第一話:ペンディング・プレジデント
【免責事項】
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・事件などは、風刺を目的として創作されたものであり、実在のものとは一切関係ありません。
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頭が割れるように痛い。
二日酔いとも違う、まるで巨大な金槌で脳を内側から乱打されているような、経験したことのない種類の頭痛だった。俺、佐藤拓也、32歳、独身。昨日は確か、取引先との会食を終え、コンビニで買ったハイボールを片手に、深夜アニメを流し見しながら安物のビジネスホテルで眠りに落ちたはずだ。過労とストレスで有名な、ごく平凡な日本のサラリーマン。それが俺だ。
「……っつぅ」
呻き声が漏れた。だが、自分の声じゃない。やけに低く、しゃがれていて、しかも……英語? 俺が持っているのは英検二級のはずだが。
重すぎる瞼を無理やりこじ開けると、視界に飛び込んできたのは、見たこともない天井だった。ただの天井じゃない。白を基調とした、やたらと凝ったレリーフが施され、中央からは巨大なシャンデリアがぶら下がっている。ホテルの天井とは次元が違う。これは、宮殿か何かの天井だ。
混乱する頭で、のろのろと体を起こす。シーツが、ありえないほど滑らかで肌に心地いい。ベッドが、無駄にでかい。キングサイズなんてものじゃない、俺のアパートの部屋くらいあるんじゃないか。
部屋を見渡して、眩暈がした。金色の装飾が施された豪奢な家具。分厚い絨毯。壁には肖像画が飾られ、窓の外には手入れの行き届いた広大な庭園が広がっている。
なんだ、ここ。ドッキリか? それにしては規模がでかすぎる。貧乏が身についた民放TVじゃとても無理だ。ネトフルレベルの規格か? どこかで有村とミツコDXが笑ってる?しかしコンプラ的に流石にまずいだろう。じゃなきゃまさか、誘拐……? 俺みたいな安月給のサラリーマンを誘拐して、誰が得をするっていうんだ。
ふと、サイドテーブルに置かれた一枚の写真立てが目に入った。震える手でそれを掴む。写っているのは、見慣れた顔……いや、世界で最も見慣れた顔の一人かもしれない。金髪をなびかせ、赤いネクタイを締め、親指を立てて満面の笑みを浮かべる男。
ロナルド・ドランプ。
そして、その隣には、これまた見知った美女、メロディア夫人が微笑んでいた。
「なんで、こんなところに……」
そう呟いた瞬間、俺は再び自分の声にぎょっとした。先ほどと同じ、低く、しゃがれた、聞き覚えのある英語の声。まさか。そんな馬鹿な。
恐る恐る、自分の手を見る。
大きくて、分厚い。日焼けなのか、妙にオレンジがかった肌。指には金の指輪が光っている。俺の、色素の薄い、細くて貧相な手じゃない。
ベッドから転がり落ちるようにして、ばかでかい姿見の前に立った。
そこに映っていたのは、佐藤拓也ではなかった。
赤いシルクのパジャマを着て、寝癖で逆立った金髪を揺らし、青い瞳を困惑に見開いている、70代後半の白人男性。テレビやネットで、嫌というほど見てきた顔。
ロナルド・ジョン・ドランプ。その人、本人だった。
「…………は?」
声にならない声が出た。これが夢でないのなら、何なんだ。俺は昨夜、確かに東京のビジネスホテルで寝たはずだ。政治にも、アメリカにも、ましてやドランプなんていう世界の揉め事の中心人物にも、全く興味がない。ノンポリが俺の信条で、ぶっちゃけ選挙にも数えるくらいしか行ってない。馬鹿なチンドン屋のような選挙活動ができる奴らは、その時点で信用ができない。かといって「意識高い系」は苦手だ。だからSNSで政治の話をする奴は右だろうが左だろうが全員ブロックしてきた。どうせ何を言っても変わらない世の中で俺が精々求めるのは、自分の半径2メートルの平穏だ。目立たず、騒がず、静かに生きていきたい。それが俺、佐藤拓也の人生哲学だった。
それなのに、なんだこの身体は。なんだこの状況は。世界で一番、俺の哲学からかけ離れた存在じゃないか。
パニックで過呼吸になりかけた、その時だった。
コン、コン。
重厚な扉がノックされ、外から引き締まった声が聞こえた。
「失礼します、大統領閣下。間もなく国家安全保障会議のお時間です」
Mr. President.
大統領。
俺が? この俺が?
佐藤拓也の意識は、そこで完全にブラックアウトした。