第三十八話:契約社員(The Contractor)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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ヘリコプターのローター音が、PEOCの中にまで響いてくる。
鋼鉄の扉が、ゆっくりと開いた。
そこに立っていたのは、海兵隊員に両脇を抱えられた、一人の青年だった。フード付きのパーカーに、破れたジーンズ。その顔は、睡眠不足と栄養失調と、そして、世界に対する侮蔑で、青白く歪んでいた。
レオ・シュタイナー。19歳。人類の、希望だった。
「……何のつもりだ、これは」
レオは、PEOCの異様な光景を一瞥すると、吐き捨てるように言った。その態度は、まるで面倒な教授の講義に、無理やり連れてこられた学生のようだった。
「誘拐のつもりなら、人選を間違えてる。俺の親は、ただのしがない数学教師だ。身代金なんて、払えんぞ」
ミリー議長が、一歩、前に進み出た。
「レオ・シュタイナー君。君をここに連れてきたのは、他でもない。アメリカ合衆国大統領の、命令だ」
レオは、ミリーの肩越しに、俺を一瞥した。そして、鼻で笑った。
「……フン。なるほど。噂の『狂王』か。俺に、一体、何の用だ?」
俺は、ハリソンに目配せした。ハリソンは、アシュリーが徹夜で作成した、一枚の書類を、レオの前に差し出した。
それは、アメリカ合衆国の国章が入った、正式な『業務委託契約書』だった。
「……契約書?」
レオは、怪訝な顔で、それを受け取った。
俺は、プロジェクトリーダーとして、今回の外注の目的を、簡潔に説明した。
「……君に、依頼したい仕事がある。見ての通り、我々は今、少々、厄介な『お客様』と、交渉中だ。そのお客様が、チェスで我々を打ち負かせたら、言うことを聞く、と言っている」
「……チェス?」
レオの目が、初めて、かすかな興味の色を宿した。彼は、メインスクリーンに映る、チェス盤の映像を、じっと見つめている。
「そうだ」俺は、続けた。「そこで、君に、我が社の『コンサルタント』として、この交渉に参加してもらいたい。君の仕事は、ただ一つ。相手のどんな汚い手にも負けず、完璧な勝利を、我が社……いや、我が国にもたらすことだ」
レオは、契約書に、再び目を落とした。
その報酬欄に書かれた、天文学的な数字を見て、彼の眉が、ピクリと動く。
「……なるほどな」彼は、言った。「それで、俺に、政府の犬になれ、と? 愛国心ごっこに、付き合え、と? 断る」
彼は、契約書を、俺たちの足元に、投げ捨てた。
「俺は、あんたたちのような、権力者が、大嫌いだ。この国も、この政府もな。滅びようが、知ったことか」
PEOCの空気が、凍りついた。
ミリー議長の顔が、怒りで赤く染まっていく。
「……貴様! 今、自分が、誰に向かって口を利いているのか、分かっているのか!」
「ああ、分かっているさ」レオは、臆することなく、言い返した。「偽善と、欺瞞と、時代遅れのプライドだけでできた、巨大なハリボテの王様だろ?」
まずい。
交渉が、決裂する。
この、コミュニケーション能力に致命的な問題を抱えた、優秀なエンジニアを、どうやってプロジェクトに参加させる?
会社の研修で、習ったはずだ。
こういうタイプの人間を動かすのは、金でも、名誉でも、愛国心でもない。
彼らを動かす、唯一の燃料。
それは、「知的好奇心」と「プライド」だ。
俺は、ミリー議長を、手で制した。そして、レオに、静かに語りかけた。
「……まあ、いいさ。君が、そう言うのなら、仕方ない」
俺は、わざと、大きなため息をついて見せた。
「残念だが、このゲーム、我々の負けのようだ。相手は、相当な手練れらしい。君ほどの天才でなければ、おそらく、勝つことは、不可能だろう」
「……何が、言いたい?」
「いや、なに」俺は、首を横に振った。「君が、断るのも、無理はない。もし、このゲームに負ければ、君の『最強』というプライドも、傷がつく。安全な場所から、権力者を嘲笑っている方が、よっぽど、楽で、賢い生き方だ。……なあ?」
俺は、彼の目を、まっすぐに見つめて、言った。
「君は、負けるのが、怖いんだろう?」
その瞬間。
レオの、生意気な青年の顔から、表情が消えた。
代わりに現れたのは、獲物を前にした、飢えた狼のような、獰猛な光だった。
彼は、床に落ちていた契約書を、ゆっくりと拾い上げた。
そして、ペンを奪い取ると、サインの欄に、殴りつけるように、自分の名前を書いた。
「……いいだろう」
レオは、俺を、喰らいつくような目で、睨みつけた。
「そのゲーム、受けてやる。だが、勘違いするな。あんたたちのためじゃない。国のためでもない」
彼は、メインスクリーンのチェス盤を、指さした。
その指は、かすかに、震えていた。
「俺の前に、こんなふざけた盤面を広げた、“ライブラリアン”とかいう、馬鹿の顔を、拝むためだ。そして、そいつに、思い知らせてやる」
「本物の『知性』というものが、どういうものかをな」
こうして、人類の運命は、一人の反抗的な天才ハッカーと、一人の平凡なサラリーマンの、奇妙なコンビに、委ねられた。
俺は、扱いの難しい外注先を、なんとかプロジェクトに参加させられたことに、心からの安堵を覚えていた。
あとは、彼に、丸投げすればいい。
そう、思っていた。
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最新話は明日の8時10分更新予定です。




