが悪かったようだ。
『ちょ、ちょっと何するのよ! 謝ったじゃない!』
少女はそう大声で喚くのだが、ソフィーには何を言っているかわからない。とにかく混乱しているのは見て取れたので、ソフィーも宥めるかのように少女に向かってゆっくりと謝った。
「ごめんなさい。私が、大声、出したのは、あなたに、対してじゃないのよ。本当に、ごめん!」
身振り手振りを使ってのコンタクト。それとソフィーはぎこちなく笑ってみせた。
少女はきょとんとし、わかっているのかも定かではないが、一つ頷いてくれた。
伝わっただろうか。……多分、伝わってはいないだろう。
それでも少女の頷きが嬉しくてソフィーははしゃいで少女を店に向かい入れた。
少女は買い物をする素振りは見せず、ただ何かぶつぶつと口にして何かを考えているようだった。その呟く単語一つ一つは聞き取り難いものだったが、どうにかこちらと話したいことはわかった。だから、ソフィーはきっかけとばかりに自分から口を開いた。
「あなたの、名前は、何ですか? あたしの、名前は、ソフィー」
ソフィーは言葉を一つ一つゆっくりと口に出してみた。
自分を指差しながらソフィーと再度繰り返して呟く。
「ワタシノ……名前ハ……いつきデス」
やはり片言だけど、それでも少女は返事を返してくれた。
「いつき?」
「ハイ」
またも頷く。それにソフィーも微笑みながら頷いた。
普段なら観光客が来てもこんな対応をすることなど無かった。
けれど、なぜか彼女、いつきには惹き付けられていた。同性でありながらまだ自分よりも幼いこの少女に魅力を感じてしまったのだろうか。今のソフィーはそんなことを考えるよりもただ意思疎通が取れていると言うことが嬉しくてたまらなかった。
「今回は旅行で?」
「……旅行」
「そうなんだ。どこから来たの? 中国? タイかな?」
それにしたら白い肌だなあ、なんてソフィーは自分の小麦色の肌と見比べてしまう。旅行なら、帰る頃にはその白い肌はすっかり真っ黒になっているだろう。それで、ひいひい言いながらその日焼けに泣くんだろうなあ……なんて、そう思ったら少しおかしくて頬が緩む。
そんなことをソフィーが考えているとも露知らず、いつきはこちらを向いて、
「ニッポン!」
そう言った。
「ええ、ニッポン人なの! うわあ、本当! あたしの友達にもハーフの子がいるよ!」
そう早口で捲し立ててしまい、しまった……と反省する。いつきはまたもわからないと顔から察してしったのだ。
「ああ、ごめん。ああ、こんなことならキーキやおじいさんにニッポン語教えてもらっておくべきだったよね」
そうソフィーは後悔をして再度、ゆっくりと伝わるように伝える。
「私の、友達にも、いつきと、同じ、ニッポン人のハーフの、子がいるよ」
「ともだち?」
「そう、キーキって名前なの。キーキ」
いつきは鸚鵡返しのようにキーキと口ずさむ。
うん、とソフィーは笑った。胸の鼓動が早くなる気がした。とても温かい。
どうしてこんなにも嬉しいのだろうか。彼女の挙動の一つ一つがソフィーを喜ばせる。例え片言になろうとも、もっと彼女と話がしてみたかった。そう思って次はどんな事を聞こうかな、なんて考えていたのだが、
「……ソフィー」
そう彼女の名前を呼んだ。
「おお、あたしの名前呼ばれた! あはは、なに?」
ついつい喜びながら、そう少女に向かって訪ねた。
「私、海行きたい。海どこ?」
やっぱり片言だけど、言いたいことはわかった。
でもこんな夜に?
ソフィーは疑問に思ったが、それでも、
「海は、この先をずっと歩いて十五分くらいのところだよ。でも、夜中に道が入り組んでるから迷子になるかも……。やめておいたほうがいいって」
レジにおいてあったメモ帳に簡単な案内を書いて彼女に渡すのだが、どうにも心配になってくる。けれど、それはいつきには伝わらなくて。
『十五分……歩いて。あとは、なんだろ、一緒に付いて行こうかって言われてるのかな……でも、一緒なんて言ってないし』
その独り言もソフィーには伝わらなくて、
「いいえ、ありがとう。ばいばい」
いつきは手を振ると、そのまま背を向けてしまった。
「あ、ちょっと!」
ソフィーは後を追おうとしたのだが、いつきの方が店を出るのが一足早い。
いつきが店を出る時に、すれ違いざまに入店してきた男とぶつかりそうになりながら外に出てしまった。ソフィーは追おうかと思ったが、さすがに客を優先しなければならない。
「って、メルドなの……」
少女の後ろ姿を見ながら、あっぶねぇなあ、と呟くとメルドは店の中に入ってきた。
「もうっ、なんで邪魔するのよ!」
そうメルドを怒鳴りつけ外に出るが、すでに少女は走り遠くまで行ってしまった。今では街灯の下で微かに見えるほどである。
「足速いなぁ。あんなサンダルで良く走れるわね」
不安を抱えながらソフィーは店の中に戻りメルドの顔を見ると小さく溜め息をついた。ぞんざいな扱いにメルドもむっとしながらもソフィーに尋ねた。
「今の子、なに?」
「観光客みたいよ? あーあ、もう少しで友達になれそうだったのになあ」
残念そうにそう呟き、そうそう、と続けて、
「あの子ニッポン人だってさ! 珍しいわよね。どこかのお金持ちの子かしら」
そうメルドに自分のことのように笑って伝えたのだが、メルドは顔をしかめて、
「ニッポン人なんて嫌いだ」
……そう言った。
その言葉はあの少女に送られたものなのか、それとも自分たちの知る友人に送られたものか。多分、両方。いや、それ以上にニッポン全部に送られたものなのだろうとソフィーは思った。
今までの楽しかったひと時を忘れ、ソフィーは眉をひそめて答えた。
「……もう、五年前のニッポン大震災にあの子はましてやキーキは関係ないじゃない。今更憎んだところでおばさんは帰ってこないわよ」
「それでも俺はっ! ……俺はニッポン人は嫌いだ」
最後の口調は酷く沈んでいた。
メルドは頭を一つ掻くと、踵を返して店から出ていってしまった。
「メルド……」
そう呼んだ彼はもうそこにはいない。