街の散策
笑顔でドロシーはロゼとニールを見回し、続ける。
「ね、私は二人の子供ってことでさ。ね。ね」
「ドロシーは、この街も詳しかったんだっけ。もちろん、大歓迎さ、行こうか」
「詳しいと言っても、五歳くらいの時まで、しばらくいたって、だけだけどね」
ドロシーは魔族領近くの村から、母と逃避行する際、複数の町を転々としていた。ドルティアにも数年いたことがあるらしい。
「じゃ、アガーテ、群衆に紛れて全く目立たぬ二人は、別行動でぶらぶらしますか?」
取りなすようにトーネードが言った。
「しょうがないわね。じゃ、付き合ってあげるわよ」
二グループに分かれての別行動、ニール、ロゼ組みは、真ん中にドロシーを挟み、三人で手を繋いで街を行く。
ニールは二十台半ば、十歳くらいの子供がいても、不思議ではないだろう。だが、ロゼは、小柄でどうみても十代、成人したかどうか、というところだ。
「ああ、まぁ、死に別れた先妻の子ということで」
ロゼの気持ちを察したのか、ドロシーがそんな冗談を言った。本当に人の心が読めているような反応をするドロシー、只者ではないのは当然だが、気を使い過ぎ、無理をしているようにも見える、
それは、私も、ニールも同じ、似たもの同士の家族かな? ロゼはそんなことを考えていた。
「あ、あのパン屋さんのポンチュキ、絶品だって聞いたよ。買い食いしていこう!」
ポンチュキとは揚げパン、ドーナッツのようなものだ。ローズジャムを入れるのが一般的で、白砂糖がまぶしてある。
もちろん、ロゼに買い食いをした経験などない。小説で読んだだけ、未来永劫、自分には絵空事だと思っていた。
なのに、何気ない日常が降って湧いたように、現実のものとなる、なんだろう、この気持ち、幸せ? それとも、やっぱり、あの人がいるから、あの人がくれたものだから?
まだまだ、街は戦時ということになっており、営業している店は少ない。ただ、昨日の戦いを見て、今朝方から食料品関係の補給は再開されたようだ。パン屋も急遽店を開けたということらしい。
三人で街を散策したが、カフェなどは全て店を閉じている。
「あっ、そうだ。美術館はどう? イーサとは違った絵画が見れると思うのだけど」
「うーーん、開いてるかな」
この間の噴水があった広場から、その中央の階段を登ると、ルネッサンス様式といえばいいだろうか、どこかモダンな白い建物が見えた。あれが、美術館のようだ。
この国最大のものは、首都ワルバードにある王立美術館で、こちらは小規模、百点ほどの絵画が展示してあるだけだ。
階段を登り美術館の前に行くと、案の定、閉館していた。だが、なにやら袋に包んだ絵画を搬入している人たちがいる。三人を見ると、その中のリーダーらしき者が声をかけてきた。
「こんな戦時に家族連れの方は珍しいですね。せっかく、おいでになったのですから、よければ、ご覧になって行ってください」
ブロンドの髪、この世界を象徴するような容姿、とても誠実そうな男だ。
「なんとか戦火を逃れようと、絵画の持ち出し準備をしていたのですが、どうやら敵は撤退するようです。まだ中では整理作業をしておりますが、どうぞ!」
美術館の職員は、戦争による火災などで作品が消失することがないよう、決死の覚悟で絵を持ち出そうとしていたらしい。だが、少しずつ元の展示に戻しているようで、現段階で約半分の絵が鑑賞可能となっている、とのことだ。
という成り行きで、三人は貸切の絵画館賞をすることとなった。
美術館は三階建で、展示室は一階のみ、天井が高く高窓から差し込む光と、魔法を灯りを巧みに組み合わせた間接照明が、絵画をうまく引き立てている。
リバの絵は、地球でいえばミレーやコロー、写実主義的なものが多いようだ、日本人好みならフェルメールといってもいいだろう。
実は、「転写」という魔法が存在する。肖像、風景を、紙、布、木板に、イメージした通りに写しとる、魔法による写真といったところだ。
合理性を重んずるイーサの人々は、魔法でできるようなものを、わざわざ絵にする必要はない、と考えるようだ。だから彼の国ではゴッホやゴーギャン、印象派のような絵が好まれる。
ロゼ、美術館に来るのは初めてだが、図録でイーサの有名な絵は一通り鑑賞したことがある。リバの写実主義的な絵は、彼女の目にはとても新鮮に映った。
「イーサの絵とは随分、違うのですか?」
「ええ、イーサの人は、魔法を人手で代替するような絵画は意味がない、と考えるようですが、よく見ると、魔法では描けぬ光や影、リバの絵も、とても素晴らしいと思います」
肖像画に混じって、宗教的な意味を持つ絵も数点みられる。ここリバはイーサと同じエアルメラ教を信ずる人たちがほとんどだが、文化的にはオステンのアルカーン教の影響も受けている。
絵などの芸術はもちろん、倫理観についても、彼の教条主義的な宗教のシャーリア、保守性を取り込んでしまっている。同性愛は罪で、その情交は死刑などという、ソドミー法は、まさにその悪例だ。




