第二話:ハッタリとアメリカンジョーク
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
----------
意識が浮上する直前、俺は懐かしい夢を見ていた。東京の、狭くて汚いワンルームマンション。鳴り響くスマホのアラーム。ああ、月曜日か。満員電車に乗って、またあの地獄のようなオフィスに行かなければ。
「……閣下、大統領閣下!聞こえますか!」
地獄は、ここにもあった。
目を開けると、眉間に深い皺を刻んだ白人男性の顔が、俺の視界を占拠していた。映画で見るシーク-レットサービスみたいに、耳に螺旋状のイヤホンをつけた男たちも数人、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
俺は、あの豪奢な部屋の、分厚い絨毯の上に倒れていたらしい。
そうだ、俺は…ドランプになったんだった。
「……静かにしろ」
喉から絞り出したのは、我ながら驚くほど自然な、尊大な響きを持つ英語だった。まるで何十年もこの声で話してきたかのように、言葉が口をついて出る。だが、脳内では佐藤拓也が必死に叫んでいた。『誰だよお前ら!なんなんだよ!』
目の前の男が、安堵のため息をついた。「おお、神よ。首席補佐官のハリソンです、閣下。お倒れになったので、ドクターを呼びましたが…」
首席補佐官。ハリソン。ダメだ、知らん。ていうか、俺が知ってるアメリカの閣僚なんて一人もいない。俺の知識は、日本のニュースで流れる「ドランプ大統領がSNSで暴言」レベルで止まっているんだ。
「ドクターは必要ない。ノー・ドクターだ」俺は、テレビで見たドランプの真似をして、人差し指を立てながら言った。「ちょっと眩暈がしただけだ。昨日の夜、少し考え事をしすぎてな。この国をどうやって『さらに偉大』にするか、と」
完璧だ。我ながら完璧なハッタリだ。ドランプなら言いそうだし、実際、首席補佐官ハリソンは「さすがです、閣下」と深く頷いている。チョロい。いや、チョロいのか?
「ですが閣下、国家安全保障会議が……」
「ああ、NCSだな」
「NSCです、閣下」
「そうだ、NSCだ。分かっている。俺が言ったんだ」
危ない。冷や汗が背中を伝う。ハリソンは訝しむでもなく、タブレット端末を俺に見せた。「イランの無人偵察機が、ホルムズ海峡でわが国のタンカーに異常接近した件です。現場の司令官は、警告射撃の許可を求めています。決断が必要です」
イラン? ホルムズ海峡? 警告射撃?
まるで、俺が昨日までやっていたスマホの戦争ゲームだ。ぶっちゃけイランとイラクの区別も曖昧だし、ホルムズ海峡がどこにあるのかもよく知らない。だが、これはゲームじゃない。俺の「決断」ひとつで、現実の人間が死ぬかもしれない。戦争が、始まるかもしれない。そういや「決断」っていう渋い戦争アニメがあった、観ておくべきだったのかもしれない。
無理だ。絶対に無理だ。俺は、取引先の接待でどの店を選ぶかですら、あらゆるグルメサイトを渡り歩いて三日は悩む男なんだぞ。
「……ふむ」俺は知性を感じさせるため(この顔で可能かは分からないが)、顎に手を当てて唸った。「ハリソン。貴様に、ひとつ質問しよう」
「は、何なりと」
「……もし、お前が俺なら、どうする?」
「……は?」
ハリソンの目が、初めて点になった。まずい。質問が凡人すぎた。ドランプはこんなこと聞かない。「俺が常に正しい!」みたいな奴のはずだ。
俺は慌てて付け加えた。「……というのは、ジョークだ。アメリカン・ジョークだ。場を和ませようと思ってな。ハッハッハ」
乾いた笑い声が、静まり返った部屋に虚しく響いた。シークレットサービスの男たちが、気まずそうに視線を逸らす。もうダメだ。俺は、社会的に死んだ。そもそもアメリカ人は自分でアメリカンジョークと言うのか?デープに騙されていたのかもしれない。
だが、ハリソンは真面目な顔で言った。「なるほど。ユーモアですか。承知しました。さあ、閣下、こちらへ。シチュエーション・ルームで皆が待っています」
有無を言わさず、ハリソンに促される。シークレットサービスが道を開け、俺はふかふかのスリッパのまま、壮麗な廊下を歩き始めた。壁に飾られた歴代大統領の写真が、まるで「お前ごときに務まるのか?」と俺を睨みつけているようだった。最後の方になんか機械が混じっていたのが少し気になったが、それどころではなかった。
ホワイトハウス。
俺が知ってるホワイトハウスは、会社のパワハラ上司が行きたがってた、銀座の高級クラブの名前だけだ。
シチュエーション・ルーム。
俺が知ってるシチュエーションは、どうでもいいことをもっともらしく話すことを存在証明にしている奴らが集まり、最後に部長がお約束でブチ切れるだけの、キングオブ誰得な無駄な状況だ。
重厚な扉の前で、ハリソンが立ち止まった。
「閣下、準備はよろしいですか。世界が、貴方のご決断を待っています」
俺は、日本の、あの狭いワンルームに帰りたかった。ただひたすらに、帰りたかった。




