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 ニッポン大震災の引き金は月によって引かれた。

 幾万の人の命を犠牲に自身の同胞たちを迎え入れた。月はこれを悪いとは思わない。人も自分の命のために他の動植物を自分の糧とし、奪うのだ。

 人と月。自分が生きるためには必要で――考え方は同じなのだから。



「お前は治療によって地球に存在するムーンストーンに働きかける波長が出ると言ったが、それを抑えることは出来るのか」


 そう目の前の同胞であり人との混血という異質な少年――キーキが尋ねてくる。


「できる」


 女――月は頷いた。しかし、その先の答えも予測でき、それに対する自分の答えもすでに決まっている。

 そして、予測どおり、それを聞いて三人の顔に安堵の色が浮かぶのを見てやはりと月は思う。


「お願いします。波長を止めてくれませんか!」


 人が……いつきが懇願するのだがそれも月には関係のないこと。


「何故、そのようなことをしなければならない。私は早急に事態の回復を図ろうとしているだけだ。そんなことをすれば治療にもっと多くの時間が必要となるだろう」


 だから、当たり前に、そう……用意していた答えを返す。

 三人が落胆する様も、続いて抗議をしようとも月は聞く耳を持たない。


「……俺からもお願いするよ。なあ、同胞。時間をかけてでもいいじゃないか」


 そこで今まで黙っていたオギノが口を挟む。はて、と月は不思議な顔をした。

 なぜ、仲間であるオギノがこの人間たちに手を貸すのか。


「お前は私たちから分離した存在だとしても私だろう。何故そこまで人間を助けようとする」


 月の問いにオギノただ苦笑し、自分ではなく息子の背を押すという行動に出た。

 思わず月はキーキを冷やかに睨みつけ、キーキは少しばかり顔を引きつらせ、オギノと月の顔を見比べ、目を閉じて深く考え込んだ。

 そして、何かを決心したかのように目を開く。


「……俺には家族がいる」


 家族、という言葉に月は内にいる同胞たちがざわめくを感じた。家族。言葉の意味はわかる。キーキは続ける。


「大事な家族が地球にいるんだ。家族だけじゃないソフィーに……メルド、学校の仲間や街の人たち、仲間だって大勢いるんだ。そんな仲間たちが死ぬかもしれないって時に指を咥えて見るわけにはいかないだろ。……父さんを、そして、俺を作ったお前だったらわかるはずだ」

「私の意思ではない。私たちの中の末端が作り上げた。それにお前が作られた理由はそこのオギノであって、オギノはすでに私たちでありながら別の存在だ。私たちは関与していない」


 キーキの言葉は無意味だ。月には届かない。

 けれど、キーキは続ける。


「お前、父さんを自分だと言ったんだ。父さんを作ったのは末端にいたお前だ。それは、お前の中の一人が人を求めたんだ」

「……しかし、それもお前たちで言う気まぐれでしかないと言うことだ。私は私たちを破壊し私を奪われたことを……」


 そこで今まで黙っていたおわりが口を挟んだ。


「僕たちだってそうだ! 君たちは何万と言う人間を海に……手に入れた! 身体だけでない、命すら吸い取ったんだ! 君たちを持ち込んだのは僕たちだし自業自得かもしれない。でも、僕の家族は死んだんだ!」


 ……死んだ?

 おわりは涙を濡らす。そこからは嗚咽が混じり言葉にならない。いつきはそんなおわりを抱き締めてその先を続けた。


「あなたにとって人は悪なのでしょう。地球を友達と呼んだあなたにとっては。あなたも私たちによって仲間を奪われ、私たちも多くの大切な人を失いました。……お願いします。これ以上両者で悲しみを生み出すのはやめませんか」

「しかし……」


 悲しみ……?

 たったこの短いやり取りだったというのに、月は戸惑いを隠せずにいた。自分の中のオギノを作った末端たちが目の前にいるこの小さな存在の言葉を後押ししているのだ。

 今現在人と言葉を交わす月の代表として自分はいる。でも、自分は一ではなく全であり、自分だけの感情……というものがあるなら、それは自分だけのものではなく、全体のものだということ。ただの末端であった意識が少女たちの悲しみを感じ取って、それを全体に通そうとしているのがわかる。

 しかし……それを頷くには何かが足りない。これも全体の答えであった。

 月は無意識にオギノを見つめ、オギノはそれに答えるかのように微笑んだ。


「もういいだろ。あいつらと俺たちは一緒なんだよ。どっちも手に入れて失って、このままじゃずっと同じことの繰り返し。いや、もっと酷くなるかもしれない」


 オギノはそう月に伝えた。

 月は一つ思考に入り、言葉を発した。


「……私と人間は一緒なのか」

「そうだ」


 オギノは笑って頷いた。


「……そうか。だが、いくつか聞いてみたい」


 月はキーキへと手を突き出した。

 そのまま手はゆっくりと伸びてキーキの首を掴み……少女たちが悲鳴をあげ、オギノも困惑したかのように声を上げたが月は気にせずにキーキを掴む。手は掴んだまま形を変え、膨張し、キーキの首から彼の身体を包み込もうとする。月の手は波打つ波紋を浮かばせながらキーキの胴、足、手、そして、頭へと。キーキの身体を飲み込んだ。後には繭のような鉛色の球体がその場に残った。

 飲み込んでいく最中、キーキは少し驚いていたが、恐怖を表すことは一度もなかった。

 今、月はキーキと一つになった。




「どうだ。手荒な真似をしたが……」

「ああ、別に。逆に少し身体の調子がいいみたいだ。軽い気がするよ」


 そう、月の言葉にキーキは答えた。

 ここは月の中。彼らと半分同じ存在であるキーキのために用意された外界から隔離された月とキーキだけの世界。ここで月はキーキから偽りのない言葉を聞こうとした。

 人は醜い嘘をつくことは知っている。オギノが戻ってきてからも彼が体験したことは共有した。良い事も悪い事も全て。そこには真実もあり、それ以上に嘘もまみれていた。彼はいくつも傷つき、そして成長していったことは知っている。月は二人の少女……オギノですら偽っているのかもしれないという疑心に駆られた。

 だが、この場所ならば彼の心と繋がることができる。オギノではなく、一度も触れ合ったことのないキーキと。

 ……本当のことを言うと、オギノの言葉に偽りがないことは知っている。だからこそ、別の例外であるキーキから本心を聞きたくなった。

 いいか、嘘はつけない。そんな場所だ。

 その言葉は伏せて、月はキーキに訊いた。 

 

「お前にとってそれほど大事な人間とはどんなものだ」


 ……なあ、人間よ。どう答える、同胞よ。


「俺は別に自分に関りのない人間ってのは、よくわからない。でもその関りを繕ってくれるのはその見知らぬ誰かなんだ。その誰かがいるおかげで俺たちがあって知り合って、家族に成れるんだ」


 ……家族。


「家族とは?」

「家族ってのは、口うるさくて煩わしくて邪魔だって思うこともある……でも暖かくて欠かせないものなんだ。それは人間ひとりじゃできないけど、ひとりひとりが誰だって持ってるものなんだ」


 いらないのに、必要なもの、か。


「お前が人間として生まれれば当然に思えるくらい……これは口で説明するのは難しいな。でも、地球を友と呼んだお前ならきっと理解出来ると思うよ」


 口にするのは難しい。月は笑った。

 彼がその言葉を呟いている最中、聴いていく内になんとなくだが、月の内側へとその言葉の意味が理解が滲み込んでいくかのように駆け巡るのだ。

 キーキの言葉にただ女は音を消した。ふと、視界をキーキから逸らし、外界へと戻す。外には自分に包み込まれたキーキを二人の少女が……人間が近寄って声をかけているのところだ。オギノはなんとも言えない顔でこちらを見てため息をついている。

 また。キーキへと視線を戻す。


「人間と我らの混合種よ。お前はどうしてそっちにいる。どうしてそこまで人間と言うものを助けたいんだ?」


 それでもキーキは言葉を紡ぐ。


「心があるから、かな。もしも心がなければ俺もそっちにいたと思う。けど、俺には怒り喜び笑い悲しむ。心があるんだ。それに悪いけど、俺は人間だ。今更月だったとかなんて言われてもぱっとしないし、これから先どんなことがあってもネグル島に住んでいたトツカ・キーキ・ハジメであることにかわりないんだ」


 そして、月へと微笑み、


「それが人間ってやつなんだ。一緒に生きていこう。大丈夫、父さんが生きていけたんだ。俺たちは共存できるはずなんだ。俺たちはお前みたいに長生きじゃない……あ、俺や父さんの場合はどうなるんだろ? いいや、それは。今は一緒にその道を新たに生まれる俺たちと生きていこうよ」


 なんて言うとキーキは手を差し伸べてきた。

 ……瞬きをするよりも比べ物にならない短い時を生きた同胞の言葉。一蹴してしまえば簡単なのに、キーキの言葉は月の心……というものがあるならば、そこへと突き刺さっていた。

 それは知識欲か。ただ、知りたい。

 この者たちが言う人とは家族とは友とは。そして、ただ拙くも眩いキーキの《思い》が流れてくる。

 ……負けだな。

 月はキーキの身体を開放した。キーキの身体を包み込んでいた繭はゆっくりと解け始め、月の手へと形を戻し、またもとの場所へと戻っていった。

 ゆっくりとキーキはその場に立ち、少しよろけてその場に尻餅をつく。あわてて二人の少女がキーキへと駆け寄って抱きしめた。

 二人の行為もなんとなくだが月は理解できた。これが心配していた、ということか。

 今はもう半数以上の同胞がその回答に同意してくれている。だが、その少なからずいる同胞のためにと、月は駄目押しとばかりに訊いてみることにした。


「たとえ、お前たちとこうして話しわかり合えたところで、お前たちは私のように全体と意識を共有できることはできない。前にコーイチが走り回っても信じてもらえなかった話だ。さて、今回のこの話を誰が信じてくれるというのか。ましてやお前らはまだ若い子供ばかり。お前らの言葉など誰が信じてくれれようか?」


 そう、少しばかり悪意を含んで三人に訊いた。

 そこで、いつきが一人立ち上がり言葉を発した。


「私はある国の高位の女帝を目指しているものです。私がもしも女帝になれれば多少なりとも発言権を得られるでしょう。これで外の人たちに語りかけます」

「ほう……お前みたいな少女でもか。……では、期限を設けよう。約束だ。お前がもしも、女帝にならなければ私は月の活性化を開始する。だが、お前が女帝となり、月支援を開始できたのならば先送りとしてやろう」

「はい!」

「……では、お前たちの要求を受け入れよう。私はお前たちをいつも見ていることを忘れるな……」


 月はキーキの手を取った。キーキもそれをゆっくりと握り締めた。


 まだ人間を嫌っている同胞も少なからずいる。けれど、月の中の《彼ら》にもこの三人の言葉に惹かれている者も多い。

 ……思えば長い時を月は過ごした。それに比べれば言葉を覚えて日は浅いが、信じるなんて言葉は今まで使った事はない。時間はかかるかもしれない。でも、彼らを信じても……。


 月はそっと暗い海へと消えていった。


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