勧誘キャンセル
船が駄目になってしまった以上、改めてまた挑戦しよう、とはならなかった。
まず船を直すにしても金がかかりすぎる。直すだけでは駄目だ、と思ってしまったのも大きい。
更にいい船を用意しなければ、あの海峡を越えるなんて夢のまた夢だろう。
命こそあったけれど、装備などは大半が駄目になってしまった。
それもあって、まずはダンジョンでどうにか駄目になった分の資金を回収しようとなったわけだが。
チームの解散は思った以上に早く訪れた。
まずある日ふらりとメリダが消えた。
行方不明というよりは書置きを残していったので普通に抜けただけではあるが、彼女が抜けたのは大きい。コレットのように戦えないというわけではない人物がいなくなれば、その分空いてしまった穴はどうしたって大きくもなる。それでなくとも斥候やら遠距離から敵を射抜き落すその技術はクラエスのチームにとってなくてはならないものになってしまっていた。
そんな彼女が突然いなくなったことで、今まで狩場として足を運んでいたダンジョンで同じように稼ぐとなると途端に厳しくなってしまったのだ。
しかも書置きの内容が酷い。
ご飯が美味しくないので抜けます。
たったこれだけが記されていた。
酷いとしか言いようがない。
コレットが抜けた後の食事は、別段酷いとまではいかなかったはずだ。
他の仲間たちと協力して作る事もあったし、レネティアが一人で作る事もあった。
そのいずれも不味くはなかったと言える。
言えるのだけれど、けれどもメリダはこれじゃないと言いそうな顔で食べていた事を思い出す。
そしてそれは、クラエスにも似たような事が言えた。今までがコレットの作る料理だったので、そりゃあ違うのは仕方がないとは思う。
けれどもそれ以外の――町の食堂などで食べていた時も、なんというかコレジャナイ感があったのは事実だ。
不味いわけじゃない。むしろ美味しいお店だって確かに存在した。けれど、ふとした瞬間に。
これじゃない。
そう思うようになってしまった。
チームに歯車があったとするなら、この辺りから徐々に狂い始めてしまったのかもしれない。明確な何かがあったわけじゃない。けれどもチームの面々は日を重ねるごとによそよそしいと言うべきか、何とも言えない雰囲気が漂っていて、こんなんじゃダンジョンも以前と同じ場所に行くわけにもいかない。それでなくともメリダの抜けた穴を埋めてすらいないのだ。
新たな仲間を入れるにしても、けれどもこちらがこんな空気では、上手くいくものもいかないだろうと思えてしまう。実際そういう空気を感じ取ったのか、新たに誘った相手にはうまく躱されてしまった。
今まで行っていたダンジョンよりは稼ぎも少なくなるけれど、難易度の低い所へ行こうとなったのは仕方がないとはいえある意味で当然の流れだった。今までと同じダンジョンに行っても下手をすれば今度は命を落とす可能性が高くなるのだ。流石にそこまでの無茶はできない。
そうして更に数日が経過したあたりで、別の仲間がチームを抜けたいと言い出した。
故郷に帰ろうと思うんだよねぇ……
そんな事を言って。
冒険者になって一旗揚げて一獲千金、なんてあわよくばを夢見てたけどそろそろ現実見なきゃなって思ってさ……なんて事を言っていたが、本心がどうかまではレネティアにわかるはずもない。
古参でもあったコレットやメリダがいなくなった事で、クラエス争奪戦は楽になったはずなのだ。けれども、それどころではなくなってしまった。
クラエスの実力はまだ健在で、だからこそもう少しして建て直せば何も問題はないと思えていた。いたけれど……そこまで共にいるつもりはない、と思ったのか、一人が抜けた後でもう一人も抜けてしまった。
そうなれば残されたのはクラエスとレネティアと、あと一人。
たった三人ではダンジョンに行くにしても行ける場所なんて相当限られてしまう。
その事実に気付いたからか、それとも怖気づいたのかはわからないが、もう一人も後を追うように抜けると言っていなくなってしまった。
こうして残されたのはクラエスとレネティアだけとなってしまった。
ある意味で、望んでいた展開かもしれない。
けれど、この状況で二人きりで、どうしろというのか。
余計な邪魔者はいない。けれど冒険者として活動するにはたった二人では厳しいものがある。
いくらクラエスに実力があっても、レネティアが優秀であっても。
とはいえ、今のうちにクラエスの心を自分に向けるにはいい機会だ。
そう思ったレネティアは新しい仲間に関しては後から考える事にして、今はとにかくクラエスとの二人きりの生活を楽しもうと思った。
そんなある日、立ち寄った町でトマトが安く大量に手に入った。
他にも色々な食材を扱っていたその町で、レネティアは宿で客が自由に使える小さな台所を借りて料理を作る事にした。この小さな台所は他の宿でも割とよくあるもので、宿代に食事料金が含まれていない場合、自分たちで作るためによく使われるものでもあった。小さな、とは言われるものの複数名の冒険者が利用しても問題ない程度の規模である事が多い。小さいと言われているのはあくまでも宿本来の、厨房と比べてである。
そこでトマト以外の食材も安く手に入ったので、レネティアはクラエスに何が食べたいかを聞いて、腕によりをかけて作ろうとしたのだ。
クラエスはラタトゥイユが食べたいと言っていたし、トマトはレネティアの故郷でもよく使われる食材だったので、それらを使った料理はレネティアの得意とするものでもあった。
ついでとばかりにレネティアの故郷でよく作られていた、彼女にとってもなじみ深いトマトを使ったスープも作った。
けれど。
お互いが席についていざ食べ始めたものの、食べてすぐに何かが違うと思ってしまった。
クラエスは無意識だったのかもしれないけれど、食べてすぐに小さな溜息を吐いていた。美味しくて出てしまった感嘆のため息とは違う。明らかに期待外れであるというのがにじみ出たものだった。
そしてレネティアも。
良くできたとは思う。
美味しいと、他にこの料理を食べた者がいたなら言ってくれたとは思う。
けれど、それでも。
何かが違うのだ。
ラタトゥイユはクラエスの好物でもあった。一人でいた時にクラエスのチームとかち合うようにしていた時に、何度か野宿する彼らのチームと一緒になって食事をさせてもらった時にも食べた事がある。あの時コレットが作ったラタトゥイユと比べると、明らかに何かが違うのだがそれが何かまでがわからない。
彼らが小さいとはいえダンジョンを攻略した後、町で数日休んでいる時にも冒険者ギルドで別の依頼をこなしたレネティアもまた今日はお休みしてるの、とか言って彼らと休日を楽しんだりもした。その流れで食事を一緒に……なんて事もあったし、その時にコレットはレネティアにトマトのスープを作ってくれたこともあった。
あれと比べると明らかに味が違う。
レネティアが作ったスープは故郷で作られる一般的なレシピのものではあるはずだ。
けれども、幼い頃に彼女の母が作ってくれたやつとは少しばかり違う気がしていた。
だが、コレットが作ったそのスープは。
確かに幼い頃母が作ってくれたものと同じ味がして。
トマト以外に果物を入れたのだろう、とは理解できたものの、何をどれだけ入れているのかまではわからなかった。
あれと比べると自分の作ったガスパチョと呼ばれるスープは、何だか全然違うものに思えてしまって。
これじゃ、ないのよね……
そう思ってしまうと、もうだめだった。
美味しいけどこれじゃない。その思いがずっと付き纏うのだ。
クラエスもそうだったのだろう。
食事中はどちらもずっと無言のままだ。
静かに食べるという点では何もおかしくないけれど、しかしその空気は重く気まずい。
そうしてどちらともなく食べ終わった後は、早々に席を立ち後片付けを済ませさっさと自室にこもってしまった。
その後も似たような事が何度かあった。
レネティアはクラエスと二人きりという望むべき状況であるはずなのに、一向に親しくなる感じがしなかった。無理もない。食事のたびに気まずい空気になるのだから、親しくなるなんてのとは随分と遠い状況だろう。
クラエスは面と向かってレネティアの食事に文句をつけた事はない。食べ終わった後に美味かった、とかごちそうさん、とか小声ではあるが伝えてくれることもあった。けど、望んでいた物とは違ったのだろうというのはレネティアとて言われずとも理解できてしまっていた。
そんな事が何度か続いて、そうしてある日、
「最初から、やり直そうと思う」
そんな書置きを残してクラエスは姿をくらましてしまったのだ。
けれど、そう簡単にクラエスの事を諦められなかった。レネティアはクラエスを探すべく彼の足取りを追った。最初から、その言葉に心当たりがないわけではない。
冒険者になった時。初心を思い出そうとする冒険者がいないわけではないけれど、一から自分を見つめ直すというよりはやり直そうとしている感じがして。
彼にとっての最初とはなんだろう、と考えた結果浮かんだのはコレットだった。
そうだ。思えば仲間が一人、また一人といなくなった根本的な部分は食事だった。
今まで彼のチームの食事を作っていたのはコレットで、その彼女は魔のガルヴァ海峡へ挑む前にチームから脱退させられてしまった。そう仕向けた部分もあるとはいえ、けれどもよく思い返せばクラエスのチームを繋いでいたのはコレットで間違いない。
ここにきてレネティアは己の失態を悟った。
クラエスの近くにいる古参の女。メリダもコレットもそこまで立ちはだかる壁というにはレネティアの邪魔をしてきたわけでもないが、それでもあの二人と比べれば自分の存在なんて新参としか言いようがない。
二人同時にいなくなれとは思ってなかったけれど、それでもどちらかがいなくなればその分レネティアの付け入る隙があると信じていた。
だが実際はどうだ。
戦えるわけでもないという点でみれば足手纏いであるコレットに抜けてもらって自分がそこに収まったとはいえ、その後メリダが抜け、それ以外の仲間たちも抜け、最後にはクラエスまでもがいなくなってしまった。
チームから脱退させる相手をコレット以外にしていれば、今頃はきっと違った結果になっていただろう。
とはいえ、後悔したところで既に遅い。クラエスはコレットを迎えにゾラッタへと行ったのだろう。
けれどまだ間に合う。コレットを迎えて、そうして新生したチームに自分も。以前のチームであればメリダの立ち位置に自分がいるようなものだ。そうなれば、まだチャンスはきっとある。
そう思ってレネティアもクラエスの後を追うようにゾラッタへと向かったものの。
その時には既にコレットはゾラッタから姿を消した後だし、どこに行ったかもわからない。一足先にその情報を得ただろうクラエスが向かった先も、レネティアにはさっぱりわからなかった。
こうして、クラエスたちのチームはすっかりバラバラになってしまったというわけだ。
クラエスを探していたレネティアも、ここ最近ではすっかり疲れ果ててしまって、冒険者として活躍しようなんていう気にもならなくなってしまっていた。
それよりも……だ。
「ねぇコレット。あなたが以前作ってくれたトマトのスープ。あれのレシピ教えてよ」
それよりも今は、無性にあのスープが飲みたくて仕方がなかった。
かつて母が作ってくれたものと同じ味のしたスープ。
母が死んでから、同じように作ろうとしても再現できなかったスープ。
もう飲めない味だと思って諦めていたのに、それが突如としてレネティアの前に蘇ったのだ。
あの時にレシピを聞こうと思っていたけれど、あの時はコレットも食事以外の雑用もやっていたので忙しそうで、話しかけるタイミングが中々掴めなかった。でも、他の仲間も食事の手伝いをしていると聞いていたし、それならあのスープの作り方だって他の仲間が知ってる可能性はある。
そう思って、あの時は聞かなかった。そのままチームから抜けるように仕向けてしまった。
けれども食事の手伝いをしていたという他の仲間は、本当にただの手伝い程度でレシピを詳しく知っているわけでもなく。
レネティアにとってあのスープは再び幻の存在と化してしまっていたのだ。
だからこそ、クラエスがコレットを再び仲間に引き入れようとしていたとして、今度はそれを邪魔するつもりもない。むしろ是非戻って来てほしいくらいだ。
だがしかし。
「ごめんなさい。レシピって言っても、あまり覚えていないんです。あの時は確か……ありあわせの材料で作ったものですから」
困ったような表情で言われて、レネティアは「え……?」と思わず聞き返すような声を出していた。けれどもコレットは首を横に振って、同じことを言う。
「え、でも、トマト以外にフルーツ入ってた、よね? 多分ベリー系だと思うんだけど」
「確か、貰い物だったかと。レネティアさんの話を聞いて、フルーツとトマトのスープっていうのが珍しいなって思って。それでどうにか作ってみた、って感じだったので……あの、美味しかったんですよね? それはその、嬉しいです。でも、あの時はその場にあった材料を使ってどうにか形にした、くらいだったのでレシピだとかそこまで御大層なものは……」
「そ、っか……無理言ってごめんなさい?
それでその……コレットは今、ここで何を?」
何でもない風を装うのが大変ではあったけれど、それでもレネティアはなけなしのプライドを寄せ集めて別にショックでも何でもありませんんけど? みたいに装った。
恐らくあの後彼女は他の冒険者を頼って、ここまで来たのだろう。何せ戦えない彼女の事だ。
ゾラッタ周辺の魔物なんて相手にするにしても、一人でやれるはずもない。
だから、こうしてどうにかある程度魔物がそこまで強くないあたりまできて、暮らしているのだと思っていた。
今の生活に少しでも不満があるようならば、どうにかして勧誘して、そうしたら、クラエスもきっと戻ってくる。仲間になれば、あの時のスープを再現したいから手伝ってほしい、とか言えば彼女なら協力してくれるだろう。
そう、思っていたのだが。
「私ですか? 今は新しいチームでやってますよ。皆さんいい人たちで」
心の底から嬉しそうに笑うコレットを見て。
その時確かにレネティアの中で何かが壊れたような気がした。
その時明確に何を思ったかまではレネティア自身把握できていない。
けれども、手遅れだという事だけは、はっきりと感じ取ったのである。