勇者の来訪
時は戻り、再び、イーサの宮殿、一週間の時が流れた。
コン、コン
「失礼いたします。ロゼ様、程なく刻限故、謁見の間にお越しくださいませ」
今日は、いよいよ勇者来訪の日、イーサ王ランドルフ・アウエンミュラーの秘書官を務める女性が、ロゼを迎えに来たようだ。秘書官に手を引かれて、ロゼは謁見の間に向かった、
王宮はどこもかしこも豪奢造りだ。壁にも窓枠にも金箔がふんだんに使われ、天井には陶器製のレリーフ、照明用のクリスタルランプが下がっている。
煌びやかな装飾に抗うかのように、ロゼのドレスはまるで喪服のよう。かろうじて、裾に施したアラベスク模様の刺繍が、弔辞用ではない礼服であることを示している。
身長百六十センチと比較的小柄な彼女だが、燃え立つような紅い髪は否が応でも、その存在感を示してしまう。
かつてロゼは、目立ち過ぎるのを嫌い、毛染めで隠そうとしたことがある。だが、この髪色は強い魔法に守られているようだ。どんな染料を使おうとも、翌朝には元の色に戻っている。
炎のごとく血のごとく、赤き髪はロゼのレゾンデートル。捕食者に対し彼女が禍々しき存在であることを示す色。動物でいうところの警告色なのだろう。と納得し、ロゼは髪染めを諦めることにした。
長く真っ直ぐに続く廊下を行く、開け放たれた窓から漂う薔薇園の香りは、芳醇過ぎてまるで媚薬のようだ。ほどなく謁見の間に到着した。秘書官が、高さ二メートルほど、オーク材で作られ複雑な紋様が刻まれたドアを開ける。
ドアの向こうは三階まで吹き抜けになっており、ドーム型の天井近くに嵌め込まれたステンドグラスには、この国の歴史、神話の時代から現在に至る壮大な叙事詩が描かれている。今日は晴天、眩いばかりの日光が差し込み、青、赤、黄、煌めきの妖精が舞い踊った。
とはいえ、この部屋、贅を凝らした造りではあるが、巨大ということはなくテニスコート一面分程度の広さだ。
そもそも宮殿自体も、そこまで大きくはない。常駐する官吏は数十名、使用人も百人はいないレベルだ。地球にかつて存在したベルサイユ宮殿の三千人に比べれば遥かに小規模といえる。
この世界には魔法があり、家事に手間がかからないという側面はある。だが、これも、イーサ王が賢明である証なのだろう、彼は合理性を重んじ「小さな政府」を志向しているに違いない。
「ロゼ殿、こちらへ」
王自ら、声を掛けてきた。
「王様の左隣の席です」
アテンドしくれている秘書官がロゼに耳打ちした。
以前、説明したように、ロゼは目隠しをしていても、本の内容を読み取って直接脳にインプットしたり、赤外線スコープのように人や障害物などを検知することが可能だ。
だが、目が「見えている」と知られれば、人に無用の恐怖心を与えてしまう。ロゼは見えぬ振りを見透かされぬよう慎重に玉座の周りを見回した。
既に王侯は着席しており、主要大臣も一段高い舞台の上に並んでいた。ロゼのために準備された、王の隣りの席、玉座右隣の席のみが空いている。この世界でも席の序列は雛人形と同じ、王の左隣りというのは、彼女が、この国にとっての最重要人物であることを示している。
なのに、こんな不自由な幽閉生活、しかも、種付け男に抱かれる街娼以下の存在である自分は何? 丁重に扱われれば、扱われるほど、ロゼの胸に怒りが湧き起こる。だがそれは直ちに絶望、虚無感にかき消され、やがては厭世的な諦めに堕ちていく。
ロゼはトロッコ問題では迷わずポイントを切り替えるタイプ、たとえ犠牲になる一人が自身だったとしても。彼女は合理的で大局が見える自分が呪わしいと、常々思っているようだ。
ロゼは王にカーテシー風の挨拶をした後、秘書官に付き添われ、王の横の席に黙って着席した。王の右隣には王妃、その隣には王女クラウディア、二人ともロゼと視線を合わせぬよう、明後日の方向を向いている。
「勇者様、御一行、到着されました」
当然といえば、そうだが、勇者は魔王との決闘以外の日々を、無意に過ごしているわけではない。生まれた時から聖剣アメノハバキリを手にすることができる勇者だが、剣術の鍛錬をしなければ聖剣もただのお飾りに過ぎない。
勇者ニールは、幼い頃から、父はもちろん、王宮が手配した家庭教師に、剣、武術、学問を習っていた。成人、すなわち十五歳になると騎士学校に入学し、卒業後は実践的な訓練を行う目的も兼ね、冒険者として暮らしている。
冒険者ギルドとしても、通常の冒険者では手に余る強い魔獣の討伐など、勇者のみが達成できる高難易度クエストを依頼できるわけで、両者はウイン・ウインの関係であるともいえる。
とはいえ、RPGをプレイした経験がある人にとっては常識かもしれない。いくら強い勇者であっても、一人、ソロで冒険者ギルドのクエストをこなすことなどできない。
そこで、リバ王室、もしくは、勇者自身が優秀な冒険者を選抜し、勇者パーティを結成するのが慣例となっている。