第六十話:静寂のファーストレディ (The Silent First Lady)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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ホワイトハウスの居住区は、ここ数週間、不気味なほど、静かだった。
私の夫、ロナルド・J・ドランプは、かつて、嵐のような男だった。彼のいる場所には、常に、怒号と、テレビのけたたましい音と、そして、彼自身の、尽きることのない自画自賛が、響き渡っていた。
このホワイトハウスは、彼の巨大なエゴが支配する、騒々しい劇場だった。
だが、今は、違う。
嵐は、過ぎ去った。
代わりに、いるのは、まるで、嵐の後の、静けさそのもののような、見知らぬ男だった。
外見は、同じ。あの、オレンジがかった肌も、逆立った金髪も、大統領の紋章が入ったバスローブも、何もかも、同じ。
けれど、中身は、全くの、別人だ。
彼は、もう、一日中、FOXニュースを見ることはない。
代わりに、夜遅くまで、日本の「アニメ」とかいう、奇妙なアニメーションを、ヘッドホンをして、熱心に見ている。時々、くすくすと、子供のように笑いながら。
彼は、もう、夜中に、衝動的に、SNSに、怒りの投稿をすることもない。
代わりに、毎晩、必ず、バスタブにお湯を張り、日本の入浴剤を入れて、一時間、静かに、瞑想に耽っている。
彼は、もう、私に、自分の支持率の話や、政敵の悪口を、延々と、聞かせることもない。
代わりに、気まずそうに、私に、日本の「ポッキー」とかいう、チョコレート菓子を、差し出してくる。「……これ、うまいぞ」と、たどたどしい口調で。
あの日、彼が倒れて、目を覚ましてから、全てが、変わった。
執事のジェームズは、ただ、「閣下は、少々、お疲れなのです」と、微笑むだけ。
首席補佐官のハリソン氏は、私と目を合わせようともしない。
私は、馬鹿ではない。
何かが、起きたのだ。私の、夫の、身に。
病気? 記憶喪失? あるいは、もっと、常軌を逸した、何か……?
正直に、言えば。
最初の数週間は、恐怖だった。この、私の知っているロナルドではない、何者かと、一つ屋根の下で暮らすことが。
だが、今は。
その感情は、別のものに、変わりつつあった。
その夜、私は、ホワイトハウスの、プライベートシアターの扉を、そっと、開けた。
案の定、彼は、そこにいた。
巨大なスクリーンに映し出されているのは、日本の、学生服(?)を着た少女たちが、宇宙船で戦う、奇妙なアニメだった。
彼は、私の気配に気づくと、慌てて、振り返った。その顔は、まるで、悪戯が見つかった、子供のようだった。
「あ、いや……これは、だな。ミリーが、次期宇宙軍の、参考資料として、見るように、と……」
私は、何も言わなかった。
ただ、彼の隣に、静かに、座った。
彼は、気まずそうに、ポップコーンの代わりに、テーブルに置いてあった、日本の「柿の種」の袋を、私に、差し出した。
私は、それを受け取ると、一つ、口に入れた。
ピリ辛い、不思議な味。
悪くない。
私たちは、言葉を交わさず、ただ、少女たちが、レーザー砲を撃ち合うのを、眺めていた。
彼の横顔は、私が知っている、自信と、傲慢さに満ちた、あの顔ではなかった。
そこにあったのは、どこか、遠くを見つめる、迷子のような、寂しげな表情だった。
私は、まだ、あなたが誰なのか、知らない。
私の夫に、何が起きたのかも、知らない。
だが。
私は、静かに、目を閉じた。
耳に届くのは、アニメの効果音と、彼が、日本のお菓子を、ポリポリと、かじる音だけ。
この、静寂。
私が、このホワイトハウスに来てから、ずっと、心の底から、求めていた、平穏。
もし、この平穏が、続くのなら。
あるいは、それでも、いいのかもしれない。
私は、そっと、目を開けた。
そして、彼に、言った。
「……その、カキノタネ、というの……、もう一つ、もらっても、いいかしら?」
男は、驚いたように、目を見開いた。
そして、照れくさそうに、笑った。
それは、私が、初めて見る、彼の、本当の笑顔のような気がした。
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最新話は本日の20時10分更新予定です。




