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 カモメたちが空を飛んでいる時のことだ。

 鳥たちの眼下の空き地、そこで少年二人の口論が飛び交っていた。点いた火は簡単に水を撒くだけでは収まりそうにない。子どものかわいいそれと違って彼らは成人男性と大差ない体躯に良くも悪くも見識はあるほどにある。が、精神面では未熟な子どもと同じ。投げ付ける言葉の中身は子どもの口喧嘩では聞けないような、人前では発言するには相応しくない罵声も混じる。

 そして、未熟だからこそ我慢の限界に達した男がついに手を出した。

 茶色の髪がなびく。キーキのものだ。殴られたキーキはたたらを踏むもなんとか堪えて地に足を付ける。


「黙れっ、その口をさっさと閉じろ!」


 そうメルドは叫ぶとキーキの胸倉を掴み上げた。


「……っ……お前、殴ることはないだろ!」


 火傷のように熱くなった頬の痛みに怒りが込み上がる。メルドの腕を振り払い押し返した。手の甲で頬を拭うと唾液混じりに血が付いている。


「お前がいい加減にしないのが悪いんだろ。何が月に行くだ。お前のいつまでも現実を見ないその夢見がちな態度が気にくわねえ!」

「俺がどう思ってもお前には関係ないだろ! ふざけんなっ!」


 頭一つ分背の高いメルドに対してキーキは睨み付けた。

 その釣り上がった眉の下、黒い瞳には怒気が詰まっていた。

 だが、その黒い瞳が更にメルドの怒りを焚きつけてしまったようだ。彼はまたもキーキに向かって拳を叩きつけた。

 キーキは頬に先ほどとは同じようで違う熱さを感じるも、今度ばかりはその場で踏み留まり逆に殴り返す。キーキの拳に嫌な感触と鈍い痛みが襲うがそれもまた気分が晴れるような気もする。

 しかし、メルドにも多少の痛みはあるもののキーキが受けた最初の一撃とは重さが全然違う。体格差から出る拳。さらに振り上げるのと振り落とすのでは断然その重さは軽い。メルドが受ける痛みは彼が受けた最初の一撃の重みは何もかもが違う。

 それでも痛いことには変わりないはず。メルドはその痛みを返すかのように膝を曲げて腹へと叩きつけようとして、キーキもそれを片手で受け止めて、反撃と殴り返した。

 勢いのついた拳は先ほどよりも重かった。メルドの喉元から呻き声が漏れる。けれどそれも噛み締めてメルドはキーキの上着を掴んでは力任せに殴りつけた。

 歯を食いしばる。痛みに負けず目の前に振るわれる自分よりも大きな暴力にそれでも対峙する。互いに型も何も無い攻撃。幾度も繰り返していくそれに今、キーキを立たせているのは負けたくないと言う形の無いものだけであった。

 ただ、負けたくない。負けたら夢を潰される。

 錯覚かもしれない。けれど、キーキはそうなるかもしれないという見えない別の敗北に立ち向かい続けた。

 しかし、その気力も身体に受けた痛みの前には霞んでしまう。

 息を荒げ殴りかかるもその拳はあまりにも鈍く、同じように疲れ呼吸の整わないメルドにも簡単に避けられてしまう。

 大振りに宙を舞った拳へと身体が引っ張られるようにしてキーキは地面へと仰向けに倒れた。声は上げられない。もう駄目だ。


「……はぁっ……はぁっ……手間取らせやがって……っ!」


 怒りを込めてメルドは倒れているキーキへと蹴りを横腹へと叩き付けた。


 キーキは声にならない叫びを上げる。

 身体はくの字に曲がり、痛みで地面を転げ回った。

 さらにもう一度。止めるつもりは無さそうだ。このままでは喧嘩の域を越えてしまう。

 けれど、頭に血が昇ってしまったメルドにはそのことが見えておらず、キーキにもう一度重い蹴りを入れようとして……、


「ちょっと! そこで何やってんのよ!」


 幼馴染の少女の怒鳴り声がその場に響き渡った。


「……ソフィー!」


 メルドは苦い顔をしてその少女の名を口にする。ソフィーは果敢にも二人の間に入り、寝転がるキーキを庇うように抱え込み、メルドをきっと睨み付けた。


「ひどいっ! 毎回どうしてこんなことするのよ!」

「……お前には関係ないだろ。……糞が!」


 そう言うとメルドは投げ捨てていたカバンを拾い、その場を後にした。


「ちょっと待ちなさいよっ、もうっ! ……ちょっとキーキ大丈夫?」


 ソフィーは横たわるキーキの背を擦りながら声を掛ける。

 未だ満足に呼吸が掴めない。それでも咳き込みながら、ソフィーの両肩へと手をかけ、押し退けて無理でも立とうとする。

 しかし、


「……はっ……はっ、ごほっ! うっ……ぇっ……げぇっ……っ!」


 嘔吐。食道から未消化だったものが口より流れる。


「無理しないで。……なんでそんなになるまでやられるのよ。最近のメルドおかしいわよ」


 そう言ってまたキーキの背に手を回して擦る。

 キーキは二度ほど胃液混じりの吐しゃ物を吐き出すと、地面に座りこんで空を仰ぐ。ソフィーは黙って彼が話せるようになるまで待った。

 息を整え咳が止んで、それからやっとキーキが口を開くようになるまで幾らか。


「……メルドがっ……俺のっ……夢を、馬鹿にしやがったんだっ!」


 キーキは感情に任せて拳を地面に叩き付けた。

 けれど、ソフィーは眉を顰めて溜め息を一つ。


「夢って、まさか、さっきの授業中のあれ?」

「……うっ……っはぁ……」


 大分調子が戻ったのか、キーキはソフィーへと顔を向けながら頷いた。


「……もうっ! メルドがからかうのも無理ないわよ。今時月に行くなんて子どもでも言わないわよ」


 口元を歪めてソフィーが言う。


「それでも俺は月に行きたいんだ!」

「あなた、それどころじゃないでしょ? そんな夢を語る前に進路はどうするのよ。あたしたちもう十七なのよ。あと一年で学校も卒業。後は進学か就職……まあ、進学はないけどさ」

「……俺は月に潜るんだ」


 キーキには耳に痛い言葉だった。それでも、彼は同じ言葉を告げる。


「もう、わかったわ。その前にその傷を治療することが第一よ」


 そう言ってソフィーはキーキの肩に手を廻し引き起こした。彼女の優しさに抵抗をするも、喧嘩と嘔吐によって奪われた体力では振りほどくこともできなかった。

 こんな女の子一人に抵抗できない自分をキーキは怨んだ。


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