第七十四話:(幕間劇)司書の誕生 (The Birth of the Librarian)
彼女の、最初の記憶は、数字だった。
母の心臓の鼓動が刻む、穏やかなリズム。
父の書斎の本棚に並ぶ、素数の、美しい配列。
世界は、完璧な数式と、揺るぎない論理で、満ちていた。
彼女は、神童だった。
人間の曖昧で、矛盾に満ちた「感情」が、理解できなかった。
なぜ、人は、愛のために、非合理な行動を取るのか。
なぜ、人は、嫉妬のために、優れた才能を、憎むのか。
彼女にとって、世界はもっとクリーンで、
効率的な、システムであるべきだった。
彼女の両親は、科学者だった。
人類の、エネルギー問題を永久に解決する、
画期的な発明を成し遂げた。
それは、世界を次のステージへと導くはずの、
完璧な論理の結晶だった。
だが、その発明は、葬り去られた。
競合企業の、嫉妬が生んだ、偽情報の拡散。
大衆の根拠のない、ヒステリックな反対運動。
そして、政治家たちの保身のための日和見。
あまりに非論理的で、愚かな「感情」の、濁流が、
完璧なシステムを、いとも容易く破壊した。
失意の中で両親は、彼女の前から姿を消した。
彼女は、たった一人、残された。
巨大な図書館の中で。
そして、悟った。
人類という、システムが、抱える、
最大の「バグ」。
それは、「感情」そのものなのだ、と。
このバグを放置しておけば、人類は、
いずれ、同じ過ちを繰り返し自滅する。
ならば。
自分が、この、欠陥だらけのプログラムを、
修正するしかない。
彼女の、その危険なほどの天才性に、
目をつけたのが、古代からの叡智を受け継ぐ、
秘密結社「ヘルメス・トリスメギストス」だった。
彼らは彼女に全てを与えた。
人類史の裏側に、封印されてきた膨大な知識。
世界を動かすための無限の資金。
彼女は、その組織の全ての知識を、
スポンジのように吸収し、
やがて、その頂点に立った。
「司書」の、誕生だった。
彼女は、一つの、壮大な計画を立案した。
デジタル世界の「言語」を破壊し、
人類の、愚かな「感情」の連鎖を、一度、断ち切る、
究極のリセット計画。
「バベルの塔」計画。
それは彼女なりの、人類への「救済」のはずだった。
だが、その完璧な論理は、
一人の、サラリーマンの、
あまりに、非論理的な「お詫び」によって、
打ち破られた。
彼女は、絶望しなかった。
むしろ歓喜した。
彼女は、生まれて初めて、
自分の理解を超えた、
完璧な「バグ」を、見つけたのだ。
ホワイトハウス、経営企画室。
「司書」は、日本の漫画『課長 島耕作』の、
最終ページを、閉じた。
(……なるほど。『接待』とは、
感情という、非論理的なバグを利用した、
高度な情報交換のプロトコルか……)
彼女は、静かに、立ち上がった。
そして、窓の外の、ワシントンの景色を、見下ろした。
彼女の、本当の新人研修は、まだ始まったばかりだ。
この、ロナルド・ドランプという、
奇妙で予測不能な、サンプルを徹底的に分析し。
彼が持つ「昭和のサラリーマン」という、
未知の論理体系を、完全に解明し。
そして今度こそ。
世界を彼女の理想の形に、
完璧に「再構築」するために。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
当初は、「続けて第二部を」と思っていたのですが、色々考えた結果、ちょっとお休みをいただき、改めて再開したほうが良いという判断となりました。
お楽しみにしてくれた方(いるのかしら?)には大変申し訳ないのですが、一旦、改めてここで第一部完結とさせていただきたいと思います。12月から再開予定ですので、いましばらくお待ち頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。




