第二十六話:補佐官は夢を見ない (The Aide Who Doesn't Dream)
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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金曜日の午後。ウエストウィングの片隅にある、私の小さなオフィスは、静かだった。
壁一面の本棚には、国際政治、経済学、そして軍事戦略に関する専門書が、整然と並んでいる。ハーバードを首席で卒業し、最年少で大統領補佐官の一人にまで上り詰めた私の、知性の城。そのはずだった。
だが今、私のデスクの上で最も重要なファイルは、「沖縄運動会における賓客用弁当のアレルギー対応リスト」と、「『とらや』の羊羹の公式な英語説明文(国務省承認済み)」だった。
私は、一本の電話をかけていた。相手は、オハイオ州の田舎町に住む、私の母だ。
「ええ、ママ。元気よ……。仕事? ええ、順調よ。とても……刺激的だわ」
『あら、そうなの? 最近、テレビで大統領のニュースをよく見るわよ。なんだか、中東で、日本の“オジギ”をしたとかで……。あなたも大変ねぇ』
「……そうね。でも、やりがいはあるわ」
嘘だ。私のやりがいは、緻密なデータ分析に基づいて国家戦略を立案することだったはずだ。決して、二人三脚用の紐の素材について、シークレットサービスと国防総省の合同会議をセッティングすることではなかった。
『そういえば、アシュリー。あなた、良い人はできたの?』
「ママ、その話は……」
『あなたも、もう30歳よ。仕事もいいけど、そろそろ身を固めないと。どんな人がタイプなの?』
どんな人がタイプか。
私は、遠い目をして、窓の外を見つめた。数週間前までは、こう答えていただろう。「知性的で、尊敬できて、野心のある人」と。
だが、今は。
脳裏に浮かぶのは、執務室でカップラーメンを啜り、「詫び石だ」と真顔で電話し、キャンプファイヤーを囲んで「ホウレンソウが大事だ」と熱弁する、あの上司の姿だった。
「……そうね」私は、自分でも驚くほど、穏やかな声で答えていた。「少なくとも、会議を『ペンディング』にしたり、突然『運動会』を始めたりしない人がいいわ。あと、自分のハンコを、ローンで買わない人」
『……アシュリー? あなた、本当にアシュリーよね?』
電話を切った後、私は深く、深呼吸をした。
首席補佐官ハリソンは、大統領を「理解不能な存在」だと言った。
ミリー議長は、彼を「非対称戦の天才」だと信じ込んでいる。
だが、データ分析官としての私は、もっと混乱していた。
インプット(入力)は、全てが狂っている。彼の指示は、非論理的で、衝動的で、前例がなく、およそ指導者のものとは思えない。
しかし、アウトプット(結果)は、信じがたいほどの成功を収めている。中東の停戦。予算案の合意。
ありえない。私の知識、私の経験、私の論理、その全てが、この結果を否定している。
プロセスはF評価(不可)なのに、成果はS評価(最高)だ。こんなことが、あっていいはずがない。
狂人か、天才か。
あるいは、彼は、我々とは全く違う宇宙の法則で動いている、何か別の存在なのではないか。
私は、自分のTo Doリストに目を落とした。
今日の最後のタスクが、残っている。
『大統領の週末キャンプ・デービッド用の読書リスト。至急、日本のコミック「島耕作」シリーズを全巻、電子版で手配のこと』
私は、もう考えるのをやめた。
私の仕事は、もはや国家戦略を立案することではない。この、理解不能な自然現象のような上司の要求を、ただひたすらに、完璧に、実行することだ。
私は、検索エンジンを開き、入力した。
「SHIMA KOSAKU, English version, buy」
これが、私の新しい日常。
これが、私のホワイトハウス。
そう自分に言い聞かせた、その時だった。
遠くで、かすかな、しかし、明らかに異常な振動が、床を伝わってきたのは。
そして、次の瞬間。
私のオフィスの天井の赤いランプが、悪夢のように、静かに、しかし力強く、点滅を始めた。
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最新話は本日20時10分更新予定です。




