第四十三話:プロジェクトマネージャー (The Project Manager)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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【残り71時間】
PEOCは、もはやPEOCではなかった。
それは、シリコンバレーのIT企業の、大規模システム障害に対応する「作戦司令室」そのものだった。
中央のテーブルは撤去され、代わりに、巨大なホワイトボードが何枚も運び込まれている。壁には、付箋がびっしりと貼られ、コーヒーの匂いと、誰かが持ち込んだピザの匂いが混じり合っていた。
そして、その中央に、毅然として立っていたのは、アシュリー・ブラウン補佐官だった。
数時間前まで、上司の奇行に振り回される、生真面目な部下でしかなかった彼女。だが、「プロジェクトマネージャー」に任命された瞬間、彼女の中で何かが変わった。その目は、もはや怯えていない。この、絶望的なプロジェクトを、必ず成功させるという、冷徹な決意に満ちていた。
「……いいですか、皆さん」
アシュリーは、ホワイトボードに書かれた、俺の殴り書きのWBS(作業分解構成図)を、レーザーポインターで指し示した。
「これより、第一回、プロジェクト・キックオフミーティングを始めます。議題は、各タスクの担当部署の確認と、最初の6時間での達成目標の設定です」
彼女は、ミリー議長に向き直った。
「ミリー議長。タスク1.1、『敵性存在の組織構造及び思想的背景の分析』。これは、国防情報局(DIA)とCIAの合同チームでお願いします。アウトプットは、6時間後。SWOT分析のフォーマットで提出してください」
「……す、すうぉっと……?」
昨日、俺が口走った単語を、ミリー議長はまだ消化できていないらしい。
「次に、タスク2.1、『“バベルの塔”計画の技術的仕様の推定』」
彼女は、天才ハッカーのレオを睨みつけた。
「レオ・シュタイナー君。あなたには、NSA(国家安全保障局)のサイバー軍と連携し、敵の目的と攻撃手法を特定してもらいます。進捗は、1時間ごとに報告すること。いいわね?」
「……へいへい。分かったよ、ボス」
レオは、不貞腐れた態度で、ドーナツを頬張りながら答えた。
アシュリーは、PEOCにいる全員に、次々と、的確に、タスクを割り振っていく。その姿は、もはや大統領補佐官ではない。優秀な、鬼のプロジェクトマネージャーだった。
俺は、その光景を、部屋の隅で、満足げに眺めていた。
(……よしよし。これで、プロジェクトは安泰だ。アシュリー君、なかなか筋がいいじゃないか。彼女なら、きっと、俺が投げっぱなしパワーボムのようにぶん投げた、このデスマーチを乗り切ってくれるだろう)
俺の仕事は、もうない。
プロジェクトの責任者を決め、方向性を示したら、あとは、現場の自主性を尊重し、黙って見守る。そして、時々、「何か困っていることはないかね?」と声をかけ、差し入れを持ってくる。それこそが、理想の上司像だ。
俺は、ジェームズに、最高級の寿司を人数分、デリバリーするよう、そっと頼んだ。
【残り65時間】
プロジェクトは、驚くべき速度で進んでいた。
アシュリーが導入した「1時間ごとの進捗報告会議」によって、各部署の情報は、リアルタイムで共有され、無駄な作業は徹底的に排除された。
当初は「軍隊のやり方ではない」と戸惑っていた将軍たちも、そのあまりの効率性の高さに、次第に順応し始めていた。
だが、最も重要な「敵の攻撃目的」については、依然として、暗礁に乗り上げたままだった。
「……ダメだ」レオが、呻いた。「奴らの目的が、分からねえ。通信衛星網を、どうするつもりなんだ? 物理的に破壊するのか? それとも、軍事通信をジャックするのか? 目的が分からなきゃ、対策の立てようがねえ」
その時だった。
俺は、寿司のガリをかじりながら、ふと、素朴な疑問を口にした。
「……なあ、アシュリー君。そもそも、このプロジェクト名だが……」
「はい、閣下?」
「『バベルの塔』というのは、どういう意味なんだね? 昔、うちの会社でも、『プロジェクト・イカロス』とか、格好つけた名前をつけたがる役員がいたが……。だいたい、そういうのは、失敗するんだ」
俺の、あまりにのんきな質問。
だが、その一言に、レオが、ハッとした顔で、こちらを振り返った。
「……バベルの塔……」
彼は、何かに取り憑かれたように、呟いた。
「旧約聖書……。天まで届く塔を建てようとした、人間の傲慢さ……。それを、神が、怒った……」
彼は、椅子から立ち上がると、ホワイトボードの前に立った。
そして、マーカーを手に取り、叫んだ。
「……神は、塔を、破壊したのか?」
「いや……」聖書に詳しいらしい、空軍の牧師が答えた。「塔は、破壊していません。神は……人々の『言葉』を乱し、互いに、コミュニケーションが取れないようにしたのです」
その瞬間。
レオの目に、閃光が走った。
「……そういうことかよ……! あの、クソ野郎ども……!」
彼は、キーボードを、再び、爆発的な勢いで叩き始めた。
「ミリー議長! 奴らの目的は、物理破壊じゃない! 通信のジャックでもない!」
レオは、振り返り、PEOCにいる全員に、戦慄の事実を告げた。
「奴らの目的は、『言語』の破壊だ! 全世界の通信衛星を通じて、特殊なアルゴリズムを流し、地球上の、全てのデジタルデータ……プログラムコード、テキスト、画像、動画……その全てを、意味をなさない、ただのノイズに、変換するつもりなんだ!」
「……なんだと?」
「インターネットの、死だ。金融システムの、崩壊だ。全てのインフラが、止まる。人類が、何十年もかけて築き上げてきた、デジタル文明の、『言葉』が、失われる。……俺たちは、一夜にして、言語のない石器時代に、逆戻りさせられるんだよ」
PEOCを、これまでとは比較にならない、本当の、静寂と、絶望が、支配した。
アシュリーが、青ざめた顔で、俺に尋ねた。
「……か、閣下……。どうすれば……。どうすれば、インターネットの『死』を、止められるのでしょうか……?」
俺は、答えることができなかった。
そんなこと、分かるわけがない。
俺は、昨日、やっと、会社のパソコンの、ショートカットキーを、三つ、覚えたばかりなんだ。
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最新話は本日の11時10分更新予定です。




