異界を渡るもの 〜八つ裂き王子が妹を探して〜
「もういいよ……」
あの子の声が聞こえたから、私は探し始めた。
姉メデイアは恋をして変わってしまった。昔は家族思いの優しい人だったのに。男と逃げる、それを成功させるために。追手の足を止める、その時間を作るために。ただそれだけのために、私を殺して、バラバラにして、海に捨てた。
その日私とあの子はいつものように、愛のある時を過ごしていた。海辺の岩場の洞窟で。
「どこだい、イオポッサ。また隠れているのかい? あと十数えたら探し始めるぞ。」
「もういいよ……」
その至福の時間をぶち壊しにしたのは、一隻の船だった。英雄とは名ばかりの略奪者たちを乗せた船。
彼らは国の宝を盗んでいった。黄金の羊の毛皮とメデイアを。止めようとした私を、彼らは船に乗せ、八つ裂きにし、足止めにばらまいた。父は私を拾い集めるために、船を追うための櫂を止めた。
――ああ、父上。私をあの子のところへ戻してください。洞窟であの子が待っているのです。可愛いあの子。私の妹。愛してあげなくては。婚姻を結ぶ予定だったのです。
その願いも虚しく、私は冥界の入り口にいざなわれた。
――待ってくださいハデス様。私はあの子を探さなくてはなりません。逢い引きの場でいつものように、ひと目を忍んで隠れているのです。姉のようにならず者に拐われないように、見つけて隠してあげなくては。
いよいよ私が冥府の縁に立った時、待ちわびた声が耳に届く。
「もういいよ……」
その刹那、私は異世界に飛ばされた。
この異世界は異常だ。私が元いた世界を模倣している。人為的に。演劇的に。神話を再現する世界だった。
王女である姉メデイア、国王である父。まるで見た目は似ていないが、その名でその立場で、物語をなぞるように存在している。私も意識は以前のまま、けれど体は健全な状態でこの地に転移したようだった。
「もういいよ…… 」
私の頭の中で、その声が何度も繰り返される。あの子が待っている。イオポッサを探さなくては。
元いた世界と同じ登場人物。その中にあの子はいない。一体どこに隠れているのか。
ある日庭で見た、紫色の髪の女性。不思議なその色合いに、興味が引かれて歩み寄った。
――見つけた!
姿形は違うけれど、あの子と同じ名を持った女性。イオポッサを手に入れようと思った。どこの世界にいようとも、あの子と共にいられればそれでよかった。
――なぜだ! なぜ君はあの子じゃないんだ? 転生者なのに、ギリシャではなくニホンから来ただと?!
女性の魂は、あの子のものではなかった。私の妹は、彼女ではなかった。
「もういいよ……」
異世界に飛ばされる瞬間に聞こえた声。私とともにこの世界に飛ばされてきたのではなかったのか。ならば戻らねば。たとえ再びこの身が裂かれても。同じ世界にいれば、いつかは見つけ出せるに違いない。
「神よ! この世界の主たる神よ! 私を元の世界に戻し給え!」
「戻っても、既に成った運命は変わりませんよ。」
私は元の世界への帰還を願った。その願いが聞き届けられた瞬間、神の声が聞こえた気がした。
「戻ってもイオポッサはいないというのに……」
私が元の世界に戻った時、神の慈悲によりこの身は五体満足だった。
急いで逢い引きの地へ向かう。しかし海辺の岩場にも、王の城にもあの子はいなかった。国中探しても、大陸中を探しても、妹はいなかった。
何年も、何十年もあの子を探し続け、私は老いさらばえた。衰弱と悲嘆により、私は再び冥界へといざなわれた。
「もういいよ……」
――何ということだ! あの声は、冥府の内側から聞こえてきていたのか。あの子はもう冥府の住人になっていたというのか。
長い回り道をしてしまったが、私はようやく愛するあの子を見つけることができるのだ。
導き手と共に歩みくる小柄な人影。湧き上がる気持ちを抑え、その瞬間の許しを得る。
「もういいかい?」
「もういいよ……お兄様。逢い引きはこれまでです。私には他に愛する方ができましたから。さようなら。」
2021.8.2