第二十七話:平穏の終わり (The End of Peace)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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金曜日の夜。
オーバル・オフィスには、心地よい疲労感と、達成感が漂っていた。予算案は可決され、政府閉鎖は回避された。ワシントンには束の間の平和が訪れていた。
「……では、閣下。今週末は、キャンプ・デービッドでゆっくりとお過ごしください」
ハリソン首席補佐官が、穏やかな顔で言った。彼の胃痛も、少しは和らいでいるようだった。
「ああ。そうさせてもらうよ」
俺は、心から安堵していた。キャンプ・デービッドがどんな所か知らないが、温泉付きの保養所みたいなものだろう。日本の会社で言うなら、プロジェクト成功後の慰安旅行だ。最高じゃないか。
俺は、上着を羽織り、最高の気分で週末の休息に向けて立ち上がった。
ミリー議長が、アシュリーが手配した電子書籍リーダーを指さして、「コードネーム『KOSAKU SHIMA』……。これは、次世代リーダーに向けた、新たな人材育成計画か……?」などと真顔で呟いているが、もう気にもならない。これが新しいホワイトハウスの平常運転だ。
その、瞬間だった。
ウウウウウウウウウウウウウッ!
突如、ホワイトハウス全体に、鼓膜を突き破るような、けたたましい警報音が鳴り響いた。オーバル・オフィスの天井の赤いランプが、狂ったように点滅を始める。
何が起きたんだ!? 火事か!?
「GET DOWN, MR. PRESIDENT!」
ドアを蹴破るようにして、シークレットサービスの男たちが、雪崩れ込んできた。彼らは、俺の体に覆いかぶさると、人間シールドとなって俺を囲んだ。
「状況は!?」ハリソンが叫ぶ。
イヤホンを押さえたエージェントの一人が、信じられない、といった顔で報告した。
「不明!ですが、ホワイトハウスの全セキュリティシステムが、同時にダウン! 外部との通信も、全て遮断されました!」
「何だと!?」
「これは……完璧なサイバー攻撃です! 我々は、完全に孤立した!」
その時、遠くで、重い爆発音が響いた。
ホワイトハウスが、地響きを立てて揺れる。
「敵の侵入を許した! 1階西棟!繰り返す、西棟に敵性存在を確認!」
無線から、悲鳴のような声が聞こえた。
敵? 侵入? ここは、世界で一番、安全な場所じゃないのか?
「閣下、こちらへ!」
シークレットサービスのリーダー、マクギーが、俺の腕を掴んだ。
「PEOC(大統領危機管理センター)へ退避します!急いで!」
ピ、ピ、ピオク……? 何の略語だ?
俺は、訳も分からぬまま、屈強な男たちに引きずられるようにして、オーバル・オフィスを飛び出した。
廊下は、地獄だった。
照明が明滅し、スプリンクラーが誤作動で水を撒き散らしている。銃を構えた警備員たちが、壁際に陣取り、見えない敵と銃撃戦を繰り広げていた。
嘘だろ。これは、映画の世界だ。ダイ・ハードだ。俺は、ジョン・マクレーンじゃない。ただの、佐藤拓也だぞ。
「急げ! あと少しだ!」
マクギーが、前方の分厚い鋼鉄の扉を指さす。あれが、PEOCの入り口らしい。
だが、その扉にたどり着く、寸前だった。
ガアアアアアン!
俺たちのすぐ横の壁が、内側から爆発した。
衝撃で、俺も、シークレットサービスの隊員たちも、床に叩きつけられる。耳鳴りがひどい。視界が、煙で真っ白になった。
「閣下! ご無事ですか!」
マクギーの声が、遠くに聞こえる。
俺は、咳き込みながら、何とか体を起こした。
そして、目の前の光景に、絶望した。
爆発によって、天井の一部が崩落し、俺と、マクギーたちシークレットサービスの間を、完全に分断していたのだ。瓦礫の壁の向こうから、彼らが必死に俺を呼ぶ声が聞こえる。
「閣下! 聞こえますか! すぐに助けを……!」
その声が、突然、途切れた。
代わりに聞こえてきたのは、複数の銃声と、男たちの断末魔の叫び。
そして、静寂。
俺は、一人だった。
煙が立ち込める、薄暗い廊下に、ただ一人。
俺の周りには、俺を守ってくれるシークレットサービスも、的確な(勘違いの)助言をくれるミリー議長も、胃を痛めながらも支えてくれるハリソンも、誰もいない。
俺は、もはや大統領ではなかった。
ただの、丸腰で、戦闘能力ゼロの、異国の地で迷子になった、日本人サラリーマンだった。
廊下の闇の向こうから、ゆっくりと、複数の人影が、こちらに近づいてくるのが見えた。
その手には、黒光りする、銃が握られていた。
まずい。
俺は、ビジネスマンとしてではなく、生物として、本能的に悟った。
これは、「謝罪」で済む問題じゃない。
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最新話は明日の7時10分更新予定です。




