重要度の違う真相
あの後当たり障りない会話をして切り上げて、コレットは家に戻ってきた。
そうして買ってきた小麦粉をキッチンにしまい込んで、そのまま夕飯の支度へと移る。
レネティアは別れる直前に、スープはともかくラタトゥイユの方は……? なんて聞いてきていたが、コレットはそれもその時のありあわせの材料で作っているとだけ答えた。
その言葉に何だかまるで絶望でもしたようにレネティアの表情が歪んだけれど、コレットはそれに気づかない振りをして帰ってきたのだ。
レネティアと遭遇したのは偶然だろうと思っている。
どうしてクラエスたちのチームが解散してしまったのか、詳しくは話してくれなかったけれどそれでも何となく、ふんわり程度に想像はできた。
以前のコレットなら気付かなかったかもしれない。けれども今のコレットは薄々でも気付けるようになっていた。こういうのも成長っていうのかな……なんて思いながらも野菜を洗って皮を剥く。
思えばかつての自分は戦えなかった事もあって、雑用だけは張り切ってやっていた。
料理なんかは特に力を入れてやっていたくらいだ。
仲間たちの話を聞いて、故郷の料理だとかの話が出た時にはそれらをしっかりと覚えて、どうにか故郷の味を再現できないかと試行錯誤した事もある。
クラエスは故郷がどうだとか言わなかったけれど、それでもいくつかの家庭でよく出されるような料理が出た時にはいつもよりも多く食べていたし、あぁ、こういうのが好きなんだな、とコレットはそれらを心のメモにしっかりと留めていた。
自分の居場所をくれた相手だ。
そんな彼が食べて美味しいと思うものを覚えておくのは当然だとあの頃の自分は思っていた。
他の仲間たちの味の好みもなるべく早い段階で把握できるように、食事の時はコレットも注意深く仲間たちを観察していた。美味しい? って聞けば済む話かもしれない。けれども、そう聞かれたらよほど不味い物以外は美味しいと返されてそこで終わるかもしれないと思ったから。
だからコレットは様子をじっと、自分も食事に集中してますというのを装って観察していた。
戦えるわけじゃないコレットが注意深く観察したところで、もしかしたら気付かれたかもしれない。けれど、殺気も敵意もあるわけじゃない。だからこそ、仲間たちはコレットが様子を窺っている事に気付いたとして、特にそれを問題視しなかっただけだろう。
しかしそうか、チームは解散したのか。
メリダはどうしているだろうか。元気にやっているといいんだけど。
昔のコレットならクラエスの事を第一に考えていたかもしれないけれど、今のコレットが気に掛けるべき部分はそれくらいだった。
メリダはあまり口数が多い方じゃなかったけれど、それでも自分の次に長い事あのチームにいた。他の仲間たちはコレットが戦えないからと他の雑事を任せてきたけれど、メリダはどちらかというとそんなコレットに更に用事を押し付けるのではなくむしろ手伝ってくれる人だった。
勿論大っぴらにやるとコレットに更に面倒なあれこれを押し付けられるかもしれないと考えてか、人の目の無い時だけではあったけれど、それでもコレットにとっては助かっていたのだ。
あのチームにいた時、一番はクラエスだったけれど、それでもメリダが美味しいって言ってくれた料理はちょくちょく出していた。面と向かって反応はしなかったけれど、例えば夜宿でそろそろ寝ようかと思って部屋に戻る時だとかにすれ違いざまに伝えてくれたり、以前作った料理を作った時に、前にも出たけどこれ好き、なんて伝えてくれたりして、そういう意味では作り甲斐のある相手だった。
クラエスはあまり言葉に出して伝えてくれなかったけれど、それでも見ていればどういうのが好きか、というのは何となくわかった。でも、またこれが食べたいだとか面と向かってリクエストしてくれたことはないので、そういう意味では以前作ったやつをまた作って出した時に、またこれか、みたいな反応をされるんじゃないかと思ってあまり頻繁に同じメニューは出せなかった。
けれどメリダは。
口数こそ少ないけれど、皆で食べてる時でも美味しい、という感情は出していたので前にも出たなこれ、と他の仲間が反応していてもメリダが普段あまり顔に出さないのにこういう時だけは少しだけ態度に出るから。
今にして思えば、もっとメリダの好物を出すべきだった。
言葉少なではあったけれど、でもそれでも態度はわかりやすかった。もっと、美味しいものを一杯作ってあげたかった。
あのチームから追放された後でも、また作ってあげたいと思えるのはメリダくらいだ。
クラエスと再会した時、あまり食べていないのではないか、と思える見た目になっていた。
けれども、だからといってじゃあ自分が彼のために料理を作ろうとは思わなかった。
そしてレネティア。
彼女もまた、あの時のスープを再現したいと目が訴えていた。
そういえば彼女と以前少し話をした時に、故郷ではよく作られるスープなのだと語っていた。けれども一般的に出回ってるメニューとは違って、母の作ったやつは少し違っていて、とか言ってたし、その時それっぽい材料がいくつかあったのもあって、じゃあちょっと試しに作ってみるかと思って実行したのは覚えている。
そう、覚えているのだ。
あの時作ったレシピも。
けれども。
教えよう、という気にはならなくて。それどころかあまり関わりたいとも思わなくて。
だからこそ、覚えていないなんて言ってしまった。
コレットにとってレネティアは精々顔見知り程度の相手だ。その相手のために自分の時間を費やしてまで……とは思えなかった。確かに彼女はよく道中一緒になっていたけれど、レネティアが会話をしていた相手はほぼクラエスだ。コレットやメリダと話をした事もないわけじゃないが、それだって最初の頃に少しだけ。あの時は気付けなかったけれど、今にして思えばあれは何かを探っていたのではないかと思える。
別れる前にラタトゥイユの作り方まで聞いてきたくらいだ。
当時は全く気付けなかったけれど、今ならわかる。
レネティアは、クラエスの事が好きで彼のために作ろうと思ったのだろう。
チームが解散してしまったとはいえ、クラエスもレネティアも今は同じ大陸にいるわけだし、もしかしたら近々レネティアがクラエスを発見すれば再度冒険者としてやり直そうと仲間に誘う可能性は高い。
そんな風に考えてもコレットはそれ以上何を思うでもなかった。
以前の自分ならどう思っただろう、と考えてみても、今の自分にはすっかりわからなくなってしまっていたのだ。以前なら、もしかしたら、きっと……そんな風に考えてみてもどうにもしっくりこない。何せ今では完全に他人事。どうでもいい事になってしまったものだ。
またそれなりに気の合いそうな仲間でも見つけて、頑張ればいいんじゃないかな。
思い浮かぶのは、それくらいだった。
レネティアが詳しく話さなかったのでコレットは知る由もない。
チームが解散する原因はコレットにあったのだと。
彼女の料理のいくつかは、それぞれの仲間にとって故郷の懐かしい味であったりはたまたもう作ってくれる人がいない、もう二度と食べる事はないと思っていたものであったりと様々ではあるが、確実に心の琴線に触れるものであった。別段特別凝ったものではない。普段食べてるような、何の変哲もない家庭料理と言ってしまえばそれまでだ。
けれども、自分で作ってみればどうにもあの味にならないし、ましてやお店で出された物を食べたとして求めてた味とは異なる。
他の仲間たちが早々にクラエスのチームから離脱したのは、クラエスと共にいると嫌でもコレットの事を思い出してしまうからだ。
けれどももう彼女はこのチームには存在しない。
そうなれば、嫌でもコレットの事を思い出してしまうクラエスと共にいるよりも、彼から離れてどこか遠い地でやっていく方がまだ諦めがつく。
コレットが気付く事はない。
他の仲間たちはそうやってまだ心に折り合いがつけられるけれど、クラエスとレネティアだけはそうならないという事実を。
クラエスはコレットを追い求め、けれどもう二度と仲間になる事がないという事実を認めるほかない。セルジュ達が手放す事がないとクラエスは嫌でも理解するしかないし、既にセルジュ達とも良好な関係を築いているコレットが今またクラエスの所へ戻る事はどう足掻いてもあり得ない。
クラエスがすっぱりとコレットの事を諦めるまでは……彼は呪縛に囚われたままだろう。
そしてレネティアも。
彼女がクラエスの事を諦めない限り、コレットの影はついて回る。彼女がどれだけ腕によりをかけて料理を作っても、コレットが作ったものと同じ味にならない限り、思ってた味と何か違う……という思いは消えないのだ。
そんな呪いめいたものがぐるぐる巻き付いていることなんて、コレットには知る由もない。
仮に知ったとしても、今のコレットが何を思うでもない事は言うまでもないのだが。
材料を切って鍋に入れてかき混ぜる。スープを作りながら、コレットは何となくレネティアの事を思い返していた。
思えばあのスープ、確かレネティアの故郷でよく作られていたガスパチョだとか言っていた。
けれども本来のガスパチョは飲むサラダと言われていたし、それを思うとレネティアの母が作ったやつは本来のものとは違い大分アレンジが効いていたように思う。
そう、確かあの時、イチゴだとかラズベリーだとかをもらってしまって、けどデザートとして出すには皆で食べるには少なくて。
だから、ちょっとスープに使ってみようと思ったのが発端だったんだったか……
とはいえそれだけでは微妙な感じがして、たまたま残り少なかったヨーグルトを隠し味として入れてそれから……そうだ、使い道がなさ過ぎて困っていたバルサミコ酢を少量、ちょっとした出来心で入れてみたのだ。それで逆に美味しくなくなったとしても、まぁトマトとか他の野菜をもうちょっと足せばどうにかなると信じて。
けれどもコレットの不安をよそに、何か美味しく出来上がってしまった。
あれがレネティアの亡き母の味であるならば、彼女の母は随分とお茶目というかパンチの効いた人というか……ともあれ、あの様子じゃレネティアがあの味を再現するまでにはかなりの試行錯誤が必要となるだろう。
そう考えると少しばかり気の毒だなと思わなくもないのだ。けれど、だからといって教えようとも思えなかった。
相手がメリダであったなら、きっと自分は教えていたに違いない。
でもレネティアはメリダではない。
コレットの中でメリダ程大切な相手でもないのだレネティアは。
だからこそ、クラエスのために作りたいと彼の好物であるラタトゥイユのレシピを聞いてきた時も教えなかった。もし以前の自分なら、これくらいしか取り柄のないと思っていた料理のレシピまで教えてしまえば自分の存在価値がなくなるかもしれない、と思ったかもしれない。
そうだとしたら果たしてあの時であってもレネティアにレシピを教えただろうか。
……何だかんだ結局押し切られて教えていたかもしれない。
けれど今は。
別にレネティアがクラエスとくっつこうとどうなろうとどうでもいい。
本心からそう思っている。
けれど、自分がくっつける手伝いをしようとまでは思わなかった。
どちらにしてもだ。
クラエスが好んで食べていたラタトゥイユだって別に特別凝った何かをしたわけじゃない。
ただ、トマトそのものはどの大陸でも容易に入手できる食材だけど、大陸ごとに若干味が異なって、そのまま使うと出来上がりの味が微妙に違ってくるから。
だから、コレットは宿の台所などを借りて事前にトマトソースを作っていた。生産元で味が異なるトマトであっても、ソースとして加工してしまえばある程度味を寄せる事はできる。
そもそもトマトは煮るとビックリするくらい水分が出る。むしろトマトは液体だった……? とか言いたくなるくらいに水になる。
最終的にトマトは原型をとどめる事なく液体へと変化してしまう。
スープにする時ならともかく、そうじゃない時は流石にちょっと困ってしまう。
だからこそ、トマトではなくソースにして余計な水分を飛ばしたのだ。
トマトのまま火にかけて水分を飛ばすまで煮詰めるとなると、結構な時間もかかるし下手すると別の料理になりかねない。だからこそコレットはトマトソースを作ってそれを使っていただけだ。
他の料理の時にもトマトソースなら応用がきくので重宝していただけの話だ。
保存魔法のかかった容器に入れておけば、長期保存も問題ないわけだし。
思えばチームから追放された時、荷物の大半も置いてきたようなものだけどそういえばトマトソースだとかは使い切ってしまっていた。
近々作り置きしないとな、って感じでトマトがいくつかあったとは思うけれど……それを見たからといってトマトソースにしようなんてクラエスたちは思いもしないだろう。
他の料理だって大体そんな感じで。
ちょっと足りない材料を別の何かで補っただけ、とかそんなんばかりだ。
だからこそ、再現しようと思えばできないわけじゃない。ただ、そこに思い至る切っ掛けがないと難しいかもしれないだけで。
ほんの少しだけ教えなかった事に罪悪感がないわけでもなかったけれど。
けれども別に世界で自分だけが知っている秘密の知識だとかそういうものではない。自分以外にも知ってる人はいるかもしれないし、気付こうと思えば案外簡単に気付ける事かもしれない。
そんな、ちょっと不確かなもの。
それに。
コレットも昔、母が作ってくれた料理で再現したい物があるけれど、未だできていないのだ。
もし自分の再現したいものをレネティアが知っていたなら等価交換で教える事もやぶさかではないけれど……まぁ無いだろうなとすぐさま思い直す。
自分が母の料理を再現できるのが先か、それともレネティアが再現できるのが先か。
どちらが先にできたとしても、だから何だという話だ。
それがレネティアにとっては今割と重要なものであったとしても。
コレットにとってはその程度の話なのである。




