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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第5章:時間と自由(Опыт о непосредственных данных сознания)
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089_即位灌頂(Баптизм)

(まった)き者、みずからの神性(アイオーン)(うち)にみずからを見いだしたる者、みずから生まれ出でたる者の前に、我らその覚知(グノーシス)を致さんことを願うものなり――」


 プヴァエティカの祝詞(のりと)が、フランチェスカのもとまで響いてくる。


 “歳星の間”に通されたフランチェスカは、その中央に(いざな)われ、静かに頭を垂れていた。“歳星の間”は競技場(アリーナ)の構造を取っており、中心は一番低く、周縁に向かい、観覧席が取り付けられていた。中心から離れるにつれ、観覧席の位置は高くなっている。


 日はすでに暮れている。燭台から投げられた灯火は、ちりばめられた星のように瞬いていたが、すべてを見晴るかすことができるほど、明るいものではない。フランチェスカの視界は、自分の周りと、一段目の観覧席に、自然と限定された。


「我ら昔者(いにしえ)の啓示に(なら)い、(ここ)に、フランチェスカ=オツヴェルの王国(バルベーロー)に至るを(こと)()ぎ、その(プネウマ)に不死の(しるし)を刻むものなり。フランチェスカは、その肉体の雲を()れ、永遠(とわ)に、永久(とこしえ)に、父の()(もと)に憩うものなり。これらのことは、世の(いしじ)の据えらるるより先に、大いなる(プネウマ)により定められたるものなり――」


 即位灌頂(バプテスマ)の儀――。チカラアリの巫皇(ジリッツァ)としての(だい)()を、フランチェスカが引き継ぐための儀式だ。


 通例であれば、ウルトラの(だい)()も、チカラアリの(だい)()も、前任者の一存によって、後任者に引き継ぐことができる。今回のような儀式が必要となるのは、後任者の指名が行われないままに、前任者がその任を退いたとき――例えば、不慮の事故によって、前任者が没したときなど――である。


(姉さん――)


 前任のチカラアリ巫皇は、フランチェスカの姉だった。ある日突然、何の前触れも、予兆もなく、フランチェスカの姉に死が訪れ、その死は長くはかからなかった。姉の訃報にフランチェスカが接したのは、その死から、ずいぶん経ってからのことだった。


 その日まで、フランチェスカは姉と喧嘩をしていた。今となっては、何をめぐって喧嘩をしていたのか、喧嘩をしてまで、何を守りたかったのか、フランチェスカは思い出すことができなかった。


 儀式が終わったとき、フランチェスカ=オツヴェルは、姉の役割を引き継ぎ、俗世を離れ、その身は聖別される。――フランチェスカ・トレ=チカラアリとして。


「我ら、フランチェスカの姉妹(はらから)として、(とも)(とも)に憩いし者たらん。(しか)してその諸天の上に属するを見いださん。プヴァエティカ・トレ=ウルトラ」


 祝詞が結語を迎える。プヴァエティカは原稿を折りたたみ、フランチェスカに手を差し伸べる。プヴァエティカの手を取って立ち上がると、フランチェスカはその合間に、目玉だけを動かして、周囲の様子を一瞥した。


 フランチェスカの視界の範囲、一番手前の観覧席には、使徒騎士たちが座っていた。儀式のために、皆が白衣を着ているからか、室内の薄暗さにもかかわらず、使徒騎士たちの姿は目立った。


 事務総長を務めている、使徒騎士“徴税人(マタイ)”のリテーリアは、みずからが座る椅子の脇に準騎士を呼びつけ、何かを囁いている。儀式の動線を指示しているのだろう。


 “(はく)(よう)”の異名を取る、使徒騎士“熱心党(ゼロテ)”のシノンは、じっと腕組みをして、フランチェスカの方を見つめていた。生真面目な性分からか、シノンは、儀式の全てをつぶさに観察しようとしているようだった。“鷹”の魔法属性であるシノンの眼光は、射すくめるかのようであり、目が合いそうになったフランチェスカは、反射的にシノンから目線を反らした。


 その反対側には、典礼の総括者である、使徒騎士“檮衣者(ヤコブ)”のルフィナがいた。ルフィナは膝に手を当て、背もたれに背を預けることなく、背筋を伸ばしている。


 ルフィナの身に着ける白衣は、ほかの使徒騎士の白衣に比べても、やや分厚く、重ね着をしているように見える。典礼担当の場合は、衣装が異なるのだろう。“歳星の間”の空気は湿気で重たく、蒸し暑いにもかかわらず、ルフィナは涼しい顔をして、まるで意に介していないように、フランチェスカには見えた。


 残りの使徒騎士たちを、フランチェスカは探ろうとする。筆頭“双子(ディティモ)”の使徒騎士を襲名し、騎士団長を務めるオリガと、“天雷(ボアネルゲス)”の使徒騎士を襲名するジイクとアアリの姉妹は、この即位灌頂の儀式において役割があるため、観覧席にはいない。また、もう一人、フィリポを襲名する、ミーシャという名前の使徒騎士がいるらしかったが、他の使徒騎士に比べて年少であるために、この儀式には参列しないと、フランチェスカは聞いていた。


 使徒騎士の枠は、このほかに五つある。うち、“覚者(イスカリオテ)”は永久欠番で、“盤台(ペトロ)”も原則として欠番、とフランチェスカは聞いていた。残りは、アンデレと、バルトロマイと、タダイである。アンデレを襲名しているニフシェは、今は星誕殿(サライ)の地下牢に幽閉されている。バルトロマイを襲名していたミカイアは、もう亡くなっている。タダイの地位は、空位になっている。


 使徒騎士の称号は、星誕殿(サライ)の騎士の中でも、特に優れた者にのみ許される称号である。定員は十二人であるが、適任者がいなければ空位になるとの話だった。オリガ、ジイク、アアリ、ニフシェ、シノン、ルフィナ、ミカイア、リテーリア、ミーシャの九名が、ペルガーリア()()の使徒騎士の体制である。


 にもかかわらず、フランチェスカの正面、これからフランチェスカが向かおうとしているところの付近には、もう二人の人物がいた。まだ会っていない使徒騎士がいたのかと、フランチェスカは驚く。


 プヴァエティカに促され、フランチェスカは少しずつ、その人物たちの下に近付いていく。


 一人目が誰なのかは、フランチェスカもすぐに分かった。大陸の南、ビスマーの巫皇(ジリッツァ)である、エリッサだ。


 ビスマーの巫皇(ジリッツァ)は、伝統的に、ほかの法域の巫皇(ジリッツァ)よりも格下として扱われている。この即位灌頂(バプテスマ)の儀式において、エリッサに役割が与えられていないのも、そのためだろう。


 褐色肌のエリッサは、この“歳星の間”の薄暗がりに、その輪郭が溶け込んでしまっていた。そのため、エリッサのつぶらで、大きな緑色の瞳が、不安そうに震えているのが、却って目立った。


 もう一人は――。その人物の姿が明らかになって、フランチェスカは目を見開いた。


 もう一人は、クニカだった。クニカは、白衣こそ着ていなかったものの、観覧席にいるほかの使徒騎士たちと同じように、紫檀の椅子に座っていた。


 クニカの様子が気になり、フランチェスカは我を忘れた。クニカは青ざめていて、心なしか、手が震えているように見えた。それは、堅苦しい儀式の場において緊張しているというよりも、一人で背負うにはあまりにも重すぎる“何か”を前にして、それに圧し潰されかけている、といった様子だった。


 フランチェスカの視線に、クニカも気付いたようだった。クニカの唇は、固く引き結ばれたままだった。


 プヴァエティカに手を引かれ、フランチェスカは“歳星の間”を通り抜ける。通り抜ける段になって、フランチェスカは、クニカからの反応を、自分が知らず知らずのうちに期待していたのだと気付く。フランチェスカは、振り向きたい衝動に駆られたが、状況がそれを許さなかった。


 フランチェスカが向かう先は、“一者(モナス)の間”と呼ばれている。一者(モナス)とは、見えざる大いなる霊、測りがたき霊、世界の全てを超越しており、みずから生まれた者(アウトゲネース)、つまりはキリストの父である(プネウマ)を指す。フランチェスカは、儀式を通じて(プネウマ)に触れ、みずからの(うち)に眠る神性(アイオーン)覚知(グノーシス)し、諸天に君臨する者として――巫皇(ジリッツァ)として――生まれ変わる。


 プヴァエティカの手を、フランチェスカが離した。“一者の間”は、“歳星の間”に比肩しうるほどの大きさと広さを備えている。その広さに見とれていたフランチェスカは、歳星の間と、一者の間との境界に白線が引かれていることに気付いた。そしてプヴァエティカのつま先は、その白線の前でぴたりと止まっていた。


 名残惜しい感情を覚え、フランチェスカは、プヴァエティカのつま先を眺める。そのとき、フランチェスカの手が、別の誰かに捕まれる。心が留守になりかけていたフランチェスカは、差し込まれた手の感触にぎょっとする。


 顔を上げてみれば、オリガが立っていた。“双子(ディティモ)”の使徒騎士であり、騎士団長でもあるオリガは、儀式のために真裸だった。しかし、オリガの全身は色鮮やかな刺青に覆われているために、まるで服を着ているかのようだった。


 “一者の間”は、奥に向かって、緩やかな下りになっている。フランチェスカの足は、くるぶしの辺りまでが水に浸っているが、オリガは足首まで水に浸かっていた。


 オリガの後方には、ジイクとアアリの姉妹が控えている。二人とも、オリガと同じように真裸で、ツインテールに結わえている髪を降ろしていたために、いつもとは印象が異なった。


 またしても振り向きたい衝動に駆られ、しかしフランチェスカは、振り向くべき“どこか”が、今はどこにもないということに気付いた。見知った人々は皆、自分から隔絶されているか、距離がある。


 宇宙と天体の存在を、フランチェスカは思い浮かべる。巫皇(ジリッツァ)は大いなる天体にして、恒星である。恒星は他の星々を従え、偉大なものとして屹立し、みずからの重力をみずからに引き受ける。今の自分の感情は、天体の孤独に根差すものなのだとフランチェスカが気付くのに、そう時間はかからなかった。

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