分かたれた道
例えば。
三年前、ゾラッタの街でクラエスからチームを追放された後、セルジュ達と出会わなければ。
そうなればコレットはどこへ行くにしても困っていたのは確かだ。
他の、もう少し魔物が弱い地方へ行くにしてもそっちへ行く冒険者に連れていってもらわなければコレット一人で行こうにもそれはかなりの危険を伴う。下手をすれば辿り着く前に魔物にやられていてもおかしくはなかった。
行くための手段がなかったのであれば、コレットはきっとどうにかしてゾラッタで仕事を探しただろう。コレット一人では冒険者として活動できるはずもないし、ましてや戦えるわけでもない冒険者を新たに仲間に入れてあげよう、なんていう冒険者チームがそうそうあるはずもない。
そうなればコレットは安い賃金であってもどうにか働いてゾラッタで生活するしかなかったはずなのだ。
実際はそんな事にならなかったけれど、もしそうなっていたとして。
日々の暮らしはギリギリで、どこかに行こうにもどこへも行けない状態で、そんな中でクラエスが戻って来てコレットにそう言ってくれたのであれば。
コレットはきっとその言葉に飛びついた。
その後でまたチームから追い出されるかもしれない、と思う事はあったかもしれないけれど、それでも現状をどうにかしたいというその目先の欲望だけでクラエスの誘いに乗ったには違いないのだ。
だが実際は運良くセルジュ達のチームに入れてもらう事ができた。
戦えないコレットが負い目も引け目も感じる事なく、それでいてチームから出て行って欲しいと言われる事もない。コレットは戦えないけれど、それでも他の部分で活躍できる。役割がはっきりしているので、戦えなくともコレットは今のチームでお荷物だと思う事はなかった。
けれど、もしクラエスの言葉に飛びついていたのであれば。
きっとそんな風に思えはしなかっただろう。
それどころか以前以上に卑屈になっていた可能性だってある。
もしそうなっていたら、というのは今だから思える事だ。
そして今となってはそんな誘いに乗るはずもない。
「お断りします」
だからこそその言葉はコレットが思う以上にするっと出た。
きっと以前なら、そんな風にクラエスの意見に反対するような事中々言えなかっただろう。言うにしても、それはきっと勇気を沢山使ったに違いない。
そしてクラエスは断られるなんて思っていなかったのだろう。
どうして……なんて小さな呟きが漏れた。
「どうしても何も、むしろどうして今更、とこっちが言いたいくらいです」
もしかしてクラエスはそんな事を言うためにわざわざ私を探してここまで来たのだろうか……? なんて思ったけれど、流石にそれはないだろうと思い直す。
何がどうしてこんなところにいるのかはわからないけれど、スランプであるなら下手に魔物が強い所にいるよりは一人であっても対処できそうなところに移動した方がいい。そうして移動した先でかつての仲間を見つけて、そんな血迷った事を言ったに違いない。
「それに私、今のチームから出るつもりないので」
本当なら戦えるわけでもないのだから、冒険者である事をやめてどこか小さな村でひっそり生活するべきだったのかもしれない。本来ならば、そうするべきだった。
けれども。
彼らは自分を必要としてくれている。
ならば自分もそれに精一杯応えよう、そう決めたのだ。
「そ……そういえば、新しいチームに入ったって……」
「はい。クラエスと別れた後有難い事にすぐに」
そう告げるコレットに他意はない。ただの事実として述べたに過ぎない。
だがクラエスにとってはそれもまた衝撃だった。
だって、コレットは戦えない。戦ったとしてもそこまで強いわけでもない。だから次に新しい仲間ができるなんてクラエスは思っていなかった。
「そんな……だってコレット、きみはそんな強くも」
信じられない、というような言い方をされてコレットだって何も思わなかったわけではない。
わかっている。強くない事は。
けれどもやはり面と向かって言われると思う事がないわけじゃないのだ。
強くない。
それをわかっていて、ゾラッタでチームから除名した。
クラエスだって馬鹿ではない。じゃあ、そうなったコレットがその後どうなるかなんて、想像できなかったはずもないだろう。
「だから言ったじゃないですか。大事にしないといけませんよって」
その声はコレットの背後からかけられた。咄嗟に振り返ったコレットの視界には、セルジュとユーシスがいる。少し離れた所にはルグノアとアッシュもいた。買い物から戻ってくるのが遅かったから、探しに来ました、という感じではない。
コレットが持つ荷物に気付いたユーシスがそっと近づいてかわりに持ってくれた。
思った以上に重くなっていたので助かった、腕にきていた重さがなくなった事でコレットはホッと安堵の息を吐いた。
「そんなまさか……コレットを仲間に引き入れたチームっていうのは、じゃあ……」
「えぇそうです。僕たち全員一致で彼女を勧誘しました。それが何か?」
にこ、と人当たりの良い笑みを浮かべるセルジュではあったが、クラエスは驚いたように一歩、後ろへと下がる。コレットは気付かなかったがクラエスは気付いてしまった。
セルジュは笑っているものの、その目は全く笑っていない事に。
「悪いけど、こいつもう俺らの大切な仲間なんで。そう簡単に引き抜かれると困るんだわ。帰ってくんない?」
ずかずかとアッシュが近づいて、コレットの肩を抱く。仲間に誘われてからの三年、彼はコレットに関してやたらと距離が近かった。今でも思い出したように嫁にこないか? なんて言ってるけれど、三年前に比べればコレットもそれに慣れてしまって今では顔を赤らめて恥じらう事もない。
けれども、大切な仲間、という言葉は嬉しかったのでかすかにではあるがコレットは口元に笑みを浮かべた。
「あ……」
それを見たクラエスがどう思ったのかまではわからない。けれども何かを勘違いしたのは確かだ。
まるで自分が捨てられたような目をしてコレットを見るが、コレットはクラエスがどうしてそんな表情を浮かべたのか、まるで理解できなかった。
見知らぬ他人を見るような目を向けられている事に耐えられなくなったのか、クラエスは勢いよく踵を返して立ち去っていく。
そうしてその背が完全に見えなくなってから、セルジュは「やれやれ……」と吐息を吐き出すように小さく呻いた。
「コレット」
「はい」
「買い物はもう終わりですか?」
「あ、はい。これで全部です」
「そうですか。それでは、帰りましょうか」
「そうですね」
クラエスに向けていたのとは違う微笑み。セルジュだけではなくユーシスやルグノア、アッシュもまた穏やかに微笑んで、そうして今現在彼らが借りている家へと帰るべく歩き出す。
穏やかに、和やかに他愛のない話がされていく。
その会話にコレットも混ざり、些細な事で笑い合う。
そうして拠点へと辿り着いたころには、コレットの中ではすっかりクラエスと出会った事なんてどうでもよい事になっていた。
「――三年か。思ってたより早かったね」
「わざわざこっちに引き返してきた、ってあたり頑張ったよな」
夕食を済ませた後は大体寝るまで、それぞれが自由時間を好きに過ごす。
勿論外を移動して野宿する流れであったり、ダンジョンの中であったりすればそんなわけにもいかないが、拠点という安全地帯にいる間は基本そうであった。
夕食を済ませた後、コレットは片づけをした後今は風呂に入っている。
現在セルジュ達が借り受けている拠点はそれぞれ個室があるし、風呂に至っては少しばかり大きめのものがあるところを選んだ。
最近入手した花の香りの入浴剤がコレットのお気に入りで、だからこそしばらくは出てこないだろう。
それを知っているからこそ、セルジュ達は一つの部屋に集まっていた。
別にいつもこうして集まるわけでもない。
次にどこのダンジョンを攻略するか、だとかそういった作戦会議のような事をする事は以前からあったけれど、今回の議題は言うまでもなく本日遭遇したクラエスである。
三年前、コレットをチームから追い出した彼がいずれ彼女に戻ってこいという事はセルジュ達にとって想像に容易かった。
コレットが冒険者を続けるのは難しいだろう事は彼女の実力からも、そして彼女自身もよく理解していた。であれば、冒険者などではない普通の生活をさせた方が彼女のためでもある、というのも彼らは理解してはいたのだ。
けれども、もしそうであった場合、彼女にとっての枷はない。
そうなれば今日のようにクラエスが戻って来て、再び冒険者として誘えばコレットは悩んだ末に彼の手を取る可能性があった。それはセルジュ達にとって望むものではない。
セルジュ達がコレットを自分たちのチームに誘ったのは、勿論彼女に仲間になってほしかったというのもあるが、ある意味で保険でもあった。
既に別のチームに所属していれば、今いるチームを抜けてまでクラエスの手を取る可能性は高くない。勿論そうならないように、少しずつ少しずつクラエスに対する印象を下げていったのもある。
そうすれば誘われたとしても、今いる居場所を振りきってまで、とはいかないだろうとも。
結果はセルジュ達の勝利というところか。
三年間、セルジュ達はコレットと仲間としてとてもいい関係を築けてきたと思っている。
いるけれど、それでも万が一という事はあった。
一番いいのはこの中の誰かと結婚でもしてくれる事だったが、生憎コレットは今でもそれを冗談だと思っているのでそちらは中々難しい。
だからこそ彼らは日々地道なアプローチを続けつつも、同時に頼れる仲間であると示してきた。
いつか、冒険者を続けるのが難しくなるような日が来たとしても、冒険者を引退した時点で縁が切れるような事にならない程度には良い関係を築けているという思いはある。
彼らの目論見が台無しになるような展開になるとすれば、コレットがどうしようもないくらいクラエスの事を想っていた場合だろうか。とはいえそうはならなかった。
私にはもうクラエスしかいない、と思うような事になる前にこちら側に引き込めた。
仮に、チームから追放したクラエスがその三日後くらいにコレットの元へ行きやはり共に、と声をかけていたならばコレットも戻っていたかもしれない。けれども実際はそうならなかった。
コレットをチームに引き入れてからすぐにゾラッタの街を離れたのは正解だった。クラエスたちは魔のガルヴァ海峡へ挑んだだろうし、その後戻って来ていかにコレットがクラエスの心を支えていたかに気付いたとしてもこの時点で手遅れだったのだ。
「また来ると思いますか?」
「どうだろうな。でもまぁ、何か上手い事勘違いしてくれたみたいだしそうなれば起死回生の一手でもない限りこないだろ。また来たとして、また同じような目に遭うってわかってるならなおさらな」
「違いない」
セルジュとて別にクラエスの事を脅威とみなしているわけではない。
クラエスはすぐにはコレットの事を諦められないだろうけれど、自分のそばに引き戻せるだけの手段がないのは理解できているだろう。なのにまたこちらにのこのこと姿を現しても、自分が惨めになるだけだ。それくらいは理解しているはず。
そしてセルジュの質問の意図を理解しているアッシュは、あっさりとそう答えた。
ルグノアもそれに同意する。
「とはいえ、あまり周囲をうろつかれるのも面倒だ。近々拠点を変えた方がいいかもしれないな」
ユーシスのその言葉に、誰も否は唱えなかった。
恐らく今の状態でコレットがクラエスの所へ戻ると言う事はないだろう。けれども、あまりにもクラエスがなりふり構わずコレットに縋りつくような事になれば。
もしかしたら絆される可能性はある。いくらチームを追い出した相手とはいえ、クラエスはコレットにとってはかつての仲間で恩人のような存在なのだから。
前ほど彼に対しての好意はないとは思うが、それでも同情や憐憫という感情を抱かないというわけではない。
あまりにも落ちぶれ過ぎたその姿を見て、彼には私しかいない、とか思われるのも面倒だ。
「どうせならどこか旅の途中で死んでくれていれば良かったんですけどね」
ぽつり、と呟かれた言葉は、普段のセルジュからはかけ離れていると思える程に冷たいものだった。
「確かに彼は多少無謀な部分もあったとはいえ、冒険者としては中堅レベル。流石にそんな初心者のような失敗を今更やらかすような事もないだろうな」
それにユーシスがこたえる。
実際セルジュ達がクラエスと出会った時、粗削りな部分はあれど彼は伸びるだろうなと思っていたし実際それなりの実力を身に着けていた。それで増長した部分も勿論あるが、それでも一線を越えてそこで終わるような事もなかった。とはいえ、今までのツケがこうしてやってきた、と言われれば否定できないような状態に陥ってしまったようだけれども。
「今まではどうにかやってきたけど、これからはどうだろうな」
ま、どうでもいい事なんだけどさ。
なんて呟いたスレインの声は、本当にどうでもよいと思っているのだろう。多分明日にはそんな事を呟いたという事すら忘れてそうなくらい、興味も何もないものだった。