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16

 あれからどれだけの時間が過ぎただろうか。

 キーキがそれについて疑問を覚えるころにはすでに船は地球の軌道から離れていた。

 その後、あんな形で乗船し不法侵入という立場であった二人は、船長であるおわりからは何のお咎めもなく到着時間まで自由行動を許された。いつきは船内探索を提案していたが、キーキは疲れたから、と用意された部屋で思い悩んでいた。

 念願の夢が待ったをかけても前から迫ってきていた。

 月に行きたいためにメルドと二人で図書館に入り浸り、自分が出来る範囲で月について調べたことがある。

 月……蒼月自体の大きさは白月のおよそ半分と小さい。

 しかし、地球とほぼ同環境を備えている。気温は高温暖。逆に夜はものすごく寒い。今現在での陸地は人類が確認した限りではゼロ。全て水に埋もれてしまっている。星内部から溢れだした海水が高熱により急激な膨張を行い埋め尽くされたとも説が唱えられたが決定的な確証も無い。

 今でも研究者が数年に数度、月に挑むも何も成果は得られないでいる。

 大災害が起こる前でも、何故このような環境が整っているかもわからなかったらしい。

 調べても調べても表面的なこと以外は結局わからないことだらけになった。けれど、逆にそれがハジメの好奇心を溢れさせるには違いなかった。

 日を重ねるごとに強くなる想い。

 メルドと仲違いし、一人になってからもそれでも諦め切れなかったこの願い。

 今それが叶うことを知って喜びが内から広がっていた。

 しかし、歓喜に震えたのはおわりと話をしたはじめだけだ。今は祖父がなぜ自分に家族について語らなかったのがわからなかった。

 落ち着かなかった。

 壁に埋め込まれたテレビ画面を付けては消したり、部屋の窓から見る初めての宇宙に心ときめくも直ぐに視線を逸らしてはまた戻したり。

 今はベッドに横たわって天井を意味もなく見つめているだけであった。

 ……少しばかり眠ろう。

 目を閉じた時、部屋の隅よりピロンっと電子音が鳴る。スピーカーからだ。


『あーあー、ハジメ聞こえてる? 僕、おわりだけど。今すぐブリッジに着て。わかった?』


 なんて、艦内放送は一方的に切れてしまった。

 ブリッジとはどこのことだ。それでも部屋を出て壁沿いに伝っていく。

 最初は道に迷って時間がかかるだろうと思っていたが、ブリッジに辿り着くにはそう時間はかからなかった。船の前方へと進み突き当たりの如何にもといった部屋がそれだった。

 センサーが働いてかハジメが扉の前に立つと自動で開く。

 船橋内は前方にフロントガラスとはめ込まれた大型のスクリーンが三つ。これがメインモニターのようで、この船の進行先を映し出すのだろうが、今は中心の画面に砂嵐が走っている。そのモニターの下には操作パネルとまたいくつかのモニターが付属している。画面には無数の数字とグラフが描かれているが、キーキには何がどのような情報を示しているのかはわからなかった。操作パネルの前に二列二列の座席が床に固定されている。

 そして、なぜか部屋の中心には操舵輪がからからと船の振動で揺れていた。後におわりから聞いた話だと一応操舵出来るらしい。ただ、操舵輪もコンピューターが管理しており、今は切断しているのでオブジェだそうだ。


「あ、ハジメ。こっちこっち」


 そのオブジェに気を取られながら返事を返して二人のもとへ近寄った。いつきはキーキに声もかけずに砂嵐の画面を食いいるように見つめている。


「どうかしたのか」

「地球と通信がつながったんだよ」

「通信できたのかよ!」

「そりゃ出来るよ。ただ、この船の通信を直で出来る場所なんて一つしかないけどね」

「つまり、秘密基地か」

「うん、そして当たり前だけどあの秘密基地に誰かがいないとが接続は出来ないってこと。だから、おじいちゃんがいるってことだよ」

「じいちゃんが……」


 秘密基地に祖父がいる。

 この数時間で何度も心の中で繰り返した言葉……なぜ。その答えを聞くことが出来る本人と会話できる。

 キーキの鼓動は早まっていく。


「それで、どうなったんだ! 話せるのかよ!」


 おわりの肩を掴んで急かした。


「回線の調子が悪いんだよ。おかしいなあ。出る前にちゃんと確認したんだけどね。今じゃこんな様子だけど、さっきはノイズが入りながらも画面が映ったんだよ」


 おわりの指先はパネルを叩き受信感度を調節している。

 微調節によって白黒の砂嵐に輪郭と色が付き始め、人の顔を映し出した。


「じいちゃん!」


 キーキは画面に映った人物の名前を呼ぶ。

 同じく食い入るように見つめていたいつきが歓声を上げるがそれも直ぐに溜め息へと変わる。

 少しでも感度を違えると砂嵐になってしまう。


「まるで昔あったラジオみたいだな」

「僕もそう思った。なんかおかしいなあ。こんなはずじゃないのに……」


 不満を漏らしながら調整をつづけていく。人の形を映しては遠ざかっていく。そのうちおわりは別のパネルを叩いて船へと指示を出す。すると、今度は綺麗に写りだした。


「やった! 僕やったよ!」


 おわりは嬉しそうにはしゃいだ。


「おわりすごいよ! やったね!」


 いつきは座席に座るおわり後ろから抱き締めて喜ぶ。おわりも立ち上がり二人は両手をつないで踊りだすかのように喜びを表現していた。

 しかし、二人の感動にスピーカーから響く怒声が割り込む。


『おわり! 聞こえてるか!』


 祖父は眉を上げて出来る限りの声を振り上げていた。


「うわっ、おじいちゃんそんな大声出さなくても聞こえてるよ。おじいちゃんこそ聞こえてる?」

『聞こえてるわ! まったく、お前たちはいったい何をやってるかわかってるのか!』

「何って、月へ行くんだけど」

『おわり、お前は黙ってろ!』


 まさかこんなふうに怒鳴られるとは思わず、おわりは肩を震わせるといつきの後ろに隠れた。吊りあがった祖父の両目はいつきへとそそがれた。

 ここまで怖かったのか。いつきは祖父のその眼力に背を伸ばした。


「お、おじいさん。私たちも悪っ」

『悪いで済む問題じゃないぞ! いつ……』


 祖父は容赦なく声を荒げていた。しかし、途中で祖父は跳ね飛ばされ、三人組が画面の前を陣取り画面一杯に三人の顔が映る。


『いつき様ぁぁぁ!』

「雪島!」


 見知らぬ顔の女が画面一杯に顔を近づけ、つばが飛ぶのも構わずに祖父とは違う色の声を上げた。その横に男二人が涙を流しながらいつきの名前を呼んだ。


『わたしたちもう会えないかと会えないかとぉぉぉ!』


 女、雪島は安心したのか目じりに溜まった涙をハンカチで拭う。男二人、田山と井上は雪島の肩を掴んでよかったと慰めている。


「雪島……」


 いつきは安堵を浮かべて画面を見つめていた。

 しかし、画面から三人が離れたところでまた顔を真っ赤にした祖父が映る。


『わしの話はまだ終わらんぞ! いいか、二人とも! お前たちががやっていることは不法進入だぞ! もう子どもがいたずらで仕出かしたことではすまない……わかってるのか!』


 三人は身体を祖父の説教に身を寄せて震えだした。次第におわりは声を上げて泣き出し始めるほど。いつきはおわりの頭を撫でながらも祖父からは目を離せずにいた。

 ……祖父には今までにも何十いや、何百と怒られてきたのだが、今までのそれと違ってこんな祖父は知らない。

 それだけ自分たちがどれだけのことを何をしたのかがわかる。


『ま、まあまあ、おじいさんそこまでにしましょうよ。そ、それに話を先に進めないと……』


 助け舟と後ろからソフィーが祖父をなだめる。しかし、なだめる彼女の肩は小刻みに震え、怒りの矛先は自分達に向けてあるにしても周りにすら祖父から発せられる怒気は伝わっているようだった。


『……む! そうじゃったな。いいか! わしは許さんからな! ふう……とにかく事情を説明してもらおうか』


 ソフィーによってどうにか頭に登った血はその勢いを止めてくれたようだ。キーキは説明をしようとおわりを見つめるが彼女は未だに泣いているばかりで話せるようではなかった。


「……それじゃあ俺が」


 キーキはソフィーと別れた後のことを話した。ソフィーには悪いが今ここにいるのはニッポン人が多い。ニッポン語での説明は多少のことは改編して自分が無理を言って秘密基地へと向かったことにした。そのことを語っている最中にいつきがこちらを見つめていたが視線は祖父へと向けたままに語り続けた。


『そうか。なるほど……。いつきちゃん……いや、いつき様。うちの孫たちが迷惑をかけましたな。この通りだ。すまない』


 祖父は深々と頭を下げていた。


「違うんです! 私がっ」


 いつきは間に入ろうとしたのだが、


『そういうことですか!』


 雪島が遮り、荒げて言った。


『まったくどうしてくれましょうか。あなたがたがニッポン人だとしてもこれは誘拐ですよっ、誘拐! 我が国の大事な女帝候補を連れ去り、ましてや宇宙など……』

「違うの雪島!」

『いつき様、庇わなくても結構です。いつき様だってハメをはずしたい年頃だとはわかっています。しかし、耐え忍んでください。今、傷付き疲弊したニッポンは立て直そうと日々奮闘しています。それでも心におった傷は早々に治るものではありません。そんな傷心した国民を支えるのはいつき様だけだと私たちは思っています。だから、ですから、国民のためにどうかお戻りください』


 雪島は涙を抑えることなくいつきを見つめた。

 いつきは深く拳を握っていた。奥歯をかみ締めている。


「おわり、俺らが悪いけどやっぱり引き返さないと駄目じゃないかな」

「ひくっ……ひっくっ……だめ! 絶対だめ! 今から月に行くの! 行くったら行くの!」


 首を振っておわりは拒否する。

 勝手に乗ったは自分だという負い目からおわりにきつくは言えない……。どうしたものかとキーキは頭を掻いた。

 いつきは気まずそうにおわりの髪を撫でていると諦めたかのように、


「おわり、ごめんね。私たちのせいで。本当にごめん……」


 ……帰ろう。


 そういつきが口にしようとして、


『本当にどうしようかと思いましたよ』


 田山が口を開いた。

 うんうんと井上が頷きながら続く。


『こんなところで不祥事起こしていつき様が女帝レースから除外される程度ならいいですけど、もしも監督不行で俺らが厳罰されたらと思うと……』

「ちょっと待って!」


 その言葉にいつきは肩を震わせた。


「……ちょっと、どういうことよ?」


 いつきは井上を睨みつけた。


『いやあ、ははは……いつき様戻ってきてくださいね』


 そう井上は笑っていた。その笑顔はあまりにもぎこちない。

 いつきの握っていた拳が別の意味で震え始め、傾きかけていたものがまた別へと角度を急激に変え……気持ちが爆ぜた。


「結局、自分たちの保身のためじゃない!」

『井上ぇぇぇえええ! 何言ってんのよぉぉぉおおお! うまくいってたのにぃぃぃ! 何言ってんのよぉぉぉ!』


 雪島は井上の首を絞め始める。井上はうめき声を上げながら雪島の指を外そうと悶えた。そこへ祖父や田山が止めに入るも雪島は放そうとはしなかった。

 皆のその姿を見ていつきは肩を震わせて決心した。


「もういい! 私女帝なんてならない! あんたたちなんてどうにでもなっちゃえばいいのよ!」


 今までの苦労など知ったことか!

 いつきは血の昇った頭でそう囃してて、一息間を置いて宣言した。


「私は月に行く!」


 なんていつきは決心していた。

 おわりはそれを聞いて顔を上げるといつきを見つめた。

 いつきもおわりの視線に頷く。

 おわりはそれを見て操作パネルを弄ると、


『ちょっ、いつき様! いつ……』


 画面は暗い宇宙を映し出した。

 三人の間に沈黙が流れ……。

 いつきとおわりが顔を見合わせ、次第に表情がほころび始め……。


「「え、えへへ」」

「えへへじゃないだろ!」


 ……どうするんだこの状況。



 その後、キーキがどんなに説得したところで二人は首を縦に振ろうとはしなかった。また、パネルを勝手に操作しようとしても、


「勝手に触ったら軌道が反れて今度はちきゅうにすら帰れなくなるよ」


 と、脅し……言い始めた。

 あまりに勝手なことにキーキは溜め息を漏らす。けれど、どうしようかと思う反面ほっとしている自分に気付く。

 月に行けるなら行きたい。多分、この時を逃せばこの先はないだろう。

 ……もうどうしようもないな。

 キーキは自室に戻ろうと立ち上がった時だった。


「え?」


 突如として視界が暗転する。


「きゃっ!」

「わっ!」


 二人の悲鳴が聞こえてきた。何が起こったのかと声を漏らす。

 停電……だろうか。ブリッジ全ての光が消えていた。

 さらに不思議な感覚が身体へとかかる。


「うわっ!」


 身体が宙へと浮き上がったのだ。いきなりの出来事に身体が反応してしまって回転してしまう。

 それは無重力だった。

 三人が悲鳴を上げているとようやく電気は復旧して船橋内を照らした。

 皆、宙に浮いている。

 いつきは宙で手足をばたつかせて悲鳴を上げ、キーキは天井にぶつかるまでに二回ほど回転をしてしまう。手足をばたつかせて壁へと身体をぶつけてまた跳ね返ってしまった。おわりは器用に壁にぶつかるとにそこから壁を蹴り座席へと移動して操作パネルを叩き始めた。


「おわっ、あっ!」


 キーキはどうにか壁にぶつかる前に突き出ていたパイプに捕まった。


「なんなんだよ!」


 席に座っているおわりへと問いかけた。


「わからないよ! 電気が落ちた!」

「それはわかってる! だからなんで!」


 キーキはパイプに捕まりながら声を荒げた。

 その質問には答えずにおわりはスクリーンに船内情報を表示して航路や船内コンピュータに障害がないかを調べている。……全て緑表示。何もないようだ。

 しかし、画面には赤く表示された危険信号、スピーカーから警告音が鳴り響いた。場所は駆動心臓部。電力配給室らしい。


「ちょっと見てくる!」

「俺も行くよ!」


 二人は座席から立ち上がって扉を開けて出ていった。


「ちょ、ちょっと私を助けてよ!」


 いつきの嘆きも空しく、二人はすでに先。

 しかし数分後、おわりは不思議な顔をして戻ってきた。後ろからついてくるキーキはわけがわからない様子。


「ちょっと助けてよ!」


 そのままの慣性を使っておわりは席に付き、キーキも空中でもがくいつきを担ぐかのように捕まえ、そのまま反動を利用して壁へと辿り着き手ごろな淵に捕まった。


「どこ触ってんのよ!」


 いつきの悲鳴は無視してキーキは壁を軽く蹴る。

 移動する間にいつきを胸へと抱きかえるとおわりの隣の席に着地した。それでもいつき悲鳴を上げるのを止めずおわりは注意した。


「ちょっと黙ってて。……なんで? 何がおかしいのかわからないよ」


 二人はそのままおわりが操作する様子を見ているだけしかなかった。

 しかし、おわりの苦労も報われず、一時間が過ぎた。

 異変を見つけるよりも時間の方が足りない。

 ……もう月は目の前だった。

 そこで突如としてスクリーンに新しい警告文が現れる。


「メインエネルギーが搭載されていない。どういうことだ?」

「わからないよ! 主燃料ってルナタントだよ! 出発する前に確認だって何度もしたしさっきまであった! あの石が無くなる訳ないよ!」


 そう嘆くも宇宙船は月の引力に掴まれている。

 それでもパネルへと指を走らせた。画面からはいくつもの赤が表示され、警告音が鳴り響いている。

 おわりは焦りを含めながらもパネルを叩き続けた。機体はみるみるうちに加速を強めている。このままでは大気圏に飲み込まれてしまう。

 ――できた!

 おわりはパネルを叩くのをやめてシートベルトを固定し始めた。


「今メインからサブに書き換えた。とにかく大気圏に突入するよ! 皆ちゃんとシートベルトを閉めて! いつきちゃんもハジメに抱きついてないで後ろの席へ!」

「好きで抱きついてたんじゃないわよ!」


 ようやくキーキはいつきを開放すると席に座らせてシートベルトで固定した。そして、キーキも自分の席に座ってシートベルトを閉める。


「大丈夫なのかよ!」

「多分! メインは死んでるけどサブは生きてる! サブまで死んでたら今この船は停電から立ち直ってないよ!」

「ほかにやれることは?」

「何もない! 神様にちゃんと着けるか祈ってて!」


 おわりはパネル操作を再開しながら叫ぶ。

 機体は船底を月へと向けて大気圏突入の準備を開始した。


「耐熱ジェル出すよ!」


 どんっ、という衝撃が船に走る。次第に船内は赤く染まり始めた。


「大気圏入った! 少しの間我慢しでっ!」


 先ほどまでの浮遊感は無くなり、座席の下へと吸い付けられるかのような重力。

 キーキは奥歯をかみ締めながらその圧力に耐えていた。

 船は月へと落下していった。



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