21
突然の来訪者に唖然とする三人であったが、はっと気を取り直したおわりは縄はしごを下ろして男を向かい入れた。
「よいっしょ、よいっしょっと。ふう、縄はしごなんてもう何十年ぶりだろう。まるで子どもの頃に戻ったかのようだよ」
男は甲板に上がるとその場に胡坐をかいて息をついた。
そして、口を開けたまま突っ立っているキーキに向けて手を上げた。
「よう、ハジメ。ひさしぶり。元気にしてたか? ははっ、こんなに大きくなっちゃって。俺が子どもの頃と……似てないか。ハジメは母さん似だもんな。でも、息子の成長が見れて父さんは嬉しいぞ?」
父はそう言って豪快に笑い出した。こんな事態だというのに呆れるほどの笑い方だ。
一通り笑うと今度はキーキの後ろに佇む少女二人へと目を向ける。
「そちらのお嬢さん方はハジメのガールフレンドかな」
――いや違う。
そう否定しようと振り向くも二人は頬を赤らめてそっぽを向いていた。
「え、なんで?」
「いやあ、うらやましいな。俺なんかは一人の女性をドーンと……あ、メルドくんのお父さんね。そいつと奪いあったものだよ。結局、俺が譲る形でドーンに嫁いじゃったんだけどね。あれは悲しかったな……」
上を見上げて物思いにふける父。
すでに意識はあの頃の若き日々へと走り抜けていることだろう。ふと、だらしなく口元が歪み微笑する。
「……って、父さんなんでこんなところにいるんだよ! しかも、海の上歩いてただろ! どういうことだよ!」
父はにやけ顔を止めて、頭を掻く。
「うーん、親父……じいちゃんからは何も聞いていないのか?」
「何も」
「そっか。なら話さないといけないんだよな。でも、その前になんでお前たちがここにいるかを教えてくれないか。父さんだってちょっと驚いてるんだよ。本当に」
三人は今までに起こったことを渋々と語っていった。最後に、このままでは地球に帰れないことも付け足して。
「なるほどな。お前たちもやんちゃだな。でも、そりゃ父さんでも冒険しちゃうわ。やっぱりお前は俺の息子だよ」
ほんわかと笑ってキーキを見つめる。
しかし笑みは流れ父は眉間に皺を寄せ、下を向いて頭を掻き毟った。
「あーもう! ごめんな、もしも今地球に戻ったところで……」
一呼吸置いて、
「お前たちは結局死ぬことになるぞ」
なんて口にした。
「……え?」
三人の表情から色が消えた。
戻ったら死ぬ……?
「どういうことなんだよ!」
こんな時に冗談は言うものではない。キーキは父に迫って肩を揺するも、変わらず険しい顔をしたままだ。
「どうもこうも、今日が純月蝕だからだよ」
四五年前のことだ。月地学の権威と呼ばれていた祖父……コーイチ・トツカは未だ発展を続ける月で地質調査として地底を潜っていた。
日夜削岩機を用いて地面を掘り起こし、ルナタントを採掘する日々であったが、ある日、コーイチを含めたニッポンの調査隊は月に巨大な空洞がある事を知り……そこである生物に遭遇したのだった。
月の中心核……の末端。最初に発見した時はただの蠢く金色の触手のようなものであった。しかも、出会って直ぐ――何処かに目とでも呼べる器官があったのか――コーイチたちに気がついた触手は変異を始め、コーイチの外見を真似て繕いはじめた。
腹部から下は長い管であったが、上はコーイチと瓜二つの姿を模した。発声構造を持つも、流石に声帯はまねできなかったのか、当初は鉄を擦りつけたかのような不快音を発声させた。しかし、時間をかけた触手は次第に人の声となり、驚くべき発達と知能を見せコーイチたちの言葉をすんなりと覚えていった。どうにか簡単な会話が出来るころになった時、触手はこの星に住まう生命体ではなく、この星自身であることを……この星が生きていると語った。
地球外生命体。所謂、宇宙人。
この星の中心。地球でいう核とでも呼ぶべき場所こそが彼もしくは彼らの本体である。といっても聞いた話では人間のように特定の形を持たないアメーバのような存在。星を覆っている大地や海は彼らの皮膚であり服でもある。また、その皮膚には本体より「自分の意志」で分裂した多くの彼らが埋もれ眠りついていた。
それが人間が見付け出した新たな物質であり、コーイチが研究していたもの。
ルナタント。人類がそう名付けた物質は月の身体の一部であった。
地球外生命体の発見はコーイチたちを歓喜に震えさせたが、地球人と顔を合わせるにはまだ問題があると秘密裏に関係を持つことにされた。
いつの日か人類と月がわかりあえる日が来る事を信じ、その架け橋となるべきとコーイチたちは拙い言葉で交流を重ねていった。
その成果もあり月は日に日に「人らしさ」を覚え、その成長ぶりにコーイチたちはまるで我が子を育てるかのように喜びを噛み締めていた。
そうして、試行錯誤を繰り返しながらも接触・観察を繰り返していたある日のことだ。月は人間に興味を覚え、コーイチの血……遺伝子を組み込んで赤子を作り出したのだ。
「それが俺だな。いやはや、月と地球人のハーフの誕生だ」
生み出された父オギノはその後、コーイチたちによって育てられた。成長速度は人間の赤子と同じ。栄養は触手に触れることでも配給を可能としていたが、人間の食物でも摂取することを可能とした。これには人間の次なる進化を彷彿とさせたらしい。人と月のハイブリッドタイプの新たな人間の誕生……人類の新しい扉を開きかけていた。
しかし、その研究は手をかける前に頓挫することになる。オギノの首が据わる頃くらいか、月が呻きだしたのだ。
血肉が足りない、と。
……ルナタントのことだった。
コーイチたちが来る前から月にはルナタントを採掘するためにかなりの穴が開いていた。人間によって開けられた穴や、それ以上にそこからルナタントを採掘することが月を苦しめていたのだ。
彼もしくは彼らはコーイチたちに月からの脱出を告げる。だが、すでに手を回すには時間は無かった。秘密裏にしていた時間が長かった。
月が生きている、なんてことを誰が信じてくれるというのだろうか。
このままだと危ないという「世迷言」に誰も耳を傾けてくれはしない。
コーイチたちはその事をニッポン政府に告げるも検証が必要だと……鼻で笑って突っ返したらしい。
時間は足りなかった。
理性を失った時は呻き声を上げ、正気を取り戻した時には逃げろと彼らは叫ぶ。
しかし、コーイチは逃げる事はしなかった。自分たちだけで逃げ出すなんて真似は出来なかったのだ。
人々に根気強く説得しようとも、どんなに権威を持っていたとしても一介の研究家が何を言ったところでそれを本気にするものなど殆どいない。それはわかりきっている。けれど、耳を傾けてくれる人もごく僅かにいるのも確かである。
……月と共にする。
そして、人々に、月に、最後まで説得し続けよう。コーイチは決意するが、周りの同僚がそれを阻止し、赤子のオギノも連れて強制的に宇宙船に乗せて月から旅立たせてしまったのだ。
コーイチが月を出て翌日、それは彼ら自身が警告を発してからたった数日のことだ。
大洪水と言わんばかりの海水が押し上げ全てを覆い隠した。
帰星後、オギノのことを隠しながらもコーイチはニッポンへと帰国する。
コーイチから報告を聞いていたニッポン政府は彼を咎めようとはせず、さらにその経験を生かして次の月開発への着手を狙おうと……さらにはその情報をニッポンが独占することで多大な利益を得ようと考えていた。
それをコーイチが同意するはずもない。自分自身を許せないコーイチは技術者を辞任と言い出しはじめるが、当然のごとく政府はそれを容認するはずもなかった。
コーイチの持つ知識は機密事項も多い。心変わりしてまた月の研究を始めたり、その研究成果が他国へ流れる可能性を政府は危惧していた。
尚更コーイチがそれを素直に受け入れるはずもない。けれど、幾度の交渉により政府は最終的に彼を自分の目が届くところで手懐けようとニッポンとの交流が深いパレドヒア国で隔離させることになった。保障……人質として家族はニッポンに残して、だ。
家族を捨てる。
苦悩の果てにコーイチは月で犠牲になった人への懺悔とし、それを受け入れ、家族と離れてオギノと二人で生活を行うことになった。
「不器用ながらもじいちゃんは父さんの事を男手ひとつで育ててくれたよ。すくすくと育った父さんはドーンなんて親友も出来たし、振られたけど恋だってした」
島流し当然である彼らだったが、今回の事件についての事情を知らされていないネグル島の人たちはコーイチたち二人を快く受け入れてくれた。
コーイチはその島にあるニッポン所有の小さな宇宙船保管所の技術工として招かれたとして働き、オギノは多国籍なその島では身分を隠すには絶好の場所であり、大きくなるまで普通の地球人としてすくすくと成長していった。
そして、年を重ねオギノが高校を卒業した頃にコーイチから月の事を含めて自分の生まれを語られた。
動揺しつつも、その時のオギノは自分に何故母親がいないのかを知って少しばかり安堵する。けれど、それ以外を受け入れるには十八としてもまだ幼い。困惑、苦悩、自分の意味。他者との違い。差別。言葉には出来ない何かがオギノの中で渦巻き、行き着いた先は、コーイチを恨むことへとたどり着く。コーイチを許す事はその時のオギノには出来ず、直ぐにして島の外に出ることを決めた……当然、大反対されて。
「まあ、今ならその理由もわかるけど、その時はまだ身なりばっかりでかい子どもでさ。家出同然で飛び出した」
コーイチの、地球人の遺伝子を持つとはいえオギノは宇宙人のようなものだ。それによって彼自身に危険が及ぶ可能性をコーイチは見出していた。
けれど、それすらもその時のオギノは反発する材料にしかならなかった。
「色んな国に向かったよ」
他はからっきしでも、言語の理解力だけは飛びぬけて高かったオギノは現地で一週間ほど揉まれれば意思疎通程度の会話は出来るようなり、殆どが共通語の範囲だったことも幸いし、順調に旅を続けていった。……辛辣も舐め、身の危険が及ぶ事も多々あったが。
「けど自分自身と向き会うことも出来た。何よりもお前の母さんに出会えたからな」
そう言ってキーキの頭を乱暴に撫でた。その様子にいつきとおわりは自分のことをキーキの父親なんだなと感じたって聞いたのはすべてが終わってからのことだ。
話は続く。
三年後、母バーバラと共に家に帰郷し……想像通りにコーイチに怒鳴りつけられるも二人の中を認められ式を挙げた。バーバラは同じように世界を飛び回る人間だったこともあり、季節が幾度か巡り、彼女がようやく腰を落ち着けられるようになった二五の頃に第一子を儲けた。
それがキーキ。
コーイチとバーバラと三人でキーキの成長を見守り続ける日々。
その時がオギノにとって最高の幸せに包まれている時期でもあった。
「まあ……そういうわけで。お前は宇宙人の血を引く人間だったのだ!」
オギノは胸を張ってそう言いのける。
そこでおわりが手を上げた。
「はい、なんでしょう。君はええっと……」
「おわりです。戸塚おわり。一応、ハジメとはいとこだと思います。それで……」
簡単な紹介で終わらせようとしたのだが、妙にオギノは食いついた。
「へえ、いとこ! なんだもっと早く言ってくれよ。なんだなんだ。じゃあ、君も実は家族だったりするの?」
「私は月野いつきです。えっと……他人です……」
唯一、血縁関係ではないという理由で申し訳なさそうに呟くいつきに父は気兼ねなく手を取ると、ぶんぶんと振って握手をした。
「ああそうなんだ。でも、これで他人じゃなくなったね。よろしくね」
いつきは照れながら頷いた。
おわりは軽く咳払いをする。
「それで、えっと。ハジメやおじさんは宇宙人だって言ってたけど、何か身体的に地球人と変わりはあるんですか?」
「俺には影響があったけど、ハジメにはどちらとも言えない。ただ、極端に言うならば特にない……はずだよ。俺自身実はじいちゃんのクローンに近いんだ」
祖父の遺伝子を元にして人体構造を読み取り、月の構成物質から組み合わせて出来た赤子がオギノである。
オギノの誕生を言葉で表すならば奇跡とでも言ったほうがいいだろうか。当初はまだ自由な手足を持った月の代わり身でもあった。だが、彼は月から離れ地球での生活を中心とし、成長する段階で取り込んだ食事や栄養が体内の月の細胞と同化し昇華させたことで自分だけの身体に作り変えた。大きくなるにつれて、オギノは一つの固体として成り立った。
「そして何よりも俺が子供を作れたと言う時点でもう俺やハジメの身体の構造は人間だったんだ」
だが、それには続きがあった。
「そう思ってたんだ。地球人になっていたと思ってたんだ。五年前の純月蝕の日まで」
そこで三人が身体を振るわせた。
特にいつきとおわりの反応は今までにないものにあった。
「ちょっと待ってください! 五年前……? 五年前って純月蝕は起こったんですか!」
いつきはそう叫んだ。ニッポン人の彼女らには純月食は忌みする言葉である。
おわりも無言のままに頷き、そして、間を空けてから説明を始めた。
……月は生きている。本来、純月蝕だけならば害はない。
まず中心に存在する地球とその地球の外周を走る白月。その二つの間で白月と同じように地球の軌道を走るのが今四人が立っているこの蒼月。本来なら重なることはないが、ある一定の条件が揃うことで三つが多少の誤差はあるものの重なるときが来る。その時、中心に存在するこの蒼月は白月の引力に捕まらないよう、また引き付けないよう、地球の軌道というレーンから地球側に外れて距離を作る。その時が丁度地球の引力内とギリギリに近付くことになる……。
「ちょっと待ってくれ。そんな引力を持つ星が地球に近付いて、地球に影響はないのか?」
「ルナタントの特性は言ってしまえば重力を自由に生み出す……操ることが出来るんだ。その核ともなれば、影響なんかそれも自在だよ」
そう、それが昔ならば。
だが、現在では地球には無数の地球外物質、ルナタントが運び出されている。互いに反応し惹かれあう性質を持つために、共鳴し結合しようとしてしまう。
「本来なら満ち潮がさらに強まる程度だったんだけどね。でも、その時は月から離れていた場所に住んでいた俺たち二人にも影響があったんだ」
そうオギノは続けた。
純月蝕時下に一番影響を受けていたニッポンで多く活用されていた無自我のルナタントが月に帰還しようとする衝動と、近くに存在する仲間との共鳴により重力を生み出し、ニッポン列島の地盤を揺れ動かした。
二人はそんなニッポンから遠く離れていた南国。関係無いように思われていたが、それは自我を持ち自身で成長する月の分身であったことで逆に月が近郊することで反応し、身近にいた二人が互いに共鳴し反応してしまったのだった。
けれど、キーキの身体は人間の血が濃く、身体を逃すことも出来ずに意識だけが蒼月へと移動しようとしていた。その結果、キーキの身体は高熱を引き起こしていた。
その時オギノは成長によって身体を作り変えていたが、存在自体が月であったために身体が帰還しようという兆候が現れおり、それは半端者であるキーキの身体へと負荷を掛けていた。
月の影響でキーキが高熱でうなされていた時のことだ。
オギノの身体にも月の引力に惹かれ、また、キーキの身体へと負荷をかける。オギノ自身は最悪月へと消えるしかないが、キーキという自分の次に不思議な身体を持つ我が子がどうなるかは予測がつかない。
そのため、オギノはその場から消えるしかなかったのだ。
誰にも別れを告げることも出来ずにオギノは月へと舞い戻ってしまった。
これがオギノが不在となった理由である。
「これだけは謝りたかったんだ。ごめんな。それが父さんが消えた理由。お前は熱でうなされていたから覚えてないけど父さんは最後までお前のことを心配してたんだ。お前の為にも父さんは消えるしかなかったんだ」
先ほどの無造作な髪の撫で方ではなく、キーキの頭にそっと置かれた手は愛しむように撫でられる。
キーキはただ無言でオギノを見つめた。
「……ルナタントがニッポンには集中していたからあの地震は起こったってことでいいんですか?」
「そう、だね。月から一定の距離にあるか離れているかで本来は起こらないんだけど、その微妙な中間にいると、まれに存在を消滅、機能停止することがある。過負荷によるブラックホールなんて可能性も……」
そんな言葉を口にした。
「多分、今回もそうなる。けれど、場所はよくわからないんだ」
「それは……わか、ります。場所はネグル島だよ……」
おわりは顔を真っ青にして口を挟んだ。
「なんでわかるんだよ!」
「だって僕がこの月に来たのは純月蝕の調査だよっ! もしも船が借りれなかったとしても現地で観測するつもりだった! 偶然かもしれない。でも、その偶然で僕はこの場にかけつけたんだ!」
「で、でもネグル島に、あんな観光地にそんなルナタントが大量にあるなんて……」
いつきはそう口にするも、それもオギノが間に入って、
「いつきちゃん、君は知らないのかもしれないが、今回の純月食による影響化はネグル島だけじゃないんだよ。そのまわりの島には軍事基地だって存在するし、何よりもどの島にも空港があるじゃないか。飛行機の燃料は今ではルナタントが主流だし、ストックだっていくつもあるはずだ」
オギノの言葉にうなだれるいつきは言葉もなくその場にへこたれてしまう。
「何も起こらないかもしれない。でも、その可能性は殆ど無い。確実に起りえる。ましてや、津波なんかもな」
「じゃあ、私たちは何も出来ずにこのままネグル島に住む人たちが消えてしまってもいいんですか!」
いつきの叫びはこの洞窟に消えていった。




