第九話:誠意と羊羹
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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電話一本で、イスラエルの地上侵攻は止まった。
そのニュースは瞬く間に世界を駆け巡り、俺は一夜にして「アリエルを黙らせた男」として、外交の天才か、あるいは狂気の交渉人として、その名を轟かせることになった。
だが、オーバル・オフィスに集まった国家安全保障チームの顔は、決して晴れやかではなかった。彼らの表情は、時限爆弾のタイマーを一時停止させることに成功したものの、解除方法は誰も知らない、といった風情だった。
「……それで、閣下」ハリソン首席補佐官が、おずおずと切り出した。「アリエル首相に約束された『オトシマエ』ですが……具体的には、どのようなご計画を?」
全員の視線が俺に突き刺さる。彼らは、俺が何か、世界が驚くような次の一手を隠していると信じきっている。新たな経済制裁か?ペルシャ湾の艦隊の再配置か?あるいは、イランとの電撃的な秘密交渉でも始めるつもりなのか?
俺は、彼らの期待に満ちた顔を見ながら、心の中で頭を抱えていた。
計画? あるわけがない。
「落とし前をつける」なんて、完全に勢いで口走っただけだ。日本の会社で、大失敗をやらかした後輩に「おい、この落とし前、どうつけるつもりだ」と説教する、あのノリで言ってしまっただけなのだ。
どうする。この壮大な期待に、どう応えればいい?
絶望的な気分で頭を抱える俺の脳裏に、またしてもサラリーマン時代の記憶が蘇った。あれは、俺が発注ミスで会社に一千万円の損害を出した時だ。電話で平謝りしたが、取引先の社長の怒りは収まらなかった。あの時、俺の上司である鬼の営業部長は、俺に何と言った……?
そうだ。
「佐藤、着替えろ。スーツは一番いいやつだ。そして、菓子折りは『とらや』の羊羹だ。いいか、電話やメールで謝って済む問題じゃない。こういうのはな、直接行って、頭を下げるのが一番なんだよ!」
俺は、顔を上げた。
オーバル・オフィスにいる全員が、俺の次の言葉を待っている。アメリカがイスラエルに示すべき「落とし前」とは何かを。
俺は、決然と言い放った。
「……分かった。俺が、イスラエルに行く」
「「「「はあっ!?」」」」
部屋にいた全員の声が、綺麗にハモった。
「閣下、正気ですか!?」アシュリーが悲鳴のような声を上げた。「今のエルサレムは、世界で最も危険な場所の一つです!シークレットサービスが許可するはずがありません!」
「黙れ!」俺は、ドランプらしい恫喝で黙らせた。「これは決定だ。俺の『オトシマエ』は、俺自身がつける。それが、俺のやり方だ」
「ですが、行って何を……?」ミリー議長が、呆然と尋ねる。「首脳会談をセッティングするには、あまりに時間が……」
「会談などではない」
俺は、立ち上がった。そして、日本のビジネスマンがお辞儀の練習をする時のように、背筋を伸ばした。
「謝罪だ」
「……しゃざい?」
「そうだ。迷惑をかけたんだ。直接会って、頭を下げる。これは、人としての、いや、ビジネスマンとしての基本だろう」
俺は、アシュリーに向き直った。
「アシュリー、急いで『とらや』の羊羹を人数分、手配してくれ。一番高いやつだ。それから、俺のスーツを。一番、誠意が伝わりそうなやつを頼む」
「と、とらや……? 羊羹……?」
アシュリーの知性は、未知の日本語の羅列によって完全にキャパシティオーバーを起こしていた。
その時だった。ずっと黙って考え込んでいたミリー議長が、ポン、と手を打った。
「……そうか。そういうことか……!」
彼の目に、またしても、あらぬ方向への尊敬の光が宿った。
「分かったかね、諸君!大統領閣下のお考えが!」
ミリーは、興奮気味にホワイトボードにペンを走らせ始めた。
「これは、単なる謝罪ではない!高度な心理戦だ!考えてみろ、アメリカ大統領が、単身で、予告なく、同盟国のトップに『頭を下げ』に来る。儀礼も、議題も、全て無視してだ!」
彼は、力強くペンで円を描いた。
「これは、従来の外交ルールを全て破壊する行為だ!アリエル首相は、剣を振り上げたものの、頭を下げてきた相手を斬りつけることはできない。メンツが立たないからだ。そして、世界は固唾を飲んで見守るだろう。『一体、アメリカは何を考えているんだ?』と。閣下は、ご自身の身を危険に晒すことで、逆に誰にも手出しのできない『聖域』を作り出し、中東のパワーバランスの中心に、自ら飛び込むおつもりなのだ!」
「そして……」ミリーは、声を潜めた。「その手土産が、コードネーム『YOKAN』……。一体、どんな意味が……」
違う。違うんだミリー。それはただの、本当にただの、美味い羊羹なんだ。
だが、もはや俺に、彼らの壮大な勘違いを止める術はなかった。
俺の、サラリーマン人生で培った「菓子折り持って、とりあえず謝罪に行く」という最終手段は、米軍最高司令官によって、「国家元首自らが最終兵器となる、前代未聞の外交戦略」へと昇華されてしまった。
「エアフォースワンを準備させろ!」ハリソンの号令が飛ぶ。
「国務省!アリエル首相に緊急の面会を申し入れろ!理由は『大統領が、積年の友情の証として、手ずから誠意をお届けに上がると』!」
「シークレットサービス!史上最大の警備態勢を敷け!大統領の身に何かあれば、第三次世界大戦だぞ!」
ホワイトハウスは、再び大混乱に陥った。
俺は、オーバル・オフィスの窓から空を見上げた。
ああ、部長。俺、あなたの教えを守って、今から中東に「とらや」の羊羹を持って、謝りに行ってきます。これが、グローバルスタンダードってやつなんですね。
俺は、泣きたかった。




