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 何もすることは出来ないのか。

 どうすることもできず、ただ三人は項垂れていた。

 その様子を見てオギノはおもむろに立ち上がり、三人の視線を集めてから直ぐ、暗い海へと身を投げた。


「父さん!」


 一目散にキーキはふちまで駆け寄り海を見下ろすも、暗い海でオギノの姿を捉えることなど出来なかった。

 さらに途方に暮れてしまう三人。気泡の上がる海からはオギノが浮かんでくる様子は見られない。なぜ、どうして海に飛び込む? その答えは突如として海面より姿を現したものが運んできた。

 鉛色の柱だ。海の底から幹のように太い柱がゆっくりと伸びてきたのだ。

 柱は三人が束になってもさらに太く、その外殻はゼリー状のようで、表面が波のようにうねっている。水中より顔を出した柱は高さを増し、船を越す頃にはずぶ濡れになったオギノが柱から飛び出した枝に乗っていた。

 柱が落ち着く頃にひょいと船へとオギノが飛び降りた。


「ありがとう」


 オギノの言葉に答えるかのように足場となっていた棒は何度か揺れて柱の中へと引っ込んでしまった。

 三人はずぶ濡れになったオギノとその鉛色の柱の登場に言葉を無くした。恐怖も入れ混じっているのだろう。誰かの喉が鳴る音が聞こえた。これは一体なんだというのだ。

 その様子を見て、水の慕った髪を掻き揚げてオギノが笑った。


「安心しろ。《彼ら》は危害を加えない。ほら、いいぞ」


 オギノの合図を受けて柱は蠢き出すとその姿を変えていった。

 上部の方から流れ落ちるかのように壁は形を作り上げ、次第にそれは人の形を繕った。

 女の姿だ。光沢を放つ鉛色の肌と髪。人間と同じような凹凸を持ちながらも下半身より下は柱と同化したままであったが、色と相まってまるで銀で出来た彫刻を見ているかのようだ。


「紹介するよ。これがこの星の核……まあ、末端だけどね。そして、その末端でありながら……父さんの産みの親だ。今じゃ女性の形になっているが、前はじいちゃんの若いころと同じだって聞いた」


 なんて笑って柱を紹介した。

 続いて女が――月が口を開いた。その声は見た目の女性らしさはなく人工的な音に近いものだった。


「お前たちが愚かな友人に寄生する人間か」


 友人。その言葉を鸚鵡返しのように呟く三人に月は頷いた。


「そう、お前たちが寄生し、お前たちが星だ地球だと呼ぶ友人だ」


 三人は黙ってその言葉の続きを聞いた。


「私は長い年月をかけて物言わぬ友人を観測していた」


 それは月自身も忘れた遠い昔、その星――月は遥か彼方より飛来し自分の居場所を探していた。幾年……時間なんていう概念はない。ただ、自分がいる場所を探して月は遥か遠くから旅をしていた。

 宇宙全体で言えば極めてゼロに近い距離。人間からしたら気が遠くなるほどの長い距離。月はただひとりでその道を進み、そして一つの青い星とめぐり合った。それが地球。月は地球の軌道上に収まった。

 何かを見たり聞いたり言葉を使い意思疎通を図るといったことは祖父たちに出会ってから出来たことだ。ただ、そのような感情と言うものを知らなかった月ですら彼……地球を感じては美しいという言葉と同じものを感じたのは確か。

 生命が芽吹く青い星。月はそれになりたいと願った。

 そのために月も同じように生命を作り上げることに決めた。地球に比べればなんとも短くもあったが時間だけは幾重にもあった。

 月は地球に遅れながらも後を追い模倣していく。


 順調に模倣し、どうにか最初に見たころの彼の姿に近づけるようになった。彼はもうすでに先を行っていたが、ふと……彼を感じると何かがつきの中でひび割れるかのような感覚を覚えた。あんなにも綺麗だった地球が……濁っている。

 次第に横暴する自身が作り上げた生命体によって見るも無残な姿へと地球がかわりはじめてしまったのだ。それを見た月は植物以外の生物は知的生命体へとつながる可能性があったために作らなかった。

 もしかしたら地球は自分のことを感じてくれているのかもしれない。

 しかし、その答えを出すことが出来ないと知ったのは地球が何も反抗をせずに自身に住む生命に荒らされ続けている様子を見ているだけだった。憧れていた存在が穢れていく様子をただ見ているだけしか出来ない。……歯痒く思っただろう。月は地球を哀れんだ。

 そして地球が汚れていくことしか出来なかった感じることしか出来なかった自分の身体にも異変が起こったのを知ったのは直ぐのことだった。地球に存在する生命体が乗り込んできたのだ。

 月にとってはほんの瞬きをするかのような時間で彼らの身体を蝕み、そして瓦解していった。その間に意識の末端が生命体……人間との意思疎通を行うことに成功し、今まで足りなかった知的生命体の情報を得ることも出来たが、和解するまでにことは起こった。

 月全体の意見は地球の一方的な乱開発を目の当たりにしていたために、その矛先が自分に向いたことに怒り震えてた。

 その蝕みに耐えられず月は自身の身体より海を流して異物を流し込んで正常化へ戻そうとしたのである。


「お前たちだって自分の身体を破壊……そうだな。病魔に蝕まれたなら大事になる前に薬を打ち込むだろう。それと同じだ。私はただそれを行っただけに過ぎない」


 その後、月は四五年前より自分の環境を整えようしていた。

 治癒として核が活動し、その副産物として全身へと働きかける波長が放出される。互いに引き合う性質を持ち、別れた欠片がそれに答えるかのように振動を起こし近くに存在する同類と同調。幾重にも重なった欠片は計り知れない力場を生み出し破裂する。それがある程度の距離を離れていたのならば多少の影響はあるものの甚大な被害とはならず済む。

 しかし、もしも月が地球へと近づいたなら……?

 それがニッポン大震災の原因である。


 さてとさてと、話はキーキたちが月と出会う前日に遡る。

 場所は地球。パレドヒア国のネグル島。そして、いつきが泊まるはずだったホテルでのことだ。


「ええ、はい……未だ連絡は……はい、申し訳ありません。……いいえ、必ず……はい。私が責任を……え、あ……はい、軽率でした。済みません」


 ……お前の首で済む問題ではない、か。

 雪島は電話相手先――ニッポンの上司へと状況説明を行っていた。

 御叱りが耳に届き内心悪態をつきながらも雪島は空に浮かぶ月を見た。

 ……いつき様。今そこにいらっしゃるのですか?


 いつきたちから連絡が途絶えて二日が経っている。さらにそれから幾らかして、船の消息すら途絶えてしまったとキーキの祖父に聞かされた。その時は田山・井上の二人に手を上げては罵声を吐き尽くすほどの狂乱っぷりを現地の島民に見せる失態まで犯したが、結局はニッポンへと報告することに落ち着き……結果は雪島以上の怒鳴り声を一時間にかけていただくことになった。

 そして、今日も同じく定時報告。今の会話の流れとなる。上司の声は前日よりも遥かに落ち着いたようだが、いささか声色に焦燥としたものを感じ取れる。

 当然だ。いつきの起こしてくれたことだが、それを追及すると部下の失敗へとたどり着き、まわって上司の首下へと矛先が向かうのだから。今回の責任は雪島含めて上司も免職にかかるかもしれない。

 それだけではない。混迷したニッポンから遠く離れた地に課外学習と名ばかりの旅行に出かけて消息を絶った? 生死不明? そんなのを聞かされた国民からの反感はいつきや雪島たちではなく、今回の行事を行った政府へと集まることは目に見えている。上司以上に責任が乗りかかっくるのは目に見えている。

 しかし、未だこのことを知っているのは上司とその部下数名だけらしい。こんなことで今の職を辞める、ましてや現在のニッポンでは上に値する位だ。たまったものではないだろう。出来る限り穏便に済ませたいとのことだろう。

 だが、雪島は思う。たとえ失策だとしても国内に……はたまた海外への救難要請だって求めたい。今はいつきの無事を願う方が大事ではないだろうか。

 正直な話、いつきは苦手な部類だし、一緒にいるだけで緊張して疲れてしまう。年下の相手の機嫌を伺いながらそれでも指導していかなければならない。


「待機、ですか? 本国からの救援は? 一週間っ? 一週間待てって言うんですかっ? …・・・は、はい……いえ、私たちのせいです……はい」


 まだ出会ってから半年も経ってはいない我侭で気が強く生意気ないつき。

 でも、涙は見せずとも寂しがりやなことも知っている。虚勢を張らないと周りの候補者たちから甘く見られることも、けれどそれが行き過ぎて悪意を、陰湿な嫌がらせを受けるになり、耐えていることも雪島は知っている。

 そんな彼女を、雪島は嫌いではない。

 むしろ、周りの候補者に比べたら好ましく思える。

 出来れば自分たちが仕えたいつきが女帝の席を受け賜って欲しい。それも本心だ。あと少しの自分へのご褒美も願ったりもするが。

 けれど今はただ彼女のことだけを考えて、


「……やはり本国で対策を取られることは……いえ、いつき様の身を案じてのことです。職? 職なんてっ……いえ、なんでもありません。……はい、わかりました。では、失礼し……」


 通話を切ろうとして、そこである上司からの命令が耳に届く。

 あまりのことに耳を疑う。


「……え? 本当ですか? そんな、でも、いつき様は連絡が取れないって……え、はい……わかりました。はい。では、明日迎えに」


 そうして、受話器を落とす。

 それから雪島は深くため息をついた。

 確かに伝える相手ではあるが今まで行方不明だったのでは?

 ……しかし、他人のことなのに。

 雪島は自然と頬を緩ませる。

 これほどうれしいのは久しぶりのことだ。出来れば本人に、いつきに直接聞かせたいほどに。

 それから少し席を外してもらっていた二人を呼ぼうと緩んだ頬を引き締めようと手でこねくり回してから、一つ、思う。

 ……しかし、お姫様候補が癇癪を起こして月へと逃げてしまった? どこの御伽噺だ。

 思いがけず少し笑いを漏らした。



「井上、田山いる? 今上司から連絡し終わったところなんだけど、明日空港へ行くわよ!」

「はい」

「わかりました。が、なんで空港へ? ニッポンに先に帰るんですか?」

「馬鹿言ってんじゃないよ! ある人を迎えに行くのさ! とても大事な人だよ」


 そうして、二人に上司から聞かされた言葉をそのまま伝える。二人は驚いていたが、それから少しして笑みが浮かんでいるのは見えた。


「それはよかった! いつき様これで元気になってくれるといいけどっ……あ、ああ……いつき様俺と話してくれるのだろうか……」


 なんて井上が言い終わるころには言葉は擦れて沈んでいく。


「俺の時なんで自分のことしか考えてなかったんだろう……無事に帰ってきてくださいよ、いつき様……」


 とは田山だ。最後の別れ際の言葉にこの二日、ずっとこの様子で二人の気落ちっぷりは見ていて痛々しいもので……自分のことを棚に上げてもいるが、雪島だって相当落ち込んだ。

 でも、そんな雰囲気を振り払うかのように雪島は手のひらを叩くと、


「明日は朝から待つよ! 男二人! さっさとご飯食べて寝るよ!」


 と、二人の尻を叩いて部屋から雪島は出ていった。後から急いで二人もついてくる。

 とりあえずは食事していつでも動けるようにしておこう。もしもの時に睡眠不足や空腹なんかで動けなかったりしていたら大変だ。

 そうして三人はホテルから抜けて繁華街へと向かっていった。 




 いつきのことは正直苦手だ。でも、心には一つだけ曲がりなりにも願っていることがある。


 道中、雪島は空に浮かぶ二つの月を見て呟く。


「どうかいつき様を無事にお返しください」


 空に浮かぶ蒼い月へとそう願い祈った。




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