ニールの絶望
それは運命ということだったのだろうか。まさにこの時、犬神・ヴァイズハーゼの遠吠え、遠く微かな声をドロシーの常人離れした耳が捉えた。
「アレ? これ、ヴァイズハーゼじゃない? なんだか悲しげな声だね、嫌な予感がする」
「なんだって! すぐに行こう!!」
「魔都まで、みなさんをお送りして。僕たちは後で追いかけるから」
「へい! わかりやした」「かしこまりました」
魔動バスは連れて来たゴブリンの運転手二人に任せたドロシー、ニールとともに村への道を引き返した。
「あの遠吠えは、谷を挟んだ向かい側から聞こえたと思う。このあたりを東に逸れると出られるよ」
豹と狼の召喚獣は森の中の道なき道でも物ともしない。驚くほどの敏捷さをもって、ロゼが飛び降りた滝が見渡せる高台に到着した。
「おかしいな。この辺りだと思ったんだけど、周りに命の鼓動を感じない」
「もう、ロゼはここを離れたったことじゃないのか? 入れ違いになったとか」
「そうだといいのだけど、あ!!!!!」
木の陰になり、そこだけ一昨日降った雨の水が乾いていなかった部分がある。ドロシーの勘の鋭さということだろう、僅かな泥の表面に、彼女は足跡を見つけた。
「これ、このチャンキーヒールの跡、ロゼのブーツにそっくりな形をしている」
「ああ、そう言われてみれば」
ロゼはカジュアルな装いの時、キャメルのショートブーツを愛用していた。
「あの、ヒールの方向、谷に向かっているとは思わないか?」
「ど、どういうことだ!」
「ま、待って! 危ないから!」
ニールはドロシーの制止に耳を貸さず、全速力で谷に、ロゼが投身自殺をした崖に向かって駆け寄った。
「この谷はすごく深いんだ。岩が砂に変わったところで、この高さから落ちたら命はない」
「な、何を言ってる」
ニールは服が汚れるのも構わず、腹ばいになって奈落の底を眺めた。そこには……。
深さ二百メートル谷底中央には、大滝から続く川が流れる。何千年もの侵食によって、角が取れ丸くなった岩が転がる河岸の一部が、なぜか切り取ったように砂地になっている。
その中央にチラと見えた紅いもの、あれは髪? 既に夜となり、C星が昇っていた。月明かりに照らされ、朧げに見える人形はロゼの変わり果てた姿に違いない。
「ロゼ!!!!!!!」
「ニール、落ち着け、落ち着くんだ、君まで死ぬ気か!!!!」
ラグビー選手がタックルするよう、ニールの腰に捕まり止めるドロシー。力比べでは負けないはずのドロシーを引きずりながら、ニールは谷へダイブせんとする。
そのまま数分間揉み合っていた二人だが、やっとのことで、ニールは激情から覚め、その場にへたり込んだ。
「なぜ、なぜだ!! なぜ、ロゼ、君が死ぬ必要があった。誓ったじゃないか、俺のために生きると!」
「ニール、すぐに現実を受け止められないのは分かる。人は重い荷物を一気に持ち上げることなんてできない、少しずつ、少しずつ、気持ちを整理していくんだ。だから」
ドロシーはニールをその胸に抱きしめた。
「ひとまず、ひとまずだ。僕らも魔都ナドリクへ行こう。話はそれからだ」
「あ、ああ」
ドロシーの脳裏には過去の回想が回る。この感じ、この感触、覚えがある。今のニールは、自分が不手際で母を死なせた時にそっくりだ。あの時、彼が助けてくれなければ、自分は自暴自棄になり死んでいただろう。
そのお返し、になるかどうかは、よく分からぬけれど、きっと自分の経験はニールの助けになる、ドロシーはそう信じようとしていた。
「さ、召喚獣を出して」
「ああ」
少し落ち着いたニールだが、さっきから生返事しかしない。心を空っぽにすることでしか、正気を保てない、そういうことだろう。
二人は召喚獣を並べ、魔都への道を急いだ。もう夜になってしまったが、魔力の続く限り走って、明け方には、中継地点、カリム村に到着した。ここは別名ゴブリン村と呼ばれており、あたり一体にはゴブリン族のコロニーが点在している。
ゴブリン族、地球の異世界物にあるような、短躯、緑の肌、三角の耳、恐ろしげに耳まで裂けた口はそのままだが、ちゃんと服も着ているし、紳士的な会話もできる。魔族は人族の固定観念がその姿を異形に見せているだけ。彼らも人族となんら変わらぬ、ヒューマノイド型知的生命体なのだ。
「おお、これはドロシー様、こんな辺境まで何をしに?」
身長一メートルほどが標準のゴブリンに対して、やや大きな体、街の顔役風の男が声を掛けた。魔族の地に来て、まだ三年にしかならないが、ドロシーの評判は津々浦々にまで届いているらしい。
魔王の異母姉妹にして、武においては右に出る者なしの実力、さらには頭が切れ、政にも辣腕を振っているドロシー、今、魔族の国は、魔王、ドロシーが車の両輪となって回している、といっても過言ではない。




