第六十八話:お客様相談室 (The Customer Service Desk)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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【残り12時間】
バルト海の、冷たい、暗闇の、中。
ロシア海軍が誇る、最新鋭の、戦略原子力潜水艦「ベルゴロド」は、一匹の、巨大な鯨のように、静かに、潜航していた。
艦長、ミハイル・ヴォルコフは、司令室で、じっと、時計の針が、進むのを、見つめていた。
彼の心は、鋼鉄のように、冷え切っていた。
祖国への忠誠。イワノフ大統領への、絶対の、服従。
そして、モスクワの病院で、手術を待つ、最愛の娘、アンナの、命。
彼が、この任務を、遂行する理由は、それで、十分だった。
世界が、どうなろうと、知ったことではない。
彼は、ただ、与えられた、タスクを、こなすだけだ。
「……艦長」
ソナー担当の、若い士官が、怪訝な顔で、報告した。
「……奇妙です。数分前から、本艦の、真後ろに、ゴーストのような、微弱な、音源反応が……。ですが、すぐに、消えます。まるで、亡霊のようです」
「……気のせいだろう」
ヴォルコフは、短く、答えた。
だが、彼の、背筋を、冷たい汗が、一筋、流れ落ちた。
その時だった。
司令室の隅にある、通常は、決して、使われることのない、
メンテナンス用の、コンソールの、小さなモニターが、
音もなく、点灯した。
そこに、緑色の、短い、文字列が、浮かび上がる。
『君の娘さん、手術の成功を、祈っている』
それは、ロシア語でも、英語でもない。
ひらがなと、漢字で、書かれた、
日本語の、メッセージだった。
ヴォルコフは、その、意味不明な、文字列を、ただ、見つめていた。
だが、その文字列の、本当の、意味を、
彼の、魂は、理解していた。
敵は、知っている。
アンナのことを。
手術のことを。
俺の、心の、一番、奥深くにある、
決して、誰にも、触れさせてはならない、
たった一つの、弱点を。
そして、敵は、
それを、わざわざ、俺に、知らせてきた。
それも、こちらの、あらゆる、暗号化システムを、
飛び越えて、こんな、無防備な、コンソールに、
直接、メッセージを、送りつけてきた。
これは、脅迫ではない。
それよりも、もっと、恐ろしい、何かだ。
神の、視点からの、宣告。
「……誰が、送ってきたんだ」
ヴォルコフの、声は、震えていた。
「……分かりません」通信士は、答えた。「発信源は、追跡不可能です。まるで、神様からの、手紙のようです……」
神様。
あるいは、悪魔か。
ヴォルコフは、揺れていた。
イワノフ大統領の、命令は、絶対だ。
だが、その、絶対の、はずの、命令が、
今、この、不可解な、メッセージの前で、
揺らぎ始めていた。
その頃。
PEOCでは、俺が、次の、手を、打っていた。
「……よし」俺は、言った。「フェーズ2、完了だ。
これより、最終フェーズ、『交渉と、無力化』に、移行する」
俺は、再び、レオに、命じた。
「レオ君。
例の、ゴースト・チャネルを、もう一度、開け。
今度は、イワノフではない。
ヴォルコフ艦長に、直接、繋ぐんだ」
『……正気か!?
今度は、現場の、兵士と、直接、話すのかよ!』
「当たり前だろう」
俺は、言った。
「プロジェクトが、炎上している時はな、
相手の、社長とだけ、話していても、ダメなんだ。
本当に、話すべきなのは、
現場で、一番、困っている、担当者なんだよ」
「これは、『お客様相談室』だ」
俺は、マイクの前に、座った。
やがて、スピーカーから、ノイズと共に、
固く、緊張した、男の声が、聞こえてきた。
ヴォルコフ艦長だ。
『……誰だ』
「……ヴォルコフ艦長」
俺は、静かに、語りかけた。
「君の、気持ちは、よく分かる」
『……何……?』
「君は、今、非常に、困難な、状況に、置かれているはずだ。
上司からの、無茶な、要求。
迫り来る、納期。
そして、失敗した時の、リスク(娘の命)。
……心中、お察しする」
俺の、その、あまりに、人間的な、
中間管理職の、共感の、言葉に、
電話の向こうの、ヴォルコフが、息を飲む気配がした。
「……だが、安心してほしい」
俺は、続けた。
「我々は、君を、追い詰めたいわけでは、ない。
ただ、この、プロジェクトの、仕様について、
いくつか、確認したいだけなんだ」
『……仕様?』
「ああ。君の上司から、提示された、
『ヨーロッパの都市を、一つ、破壊する』という、仕様だが……。
率直に、言って、これは、顧客(全世界)の、ニーズを、
全く、満たしていない、と、我々は、考えている」
俺は、会社の、企画会議で、
いつも、やっていたように、
淡々と、しかし、力強く、語りかけた。
「そこで、こちらから、『代替案』を、提案したい。
ヴォルコフ艦長。
君が、今、撃とうとしている、その、核ミサイルだが……。
その、着弾点を、少しだけ、ズラす、という、
仕様変更は、可能だろうか?」
『……なんだと……?』
「例えば、そうだな……。
目標の都市の、すぐ沖合。
誰もいない、海の上に、だ」
「そうすれば、君は、
『ミサイルを発射した』という、
上司への、報告は、作れる。
だが、人的被害は、ゼロだ。
……どうだろうか?
これなら、君も、我々も、そして、君の、娘さんも、
誰も、傷つくことはない。
まさに、『三方よし』の、ビジネスだと、思わんかね?」
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最新話は本日の11時10分更新予定です。




