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 握った拳を包み込む手。

 そのつながりだけを頼りにいつきを感じる。

 途中聞こえてくる野鳥の声、風以外に聞こえる草木のざわめき。

 茜色の中に二人。

 穏やかで心地よいつながりにでこぼことした道もまったく気にしない。

 このままずっと。

 終わりがこなければいいのに。

 足元もよく見えず、木々の間から漏れるオレンジ色の夕日が頼り。それだけでも心地よく、茂みを越えて、ただゆっくりと前へ歩幅をあわせて歩く。ただ前へ、ただ前へ。

 そうして野草を踏みしめ足を運び、木々を越えたところにぽっかりと空いた空き地が見えたところで彼の心に懐古した思いが溢れ出す。

 その空き地の中心にはコンクリートで出来た縦に長い長方形の大きな建物が建っていた。窓は側面ごとに二つあり、正面に思われるところに入り口が一つ付いていた。


「ここは……」

「俺とソフィーと……あの浜辺であったメルドと三人で遊んでいた場所なんだ。秘密基地なんて呼んでこの倉庫みたいのに入って……。じいちゃんには近付くなって耳が膨れるほど言われてたけど、俺たちは毎日のように遊んでた」


 キーキは建物に近寄り、入り口ではなく側面へと向かう。

 奥の窓を開けると、淵に足をかけて中へと入る。

 続けて外にいるいつきの手を引いて中へ招き入れた。


「ここが俺らが遊んでた場所。何もないから色んなものを家から持ってきてはおもちゃやガラクタなんかを集めてた」


 開かない入り口の前に置かれた箱にキーキは近付いた。

 彼は積ったほこりを払い、蓋を開けて中に詰めた思い出を手に取る。ぼろぼろになったくまのぬいぐるみ。形の良い木の棒。傷だらけのロボットのおもちゃ。そして、ロケットの模型。

 キーキはそれを取り出して、宙に泳がせる。そして、赤子を扱うように大事に戻して大事に蓋を閉める。

 立ち上がり、奥にある秘密の扉へと近付いてドアに手をかけた。


「この扉は開かずの扉っていつも言ってた。鍵がかかっててさ、壊そうなんて思わなかったからずっとそのまま。きっと奥には不思議な研究所があって、俺たちはこの扉を守るヒーローなんだって……」


 そう呟きながらドアノブを回して引いた。

 ガチャ、と鍵に引っかかって開かない……と思っていた。

 なのに。

 開いた扉に足をぶつけてしまう。

 痛みはない……それよりもただ茫然と扉を見つめるだけしかできなかった。


「開いちゃったよ?」

「うそ……」


 窓から注ぐ夕日で染まった赤い部屋の奥に続く薄暗い道。恐る恐る覗いてみると、突き当りの床から光が差し込んでいた。地下へと続く階段があるようだ。ほのかに漏れた光が形を繕っている。

 二人は顔を見合わせると頷いて先に進んだ。

 足元は薄暗く見えない。

 頼りになるのは前の階段から届く光。二人は足音を立てずに光へと進み、降りていった。階段は螺旋状で鳥かごのように柵がまわりに覆われていた。その一本一本を掴んで二人は足を落としていく。

 柵の隙間からから見えたこの部屋は一体なんだろうか。いや、わかるが、目を疑うしかなかった。

 二人は言葉もなく長い階段を下りると、目の前にあるそれを見つめていた。


「……船だよね?」

「あ、ああ。船……だよな」


 目の前に存在するそれ。

 もうはるか昔の大航海時代にでも海賊たちが乗っていそうな薄黄色の木造船。いや、本などで見たことはあるが、実際の木造の船は始めて目にしたのでこれが木造船かはわからない。ただ、船体に木材を使用しているからであるが。

 キーキはダイビングで島沖へと向かう時に乗せてもらうことがあったが、それは鉄塊やプラスティックやら。現代で木造の船を使うことなど滅多にないのではないか。

 しかも、そんな成りでマストは無い。帆船ではないようだ。下から見上げただけなので甲板は見えないが、階段を降りてくる時には船櫓らしきものが頭一つ突き出ているのが見えた。船首は円錐になっている以外は至って普通……の船だ。

 一人観測するキーキ。いつきの方を見ると、彼女は先頭の方へと一人で近寄ってはそのでかい船体を眺めていた。


「こんなものがこの地下にあったのか」


 遅れてキーキも近寄り、船体に触れた。

 指先に感じる埃。どうやら長い年月この場所に放置されていたようだ。ゆっくりと指で埃を払って汚れていない方の手でまた触る。


「え、あれ?」


 木材の感触ではない。

 ニスのような何かで塗装されているため光沢を放っていると思ったが、指に感じるこの低温は金属のものだ。ところどころに小さな穴があり、指先をくすぐる。


「ねえ、ハジメ。こっちきて!」


 いつの間に移動したのか、反対の方から聞こえるいつきの声にキーキは後方から回って彼女のもとへと向かおうとして足を止めた。

 船尾に目に付いた。

 スクリューは無く、あるのは土管のようなものが二つ頭を出していた。

 可変式なのか奥の方にアームらしきものも見える。

 まるでそれはロケットのようで……。


「ハジメ、こっちこっち!」


 再度、呼ばれてキーキは後ろ髪を引かれながらもいつきのもとへと向かった。


「おじいさん、キーキ戻りました?」


 そうソフィーは大慌てで一軒家の前に佇むキーキの祖父と三人の見知らぬ男女を見つけて駆け寄った。

 ……一体なんだと言うのだ。

 メルドは運転席から離れた大人たちを睨みつける。

 事情はソフィーからある程度は聞いた。

 二人と別れてから少しした頃、キーキの祖父からキーキたちはどこにいるのか、との連絡が届いたそうだ。

 別れてからは一時間は経っているらしく、それなのに未だに帰宅していないという報告を祖父から聞いて直ぐに家を飛び出したところにメルドと出くわし、そしてメルドが運転する車でここまで来た。

 それにしても、ここに来るのも久しぶりだ。


「ああ、ソフィーちゃん。途中で見かけなかったかね」


 ソフィーは首を横に振った。


「バイクだけは来る時に見つけたんですけど。歩いて帰ったのかと思って……」


 雑木林の道に置いてあったバイク。

 一度は降りてバイクを確認してみたが、キーは繋がれたままで放置されていた。故障かと思って触ってみたが、どうやらバッテリー切れのようだったが。

 メルドはあえてそれは口にしなかった。

 キーキの祖父はその事を後ろの三人組に伝えると、三人組は訳のわからない言葉で喚きだした。


「どうしよう、キーキたちまだ帰ってないって!」


 ソフィーが慌ててこちらに報告しに戻ってきた。

 運転席でふんぞり返ってたまま、口元を厭らしく歪めて鼻で笑うと、


「どうせ、林の中でヨロシクやってんじゃねーの? あいつだって男だしさぁ。それよりも良いとこのお譲ちゃんに手を出して後がたいへ――」


 頬が熱くなった。

 言い終わる前にソフィーの平手が飛んできていた。

 何をするんだ、と文句を垂れようとソフィーを睨み付けようとしたが、彼女の瞳が滲んでいることを知る。


「あたしは本気で心配してんのよ! あんただって知ってるでしょ! キーキがそんなことするやつじゃないって!」


 ソフィーは怒鳴りつけると、メルドから背を向けて祖父と三人へとまた戻っていってしまった。


「……わかってるよ。あいつがそんなことはしない奴だってことくらい」


 第一にお前がそうだから。

 メルドはその言葉は口にしなかった。

 ほとんど毎日キーキの家へと足を運んでいることは知っている。彼自身もその一人だったことがあるから。ある日を境に日に日に減っていき、ついに無くなった二人との関係。メルドが彼らを避けてからも毎日二人を……いや、ソフィーのことだけは見ていたから。


 もう何年もの付き合いだ。

 二人が何かしらの関係になったとしたら真っ先に自分が気付く……だろう。だから、彼女は毎日いつも通りであったから。キーキとは何もないことを知っていたから。

 だから、そのことだけはキーキのことは信用していた。

 でも、そんなこと口が裂けても二人には言えない。

 ……その後、キーキの祖父と三人組が話し合った結果、皆を連れてその場所へ向かうことになった。

 三人組は自分たちで乗ってきた車に乗り込みキーキの祖父へと窓越しで会話をしていた。キーキの祖父は失礼するよ、とメルドに一言告げると後部席へと入り込んだ。

 メルドは何も言わずにそのまま車を走らせた。後ろから彼らも着いてくる。


『まさかおわりに巻き込まれていることなんて。いや、まさかな……』


 車で揺られながら祖父が呟く。

 耳に届くも何を言っているかはわからなかった。



「船よね。これ、やっぱり」


 そう甲板の上でいつきが訊ねる。

 あれから、彼女に呼ばれた先には縄はしごがぶら下がっており、船へと登った二人はその広い船の上を歩いていた。

 甲板にはぽっかりと一つ頭のように突き出ている船櫓に、船内へと続くであろう開閉口らしきもの、その隣に埋め込まれた形で、回転式の鈍色のハンドレバーがある。


「なにこれ?」


 いつきはそれを躊躇なく掴むと、キーキが声をあげる前に左に回しまう。

 ピロンとばかりに電子音が鳴り、ハッチは最初、中心から割れて上下に開口した。続いて現れた銀色の扉が左右にスライドする。二重になっていたようだ。

 外の外観とは違い、中はオレンジ色に灯火された個室に繋がっていた。個室の中は大人三人分ほどの広さである。

 そして、扉だ。個室には今開いた開閉口と同じような扉があった。ここからさらに奥に行くらしい。

 なんて、ことの有様に見とれていたキーキは、あっ、と声を上げると、いつきに顔を向ける。


「おい、勝手に開けるなよ。何があるかわからないんだぞ?」

「いいじゃない。面白そうで」


 意地悪そうにいつきは笑ってキーキを見上げていた。

 その笑顔を見ると何も言えなくなってしまう。それに、もしかしたら自分で開けていたかもしれない。


「それで行くの行かないの?」

「……行く」


 二人は中へと進んでいった。

 センサーでもあったのだろうか。

 二人が部屋に入りきったところで背後の入り口が閉じた。

 天井が灯火し、オレンジ色だった個室は水色へと色を変えた。すぐさま二人は入り口に駆け寄り戻って、その扉や側面へと手を這わせるがスイッチらしきものは見つからない。

 二人は顔を合わせて、どうしようかなんて不安気な素振りを見せるが直ぐに片方が笑みを漏らすともう片方も釣られるかのように笑いだした。


「お前絶対楽しんでるだろ?」

「ハジメだってそうでしょ? こんな状況、絶対危ないじゃない。でも、それなのに笑いが込みあげてきちゃったんだもの」

「俺もだ。わくわくしてきた。俺ら変なんだろうな」


 かもね、なんて言葉をいつきは答えまた噴き出す。

 だが、二人が一通り笑っている時、突如として船が揺れ始めたのだ。

 笑いは引き、口は閉じる。

 船へと入ったことへの警告だろうか。だが、顔を見合わせて頷く。今は前へ進むしか道はない。

 もともと行くつもりであった扉は近くにあったパネルを操作すると簡単に開いた。続いてリフト型の昇降機が中央に。二人で乗ってスイッチを押して下降する。辿り着いたのは船の中腹くらいだろうか。リフトを降りると重さに反応してか足場は上昇していった。先に進むごとに逃げ道が失われていく。

 それでも前へ。今度はまるで映画に出てきそうな戦艦内部の通路が続く。区々に透明なガラスが張られ壁の内部を見せる。幾重にも張り巡られたコードに何を示しているのかもわからない電子計器や、シリンダーピストン。しかし、目新しいのは最初だけだ。

 大して変わらない通路を歩いていると、途中で一つ部屋を見つけた。中は埋め込み式の固定されたテーブルが二つ。それに並ぶかのように壁際に、これも固定されたソファーが設置されている。

 そして、部屋の中心にベルトの付いた椅子が四つほど並び床に固定されていた。

 また、ソファーの反対側の壁にはスクリーンが埋め込まれ、文字が表示されていた。


「なんて書いてあるの?」

「ん、えっと……『ただ今打ち上げ準備中。出入り口閉鎖。至急、乗組員は指定の席に座り、安全具を閉めて衝撃に備えてください』……はあ?」


 打ち上げ準備という単語と画面にはカウントが始まっていた。

 先ほど船尾にて見つけたあの土管が頭を過ぎった。あれが、本当にロケットだとしたら。


「まさかとは思うが……いや、いつき!」

「なに、どうかしたの?」

「座れ! そこの席! 後はシートベルトを閉めておけ!」


 無理やりにでもいつきを席に座らせるとシートベルトを閉め、同じようにキーキも座ってシートベルトを閉めた。


「なに、なに? なんなの?」

「いや、まさかだとは思うがこの船、飛び立とうとしてる!」


 いつきは口元を引き攣らせて笑った。


「何? ごっこ? いや、まあ確かにそれも面白いとは思うけど、私たちの年齢も考えてみようよ。それに、船だし、船って飛ぶものじゃ……」


 そう笑ってキーキへと顔を向けるが、真顔で首を振り否定する。


「ほ、本当に?」


 それもただ頷く。

 次第に地響きが鳴りだし、目の前のスクリーンに映像が映し出す。映像には見覚えがある。先ほどまでいた倉庫だ。スクリーンに映っているのはこの船前方の映像なのだろう。

 その映像では目の前の壁が左右に開く。壁の先は薄暗い直線……滑走路が続き、奥からだろうか茜色の光が通路の奥を染めていた。


「うわっ!」

「ひゃっ!」


 そして、いきなりそれは訪れた。

 今まで体験したことのない感覚、浮遊感が襲う。

 身体の先から熱が逃げ、内側へと集まるかのような酷く気色の悪い感覚。

 そして、ゆっくりと前進する。

 船は目の前を続く道を走っていた。

 そして、スクリーンが外の光で覆われた時、そのまま空へと飛び出していった。

 速度を上げていく。身体は寝たままで身体にかかる重力に悲鳴が漏れる二人。

 そのまま意識が遠のいていった。血が昇る。

 ……あれ、もしかして死ぬの?

 キーキはそんなことを思った。

 それから直ぐにちょっとチープだななんて思いながら次第に意識は白に埋め尽くされて途切れた。


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