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 未だ悲鳴を上げる身体は一歩踏み出すだけで痛い。


 途中、事故か何かで車の渋滞で道が塞がり――脇の茂みなら通れないこともなかったが、ソフィーが無茶をしてはいけないと――迂回しながらの帰宅となった。

 遠回りする分帰路は伸びる。その間にソフィーの手を借りずとも一人で歩けるくらいには体力も回復していた。痛いことには変わりなかったが……。

 何度かソフィーに「無理しないで。肩を貸すから」と助けに入るのだが、キーキは頑なに拒み、彼女から数歩ほど間を取って歩いた。

 キーキにだって譲れないものがあるのだ。それがつまらない男の意地だとしても。


 そんなやり取りを繰り返し、二人は時間をかけながらも『トツカ』と表札の掛けられた一軒家についた。

 豪勢で巨大なホテルが軒並び、観光客で賑わう繁華街や住宅街から多少離れ、近隣住民しか知らない穴場の浜辺の近くにその家はあった。遠くに目を映すとヤシの木や樫の木などが乱雑に生い茂っている丘が見える。その林の葉と葉の中からうっすらと見えるコンクリートで塗り固められた灰色の建物――子どもの頃から祖父に近づくなと言われて毎回怒られていたが――幼い頃のキーキたちの遊び場が存在するくらいである。

 玄関を開けて直ぐの居間、彼女はキーキをソファーに座らせた。


「バーバラさんは?」

「母さんは出張。四月まで戻ってこないかな」

「そう、バーバラさんも大変ね」


 目の前のテーブルには使われた湯のみが二つ置いてあった。

 ひとつは祖父のものだ。もうひとつは……父が使っていたもの。だが、滅多に来ない来客用だ。誰か客でも着ていたのだろう。けれど、今はそれよりもソファーに身を鎮めていることしかできなかった。

 ソフィーはと言うと勝手知ったる他人の家、近くのタンスから四角い缶――彼女お手製の救急箱を出し、馴れた手つきで傷の治療へと移る。この時ばかりは彼女の言いなりとなるしかない。


――痛っ――我慢しなさい――


 キーキの訴えを一蹴、彼女は治療を続けた。腫れた頬に湿布を貼りつける。

 これが昔からのやり取りであった。小さい頃からよく怪我をするキーキたちの治療をするのは彼女の役割。今でもその救急箱はたまに祖父が使う程度で、ほとんど彼女の所有物同然である。


「よし……と、じゃあ、ちょっとおじいさん呼んでくるね」


 救急箱を元の場所に戻し、ソフィーは居間から出ようとしていた。

 それを聞いてキーキは勢いよく身体を起こして、、


「あ、ちょっ、待って!」

「おじいさーん、いませんかー?」


 キーキの言葉に耳は貸さずに何事もなかったかのようにこの家の主、彼の祖父を探しに部屋から出ていった。伸ばした手は宙を掴む。

 扉の閉まる音を聞いて、キーキはだらしなく身体を寝かせると大きく口から息を吐いた。


「くそっ、痛ぇ……もうわけわかんねぇ……」


 今まで堪えていた言葉が口から漏れる。

 口の中は甘いような苦いような胃液の味が未だに残っていた。水で口の中を注ぎたかったが、そんな力も残ってはいない。蹴られた脇腹に触れると鈍い痛みが襲ってくるが、骨には異常は無さそうだった。……素人判断だが。

 緊張の糸が切れたかのように、ソファーに身を沈める。

 ……ふと、壁に立てかけられたコルクボードが目に付いた。

 連絡事項やプリントが貼られ、自宅の鍵や倉庫、車といった鍵掛けとしても使われる。その中でも真ん中にピンで止められた一枚の写真が目に入って……直ぐに目蓋を閉じた。


 身体は痛いのに、それよりも身体は睡眠を欲していた。あくびを噛み殺して、そのまま目を瞑ろうとするのだが……。


――マタヤッタノカっ!


 家の奥から怒声が響き渡った。祖父のものだ。

 どうやらソフィーが祖父に事情を話したようで、怒り浸透した老父が大きな足音を立てて部屋に怒鳴り込んでくる様子が頭に浮かび、まさしくそれは現実と化した。


『おいハジメ! お前、またドーン坊主のせがれと喧嘩したそうだな!』


 キーキをハジメと呼んで現れた祖父の口から溢れたその言葉はこの島で生活する分には普段聞くことはまず無いニッポンの言葉であった。多少まだ眠気が残るも身体を起こし、顔を真っ赤にした祖父を見つめ、


『そうだよ。なんか文句あるの?』


 キーキも同じ言葉を使って言い返す。


『大有りじゃ、この馬鹿者が! お前とドーン家のせがれの喧嘩は喧嘩の範囲を超えているんだ! 毎回毎回こんな怪我で済んでいるものの、一歩間違ってもおかしくないんだぞ!』

『俺だってしたくてやってるわけじゃない! あっちが絡んでくるんだよっ!』

『なら無視すればいいだろ! お前は辛抱が足りなさ過ぎる! この短気馬鹿がっ!』

『ばっ……』


――馬鹿とはなんだ!


 そう言い返そうとしたところで目に入ってしまった。

 激昂している祖父の後ろからソフィーが申し訳無さそうな顔が見えたのだ。

 いつもソフィーはこうだ。こうして叱ってもらおうと呼んだ本人がなんとも言えない顔をするのだ。その顔を見たら何故か妙に冷めてしまって、そのまま口を閉じた。


『いいか、そこに正座しろ! 今日と言う今日はお前のその短気をだな!』


 こう言われたら歯向かうことなどキーキにはできない。


 虚脱感と痛み、おまけに眠気が混ざった身体。

 冷たく固い床に地べたで座るにはきついものがあった。


 その後、祖父に頭をはたかれながらも一時間以上も説教は続いた。

 キーキは足のシビレに泣きそうになりながら二階にある自室へと階段を一段、また一段と登っていく。


「っわぁ……身体も痛いのに足も痛い……」


 言葉にしなければやっていられなかった。

 時間をかけて部屋に入ると、夕日によってオレンジ色に染められた部屋の中、そこにはソフィーが椅子に座りながら読書に耽っていた。

 彼女は顔を上げキーキに気が付くと本を閉じて「大丈夫?」なんて心配そうな顔をしていたが、答えるのも億劫でキーキはそのままベッドへと倒れ込む。が、その時の衝撃が身体に響いた。痛みに震えるも枕に顔を埋めて堪え、何事も無かったかのように振舞う。


「ねえ、二人の言ってることはわからないけど、メルドとの喧嘩の話でしょ?」

「……ん」


 枕から埋めていた顔を横に向けてソフィーを見つめてキーキは答えた。


「昔はあんなに仲が良かったじゃない……」


 その言葉にキーキは溜め息をついてソフィーとは反対側に寝返りをうった。

 ソフィーはむっとしながらも話を続けた。


「メルドね、よくドーンさんと大声で口喧嘩してるの。最初にそれがはじまったのが二年前くらい。……家の仕事を継ぐか継がないかって。この頃は毎日よ……」


 メルドの家はこの地にしては珍しい大地主で、今では少なくなった牧畜を生業としながらレジャー産業としても成功している家柄であった。ソフィーの家はというと父が始めた海外からの輸入品を取り扱う雑貨屋を営んでおり、地域住民に親しまれそこそこに繁盛している。

 そんなソフィーの家とメルドの家は隣同士ということもあり、両家は祖父母からの家族ぐるみの付き合いであった。今でも彼女の店に来ては海外の日常品や酒やタバコ等の嗜好品を彼の家だけに取り寄せてもらうこともある。

 しかし、家が近すぎるのも困りもので、家族喧嘩や大声を出すと筒抜けになってしまうのだ。そのことは近隣住民だけでなく、親しいキーキも昔からよく知っていた。


「あたしもね、高校出たらうちのお店を継ごうって決めたんだ」


 なんて突然ソフィーが言い出した。その言葉に驚いて痛みも忘れて思わず顔を上げる。


「もう、両親にも伝えてある。今までみたいな手伝いの延長線みたいなものじゃない。商品の発注から引取りまで。ただ見ていただけだったことも全部任されるの。いつかは島の外に出て自ら商品を手に取って買い入れたり……さすがにうちみたいな小さな店じゃ無理かな」


 ははは、と照れ隠しに笑いながらもソフィーは将来の夢を語った。


「……お前、昔話してたぬいぐるみのなんたらはいいのかよ。自分のブランド出すんだって言ってたじゃないか。諦めるのか?」


 ぬいぐるみを作って子どもたちが一人一個はもっているような有名デザイナーになること。


 そう彼女はキーキに言っていた事がある。

 キーキは半身を起こしてソフィーを見つめた。

 ソフィーはううん、と首を振って、


「それは今でも叶えたいと思う。でもね、あたしはこの島の外に出なくてもいいと思ってる。本当は世界中の人たちに私の作品を手にしてほしいって思うけど、やっぱり夢と現実の区別を付けないと駄目だよ」


 今でも彼女は手製のぬいぐるみを日夜作っているはずだ。空いている時間を見つけては針に糸を通して数多くの作品を作り上げてきた。キーキも誕生日プレゼントとウサギのぬいぐるみは埃をかぶりながらも棚に飾ってあった。よくあるウサギのぬいぐるみとは違い、表情やポーズはオリジナリティに溢れ、子どもながらに……今見てもよく出来ていると思うほどだ。

 そのことを知っているからこそ彼女はきっとその道に進むものだと思っていた。そして、夢を持っている仲間だと共感を得ていたのだ。

 それが現実的か、自分でもわかっている非現実的な違いがあるものだとしても。


「えっと、それで話しずれちゃったけど、メルドは進路のことでイライラしてるんだと思う。あたしの場合は自分で選んだけど、メルドは一人っ子で後継ぎが他にいないからさ。今も言い争ってるけど、いつかは否応でも同じ道に進むことになるでしょ。彼自身もわかってるんだと思う。だから、キーキのその《子ども染みた夢》ばっかりで今になっても決めてない進路を妬ましく感じて……」


 ソフィーの話はまだ続いていたが、キーキの意識は彼女の口にした言葉に我を見失った。


 子ども染みた夢。


 もやもやとした見えないものが胸に押し寄せ、頭に血が昇ったのを感じていた。


――確かに、メルドが俺をいじるのはそのせいもある。何かとつけては俺の反感を面白がって見てたけれど、一番はそれとは違う。


 頭に浮かぶ言葉。キーキの耳には彼女の言葉は届いてはいなかった。


「……でしょ。だから、早く進路決めようよ。キーキ、語学だけはすっごい成績いいじゃない。だからツアーガイドなんて良いと……」

「……だけじゃない」


 キーキはソフィーの言葉を遮って呟いた。


「え?」


 つい喋ることに夢中になっていたために突然のことで聞き返す。


「俺の夢、それだけじゃない。……あいつが、あいつが怒ってるのは違うんだ!」


 キーキは彼女を睨み付けるかのよう視線を合わせ、今まで溜まっていたものを追いだすように怒鳴った。突然の出来事にパチクリと目を見開くが、それから一度咳き込むとキーキを睨み付けるながら、


「……じゃあなによ?」


 彼女にしてみたら彼の為にと思って話しているのはわかっていた。だから、そんな反抗的なキーキの態度にむっ、としながらソフィーは聞き返す。

 キーキはソフィーから視線を逸らし奥歯を噛み締めた。

 言わなかったほうが良かったかもしれない。

 これは昔、彼とした約束したものだ。このことは二人だけの秘密だと。まだ彼、メルドと今のような関係じゃなかった頃。相談された時にした二人だけの約束。なのに……。

 つい、ソフィーにまで貶されたような気がしたから。

 だから言ってしまった。

 言ってしまったのだ。

 今の自分は変に興奮しているからだろうか。今回のことはよく前々から彼女に言われていたことだ。子どもの頃の夢は。いつまでも夢にしがみ付いてんじゃない。夢は逃げ場じゃない。今日よりももっと辛辣とした言い方もあった。なのに、今日に限っては言ってしまった。

 その理由はわかっている。

 先を進む二人を見て聞いて感じて……。

 焦りだろうか。キーキにはわからなかった。

 ここで話を変えてしまうのもありかもしれないと思う自分を頭の隅で感じていた。けれど、それも本当に小さなものでしかなかった。何よりも言ってしまいたい。その気持ちが強かった。

 だけど、それでもまだ良心が残っていて、


「……あいつは俺とお前が仲良いのが気に入らないんだよ」


 キーキは言葉を選んで口にすることにした。

 言葉にした途端、胸が何か締め付けられるかのように感じた。約束を破ったことに対しての罪悪感と、また別に溜め込んでいたものを開放する高揚感が混ざり合う。

 前々から隠し事は苦手な性分だ。なのにこの数年もよく持ったほうだと思う。その長年蓄積されたものを吐き出せたことで、身体は熱くそれでいて鎮火されていく様で……。


 二人の間に沈黙が流れた。ソフィーは口を半開けのままでキーキを見つめ、左手でこめかみを押さえて再度ソフィーは口を開いた。


「ちょっと、どういうこと?」


 口を開けてキーキは彼女を見つめた。

 鈍感? いやいや、と首を振る。確かに遠回り過ぎたかもしれない。先ほどまでたぎっていたキーキの熱気は一気に冷めていくのを内に感じる。

 ふふっと悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しくてつい噴き出し笑ってしまった。気が抜けてか、キーキはベッドに寝転び彼女へと顔を向けて言った。


「メルドはお前のことが好きなんだよ」


 ソフィーの頬が朱に染まったのが見えた。けれど、それは夕日によって照らされて染まったものかキーキには見分けがつかなかった。


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