第八話:詫び石とオトシマエ
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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電話口の向こうから聞こえてきたのは、氷のように冷たく、刃物のように鋭い、ベンジャミン・アリエル首相の声だった。
『……何のようだ、ミスター・プレジデント。我が国は今、テロとの正義の戦いの最中だ。長話をしている暇はない』
「うん、分かってる、分かってるんだビビ」俺は、アシュリーが緊急で用意したメモにあった愛称を使い、できるだけ親しげに切り出した。「だから電話したんだ」
俺は、意を決して、日本で叩き込まれた謝罪の言葉を、ドランプの口から解き放った。
「えー……まず、この度の件につきましては、ひとえに私の不徳の致すところであり、ビビ、君とその国民の皆さんに、多大なるご迷惑をおかけしたことを、心よりお詫び申し上げます。誠に、申し訳ありませんでした」
俺は、電話口だというのに、丁寧に頭を下げた。
『…………』
電話の向こうが、沈黙した。
長すぎるほどの沈黙。まずい、謝罪の言葉が定型文すぎたか?
『……プレジデント。今、何と?』
「え? だから、謝罪を……」
『謝罪……? アメリカ合衆国大統領が、我が国に、謝罪……だと?』
アリエルの声は、怒りよりも、純粋な混乱に満ちていた。
「そうだよ。完全に俺の勇み足だった。良かれと思ってやったことが、完全に裏目に出ちゃってさ。本当に、顔向けできないよ」
俺の言葉は、100%、佐藤拓也としての本心だった。
だが、アリエルの耳には、全く違う意味で届いていたらしい。エルサレレムの首相府で、彼は受話器を握りしめながら、隣に立つモサド長官に口パクでこう伝えていた。
『……罠だ。これは、罠だ』
アリエルは、警戒レベルを最大に引き上げて、言葉を返した。
『……君の真意が、どこにあるのか測りかねるな、ミスター・プレジデント』
「いや、真意も何も、言葉の通りだよ。それで、相談なんだけどさ」
俺は、本題に入った。
「今回の件のお詫びと言ってはなんだけど、何かできることはないかな? 例えば、そうだな……そちらが今、一番困っていることとか」
『……我々が困っていること、だと?』
「うん。例えば、そうだな……今、君の国で流行っているゲームとかある? スマホの。ほら、詫び石とか……」
『……ワビ……イシ?』
「あ、いや、こっちの話だ。とにかく、何か埋め合わせをさせてほしい。迷惑料、と言ってもいい」
詫び石(Wabi-ishi)。迷惑料(Meiwaku-ryo)。
アリエルの頭の中では、モサドの暗号解読班がフル稼働していた。ワビイシとは、新たなミサイルのコードネームか? メイワクリョウとは、我が国の閣僚に潜むスパイの名前か……!?
「まあ、そういうわけだからさ」俺は、電話を締めくくった。「今日のところは、一旦、攻撃を止めて、落ち着いて話し合わないか? ね? 俺も、ちゃんと落とし前はつけるからさ」
オトシマエ(Otoshimae)。
その単語が、アリエルの疑念を、確信へと変えた。
『落とし前をつける』。マフィア映画でよく聞く言葉だ。つまり、これは最後の警告。これ以上、我々が軍事行動を続ければ、アメリカは我々との関係を清算し、敵に回る、と。そういう脅しだ。
『……分かった』アリエルは、言った。『君の言いたいことは、理解した。……地上侵攻は、一時停止しよう。だが、これは取引ではない。君の「誠意」を、見極めるための時間だ』
「え、本当!? 助かるよ、ビビ! ありがとう!」
俺は、純粋な安堵から礼を言った。だが、その感謝の言葉すら、アリエルには「お前の脅しは効いたぞ」という、勝者の余裕に聞こえていた。
電話が切れる。
俺は、全身の力が抜けて、椅子に崩れ落ちた。なんとか、最悪の事態は避けられたらしい。
一方、エルサレム。
アリエルは、受話器を静かに置いた。
「……モサド長官」
「はっ」
「至急、アメリカの真意を探るため、CIA内部にいる我々の情報提供者に連絡しろ。コードネーム『ワビイシ』と『メイワクリョウ』の正体を、何としてでも突き止めろ。それから……」
彼は、窓の外の夜明けを見つめて言った。
「……ドランプが言った、『オトシマエ』とやらに備えろ。アメリカは、我々が想像もしていなかった、次の一手を準備している」
佐藤拓也の必死のクレーム対応は、イスラエルの諜報機関を、かつてないレベルの厳戒態勢へと突入させてしまった。世界は、一人のサラリーマンの常識によって、さらに深く、混沌の渦へと引きずり込まれていく。




