パンサー・サーガ
自分が成したことではあるが、そう言われてみれば……。
体が勝手に動いたというお座なりな表現で逃げる? いや違う、どうすればいいか? は分かっていた、それを忠実に実施しただけ。
少し考え込んだロゼ。
「おそらくだけど……。幽閉生活の楽しみといえば、読書以外には何もなかったの。私、女の子なのに、『パンサー・サーガ』が大好きだったのよ。百巻もある本を、何度も、何度も読み返したからかな」
『パンサー・サーガ』とは、百年ほど前、魔王との決闘に臨み、初めて魔王を倒した勇者、すなわち、ニールの先祖の伝記を元に、脚色を加え、ファンタジー風の物語とした英雄譚だ。
とてもよくできたフィクションであり、大人から子供まで愛読されるベストセラー、百巻超えるこの世界最長の物語でもある。ただ、残念なことに、完結を前にし作者が早逝してしまい、未完の名作となってしまっている。
「なるほど、実戦ではなく本で学んだと。頭でイメージした動作を、そのまま実行できる人など、聞いたことがないが……」
「だから、私は人ではないと。でも、もう娶ってしまったのだから、返品不可ですよ。バケモノはいらないなんて、言わないでくださいね」
「なんだか、ロゼは、ジョークのセンスも一流のようだね。そんなこと、口が裂けても言わないさ、君を怒らせようものなら、俺は秒殺される」
「秒殺なんてしませんよ、悩殺はしますけれど、ね、旦那様」
「それを聞いて安心したよ」
「この世界最強の勇者様に、お褒めいただいたと思っておきましょう」
「いやいや、俺が君に秒殺されるというのはお世辞でもなんでもない。世界は広い、勇者より強いヤツはゴロゴロいるよ」
「そうなんだ? 身近な人でいますか?」
「ドロシー」
「え!」
「ああ、一対一で、力と力の勝負をしたら負けるね」
「へーー」
「だが、ドロシーなら、汚い手でも使えば、隙をつけると思う。俺に比べれば、彼女は経験不足だからね。だが、君の場合、チート技を出すより先に殺されてるな」
「スピードですか?」
「そうだね。だけど、見ていて、まだまだ無駄な動きも多い、俺に教えてあげられることはあると思う。当初は木刀を持っての模擬戦と考えていたのだけど、座学で十分かな」
「よろしくお願いします、先生。座学なら今夜からでも、教えてもらえますね」
「ああ、夕食の前にでもね」
「前、だけですか? 夕食後になにかご予定でも」
「う、うん」
「あら、赤くなった」
二人は再びロートハーゼに跨り平原を行く、遠くに針葉樹の深い森が見えてきた。その手前が、農家、住宅と町が開けている、ミルトブルグだ。
放牧地帯から今は休耕している畑、農家が数軒集まり、さらに進むと民家や商店街が並んでいる。どこからが街の始まりなのかは少々曖昧だ。
ニールの魔力限界ということもあり、まだ、夕刻前だが、このあたりで一泊するのがいいだろう。
ミルトブルグはシャルトガルトに比べれば、ずいぶんと小さく、貴族の住まいと思しき豪邸もない。
メインストリートには、銀行、服や、雑貨屋、一通りの店が開店しているが、その脇では露天が並ぶといった塩梅だ。街の奥の方は、エアルメラ三山の麓に広がり、魔の森へ続く大森林地帯の入り口付近、そこに冒険者ギルドと並んで冒険者宿舎があった。
「ギルドには寄らず宿舎へ」
「了解です。先生」
「あのなぁ〜 その先生はやめてくれないか?」
「オーシーノは、私より十歳以上も年上、家庭教師だったとしても不思議はありませんわ」
「なんだか、俺、ロリコンみたいじゃないか。まるで『夏への猫』だ」
『夏への猫』もこの世界では有名なフィクション。こんなあらすじだ。
ある男が、友人の奸計で、長い眠りにつかされてしまう、三十年後に目が覚めた男、時間遡行機の存在を知り、これを使って過去に戻る。
友人の不正を暴いた後、男は再び、魔法の眠りで未来へ、そして、三十年前は、まだ子供だった少女と結ばれる。
二人は揃って、看板に赤い月C星に向かって吠える青い狼が描かれた冒険者宿舎「吠える山犬亭」の暖簾を押した。
「こんばんは、旅の冒険者なのだが、一泊部屋を貸して欲しい」
「おやおや、エルフのご夫婦ですか。噂には聞いていたが、この世のものとも思えぬ美しさ」
溺れる人魚亭の主人と同じく、山犬亭の女将は、未知との遭遇をエルフとした際に語る、一通りのお世辞を並べ立てた。
「あら、まあ、A級冒険者ですって! こんな凄い方々が、こんな田舎町に来られるなんて」
「少々、魔の森を探索してみようと思いまして」
「なるほど! あそこなら、強い魔獣もたくさんいますからね。どうかお気を付けて行ってきてください。では、208号室で」
女将は二階一番奥のツインルームの鍵を渡し、この宿では一番の部屋だと聞きもしないのに付け加えた。
「さて、シャワーを浴びたら、アンジュからいただいた紅茶を飲んで、剣術講座をお願いしますね。先生」
ロゼは、二人用にしては大きめの食卓の隅に、紅茶器と魔法の湯沸かし器があるのを見て、そう言った。
「はい、はい、じゃ、先にどうぞ」
二人はシャワーを浴び、食卓に腰をかける。ロゼは、客室備え付けの白磁に青い花の模様が描かれている紅茶ポットに、シャンパンのような香りがする大きめの茶葉を入れ、魔法で沸かした九八度のお湯を注いだ。
三分ほど待ってかからティースプーンで、ポットの中をゆっくりと混ぜる、同じ紋様のあるカップに注ぎ分けた。




