第五話:初戦
道雪「敵は――秋月。」
その名を聞いた瞬間、陣に緊張が走った。
朝、近くにいた兵が教えてくれた。
秋月家と、道雪たちが支える大内家は、もともと九州で手を取り合うはずだった。
だが、その裏で――秋月文種が中国の毛利元就と内通していた。
それが発覚し、討伐の兵を上げることになったのだという。
「奴ら、山を背に陣を張りおったか……。
数では我らが勝るが、地の利は完全にあちらじゃ。」
道雪の声が、重く陣の中央に響く。
誾千代が目を細めた。
「父上、もしこの地で退けば、筑後の民もまた怯えましょう。
退くことは、“立花が怖じた”と示すことになります。」
その言葉に、兵たちの背筋が一斉に伸びた。
誾千代はまだ十代。
けれどその声は、誰よりもまっすぐに戦の中心を貫いていた。
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ドンッ! ドドド…!
太鼓が鳴る。
そのリズムに合わせて兵士たちの駆け足が早くなる。
鬨の声が山を裂き、空気が震える。
霧の向こうで秋月勢の旗が揺れた。
――次の瞬間、世界が動いた。
槍がぶつかり、金属が裂ける音。
血の匂いが風に乗って押し寄せる。
陣の後方にいたはずの俺の足が、いつの間にか前へ出ていた。
吸い込まれるように兵たちが前線へ走っていく。
その流れに引きずられるように、俺の体も勝手に動いていた。
目の前の兵士の首に矢が突き刺さる。
赤黒い液体が噴き出し、砂を濡らす。
その熱が蒸気となって立ちのぼった。
(人が……死ぬ音だ。)
秋月勢の叫び、立花の怒号。
すべてが混ざり合い、頭の中で渦を巻く。
耳鳴りが止まらない。
心臓の鼓動と剣戟の音の区別もつかなくなっていた。
その喧騒の中で、誾千代の声が響く。
「押し返せ! 怯むな! 我らが立花なり!」
その声だけが、俺を現実につなぎ止めていた。
必死に後方へ下がり、息を整える。
ふと目に映った誾千代の姿。
戦場に舞う炎のようだった。
だが、その炎の奥には確かに“人”の震えがあった。
甲冑の下の腕が、わずかに震えている。
――あの誾千代さんが、怖がってる。
胸の奥がぐちゃぐちゃになった。
「戦わなきゃ」と「逃げたい」がせめぎ合い、涙が勝手にあふれてくる。
そのとき、前方で道雪の怒号が上がった。
「雷を呼べぬこの空が恨めしいわ!
だが、我らの“義”は雷より強い!」
道雪の輿を支える兵たちが、次々に槍に刺されながらも前へ進む。
“命を懸けてお支えします”と誓っていた人たちだ。
斬られ、血まみれになりながらも、誰一人下がらない。
道雪を守るために、次々と倒れていく仲間たち。
矢を防ぎ、槍を受け、馬に蹴られ、それでも踏みとどまる。
何かが、胸の奥で音を立てて壊れた。
(これが……“正義の戦”なのか?)
昨日、盃を交わして笑っていた人たちの顔が浮かぶ。
いま、同じ顔が地面に崩れていく。
敵も味方も関係なく、ただ“人”が倒れていく。
恐怖と怒りと、どうしようもない無力感。
それでも、目を逸らせなかった。
彼らの言葉――“命を懸ける”という言葉が、いま胸に刺さる。
本気で命を懸けていたからこそ、あの時の言葉はまっすぐだったんだ。
俺は、その意味を、勝手にわかったような気がしていた。
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陣の後方で、俺――小野は、ただ戦場を見つめていた。
怒号、鉄のぶつかる音、土と血の匂い。
目の前で繰り広げられるのは、まぎれもなく“生きるか死ぬか”の世界だった。
そのとき、ふと気づく。
敵の秋月勢──右側と左側の兵の顔つきが、妙に違う。
右は気迫が足りず、どこか疲れたような目をしている。
一方、左は何かに取り憑かれたように闘志を燃やしている。
これが戦で大事なことなのかはわからない。
けれど、この偏りが勝敗を左右するかもしれない──そんな直感が走った。
「これ……誾千代さんたちに伝えなきゃ!」
近くの兵に声をかける。
「伝令とかって出せますか!?」
兵士は焦った顔で首を振った。
「ま、まだ準備が……指示が来てなくて!」
「煙とか太鼓でもなんでもいい! とりあえず伝える手段を!」
「準備ができてなくてできません……! 伝令の種類がまだ……!」
……え、こんな大事なときに伝令フロー整ってないの!?
命かかってるのに!?
頭の中で、いつもの“現場オペレーション”が動き出す。
(ライブ前に段取り詰めてないのと一緒じゃん……伝令も事前にフロー固めとくべきだろ……担当不在って完全にクレーム案件……)
こんな地獄の中で、職業病みたいに考えてる自分に、ちょっと笑えてくる。
だが笑っている暇はない。
伝令が間に合わないなら──俺が行くしかない。
「俺が行きます……! 馬、貸してください!」
口にした瞬間、喉がカラカラになった。
震える手で手綱を握る。
目の前に広がるのは血の雨。
耳に飛び込むのは悲鳴。
正直、怖かった。足がすくんだ。
馬も俺の動揺を感じ取ったのか、いななきながら荒れる。
必死で撫でて落ち着かせる。
そのとき、遠くで戦う誾千代の姿が見えた。
そして――彼女が、ほんの少しだけ泣いているように見えた。
女性の涙なんて、散々見てきた。
慰め方だって、もう慣れっこだと思ってた。
でも、なぜか誾千代の涙を見た瞬間だけは違った。
“俺がなんとかしなきゃ”と、心の底から思った。
次の瞬間、身体が勝手に動いていた。
叫びながら馬を蹴り、誾千代と道雪のもとへ。
「敵の右! 士気が落ちてます! 左とは明らかに温度差がある!」
血しぶきの中で叫ぶ俺を見て、誾千代が一瞬だけ目を見開く。
すぐに道雪が頷き、軍勢に命じた。
「右を突け! 一気に崩せ!」
轟音が戦場を駆け抜ける。
秋月勢の右側が混乱し、連鎖するように全体が崩れていく。
勝敗が決したのは、ほんの数刻後だった。
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戦のあと。
夜風が冷たく感じた。
「お前のおかげで助かった。」
道雪が短くそう言って笑う。
頭をわしゃわしゃと撫でられ、少し子供に戻った気分になった。
そして、誾千代が少しだけ柔らかい声で言葉を続けた。
「……ありがとう。あのとき、あなたが来てくれて良かった。」
その瞬間、彼女の瞳の奥に、戦を怖れて震えている──
年相応の少女の姿が、ほんの一瞬だけ見えた気がした。




