ローレンス
「女王となるべき方が、そのような下賎な物言い、いただけませんなぁ〜 そしてロゼ様、あなたはこの国の主柱とも言えるべきお方、相手が王女といえど、安易に頭を下げるのは、いかがなものかと」
廊下の向こうから早足で近づいて来たのは、身長二メートル近い偉丈夫、短めにカットしたブロンドの髪と、見る人を射抜くようなブルーアイ、今は鎧を纏っていないが、どうもみても武人だろう。
無骨な風貌の大男は、どこか優しさのある言葉でそう言った。
「ローレンス! 成り上がり騎士長の分際で、生意気な口を」
「いえいえ、私は、王女様の身を案じてご忠告申し上げております。あなた様の、嫉妬、やっかみ、が魔法に『害意』と解釈されれば、あなたにどのような運命が待ち受けるか……。お分かりですよね?」
勢いで嫌味を言ってしまったが、よくよく考えれば、これは大変危険な行為、一つ間違えば、王女とてその命はない。王女の視線が威圧から畏怖に変わる。
「し、失礼」
王女はロゼの横を不必要に大回りし、足早に廊下の向こうに消えた。
「ロゼ殿、申し訳ございません。ああでも言わぬと、王女は無礼を止めぬと思いました故、決して、決して、私は、あなた様を恐れてはおりません。どうか、お許しのほどを」
「ローレンス殿のお気遣い、痛み入ります。いただいた忠告も、仰る通りと思います。ですが、最近の私、何かと弱気になっているのです」
「心中お察します、としか申し上げられませんが……」
「あの、どうやら、ローレンス殿は、私たちを探しておられらようにお見受けしますが」
話が暗くなり堂々巡りしそうな空気をアンジュは巧みに読み、話題を逸らした。すばらしい機転、彼女の頭のキレは、尋常ではない。ロゼはいつもその心配りに舌を巻いている。
「あ、失礼いたしました。居室にいらっしゃらなかったので、お庭を探しに行くところでして。いずれ王直々にお話もあると思いますが、来週、リバの勇者ニール・リンハルト様がおいでになるとか」
ローレンスは、役職上、警備の相談もあるだろう、早めに話が行くというのは筋が通ってはいる。だが、なぜわざわざ自分にこれを告げに来たのだろうか? 不審に思ったロゼは、
「失礼ながら、ローレンス殿は私を探してまで、勇者様の来訪をお伝えに来られたのでしょう?」
「それが……。勇者殿との謁見の際、ロゼ様も同席せよと、王のご意向があるようなのです」
「魔族との戦争の件でしょうか?」
「さすが、アンジュ殿、世界情勢もよくご存知で」
ローレンスはにっこり笑ってアンジュの瞳を見た。先ほど、ロゼがアンジュを冷やかしたのは、荒唐無稽な冗談でもない。ローレンスは叩き上げの武人であり、分かりやすい性格なのだろう。
推しキャラへの愛「好き、好き、大好き!! アンジュちゃん」と書いた鉢巻を巻いた、アイドルマニアのような表情をしている。
実は、ローレンス、アンジュに求婚していた。この世界の女性は、十五歳で成人するや否や婚約者を持つのが当たり前、先ほどアンジュは身分違いなどと言ったが、アルカーン教の教義に基づくシャリーアに厳格なオステンならいざしらず、鷹揚なエアルメラ教のイーサでは、平民と貴族の婚姻も珍しくはない。
時は三日前、場所は先ほど二人が散歩していた裏庭の薔薇園。
「アンジュ殿、どうか、私の想い受け取っていただきたく……」
ローレンスは、この世界の仕来りに従い、赤い薔薇を一輪手折って立膝をし、アンジュに求婚した。
「ローレンス様のような方から求婚されるなど、身に余る光栄。ですが、申し訳ございません。私には想い人がおります。何があろうと、この誓い、破る訳にはいかぬのです」
「想い人? はて?? いやいや、とんだ失礼を。私としたことが、詮索など奸譎な……。気にはなりますが、深くはお聞きすますまい」
アンジュはローレンスの誠実で真っ直ぐな想いに応えるべく、とても際どい話をしている。だが、無骨な彼のこと、アンジュの想い人が、ロゼであるなどとは考えもしなかったようだ。
「ローレンス様、こんなに汗が」
そんなローレンスだから、告白など、一世一代の重大事、清水の舞台から飛び降りたつもりで求婚をしたのだ。額を脇を冷や汗がしたたり落ちている。
アンジュはエプロンのポケットから、黒い朱子織のハンカチを出し、ローレンスの額を拭った。アンジュはいつも地味な色、とりわけ黒を好む。
「も、申し訳ございません」
ローレンスはアンジュからハンカチを借り受け、止まらぬ汗を何度も拭った。
「あああ、綺麗なハンカチを我が汗で汚してしまいました」
「そんな、お気になさらずに」
「大変、厚かましいお願いですが、このハンカチ、本日の記念にいただいてもよろしいでしょうか?」
「たかがハンカチ一枚、差し上げることなど、問題はございませんが、記念というのは?」
「アンジュ殿を娶ることは、できぬと分かりました故、このハンカチを、あなた様と思い、一生大切にいたします」
「ローレンス殿、冗談が過ぎますよ」