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「本当に行くのか?」


 祖父は忌々しそうに、目の前に座る少女に訪ねた。


「うん、そのためにおじいちゃんに会いにこの島に来たんだからね。今更とめらないよ」


 そう、少女……おわりは口の周りに白い髭を生やして答えた。祖父の眉間に深く皺が寄る。

 ここは島の繁華街端の小さな喫茶店。

 市街地と繁華街の境界付近に構え、利用する客層も外国人よりも島民が多い。昼時も相まって店はぼちぼちと人で埋まっていた。

 店の奥の一角、四人席のテーブルに祖父とおわりが向かい合い座っていた。痛々しい祖父の表情とは違い、おわりは満面の笑みを浮かべて、クリームたっぷりのチョコレート・パフェに夢中になっていた。


「わしはそんなことのためにお前に勉強を教えたわけじゃない。……月には行くな」


 祖父は眉を吊り上げた。

 その視線に貫かれたおわりはびくっと肩を震わせ夢中に動かしていたスプーンの手も止めた。そして、きょろきょろとあたりを見渡してからゆっくりと祖父を見つめ返した。

 母親譲り……いや、妻に似た大きな黒い瞳。

 怯えながらも曇りを知らない眼差し。

 年だって何倍も離れた幼い子どものそれなのに……祖父は負い目からか、視線を逸らした。


「……おじいちゃん。僕はね。どうしても行かないといけないんだ。それも純月蝕が観測される今じゃないと駄目。僕は五年前に起こったニッポン列島大震災について調べたいんだ。あれは地殻変動で起こったものじゃない。何かきっかけがあったはずなんだ。そしてその核心は月にあると思う。僕はその原因を探りたい。そして、パパとママがなんで死んだのか調べたいんだ」


 おわりはグラスに残ったアイスを口に掻き込み、最後のクリームまで綺麗に掬って平らげた。

 ペーパー・ナプキンで口元を拭うと、席を立った。


「それじゃあごちそうさま。買出しと最終点検があるからさ。ここを出るのは大体夕方くらいになると思う。出発で騒がしくなるけどそこは簡便ね」


 椅子をテーブルの中へと戻し、おわりは背を向けた。


「おわり!」


 立ち上がり祖父は名を呼ぶ。

 振り向いたおわりに、祖父は続けた。


「……ばあさんはどうしてる?」

「やっとその話をしてくれたね。はじめてあった時からもう五年。それなのにおじいちゃんは一度たりともおばあちゃんのことは触れようとしなかった……」


 祖父は奥歯を噛み締めながら目を細める。


「……大丈夫、お墓は巻き込まれなかった。だからパパとママも一緒にすることができたんだ。ニッポンにはあまりいられないけど、いつも僕が綺麗に掃除してるんだ。おじいちゃんもそろそろニッポンに顔だしなよ。……お花を添えて上げて欲しい」


 今度こそおわりは背を向けて歩きだした。

 祖父は力無く座り直し、下を向いたまま、


「気を……付けてな……」


 別れの言葉を告げた。


「出来るだけ定期報告はするよ。絶対戻ってくるから、その時はあの人の息子さんと会わせてよ。今じゃ数少ない血縁だしね」


 おわりは店の扉へと手をかける。同時に、目の前に自分より背の高い栗色の髪の少女がすれ違いに扉を引いてくれた。


『どうも』

『いえいえ』


 ぶっきらぼうにおわりは少女に感謝を述べるとそのまま歩きだしてしまった。


『またアジアの人かな。いつきちゃんみたいにニッポン人だったりしてね。……あら、おじいさん? こんなところで、めずらしいですね』


 少女はそう祖父に話しかけた。


『あ、ああソフィーちゃんか。……たまにはいいかなって思ってね。ソフィーちゃんこそどうして?』

『あたしはキーキたちと待ち合わせしているんですよ。いつきちゃんがまだいるらしくてね』


 祖父はそうかと呟いて席を立ち、


『それじゃあな、ソフィーちゃん。いつきちゃんにもよろしく伝えておいてくれ。あと、早く親御さんのもとに帰るようにとな。……はっはっはっは』


 祖父はそう笑って出ていってしまった。



 ソフィーは手を降って見送ると、店内を見渡し空いている席を探して着く。

 ふと、先ほどまで祖父が座っていた席に目が向く。今は初老のオーナーがテーブルを掃除している。オーナーはコーヒーカップと……クリームの残りが付いたグラスを盆に乗せて、店の奥へと直ぐに戻った。


『おじいさんが一人で食べるとは思えないし……誰か一緒にいたのかな』


 そんな疑問も少し経って、聞き慣れたモーター音が耳に届くころにはすっかり消えてしまった。もうテーブルには何も残っていない。

 店の中に入ってきた二人の姿を見つけてソフィーは手を振って向かえた。



 軽く腹を満たしてから喫茶店を後にし、移動の邪魔になるバイクをソフィーの家裏に置かせてもらってから三人は行動を開始した。

 最初に訪れたのは大型ショッピングモールだ。ソフィーの家にも点々と商品は揃っているが世界的に有名ブランド商品を多く扱い、さらに免税店も備わり旅行者はこのショッピングモールで買って行くことが多い。

 そこへソフィーといつきの二人はあちらこちらの店に入っては冷やかしていた。

 キーキも最初は付き合っていたのだが、そのうち飽きが来てしまって、外のベンチに身体を任せて座っていた。


「もう、キーキはだらしないなあ」

『ちょっとハジメ。一緒にきなさいよ。文字読んで!』


 二人はだらけているキーキの前に口々に言いつける。

 気が付けば話をせずとも簡単なことなら意思疎通が出来るようになっているらしい。流石に細かいことは無理だとしてもその場の雰囲気で「かわいい」やら『綺麗』なんて言葉なら理解しているのだろう。

 重い腰を上げてキーキは二人の後に再度付き添う。

 展示されたシャツを手に取って話している二人の背後で立っていたのだが。


『ねえ、ソフィーさんこれなんてどうかしら?』

「えー、あたしはこっちのほうがいいかも」

『それ、私はちょっとこのポイントが気に入らないかな』

「ああ、確かにね。もう少し抑えてくれてもいいのにね。あ、このバッグ良いと思わない?」

『きゃー! かわいい!』

「でしょー! こっちもどうかな?」


 ここまでの会話通訳はしていない。

 通じているのではないだろうか?

 殆どの店で物色し終わると休憩とばかりに穴場のアイスクリームを買ってショッピングモールを後にした。

 次の目的地へ足を運んでいる最中、ソフィーといつきは互いのアイスクリームを交換しあっては楽しんでいた。だから、自分もとキーキも混ぜてもらおうとしたのだが、二人から断れてしぶしぶ自分の分を黙々と舐めていた。

 そうして十分に楽しんだ二人と疲れ気味の一人、三人が次に訪れたのは真っ白な教会であった。

 地元住民から海外からの旅行者も式場として使われているここもまた有名な場所である。


「うわあ、結婚式やってるよ! みてみて、ブーケキャッチ! いつきちゃん行くわよ!」

『あ、ソフィーさん待って!』


 キーキを置いて二人は新婦のもとへと走って行ってしまった。

 幸せそうに笑う主役の二人。

 新婦は頷くと、ブーケを空高く投げた。偶然にもそれは二人の方へと放物線を描き、それを取ろうと手を伸ばすが、手にしたのは一歩手前、足元にいた女の子であった。喜びながら少女は手にしたブーケをかかげて母親に見せびらかしている。

 二人は残念そうに悔しがるが、新郎と新婦へと顔を向けると、


『お幸せに!』

「神さまの祝福があらん事を!」


 そう叫んで笑いあった。

 声を駆けられた二人はソフィーたちに笑って手を振っていた。

 二人も飛び跳ねるかのように盛大に手を振り返していた。


「ああ、残念だったなあ。後少し距離があれば取れたのに……」


 口ではそう言うのにソフィーは幸せそうに微笑んでいた。

 そこに、未だに二人を見つめるいつきの独り言が聞こえてきた。


『私もあんな素敵な結婚式を上げたいなあ』


 キーキはそうソフィーに伝えると、ソフィーは笑っていつきに言った。


「いいじゃないっ、この島でやりなよっ! そうしたらまた会えるし、あたしたちがその教会使って盛大に祝ってあげるよ!」


 自分の独り言が伝わってしまったことに驚き、動揺しながら、


『う、うん。そうだね。そうしようかな……。その時はよろしくね』


 妙に、歯切れの悪い言い方であった。


 日が、傾いてきた。


『それじゃあ、いつきちゃんまたね』

「はい、ソフィーさん。今日は本当にありがとうございます。絶対にこの旅行中にまた顔出しにきます。その時はよろしくお願いしますね」


 ソフィーと握手を交わし、抱擁を重ねる。

 今度こそ本当にお別れなのだ。

 多分、もしかしたら、これで会うことが出来るのは最後かもしれない。

 けれど、いつきは口にせず、また会えることを願って伝えた。


『じゃあ、行くよ』


 キーキはそうソフィーに言ってから、


「いつき、行くぞ」


 バイクに跨っていつきを呼んだ。

 いつきも同じくバイクの後部座席に座って片手でタンデムバーを握り、もう片方の手を最後までソフィーへと振っていた。

 二人の姿が消えてもソフィーは自分の家へ入るには少し時間が必要のようだ。


『さようなら、絶対……また、会おうね』


 その言葉は二人には届かないとわかっていても、口はその言葉を形繕う。

 まだ終わりじゃない。

 それでも、ソフィーの瞳から漏れる雫は止まることがなかった。


 それはまたいつきも同じであった。

 別れの言葉は簡素に締めた。それが一番良いことだと思ったから。

 朝はあんなにもバイクに乗っているのは楽しかったのに、今では乗っていることが嫌で仕方がなかった。

 終わりが近付いていることがわかってしまって口を開けなかった。

 目蓋が熱くなるも人前だから泣けない。けれど肩の震えは止まらない。


「なあ……」


 返事の代わりに彼の背中に額を押し付ける。


「また来いよ」


 縦には動かせない。

 だから、横に頭を動かした。


「なにかあるのか? お前、さっきこの話になると……」

「絶対来る! ぜったいまた来る!」

「そうか……」


 額に感じるキーキの体温。そして、自分から伝えてしまう震え。


「泣いてもいいんだぞ?」


 それでも、頭を横に振った。

 けれど、震えは止まらない。

 ……キーキから言葉を投げられることはなくなった。

 あと少し。そのままホテル街へともう直ぐと言うところで、


「……戻りたくない」


 口が開いた。

 キーキはバイクをゆっくりと止めて振り向かずに訪ねてきた。


「どうするんだ?」

「もう少しだけ……もう少しだけ、お願い……」


 キーキは何も言わずに来た道を戻ってくれた。

 ……雨が、降り始めた。

 突発的なにわか雨、スコール。日は出ているのに、滝にでも打たれたかのように当たり一面を叩きつけ、耳の置くまで響き渡る。

 空が自分の代わりに声を上げてくれているのだろうか。

 キーキはまたもバイクを止めてまた後ろを振り向かずに聞いてきた。


「なあ……」


 キーキの声に首を縦に振って反応する。


「すごい雨だな。こんな時期には珍しいよ。音だってものすごい。この声だってお前に届いてるかもわからない。だからこれは俺の独り言だ。だから、聞こえてても気にしないでくれ。その……目から水が流れていてもそれは雨だ。喉から声が漏れてもそれは雨音だ。俺には雨の音しか聞こえないしそれは雨だから濡れても仕方ない。だからさ」


 キーキは右手を後ろに回していつきの頭を撫でた。


「雨のせいにしていいからな」


 バイクは走り出した。

 朝のような速度ではなくゆっくりと自転車を漕ぐかのような速度で。

 雨音はさらに酷くなる。

 ……こんな弱虫な自分が嫌。

 もう泣くものかと決めたのに。

 顔を上げて大丈夫だと伝えたかった。

 けれど、まだ、瞳は乾くことを知らなくて、喉の震えを抑えるのに背一杯で。

 いくつもの車が二人を抜き去っていった。

 彼の右手がアクセルを絞る時にはとっくに雨は止んでいた。

 その間、結局……耐え続けてしまった。

 声を上げて泣けばよかったかも知れない。

 世界は茜色に染まっていた。



 行く当てもない。

 だから、いつきと初めて出会ったあの海へと行こうと決めて走らせてしまった。

 誰もいないあの浜辺なら丁度良いと思って。

 時間をかけて舗装されたコンクリートの道路を走る。後ろにいる人物からの言葉は無い。もうすぐ雨に濡れて弛んだ泥道だ。揺れるぞ、と話しかけようとしてふと目に付いた。

 家へと続く長く薄暗い道路に二本のわだち道が続いていた。

 この道を使う人は限られる。

 祖父も車には乗るが車種はコンパクトサイズ。この車幅は大型なものだ。


「誰かが来ているみたいだ」

「……お迎えかな」

「きっと警察から教えてもらったんだと思う」


 キーキは昨晩に祖父が警察に連絡を入れていたを教えた。


「そっか、じゃあ結局ホテルに行ってもかわらなかったんだね」


 寂しそうにそう呟いた。

 けれど、そこでバイクから電子音が鳴りはじめ、続いてモーターが少しだけ弱まってのを感じてキーキはバイクを止めた。

 バッテリーが尽きかけたようだった。


「これで言い訳が出来たね。バイクの故障じゃしょうがないよ」

「……だな」


 バッテリー切れとも、予備バッテリーは備えているとも、あえて言わなかった。


「それじゃあ、ちょっと寄り道して行こうか」

「うん……」


 その言葉を聞いて、キーキは横道のジャングルへと足を踏み入れた。


「足元に気を付けてな」

「わかってる。ここで足切ったから」

「ああ、道理で。なんでこんな道入ったんだ?」

「近道が出来ると思ってたの。でも、着いたのは崖で。海に行きたかったんだけどね、降りるには無理そうだったから、そのまま歩いて……」

「ははっ、来た道戻ればいいのに。抜けてるなあ」


 いつきは握りこぶしでキーキを軽く小突いた。

 キーキは何も言わずに受け止め、二度目に来たそれを片手で握り締めて前を進む。

 二人が口を開くことはなかった。


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