第七十三話:(幕間劇)影の務め (The Shadow's Duty)
夜明け前。
ワシントンD.C.が、まだ深い眠りの中にある、午前4時。
執事ジェームズの一日は、始まる。
彼の仕事場は、オーバル・オフィスではない。
ホワイトハウスの地下深く、歴代の執務長だけが、
その存在を知る、小さな、書斎だ。
彼は、まず、白手袋をはめる。
そして、アンティークのキャビネットから、
銀食器を取り出し、一枚の、柔らかな布で、
静かに、磨き始める。
大統領が、朝食で使う、ナイフとフォーク。
それらは、ただの、食器ではない。
完璧な、重量バランス。
有事の際には、投擲用の、武器となる。
彼が、毎朝、淹れる紅茶の、茶葉。
それは、ただの、茶葉ではない。
大統領の、その日の体調と、精神状態を分析し、
心を、わずかに、安定させる、特別なハーブが、
コンマ1グラムの、単位で、ブレンドされている。
彼の務めは、「お世話」ではない。
「管理」だ。
アメリカ合衆国大統領という、
世界で最も、重要で、
そして、最も、壊れやすい、資産の。
「ジェームズ」
壁の、スピーカーから、声がする。
庭師に扮した、元海軍特殊部隊(SEALs)の、チームリーダーからだ。
『昨夜、2時17分。
ラファイエット広場にて、不審な電波を傍受。
ロシア大使館の、ものと、思われます』
「……承知した。
バラの、剪定を、続けてくれ」
『了解』
彼の、諜報網は、
CIAや、シークレットサービスとは、別に、存在する。
庭師、シェフ、清掃員……。
彼らは、皆、ジェームズに、絶対の忠誠を誓う、
「影」の、番人たちだ。
ジェームズは、書斎の、奥の、金庫を開けた。
そこには、分厚い、ファイルが、並んでいる。
ケネディ、レーガン、ブッシュ、オバマ……。
彼が、仕えてきた、歴代大統領たちの、
決して、公にはならない、本当の、心理プロファイル。
彼の忠誠は、大統領という「個人」には、ない。
その椅子が象徴する、
アメリカという国家の「職務」そのものに、
捧げられているのだ。
彼は、大統領を、評価する。
そして、その「職務」が、
正しく、遂行されるよう、
影から、補佐し、時に、操作する。
それこそが、彼の、一族が、
三百年、続けてきた、本当の、仕事だった。
彼は、一番、手前にあった、
新しい、ファイルを、手に取った。
【ロナルド・J・ドランプ】
ファイルは、二つに、分かれていた。
【Ver. 1.0 : “SATO”】
分析: 思考パターンは、日本の、中間管理職。
特性: 責任回避、極度の小心者、予測不能な奇行。
脅威レベル: C(管理可能)。
評価: 制御不能な「混沌」だが、
根は、善人。扱いやすい。
そして、彼は、もう一つの、
数日前に、作られたばかりの、
ファイルを開いた。
【Ver. 2.0 : “THE BUCHO”】
分析: 思考パターンは、日本の、昭和の高度経済成長期を戦い抜いた営業マン。
特性: 昭和の価値観(要リサーチ 参考文献『島耕作』シリーズ?)
目的のためなら、手段を選ばない、非情さ。
脅威レベル: S(測定不能)。
ジェームズは、ペンを取り、
評価の欄に、書き加えた。
「……『プロトコル・ゼロ』の、契約の穴を突き、
その、存在自体を、人質に取る、脅迫。
前代未聞。
彼は、ルールの中で、戦うのではない。
ルールそのものを、支配しようとする」
ジェームズは、ファイルを、閉じた。
そして、静かに、立ち上がった。
Ver. 1.0の「佐藤」は、
嵐のような、赤子だった。
泣き叫び、物を壊すが、
あやせば、笑った。
だが、Ver. 2.0の「部長」は、違う。
彼は、静かなる、毒だ。
音もなく、相手の弱点を手段を選ばず突き、敵対する組織はもちろん、自分の組織をも蝕んでいく。
そして、気づいた時には、
全てを、支配している。
それだけであれば、それほどの脅威ではない。大統領となる人間は、そういうものだからだ。
彼の異常性は、その独善性と揺るぎのない信念だ。
信念自体は誰にでもある。しかし、彼が持っている信念「昭和」というキーワードと、「人情」「根性」「情報」に固執した手法は、想像を絶するほど強固で不条理な上、狡猾だった。他者にはルールの厳密さや建前の大事さを説く一方で、自分は全くルールも建前も鼻から守る気もがない。
彼は「俺がルール」であることを隠そうとしない。
なにより本質的に合衆国に興味がないのだ。
そんな相手にこれまでの、やり方では、通用しない。
ジェームズは、三百年の歴史の中で、
初めて、本当の、危機感を、覚えていた。
彼は、書斎の、隅にある、
決して、使われることのなかった、
一本の、黒電話の、受話器を、取った。
その回線は、世界の、ただ一人にしか、
繋がっていない。
「……私だ」
ジェームズは、静かに、言った。
「……“影”が、目覚めた。
君の、出番かもしれない」
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