009_チカラアリの元気な子供たち(Детский Сад)
“Детский Сад(ディエーツキイ・サート)”とは、ニホン語で“幼稚園”という意味である。
ウルトラ市の復興が一段落した後、ウルトラ市の西部、アンナハンマン区にある“幼稚園”で、クニカはボランティアとして、子供たちの面倒を見ることとなった。ベテランだった先生のひとりが、産休に入った代役である。
ベテランの代役を務めるために、ボランティアは二人必要とされた。ひとりはジュリだったが、もうひとりが問題だった。
クニカの前々任のボランティアは、三週間でクビになった。前任のボランティアは、一日でクビになっている。このような事情のため、ピンチヒッターとしてクニカが割り当てられた。
繰り返しになるが、“Детский Сад(ディエーツキイ・サート)”とは、ニホン語で“幼稚園”という意味である。だからクニカは、初め「アンナハンマン区にある幼稚園」でボランティアをするつもりだった。
しかし、クニカが“幼稚園”だと思っていた場所は、“Детский Сад(ディエーツキイ・サート)”ではあったけれど、“幼稚園”ではなかった。何を言っているのか分からないと思われるかもしれないが、正直のところ、クニカだってよく分かっていない。
いずれにせよ、この「アンナハンマン第三小区“ディエーツキイ・サート”」で、クニカの戦いは幕を開ける。
◇◇◇
ミント色のペンキで塗られた門を、クニカはくぐる。その途端、
「あっ、クニカおねえちゃんだ!」
という男の子の声とともに、
「「「わーっ!」」」
という歓声が上がり、ちびっ子たちが一斉に、クニカに殺到した。
「ま、待って――」
クニカの声は、ちびっ子たちにかき消される。クニカはあっという間に、集まってきたちびっ子たちにもみくちゃにされた。
“ディエーツキイ・サート”で、クニカは子供たちから大人気だった。なぜ人気なのかは、クニカ自身も分かっていない。
「クニカおねえちゃん、あやとり教えて!」
「ダメ! クニカおねえちゃんとはかけっこする!」
「クニカおねえちゃん、見てみて、あたしの絵!」
「あっ、ずるいぞ、ボクだって――」
「み、水!」
ちびっ子たちをかき分けながら、【おゆうぎ室】の脇にある手押しポンプのところまで、クニカは近付こうとする。
「水……! 水……!」
大瑠璃宮殿での二回目の朝食は、勤行だった。供された餅は、冷めた蝋のように硬く、一口噛んだだけで、口の中の水分が全て持っていかれた。
手押しポンプから湧き出す水のことで、クニカの頭はいっぱいだった。だから、ポンプの周りに人気が無く、不自然なほど静まり返っていることに、クニカは気付かなかった。
クニカがレバーに手を掛けようとした、そのとき。
「それっ!」
かけ声とともに、物陰から、クニカに何か飛んでくる。
「うへっ?!」
クニカは声を上げた。クニカに当たった瞬間、それは弾け、中の水がクニカに降り注いだ。瞼をこすると、クニカは地面に落ちた残骸を見る。水風船だった。
「わーい!」
オレンジ色のシャツを着た、赤毛の男の子が、ずぶ濡れになったクニカを見て、小躍りする。鋳掛職人の息子の、ローニャである。
「やったぜ!」
その隣では、浅黒い肌をした、黒髪の男の子が、手に持っていた長い木の棒を頭上で振り回した。鍛冶屋の息子の、セヴァである。
「作戦大せいこう!」
「は、ハハ……」
大はしゃぎするセヴァとローニャを尻目に、クニカは力なく笑った。
アンナハンマンは、チカラアリからの移住者が伝統的に多い。“黒い雨”が降ってからというもの、ウルトラは積極的にチカラアリの難民を受け入れたために、チカラアリ人の比率は高まっている。
もともと、チカラアリ人はじっとできない性分である。ましてや子供たちが相手であるため、“ディエーツキイ・サート”に来るたびに、クニカは子供たちの遊びに巻き込まれては、何かにまみれる羽目になっていた。
ちなみに、先週来た時には“泥だんご合戦”になり、クニカは無事集中砲火を浴びた。
(この前よりマシか)
「ちょっと!」
シャツの袖を絞っているクニカの耳に、ジュリの声が聞こえてくる。市場で買い物を済ませた後、ジュリはこの“ディエーツキイ・サート”にやって来たのだろう。
「セヴァ! ローニャ!」
セヴァとローニャに近付くと、ジュリは左腕を振りかざす。
「フン!」
「あっ?!」
セヴァのほっぺたに、ジュリのビンタが飛ぶ。
「フン!」
「うえっ?!」
ローニャのほっぺたに、ジュリのビンタが飛ぶ。そのとき、ブリキ製の機関車のおもちゃを頭上に掲げながら、のんびり屋のワーシャが間を横切ろうとする。
「ニャーッ!」
「うぎゃっ?!」
そんなワーシャのほっぺたにも、ジュリのビンタがさく裂した。
「ワーン!」
「ウワーン!」
「ワーッ!」
セヴァ、ローニャ、とばっちりのワーシャが、一斉に泣きだしたかと思えば、クニカにしがみついた。
「もうっ、いたずらばっかりするんだから!」
しかし、ジュリの関心は、すでに別のところに向いている。遠くに目を向けてみれば、別のいたずら小僧のグループが、【おひるね室】の壁に、ドリルで穴を開けようとしている。
「強く生きるんだよ、ワーシャ」
むせび泣くワーシャのほっぺたをさすってあげながら、クニカは自分に言い聞かせるようにして、ワーシャに言った。クニカの耳には、ジュリのリズミカルなビンタの音が飛び込んでくる。
“ディエーツキイ・サート”は、毎日がこんな感じだった。クニカのような“善良な管理者”の心配をよそに、わんぱく小僧たちは石を投げてガラスを割ったり、アリの巣に熱湯を注いだり、どこかから捕まえてきたカエルの口に、どこかから拾ってきた爆竹を詰めて火を着けたりする。そのたびにジュリが飛んでいっては、「お仕置き」としてビンタをする。が、ワーシャのように、ジュネのビンタの対象はいい加減で、無差別だった。ビンタが痛いので、小僧たちは泣き出す。何かが割れる音、笑い声、ビンタの音、泣き声――“ディエーツキイ・サート”は、戦場のように賑やかだった。
◇◇◇
「『むかしむかし、ある村に、善良なビスマー人がいました』」
【えほん室】で衣服を乾かしながら、『正義のチカラアリ人とにっくきシャンタイアクティ人』という絵本を、クニカはちびっ子たちに読み聞かせる。
クニカの周りには、“ディエーツキイ・サート”の中でも、比較的おとなしい子供たちが集まっていた。
そこに、引き戸をあけて、セヴァがやってきた。
「ミーナ! あーそーぼ!」
セヴァの声に、ミーナという名前の女の子が、困ったような顔をする。鍛冶屋の息子のセヴァと、陶器職人の娘のミーナは、幼馴染だった。
「いま、クニカおねえちゃんの話聞いてるから、ダメ」
「えーっ」
セヴァは床に転がった。クニカは、読み聞かせを続行する。
「『善良なビスマー人には、娘がひとりいました。もうすぐ娘の誕生日ですが、お祝いはできそうにありません。ビスマー人は、朝から晩まで、ハチドリのようにせかせかと働いていましたが、稼ぎのほとんどを、地主のシャンタイアクティ人に取られてしまうので、貧乏なのでした』」
「ひどい!」
寝転がっていたはずのセヴァが、声を上げた。
「シャンタイアクティ人は人でなしだ!」
「そうだそうだ!」
「娘がかわいそう!」
「えーん。怖いよう。一度搾取される側に生れ落ちたら、二度と挽回できない社会の構造、格差の闇が怖いよう」
ほかのちびっ子たちも声を上げる。
「『ある日、村にひとりのチカラアリ人の青年がやってきました。青年は土木職人であり、仕事を求め、ほうぼうをさまよっていたのでした。善良なビスマー人は、仕事がなくて弱っていた青年を、家に泊めてあげました。
次の日の朝、青年は、娘からコップ一杯の水をもらいました。
「水をありがとう。もっと飲みたいな」
「井戸なら、山を三つ越えたところにあるわ。そこへ水を汲みにいくのに、私は半日歩かなければならないけれど」
自分を助けてくれたお礼として、青年は村に井戸を掘ろうと決心しました。ヒヨコを歩かせて水源を見つけると、青年は三日三晩はたらいて、井戸を作り上げたのです。
おかげでビスマーの娘は、水を汲むために、半日歩く必要がなくなりました。善良なビスマー人は、青年にとても感謝し、青年と娘とを結婚させることに決めました』」
「きゃーっ! ステキ!」
「わーい! すごいぞ! さすが土木職人だ!」
「『しかし、地主のシャンタイアクティ人は、面白くありません。シャンタイアクティ人は、ビスマーの娘を後妻に迎え入れようとしていたのですが、娘からずっと逃げられていました。
そこで、シャンタイアクティの地主は、地租を倍にしました。困窮したビスマーの村人は、地主のお屋敷まで陳情に出かけます。
「空豆も、隠元豆も、納められる者は全て納めました。お願いします。もうこれ以上、納められるものがありません」
「よかろう。今回だけは、特別に許してやろう。その代わり、お前の娘を私に寄越しなさい」
ビスマーの村人は悩みましたが、地主には逆らえません。泣く泣く、娘をお屋敷に嫁がせることとしました』」
「うわーん! ひどい!」
「土木職人がかわいそう! どうなっちゃうの?」
「そら見ろ! シャンタイアクティ人の人でなし!」
「『ビスマーの村人は、涙を流しながら、青年に事情を話しました。シャンタイアクティ人の卑劣なやり方を聞き、青年の心に火が付きました。そこで青年は、一計を案じることにしました。
さて、ビスマーの娘がお屋敷に来る日がやって来ました。ところが、娘はとても大きな棺桶と一緒です。地主は真っ赤になって怒りました。
「その棺桶は何だ?」
「棺桶ではありません。中には、私の姉が入っています。姉は、奇病にかかっていて、ずっと寝たきりです」
中を見た地主は、息を呑みました。というのも、寝たきりの姉は、妹よりも美しく、それこそ木彫か何かのようだったからです。
「大変な器量ではないか。寝たきりなのが惜しい」
「私と姉とは一心同体です。私の命が尽きれば、姉は自由に動き回ることができるでしょう」
果たして、この言葉を聞いたシャンタイアクティ人の心に、冷たい影がよぎりました。真夜中になると、シャンタイアクティの地主は、匕首を握り締めて、娘の部屋までやって来ます。木箱に覆いかぶさるようにして眠っている娘に向かい、シャンタイアクティの地主は、匕首を振り上げました。
そのときです。木箱の蓋が開け放たれたかと思えば、寝たきりであったはずの姉が飛び出し、シャンタイアクティの地主を投げ飛ばしました。そうです。木箱に入っていたのはチカラアリの青年であり、青年は女性に扮すると、手製の木箱の中に忍び込み、時が来るのをまっていたのです。
「この破廉恥漢め! 欲に目がくらんで、娘の命まで奪おうとするとは!」
青年に投げ飛ばされた地主は、すっかり怖気づいてしまいました。命乞いをする地主を許してやると、青年は娘とともに村へと戻り、結婚しましたとさ。めでたし、めでたし』」
「わーい! やったー!」
「ざまあみろ! シャンタイアクティ人め!」
ちびっ子たちは興奮して、拳を振り上げたり、歓声を上げたりしている。
(いいのかな……?)
初めから終わりまで、絵本をもう一度めくりながら、クニカは思う。シャンタイアクティ人、チカラアリ人、そしてビスマー人の特徴を、この本はよく捉えているのかもしれない。
問題は、話のレパートリーである。大抵のチカラアリの絵本は、題名に「シャンタイアクティ人」と入っている。しかも、シャンタイアクティ人は必ず「にっくき」、「いやしい」、「ひれつな」、「よくばりな」などと形容されていて、「よいシャンタイアクティ人」なんていうタイトルはひとつもない。物語の中で、たいていの「シャンタイアクティ人」は、全財産を失うか、家族と離れ離れになるか、滝つぼに落っこちるかしていて、この絵本は比較的マシな部類である。
「クニカおねえちゃん、」
読み聞かせる本の適切性に思いを馳せていたクニカに、女の子が声をかける。
「あたし、ほかの絵本読んでほしい」
「じゃあ、次は『まっすぐなチカラアリ人と曲げられないシャンタイアクティ人』を……」
「それ、この前読んだよ!」
別の男の子が、クニカに言った。
「そうだっけ?」
「そうだ! クニカおねえちゃん、クニカおねえちゃんが知ってる話をしてよ!」
だしぬけに、セヴァが言った。
「みんなも聞きたいだろ! クニカおねえちゃんの話! だろ、ミーナ!」
「う、うん……」
ミーナが頷いた。ほかのちびっ子たちも、口々に
「聞きたい!」
「気になる!」
と言い出した。
「えー……」
困ったのは、クニカである。以前に一度、『桃太郎』とか『浦島太郎』とか『かさじぞう』とかを、クニカは読み聞かせようと考えたことがあった。しかし、
「『きびだんご』ってなあに?」
「『りゅうぐうじょう』ってなあに?」
「『おじぞうさん』ってなあに?」
と訊かれると、クニカだって困ってしまう。そう考え、クニカの知っている話を読み聞かせるのは、諦めたのだった。だから、今読み聞かせをするとしたら、完全にクニカのオリジナルの話でなければならない。
「ねえねえ、おねえちゃん!」
「分かったよ。いい? ――『昔々、ある村に、よいシャンタイアクティ人がいました』」
「えーっ?!」
セヴァが目を丸くする。
「よいシャンタイアクティ人なんているんだ?!」
「信じられなーい!」
「えーん。怖いよう……」
「分かった、わかったよ。『しかし、そのシャンタイアクティ人の中には、悪魔が住んでいました。悪魔のせいで、シャンタイアクティ人はいつも、悪さばかりしていました』」
「名前は?」
「へ?」
ミーナの唐突な質問に、クニカの喉から、変な声が出る。
「そうだよ! クニカおねえちゃん! 悪魔の名前は?!」
「ええっと、ええっと……」
セヴァにせっつかれ、クニカは慌てて、悪魔の名前を考え出す。
「――『その悪魔は、「ワ」から始まって、「ミ」で終わり、間に「タ」が入る悪魔』で……」
「それって、ええっと、ワ、ワタ……アイテッ?!」
「バカ、そんなわけないだろ?!」
名前を言い当てようとした男の子の頭を、セヴァが叩いた。
「悪魔ってのは、怖ろしく長い名前なんだ! きっと『“ワ”なんとかかんとか、“タ”なんとかかんとか、“ミ”』とかになるんだ! 全部喋っちゃうとみんな呪われちゃうから、クニカおねえちゃんはわざと言ってないんだぞ!」
「きゃー! 怖いーっ!」
「えーん」
(ありがとう、セヴァ)
セヴァに感謝しつつ、クニカは話を続ける。
「『さて、ある時、そんなシャンタイアクティ人のいる村に、ひとりのチカラアリ人の青年がやって来ました』」
「そのおにいさんは、何職人さんなの?」
「へ?」
ミーナの質問に、クニカはうろたえる。
「確かに! 何職人なんだろう!」
ミーナの隣で、セヴァも首を傾げてみせる。
「鍛冶屋だったらいいなあ」
「じゃあ、そうしよう、セヴァ! 『その青年は、鍛冶屋さんなのでした』」
「やったー!」
「『青年は貧乏だったので、すぐにでも働きたいと考えていました。そこで、シャンタイアクティ人のところまで行きました』」
「えー? そうなの?」
セヴァが言った。
「悪魔に憑りつかれてるんでしょ?」
「そうなんだけどね、セヴァ。『その悪魔は、普段はシャンタイアクティ人の中に隠れており、なかなか表に出てこようとしないのです』」
「なるほど!」
「『仕事を求める青年に、シャンタイアクティ人は笑顔で言いました、
「君のような腕の立つ鍛冶屋を、私はずっと待っていた。早速、明日の朝までに、馬につける蹄鉄を打ってくれないか?」
「引き受けましょう。しかし、明日の朝までには、間に合いそうもありません」
「何を言っているんだね。この蹄鉄を付ければ、馬は喜ぶだろう。馬は荷車を市まで運ぶから、多くの市民や、商人が喜ぶだろう。やりがいのある仕事だ。君は、喜ぶ人たちの顔が見たくないのかね?」
青年は、自分の仕事が、人々に幸せをもたらすことを考えると、断れなくなりました。青年は徹夜で働いて、何とか蹄鉄をこしらえました。
くたくたになりながらも、青年は翌朝、シャンタイアクティ人に報酬を求めに行きました。シャンタイアクティ人は、手のひらに収まる程度のお金を支払うと、笑顔で次のように言いました。
「今回の働きは、君にとってよい経験となったろう。だから経験を与えてやった分の代金を、君の給料から天引きしておいた」
このようにして、青年はシャンタイアクティ人の下で、朝から晩まで馬車馬のように働かされました。青年は、何度も仕事が嫌になりましたが、仕事を断ることができませんでした。それは、この仕事を断ってしまったら、次の仕事にありつけるかどうかが分からないためであり、何より、自分の仕事を待ってくれている人たちのことを、考えずにはいられなかったためです。
しかし、青年にも我慢の限界が来ました。そして、そのように考えていたのは、シャンタイアクティ人の下で働かされている、ほかの人たちも同様でした。
青年とほかの人たちは、一致団結してシャンタイアクティ人のところまで押し入り、シャンタイアクティ人を袋叩きにしました。その拍子に、悪魔はシャンタイアクティ人から追い出されたため、青年たちはそれ以来、仕事に打ち込んだ分だけ、報酬をもらえるようになりましたとさ。めでたし、めでたし』」
「えーっ、終わり?!」
駆け足で読み聞かせを終わらせたクニカに、セヴァが言った。
「つまんなーい!」
「面白くなーい!」
「えーん。怖いよう。『やりがい』という大義名分で若者を搾取する経営者、悪魔のせいなのか経営者の本心なのか分からない結末が怖いよう」
「ごめん、ごめんってば!」
ちびっ子たちからのブーイングを、クニカはなだめようとする。
そのとき、【えほん室】の引き戸が、けたたましく開け放たれた。入り口には、ジュリが立っている。
「クニカ! たいへん! ローニャがハチに刺された!」
「うわーっ! ローニャ!」
クニカよりも前に、セヴァが叫ぶ。
「すげえ、ローニャのやつ、とうとうやったんだ!」
「セヴァ、どういうこと?」
「さっき、ハチの巣見つけたから、『水かけてみようぜ!』ってローニャと話してたんだ。それで、ミーナのこと呼びに来たんだけど……アイテッ?!」
セヴァのほっぺたに、ジュリのビンタが飛ぶ。
「ウワーン!」
「ホントにもう、ろくなことしないんだから!」
「それで……どうするの? あれっ?」
ジュリの背後に、オレンジ色のシャツを着たちびっ子が隠れている。
「ろ、ローニャ?」
「へっへっへ。クニカおねえちゃん、見て見て! ハチに刺された痕!」
ヘラヘラと笑いながら、ローニャが右腕を掲げてみせる。肘の辺りに、蚊に刺されたよりも一回り大きい、虫刺されの痕ができている。
「大丈夫?」
「へっちゃらだよ」
「『へっちゃら』なわけないでしょ?」
腕を伸ばすと、ジュリはローニャの首根っこを捕まえる。
「ちゃんとお医者さんに診てもらいますからね。クニカ、ローニャをチャイのところまで連れてって」
「え、ち、チャイハネおねえちゃん……?!」
ローニャの顔から、一気に血の気が引く。
「い、い、嫌だああああああああ!」
「たいへんだ!」
セヴァが叫んだ。
「“悪魔”に連れてかれる!」
「キャーっ!」
「えーん、怖いよう!」
(“悪魔”って……)
“悪魔”とは、チャイハネのことである。ちびっ子たちのチャイハネに対する評判は、最悪だった。
今の時間帯ならば、チャイハネも、ウルトラ市中央病院に戻っている頃だろう。だが、このアンナハンマンから中央病院までは、なかなかの距離がある。
「どうするの、ジュリ?」
「大丈夫よ、助っ人を呼んだから」
「助っ人?」
その時、
「“戦車”が来たぞーっ!」
という叫び声が、“ディエーツキイ・サート”の正門から響いてくる。叫んだのは、“メガネ小僧”と呼ばれているちびっ子だった。お父さんからもらったおもちゃの望遠鏡を、いつも身に着けているため、ジュリから“メガネ小僧”と呼ばれている子である。
「今度は何……?」
「みんな! 来たぞ! “戦車”だ! 野郎ども、石を集めろーっ!」
セヴァのかけ声に呼応して、男の子たちが小石や砂利をかき集めてくる。女の子たちは泣きながら、急いで【おゆうぎ室】に逃げ込み、引き戸を閉めた。
“ディエーツキイ・サート”が、静まり返る。大いなるセツが地上に降臨して以来のことだった。
「ほら、クニカ、来たわよ、助っ人!」
空の一点を、ジュリは指さす。クニカも目を凝らしてみる。点は次第に、翼をはためかせる人の姿になった。“鷹”の翼を空に拡げ、こちらまで近づいてくる少女――リンである。
「リン!」
ゆっくり旋回すると、リンは砂場へと着陸する。その瞬間、セヴァが
「戦車だ! かかれーっ!」
と叫んだ。物陰に隠れていたちびっ子たちが、手に掴んでいたものを一斉に、リンに投げつける。リンの身体に、小石やら、輪ゴムやら、毛糸のくずやらが当たった。
「コラーっ!」
「「「わーっ?!」」」
リンが大声を上げた瞬間、ちびっ子たちは飛び上がると、【おゆうぎ室】まですっ飛んでいく。
「逃げろーっ! 戦車が怒ってるぞーっ!」
リンは、クニカの前任のボランティアである。
リンは、一日でボランティアをクビになっている。
にもかかわらず、リンはたった一日で、ちびっ子たちから“戦車”というあだ名を賜ったようである。
(リン……子供たちに何したの……)
「おい、クニカ! ちゃんとしつけとけよな!」
【おゆうぎ室】の方角を指さしながら、リンが言った。
「まったくもう! いきなり石とか、毛虫とか投げつけてくるんだから――」
「ねえリン、」
砂利を振り払っているリンに向かって、ジュリが言った。リンとジュリは従姉妹であり、年齢も一緒だった。
「ローニャを病院まで連れてってほしいの。ハチに刺されて――」
「ジュリ、オレもちょうど、クニカに用があったんだ」
「わたしに?」
「そうだ」
いつになく真剣なまなざしで、リンがクニカを見やる。
「ちょっとした、人助けだ」