狂っていたのは最初から
一時的に行動を同じくする事になった冒険者チームの雑用係が作った食事を口にしたその時、漠然と、
「あぁ、俺この人と結婚するんだろうな」
何の脈絡もなくそう思ったのである。
別段まだマトモに話をしたりしたわけでもないくせに、だ。
アッシュの物心ついた時の記憶は、鎖に繋がれ引きずられているところから始まる。
珍しい種族の血を引いているだとかで、両親共々捕えられたと記憶している。
けれども実際はそんな事もなく。アッシュも両親も、ただ普通の人間だった。
ただ、この地方では使い手の少ない聖属性の魔術が得意というだけだ。
閉鎖的な土地であった。
だからこそ、ちょっと珍しい属性の魔術を使っただけで軽率にそんな思い込みに発展したのだろう。
そして人は異端であると判断した相手には酷く冷徹な行動に出る事ができる。
今まで同じ人間として接していたはずなのに、異種族だと思い込まれた時点でこれだ。
やっぱ人間てロクなもんじゃねーわ。
抵抗した父は見せしめのためか早々に殴り殺された。
貴重な能力を使い潰すつもりなら殺すのは駄目だろうに、なんて幼いなりにアッシュでもわかる事がわからない時点で、話し合いの余地は消える。
母はアッシュを守ろうとして術を発動させようとした結果、首を絞められてその拍子に首が折れて死んだ。
だからさぁ、術者殺してどーすんだって話よ。
と、口に出して言えればよかったが、この時点でアッシュ自身ボロボロだったので喋る気力がなかったのである。自分も術を使えなくはないが、使ったところを見られたわけではない。まだ使えないと思われている。
そして、術を使えた両親は軽率に殺されてしまっている。
頭の足りないこいつらが次にどういう行動に出るかもわからない。馬鹿の考えを想像してもそれがその通りになるかどうかなんてわかるはずがないのだ。頭の悪い奴っていうのはこっちの想像を簡単に悪い方に裏切るものなのだから。
珍しい種族だと思われて、しかも早々に両親を殺した時点で残るのはアッシュだけ。
利用するにしても何をするにしても、殺した時点で意味がなくなる。
でもこいつら馬鹿だからな。自分だけ残ったけど死なない可能性はゼロじゃないんだよな……なんて思いながらも抵抗できる状態でもないので鎖に繋がれたまま檻の中にぶち込まれた。
アッシュはまだこどもで、だからこそ術を覚える前だと思い込まれていたのだろう。
けれどいずれ使えるようになるはずだとも思われているからか、扱いはそこそこ丁重な方だったと思われる。堅牢というほどでもない檻の中に入れて残飯みたいな餌を与えるのが丁重かと言われれば首を傾げるが。
多分、売られるんだろうなと思った。
金と変わるか、物と変わるかまではわからないけれど、まぁ、ここの連中の生活を潤すための何かと交換されるだろう事はわかる。下手に術を使おうとして母のように首を絞められるのはごめんだったので、アッシュは捕えられてから一言も喋らなかった。
それでも、希少な種族の血を引いている、という売り文句は効果があったのだろう。とはいえこうも簡単に上っ面に騙されるやつがあるか、とも思っていたが。
当時から思っていたけれど、アッシュを捕えていたのがいかんせんド田舎なんてレベルじゃないくらいの所だったので、まぁ、なんだ。
どいつもこいつも頭が悪かったんだな、としか言いようがない。
売られた先でどういう扱いをされるかはわからないが、まぁこんな未開の土地みたいなところの集落で生活してる馬鹿な原住民と関わるような相手だ。
同レベルかもしくはこいつらから上手い具合に色々搾取しようとしている奴らか。
どっちにしてもアッシュにとって変わりはない。
見世物にされるか、能力を見込まれて奴隷のように使い潰されるか。
希少な種族というのを前面に押し出すのなら、見世物の方が濃厚だ。下手をすれば何らかの象徴とされる可能性もある。その場合は命の保証もない。
希少な種族のご神体、なんて実際どうかは知らなくともご利益がありそうな響きではないか。
生きたい、と渇望する程の気力もなければ、逝きたい、と思う程の絶望もない。
どうでもよかった。親の仇を討とうなんて思う事もないくらい、何もかもがどうでもよかった。
アッシュを捕らえた連中からすれば、さぞ扱いやすい事だっただろう。反抗しない。大人しく捕まっている。
助けてほしいだなんて祈るような事もなく。
いずれ来るだろう日をアッシュは無感動に待っていただけだ。
神がいるかどうかはわからない。
けれどいたとして、アッシュを憐れんだかどうかはわからない――が、異変は唐突だった。
集落に魔物がやってきた。それも、今まで見た事のないような大きな魔物だ。
たった一体だけではあったけれど、そいつは今まで集落の人間が追い払っていたような相手とは比べ物にならないくらい強いらしく、人間たちはいとも簡単に呆気なくその命を散らしていった。
逃げようとした人間は容赦なく追いかけられてすぐさま追いつかれ、そこで殺されていく。
集落はあっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
何かの拍子に火が上がったらしく、木で作られた家は簡単に燃えていき、あっという間に燃え広がっていく。そうしてその魔物はとうとうアッシュがいるところへやってきた。
檻は木製。壊そうと思えば簡単に壊れると思う。この魔物なら簡単に檻ごとアッシュを叩き潰してしまえるかもしれない。そうなったとしてもどうでもいい、とこの期に及んでアッシュは思っていたからこそ、感情を揺らす事なくその魔物を檻の中から見ていた。
もれなく数秒後には死んでるんだろうな、なんて思っていたのだが、そこに一人の男が飛び込んできた。
「なぁ、なぁっ、お前なんか凄い種族なんだろ? だったら! だったらこの魔物どうにかしてくれよ!」
男はその手に檻の鍵を持っていた。どうせもうこの集落は手遅れだとは思うけれど、それでも全滅は回避したいのだろう。倒したところで燃え盛る集落が何事もなく復活するはずもないのに。
鍵を開けるだけならすぐにできそうだが、すぐ近くに魔物がいるという事で自分がいつ狙われるかもわからない、という状況だ。緊張で手が震えて上手く動かせないのか、男が鍵を開けようとしてもそう簡単に開く気配がしなかった。
そうこうしているうちに、魔物は巨大な腕を振り上げて――こちらを叩き潰すべく振り下ろしてきた。
咄嗟にアッシュが障壁魔術を展開させて攻撃を防いだのは、ここに来て生存本能が仕事をしたからとかではない。男を庇うつもりもなかった。
「ひっ……あ、あれ……?」
危うくぺしゃんこに潰されるだろうと思っていたはずの一撃が止められている事で、男はアッシュを見た。その目には希望の輝きが宿っている。助かった――!! 声に出してこそいないが、確かにその目はそう言っていた。
「なぁ、命乞いしてみろよ」
「は……?」
「命乞いだよ命乞い。聞こえなかったか?」
「命乞いったって……助けてくれよ、このままじゃ皆死んじまう!」
「そういうんじゃなくて」
「どういうのだよ!? そんな場合じゃないだろ! 今あいつの攻撃防いでるのはわかるけど、これだっていつまでもそうってわけじゃないんだろ!?」
「……つまんねー男。他の連中はどうでもいいから自分だけでも助けてくれ、とか言えばまだしも」
吐き捨てるようなアッシュの言葉に男は何を言われたのかわからないとばかりに絶句した。
「ま、いいや。期待外れってのはよくわかった」
「え――?」
とん、と男は予想外の衝撃に咄嗟にそれを回避する事も、その場に踏みとどまる事もできずに数歩後ろへよろめいた。檻から伸ばされた腕が自分を突き飛ばしたのだ、と理解できたかはわからないが直後――
ぐちゃ。
障壁が解除されたため、魔物の腕はそのまま地面に叩きつけられる。そこにいた男もろとも。
「馬鹿だよな。なんで助けてもらえると思ってるんだか」
もし本当に助けてもらえると思っていたなら相当に頭が悪い。
アッシュは男の顔を覚えていた。
母の首をへし折った男だ。それで何故助けてもらえるなどと思ったのだろう。勘違いするにしても、アッシュの言動で誤解するような事があったはずもない。だってアッシュは今までずっと喋る事すらしなかったのだから。
とはいえ魔物をこのままにしておくのも何となく目障りだし、と思い光の刃を術で出すとそのまま魔物を刺し貫く。
別に死んでも良かったけれど、こんな馬鹿と一緒の場所で死ぬのはどうかと思ったので、ここで死ぬのは無い。
「もっとこう、憐れみを感じるレベルで、同情するしかないくらい最高に憐れな命乞いでもすれば助かったかもしれないのにな」
既に潰れて物言わぬ死体となってしまった男に向けてのたまう。その後の事はなんて事はない。男が持っていた鍵は離れた場所にすっ飛んでいってしまったけれど、術で檻を破壊してそのまま出た。
そうだ。出ようと思えばいつでも出られたし、殺そうと思えばいつでも殺せた。
ただ、それだけの話だったのだ。
けほ、と久々に喋ったからか喉が張り付く感覚に見舞われて小さく咳き込む。
集落を燃やしている火の回りも早い。ここにいても意味がない。そう判断するとアッシュは軽く首を回した後、まだそこまで火が回っていない方角へ向かって歩き出した。
――結局のところ、集落での生存者はいなかった。
いや、まだ生きていた者はいたけれどそれらは全てアッシュがとどめを刺してきた。こいつらの商売相手が誰かまではわからないが、ここが滅んだ時点でアッシュの事も死んだと思うだろう。
今まで着ていたものはすっかりボロボロだったので、まだかろうじて無事だった家から適当に服を頂いてアッシュはその足で集落だった場所を後にする。
その後の事は特に考えてはいないけれど、どこか適当な人里で紛れて暮らすにもよそ者が馴染めるまでにかかる時間というのは案外ある。それならば、最初から定住しない方がマシで、であれば幼い頃に父から聞かされた冒険者となるべきだろう。
アッシュが冒険者になった理由なんてその程度で、その後たまたま出会ったセルジュ達と行動をする事になったのも成り行き程度のものではあったけれど。
彼らがコレットに執着しているのはなんとなく感じ取れた。アッシュがそう理解した時点でまだ無意識の奴もいたけれど、彼女は将来自分の妻になる相手だ。横から掻っ攫われるのも面白くない。
いや、どうしてもコレットが他の奴らを選ぶというのであれば、その時は祝福しようと思ってはいる。とはいえその結婚生活が長く続くかは知った事ではないが。最後に自分を選んでくれればそれでいい。
ただ、最後まで選んでもらえない場合は周囲に誰もいなくなるのでできれば早めに選んで欲しいところではあるけれど。
他の奴らは既に遠い故郷の面影だとか家族の幻影だとかを感じ取ったようではあるけれど、アッシュに限ってはコレットに対してそういうものを感じ取ったわけではなかった。
ただ漠然と、彼女が自分の伴侶であると感じ取っただけだ。
恐らくこの感覚を他の誰に言っても理解はされないだろう。こういった感覚は昔からアッシュに存在していたけれど、両親にはなかったようだし。家族であっても理解されなかったものが、他人に理解されるとは思っていない。
正直な話、今の今まで自分のものであるコレットを我が物顔で扱っていたクラエスに対して思う所はそれこそ沢山ある。けれどもコレットは既にこちら側。あいつの元に戻る事もない。未練がましく周囲をうろつく事はあるかもしれないが、出来る事なんてその程度だ。であれば、わざわざアッシュ自ら排除に動く必要もない。
以前コレットの所に現れたらしい話は聞いていた。その後拠点を変えたにも関わらずまたこうして目の前に現れた事は少しばかり鬱陶しいなと思わないでもないが、その隣にはクラエスの周囲をハエのように纏わりついていたレネティアとかいう女もいる。
例えばクラエスがコレットに告白でもすれば、もしかしたら多少は心が揺らいだかもしれない。けれどもそれはお互いの隣に誰もいない事が前提だ。
女連れでやって来た時点でそれも途絶えた。
大丈夫、だとは思う。
思うのだけれどそれでも万が一という事がある。
だからだろうか、思わずアッシュはコレットの手をそっと握っていた。それは迷子の子供が母親に縋るようなものだったかもしれない。
けれども。
コレットがしっかりとその手を握り返してくれたから。
であればアッシュが心配する事なんて何一つなかったのである。