ブラディローズ
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この胸、これがお前の鞘なのよ。さあ、そのままにいて、私を死なせて
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ここは、あなたの知る、それとは別の宇宙、別の星、別の世界、剣と魔法が世界を統べり、大地には魔獣が蠢く、魔王がいて、勇者がいて、その風俗は中世ヨーロッパのように見える。
十四歳の少女がいた。名をロゼ・リースフェルトという。彼女の名は、薔薇のような紅い髪にちなんで付けられた。だが、人は、彼女を「ブラッディローズ」と呼ぶ。
クリスマスという慣習のないこの世界だが、人々は、冬に咲く白いヘレボルスを幸福の花として愛した。すなわち、ブラッディは、白い清廉な花を血で汚す者という意味で、彼女を貶する字ともいえる。
一方、この名が象徴する彼女の絶大な魔力、圧倒的な死の魔法を人は畏れた。そして、権力が恐怖を狡猾に利用するのは世の常だ。
「ねぇ、アンジュ、今日はとてもいい天気のようね。風の香りが爽やかだもの」
「はい、雲ひとつない青空が広がっております。お庭を散策されますか?」
「ええ、この紅茶をいただいたら、庭の隅で、目隠しを外してみましょう」
彼女の魔法、それは、自らに害意を持つ人、物、が近付けば、その全てを砂、珪素に変えてしまう力だ。敵が何万いようとも、彼女が戦いの前線に立てば、兵は皆、砂と化す。
列強に囲まれた小国イーサが独立を保てるのは、ロゼあってこそ。彼女は、この国の最終兵器、抑止力であり、生涯、首都ミュルンの王宮に幽閉され暮らす運命にあった。
彼女の魔法は本来「害意」をトリガーとしてのみ発動する。だが、この異世界にも一睨みで人を石に変えるメデューサに似た伝承があるようだ。
城内にいる時、官吏や兵士に無用の恐怖を与えてはならない、という理由で、ロゼは黒い繻子の布でルビーの瞳を隠して過ごす。幸い、彼女には強大な魔力があり、目隠しをしたままでも、食事をしたり読書をしたりすることに不便はないのだが……。
「ロゼ様、こちらでございます」
メイドのアンジュに手を引かれロゼは部屋を出た。エメラルドの瞳に輝くようなブロンド、アンジュはとても美しい。その美麗ゆえ、この国の王自ら奴隷商より買い受け、ロゼの遊び相手とした娘だ。
二人は王宮の庭に出て、裏庭にある薔薇園の方に向かった。この地方に梅雨はなく、初夏の今は最もよい季節、赤、桃、黄、白、そして、青、鉄製のアーチに蔓を巻く薔薇は、今が盛り、青空を背に、むせかえるような芳香を放っている。
ロゼは目立ちすぎる紅い髪を気にしているのか、地味なドレスを好んだ、今は濃い青、群青色のロングドレスを身にまとっている。
幽閉の身とはいえ、彼女はこの国において守りの要であり、王宮の中では贅沢な暮らしを保証されている。オフホワイトの刺繍とリボンが各所に施されたサテンのドレスは、相当、高価なものだろう。
一方、アンジュはメイドとしての慎みと当人は思っているようで、スタンドカラーの黒ワンピース、フリルが施されたエプロンといった典型的な英国風メイドスタイルだ。
だが、二人ともその衣装が地味であればあるほど、類稀、いや、異次元の美しさを際立たせてしまう。しばらくロゼの手を引きながら、庭を歩いたアンジュは、カナリアのような澄んだソプラノで、主人に声をかけた。
「さ、このあたりまで来れば、誰も来ません」
ロゼはそっと目隠しを外し、空を見上げた。
「やっぱり、本当に見る風景はいいものね」
「いつも、気になっておりましたが、なぜ、まず空をご覧になるのですか?」
「上を向いているとね。涙がこぼれ落ちないのよ」
「申し訳ございません。無神経なことを聞いてしまいました」
「ううん、全然、気にしてなんかいないわ。だけど、あと半年もすれば、私も十五歳、いよいよ、だと思うとね。少し弱気になるの」
ロゼはブラッディローズと呼ばれ恐れられているといったが、実は、もうひとつ、とてもひどい蔑称がある。SLUT、姦婦という意味のスラングだが、心無い男どもは彼女を評し「種をくれる男なら誰にでも股を開きやり殺す淫婦」などと噂する。
ロゼはこの国の抑止力、核兵器のような存在だと説明した。すなわち、国益を考えれば、彼女の命が尽きる前に、次の「兵器」を生産しておく必要がある。彼女は十五歳の誕生日が来ると、子、それも魔力を持つ女子を産むまで、見知らぬ男と交わることを強要される。
ロゼはその呪われた力故、犯されれば、知らず魔法が暴発し、強姦者を砂に変え殺す。よって彼女の「相手」は、死刑囚から選抜されることになっている。媚薬により獣と化した、好きでもない男と交わる。年端も行かない乙女、いや、すべての女性とって、耐え難い拷問だろう。
ロゼの母は、十人の男を殺して女の子を産んだが、ついに心を病み、死に至ったのだという。だからロゼは母の顔すら知らない。
里井雪、全年齢向け異世界物長編、第五作です。今回はTSや転生要素を敢えて排除し、純粋なエピックファンタジーとしました。
「ハヤカワFT」が好き過ぎて、自分で異世界物を描くようになった私ですが、元々、三人称、かつ、小難しい文体で書いていました。ただ、コレ、「なろう」に合わない……。一人称は、少しでも文体を柔らかくする工夫でもあったのです。
ですので、今回は原点回帰です。さらに、最近、朗読劇脚本のお仕事があって、気になってきたシェイクスピア風の悲劇。ウケる要素を捨てても、自分の書きたいモノなのです。
蛇足ながら、イエスの誕生日は聖書にも記載がなく、十二月二十五日ではなかったようですが、異世界に伝わった伝承ですので、そのあたりが曖昧になっているということで、ご勘弁を。
毎日21時リリースで3月18日まで。例によって完結まで書いてからアップロードしておりますので、(手違いがなければw)決して「落とす」ことはありません。よろしかったら、毎日五分だけ、お付き合いくださいませ。