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異世界タクシー、タクシー運転手(40)が燃料不要スキルで開業したら王命の書簡を最速で届けることになった

作者: 東山道行


 目が覚めたら、天井じゃなくて空だった。


 青い。やけに広い。雲が近い。風が冷たい。鼻に入ってくるのは湿った土と草の匂いで、いつもの排気ガスの臭いが一切ない。……その時点で、脳が「やばい」と警報を鳴らした。


「……え? ここ、どこだよ」


 俺――タクシー運転手のシゲル、四十歳。さっきまでどこで何をしていたかと言われれば、ちゃんと覚えている。山道の待機所。客は来ない。スマホで異世界ものを流し見しながら、いつもの癖で帽子を被ったまま少しうとうと――それで終わりのはずだった。


 なのに目の前は森。木。木。木。

 道路もガードレールも、俺の相棒の車も見当たらない。


「……冗談だろ」


 反射でポケットを探る。財布はある。免許証もある。けどスマホがない。無線もない。タクシー会社のロッカーの匂いもしない。

 制服だけはある。紺のズボン、白いシャツ、ネクタイ。帽子も、いつもの会社のやつ。ロゴの刺繍が入った、あの帽子。


 胸の奥が冷えていく。怖い。

 ただ、怖い時ほど、意味のない軽口が出るのが俺の悪い癖だ。


「……まさか異世界? いや、そんなわけ……」


 でも、待機中に散々見てきたテンプレが脳内で勝手に動く。頼れるのはテンプレだ。テンプレは強い。


「……ステータス、オープン」


 自分でも「何言ってんだ俺」と思った。ところが――


 視界の端に淡い光が滲み、文字が浮かび上がった。


【名前:シゲル(40)】

【職業:タクシー運転手】

【スキル:タクシー(燃料不要)】

【所持金:0】

【状態:健康】


「……は?」


 声が裏返った。


「職業、タクシー運転手って……。いや、剣士とか魔法使いとか、もっとこう、あるだろ普通。何でピンポイントで現職なんだよ。ていうか、タクシーって車がないと成立しねぇだろ。……詰みじゃん」


 ツッコミ終えた瞬間、頭の中に直接、音声が流れ込んだ。耳じゃなくて脳に鳴る感じ。あの手の作品でよくあるやつ。


《アナウンス:スキル『タクシー』を発動します》


「……は?」


 次の瞬間、森の地面が“空いた”気がした。世界が一歩引いて、何かのためにスペースを作ったような感覚。


 そして――黒い車体が、森のど真ん中に、ありえないほど自然に「出現」した。


 見慣れた形。見慣れた車幅。見慣れたドアミラー。会社のロゴまで、しっかり入っている。

 メーターも、ルームミラーも、あの芳香剤の匂いまで。


「……まじかよ」


 ボンネットを触る。冷たい金属。現実の感触。

 ドアを開けると、車内の匂いがした。消臭剤とシートの布と、どこかに残った客の香水が混ざった、あの匂い。


「燃料不要って、こういうことか……」


 キーを回す。エンジン音はしない。なのに車体が小さく震え、静かに“起動”した感じがする。

 静かすぎて逆に怖い。だが、運転席に座った瞬間、背筋が勝手に伸びた。仕事のスイッチが入る。運転席ってのはそういう場所だ。


「……よし。とりあえず森にいても仕方ねぇ。街、探す」


 タクシーを走らせる。道なき道。草を踏み、枝を避け、速度を上げすぎない。

 運転は現場だ。慌てたら事故る。事故ったら終わる。どの世界でもそれは変わらない。


 しばらく走ると森がひらけた。急に視界が広がり、遠くに石の壁が見える。

 城壁だ。中世かよ、と言いたくなる高さと厚み。


「……中世かよ。タクシー業とか無理だろ。道路事情どうなってんだよ」


 黒い車は目立ちすぎる。あれを見せた瞬間、魔物扱いされる未来しか見えない。

 俺は城壁の手前、林に車を隠すように停めて、徒歩で門へ向かった。


 門番が二人、槍を構えて睨む。


「止まれ。……その身なり、どこの者だ?」


 制服が怪しいのは分かる。分かるが、嘘をつく発想が出ない。四十年の常識が邪魔をする。


「会社の制服です。……すみません、やっぱ入れませんよね?」


 帽子に手をかけた瞬間、門番の態度が変わった。


「……その帽子の紋章……失礼。通行を許可する」


「え? いや、どういう……」


「貴殿の身分は、そのエンブレムが語っております」


 意味は分からないが、通れた。異世界は理屈より結果だ。

 俺は「よし」と自分を納得させて門をくぐった。


 街の中は、まさにファンタジーだった。

 石畳、露店、酒場の笑い声。鎧姿の冒険者。猫耳と尻尾の亜人。角のある大男。人間もいる。

 見慣れた“日常”が一つもないのに、人の営みだけは同じ匂いがした。腹が減って、喉が渇いて、誰かに会って、働いて、笑って。


「……こんなところで、どこにタクシー需要があるんだよ」


 そう呟いた直後、騒ぎが起きた。


「治療師はいないか!?」


 声が広場に響いた。人だかり。押し合い。騎士団らしい一団が、負傷した若い騎士を囲んでいる。訓練中の事故らしい。脚から血が滲んでいて、顔色が真っ青だ。


「治療師を呼べ!」

「この街の治療師は王都に出てる!」

「隣町の神殿ならいるが……馬車で丸一日だ!」


 丸一日――その言葉が、運転手の頭に引っかかった。

 隣町まで一日? どんな道路事情だよ。いや、馬車の時代ならそうか。


 俺は一瞬「関係ない」と流しかけた。普通ならそうする。異世界だし、騎士団だし、俺は何者でもない。

 でも、次の瞬間、口が勝手に開いていた。


「俺の出番だ!」


 勢いで言って、すぐ後悔した。でも引けない。引いたら、俺はこの世界で本当に“ただの迷子”になる。


 隊長格の男が睨む。


「貴様、治療師か?」


「いや。タクシー運転手です」


 騎士たちの目が一斉に冷たくなる。そりゃそうだ。


「ふざけるな。人命がかかっている。からかうなら消えろ」


 その瞬間、俺の中で何かがカチッと音を立てた。

 待機時間の長い仕事だ。客が来ない日もある。空回りする日もある。だけど、たまに“走る意味”がある日がある。

 俺は、その瞬間に弱い。


「治療はできない。でも運べる。隣町まで、馬車より早い」


「……何を言っている」


 俺は息を吸って、言った。


「スキル発動。タクシー出現」


 黒い車が石畳に現れ、人だかりが一斉に後ずさった。


「鉄の馬だ……!」

「魔道具か!?」

「音がしない……!」


 隊長は迷い、負傷者を見て、決断した。


「……乗せろ!」


 負傷者を後席に寝かせ、騎士が付き添いで同乗。隊長は助手席へ。

 ドアの開け方が分からず固まるのを、俺が手短に教える。


「ここ引いて。そう。……掴まってください。揺れます」


「掴まる……?」


「揺れるから。行きます!」


 発進。石畳を抜け、門を抜け、土道へ。

 無茶はしない。でも速い。最短と安全の両立。タクシーの仕事だ。


 後席からうめき声が聞こえる。付き添いの騎士が必死に押さえている。


「意識はあるか!」

「あります……痛い……!」


 俺はミラー越しに見て言った。


「喋れるなら大丈夫。……俺、救急車じゃないけど、急ぎます」


 隣町の神殿に着いた時には日が傾いていた。

 治療師が駆け寄り、治療が間に合った。血が止まり、顔色が戻る。


「間に合いました。馬車で来ていたら、足は失っていたでしょう」


 隊長格の男が深く頭を下げた。


「君は命の恩人だ」


「やめてください。膝つかれると居心地悪いです。俺、そういうの慣れてないんで」


 男は少し笑い、それでも真剣なまま名乗った。


「私は騎士団副団長レオン。……シゲル殿、あなたの“足”はこの国に必要かもしれない。街へ戻ったら、また頼めるか」


 俺は帽子を直し、答えた。


「仕事ですから。乗せた客は、目的地まで届けます」


 ――異世界でも、俺は俺の仕事で生きる。

 そう腹を括ったのが、この日の終わりだった。





 街に戻った俺は、現実にぶつかった。腹が減る。寝床がない。所持金ゼロ。

 異世界ファンタジーはロマンだが、生活はロマンじゃない。


「……働くしかねぇ」


 俺は広場の片隅で声を張った。


「速い足が必要な人! 荷物でも人でも運びます! 馬車より早い! 料金は相談!」


 最初の客は露店の女主人だった。目つきが鋭い、商売人の目。


「おい、あんた。あの“鉄の箱”の男だろ?」


「箱じゃないです。タクシーです」


「呼び方はどうでもいい。隣の通りの倉庫から荷を引っ張ってくるのに人手が足りない。馬車は借りると高いし、腕っぷしの強い奴は依頼でいない。運べるか?」


「運べます。量は?」


「樽が六つ、袋が十。腐りやすいのも混じってる。今日中に店に入れたい」


 俺は頭の中で段取りを組む。シートを汚すのは嫌だ。けど、最初の客は大事だ。


「……布を敷きます。麻布、あります?」


「あるよ」


「それで十分。料金は……馬車一回分の半額でどうです」


 女主人は目を丸くした。


「半分? 商売下手か?」


「最初は信用を買います。俺の国のやり方です」


「変な男だね。……いいだろ。やってみな」


 麻布を敷いて積み込み、ゆっくり走る。荷崩れさせない。急ぎすぎない。

 運送は速度だけじゃない。“無事に届ける”が一番だ。


「……早いね。しかも割れてない。使えるじゃないか」


 女主人は約束通り硬貨を払った。手の中の重みが、異世界で生きる手応えになった。


 依頼は少しずつ増えた。


 薬草採集の冒険者を森の入口まで。帰りは採れた薬草を守るように抱えたまま乗る。

 貴族の屋敷へ急ぎの届け物。門前で「誰だ」と止められても、帽子の紋章を見せると態度が変わる。相変わらず意味は分からないが助かる。

 軽傷者の搬送。治療師が貴重な世界では、運ぶだけで価値がある。

 迷子の子どもを母親へ。これはタダにした。泣く母親は、どの世界でも同じだからだ。


 ただ、問題も出る。


 まず視線。「魔族の兵器じゃないのか」と囁かれる。子どもが泣く。馬が驚く。馬車が立ち往生する。

 次に道。石畳はまだいいが、郊外の土道は轍だらけで雨が降ると沼になる。運転手の腕が試される。

 そして料金。距離感が違う。時間感覚が違う。馬車の“丸一日”は、俺の世界の“丸一日”と別物だ。


 だから俺は、分かりやすい“自分ルール”を作った。


「狭い道はゆっくり。馬がいるときは徐行。危ない運転はしない。

 料金は――馬車一回分の半額を基準。急ぎは追加。夜間も追加。荷物は量で追加」


 それを掲示板に貼った。字が下手で笑われたが、客は増えた。

 分かりやすいのは正義だ。


 数日後、広場の端で干し肉をかじって待機していると、鎧姿が人を割って駆け込んできた。


「シゲル殿!」


 副団長レオンだ。汗だくで、顔色が明らかに違う。


「王都への招集が掛かった。王命だ。今すぐ発てるか?」


 俺は干し肉を飲み込み、立ち上がった。


「発てます。最速で?」


「最速で頼む!」


 タクシーを出現させ、レオンを助手席へ。

 走り出してからも、レオンは落ち着かない。膝の上の封書を握りしめ、何度も外を見て、何度も封書を見る。


 タクシーってのは不思議なもんで、黙ってると客が勝手に喋り出す。密室は人の口を軽くする。

 俺は前を見ながら言った。


「……お客さん。理由、聞いてもいいですか。王命ってだけでこんなに焦るの、珍しいでしょう」


 レオンは少し黙り、やがて低い声で言った。


「実は、その書簡は第3王女との婚姻の件だ」


「……王女?」


 思わず声が裏返る。異世界に来てからずっと浮ついてたが、今のはさすがにデカい話だ。


「互いに想い合っている。だが王は反対だ。私は騎士。家は貴族だが、王家と釣り合うほどではない。……それに私が“王女を連れ去る男”になるのを恐れているのだろう」


 レオンは封書を握り直した。


「王は私を試すつもりらしい。王の推薦者と私――どちらが先に“王命の書簡を携えて王の前へ立てるか”。それで婚姻を決める、と」


 俺は唇を噛んだ。勝負の定義が“城に着く”じゃない。“書簡を持って謁見”だ。

 つまり、最後の最後は、足だけじゃなく「届ける」が勝負になる。


「……最速の依頼ですね。しかも、ゴールは王城の中」


「頼む。間に合わなければ……」


 俺はハンドルを握り直して言った。


「俺の仕事は、客と荷物を約束の場所に届けることです。遅れません」





 王都へ向かう街道は国の大動脈で、人も馬車も多かった。

 だからこそ――避けられないものがある。


「……関所だ」


 柵と門、旗と兵士。

 そして長い列。蛇のように伸びる通行税の待ち行列。


 レオンの顔が青くなる。


「ここだけで半日は待たされる……今日は多い。下手をすると一日だ」


 最速依頼。競争。ここで止まれば終わる。

 だが突っ切れば犯罪だ。俺は列の最後尾につけ、微速前進した。


「渋滞ってのは、どの世界でも人を絶望させるな……」


 そのとき、車内でピッという電子音が鳴った。

 聞き慣れすぎた音に、俺は目を見開く。


《車内アナウンス:ETCカードが挿入されています》


「……ETC?」


 センターコンソールを見ると、カードスロットにカードが挿さっていた。俺、持ってきてない。絶対持ってきてない。

 抜く間もなく続く。


《車内アナウンス:優先通行モードを起動します》


「優先通行って、何だよ……」


 前方がざわついた。兵士が列を横へ誘導し始める。馬車が寄る。道が空く。


「……え?」


 俺が慎重に進むと、関所役人が帽子のエンブレムを見て、顔色を変えた。


「失礼いたしました! 通行をどうぞ!」


 列の真ん中が割れ、タクシーは関所をスルーした。


 レオンが呆然と呟く。


「……なぜ、我々だけ」


「知りません! 俺も意味分かりません! 今、人生で一番分かんないこと起きてます!」


 門を抜けた瞬間、車内アナウンスが追い打ちをかける。


《車内アナウンス:通行料金は後日精算されます》


「やめろ。“後日精算”って単語が怖いんだよ。請求先どこだよ。異世界だぞ……」


 怖いが助かった。半日が消えた。レオンの握り拳が少し緩む。

 タクシーは走り続け、王都が近づくにつれて巡回兵が増え、馬車の質が上がっていく。


 ――そして次の障害。


 人だかり。停止した馬車。叫び声。


「道が塞がれてるぞ!」


 大岩が街道のど真ん中を塞いでいた。崖崩れだ。車一台通れない。迂回すれば二日。


 レオンの声が震える。


「迂回路は……間に合わない」


 詰み、が頭をよぎった瞬間。

 頭の中にアナウンスが落ちてきた。


《アナウンス:障害物を検知》

《目的地補正:最短路を提示》

《タクシー特性:通行路生成(限定)》


「……通行路生成?」


 崖面の一部が歪み、輪郭が浮かび、口を開いた。

 トンネルの入口。車一台分。


 周囲が悲鳴を上げる。


「闇の門だ!」

「魔族だ!」

「近寄るな!」


「タクシーの域を超えてるぞ……!」


 俺は汗を拭う暇もなく決断した。


「行きます。掴まってください」


 暗いトンネルに入る。静かだ。自分の呼吸とレオンの呼吸だけが車内に響く。

 壁は滑らかで、道は妙に整っている。最初からそこにあったみたいに。


 数分後、出口へ出ると、岩の向こう側の街道だった。

 振り返れば入口は消えている。


「……消えた」


「……消えましたね」


 便利すぎて怖い。だが今は助かる。

 タクシーは王都へ突き進んだ。


 王都外縁が見えた頃、空に影が落ちた。

 巨大な翼。飛竜だ。


「……飛竜」


 背に乗る騎手は王都へ一直線。

 レオンが唇を噛む。


「あいつが王の推薦者だったら……」


 俺はアクセルを踏み込んだ。


「地上最速で追い抜くしかないです。タクシーは、最後まで届ける乗り物ですから」





 飛竜は王都入口で止まっていた。所定の飛竜小屋――駐竜場だ。

 騎手が飛び降り、手綱を預ける。さすがに飛竜は城の中までは行けないらしい。


 レオンが助手席で息を吐いた。


「……まだ勝機はある。飛竜は城内へ入れない。ここから先は徒歩か馬車だ」

「俺たちは?」

「我々は王城入口まで行ける。最後の区間はこちらが強い」


 俺は頷き、王都の大通りへタクシーを滑り込ませた。

 人混みを読み、馬車の間合いを取り、危ないところはきっちり減速する。速いけど無茶はしない。無茶は遅い。

 運転手の仕事は“最速”より“遅れない”だ。


 やがて王城前の巨大な門が見えた。広い前庭。左右に整列する衛兵。空気が硬い。権力の匂いがする。


「着きました! レオンさん、行って!」


 レオンはドアを開けて飛び出した。


「シゲル殿、恩に着る!」


「いいから行って! 書簡を持って王の前へ! “到着”はそこですよ!」


 レオンは頷いて駆けていく。俺は運転席に残り、ようやく息を吐いた。


「……はぁぁ。これで仕事は終わ――」


 言いかけて、ミラーで後部座席を見て、血の気が引いた。


 封書が、残っていた。


「……え? えぇ!? 嘘だろ……!」


 王命の書簡。勝負の“襷”。

 それを置いていった。つまりレオンは今、空手で王の前へ向かっている。


「まずい! まずいって!」


 俺は車を飛び出し、封書を掴んだ。封蝋は割れていない。中身は見てない。関係ない。届けなきゃ終わる。


 そのとき、背後に馬車が止まった。

 豪奢な装飾、派手な旗。兵士が降り、続いて一人の男が飛び出す。


 整いすぎた髪、派手な鎧、そして――封書を掲げて走る姿。

 王の推薦者だ。直感がそう言っている。……飛竜の騎手、ハデルローン。


「……やべぇ。あいつ、書簡持ってる!」


 ハデルローンは王城へ全力疾走で向かう。

 レオンは遥か先、すでに城の階段を上り始めている。距離は百メートルほど。


 俺は一瞬、考えた。

 ここでタクシーを出せば追いつける。出現させて、ほんの数秒で――

 でも、王城の敷地でそれをやったら、終わる。失格とか以前に、俺が処刑される未来が見える。


(……走るしかねぇ)


 俺は封書を握りしめて走った。四十歳の全力疾走。肺が焼ける。脚が重い。心臓がうるさい。

 でも止まれない。


「レオンさーーん!!」


 声は広い前庭に吸われる。衛兵が睨む。構わない。今は客の人生がかかってる。


 俺は運転手の“街勘”で動線を読む。

 噴水の配置、植え込みの切れ目、衛兵の立ち位置。人の流れが薄いところを選ぶ。渋滞を抜ける時の判断と同じだ。

 ただ走るんじゃない。最短距離を取りにいく。


 途中、衛兵が槍を横に出して止めようとする。


「そこは――」


 反射で帽子を押さえ、頭を下げた。


「すみません! 緊急の配達です!」


 衛兵の視線が帽子の紋章に止まった。

 一瞬だけ、槍が下がる。


「……通れ。だが騒ぐな」


「ありがとうございます!」


 通れた。意味は分からないが、今は助かる。


 息を切らしながら走り、ようやくハデルローンの背に近づいた。

 ハデルローンが振り返り、鼻で笑う。


「運送屋が、貴族の勝負に口を出すのか?」


「……運送屋だから、口を出すんだよ。届けるのが仕事だ!」


 俺は距離を詰め、最後の直線――王城の階段へ。

 レオンは階段の下で一瞬立ち止まり、胸を押さえた。封書がないことに気づいた顔だ。絶望が一瞬で浮かぶ。


 そのさらに上、テラスには王と第3王女、重臣たち。

 空気が吸い込まれるほど静かになる。これが“王の前”かよ。胃が縮む。


 ハデルローンが勝ち誇ったように階段を駆け上がる。

 レオンも遅れて上がろうとするが、焦りで足がもつれかける。


 俺の頭に、箱根駅伝が浮かんだ。

 襷。渡す。繋ぐ。

 俺が運べるのは人と荷物だけじゃない。たぶん、こういう“想い”もだ。


「レオンさん!」


 俺は叫び、封書を握りしめた。

 この距離なら――投げられる。襷だ。渡さなきゃ意味がない。


「受け取って!!」


 封書を投げた。

 宙を舞う赤い封蝋。ほんの一瞬、時間が止まった気がした。


 レオンが手を伸ばし、掴む。

 握った瞬間、レオンの目が燃えた。


「――ありがとう!」


 レオンはそのまま階段を駆け上がる。

 ハデルローンが振り返り、顔色を変える。


「何……っ!?」


 テラスの前。王の視線が落ちる。

 レオンが膝をつき、王命の封書を掲げた。


「王命の書簡、持参いたしました!」


 次の瞬間、ハデルローンも到達し、同じように書簡を差し出そうとする。

 だが王は、冷たく言った。


「勝負は『王命の書簡を携えて王の前へ立つ』こと。先に示したのは――レオンだ」


 ハデルローンの顔が歪む。


「ばかな……!」


 王の声が響く。


「勝者は、レオン・ヴァルグレイ。婚姻を認める」


 テラスがざわめき、そして――第3王女が涙をこぼした。

 レオンの肩が震え、声が掠れる。


「……陛下。ありがとうございます……!」


 王女がレオンに駆け寄り、泣き笑いで言う。


「間に合った……あなたが来てくれた……!」


 レオンは王女の手を握り、震える声で答えた。


「すまない……すまない……もう二度と泣かせない」


 俺は階段の途中で膝に手をつき、ぜぇぜぇと息を吐いた。

 四十歳の全力疾走は、普通に死ぬ。だが死ななかった。


(……届けた。これが俺の仕事だ)


 王が視線をこちらへ向ける。重い視線。

 胃が縮む。だが逃げられない。


「運送屋。名は」


 俺は帽子を直し、深く頭を下げた。


「タクシー運転手、シゲルです」


「その“足”は国に有用だ。王都内での営業を許可する。関所の通行税も免除とする」


「……え、免除!? ありがとうございます!」


 思わず本音が出て、周囲が少し笑った。

 第3王女も、涙を拭いながら小さく笑った。


 レオンが振り向き、深く頭を下げる。


「シゲル殿。あなたがいなければ――」


「やめてください、膝つくの。俺、そういうの慣れてないんで」


 レオンは苦笑し、それでも真剣に言った。


「友として礼を言う。ありがとう」


 俺は照れ隠しに、ぶっきらぼうに返した。


「どういたしまして。タクシー運転手は、客と荷物を“約束の場所”に届けるのが仕事です」


 王都の空は夜に近い青だった。

 けれど王城前だけは灯りが明るく、祝福みたいに温かかった。


 異世界でも、俺は俺の仕事で食っていける。

 案外、悪くない。


 ……さて、次の客はどこだ?

 タクシーは待機している。異世界でも、いつも通りに。

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