088_私は大丈夫(Я буду в порядке.)
アアリが、扉を開け放つ。
扉の前には、準騎士たちが立ちすくんでいた。彼女たちの唇は、固く引き結ばれている。まるで、アアリに射すくめられ、身動きが取れないでいるかのようだった。
準騎士たちひとりびとりに、クニカは目をやる。準騎士たちは四人いて、全員、クニカの知る者たちだった。先頭にいるエリカと、その側に寄り添うキーラは、シノンに付き従って、クニカたちを星誕殿にまで連れてきた準騎士である。その後ろには、クニカから“祝福”を懇願した、サーシャとリーリャがいる。
「チャンスを与えたつもりだったのよ」
アアリの“心の色”が、赤く煌めく。双子の姉のジイクも、アアリの怒りを感じ取ったようだった。寄り添うようにして、妹の半歩後ろまで、ジイクも進み出る。
「はしたないと思わないの? 聞き耳を立てるなんて。何か言いなさい」
準騎士たちは答えない。
「何か言いなさいよ」
彼女たちは、墓石のように黙りこくったままだった。
「恥を知りなさい」
そう言い放つと、アアリは部屋を抜けようとする。ジイクも後に続こうとする。
しかし青ざめた表情のまま、準騎士たちは立ち尽くしていた。使徒騎士の二人を前にして、彼女たちは、道を譲ろうとしなかった。
アアリの“心の色”が光る。灰色の光だった。
「あなたたちは――」
「は……は」
キーラが声を上げる。声は上ずっており、“心の色”は灰色に澱んでいた。キーラはエリカの腕に、ほとんどすがりつくようにして立っていた。
「恥ずかしいのは……どっちですか」
「何ですって」
「クニカ様を、使徒騎士にするなんて」
キーラの肩に、エリカが手を貸す。
「イリヤはどうなるんですか」
「私とジイクは、クニカの使者としてここに遣わされたのよ」
「イリヤはどうなるんですか」
エリカの声は、ほとんど叫びのようだった。ジイクとアアリも気圧されたのだろう。二人はお互いに目配せし合う。
しかし、そんな二人の仕草は、言葉で語るよりも多くのことを、準騎士たちに仄めかしてしまっていた。
「かわいそうだと思わないんですか?」
エリカの瞳から、涙がこぼれる。
「“黒い雨”で、先輩たちは死んでしまった。イリヤの先輩だって。本当なら、イリヤはとっくに、騎士になっていいはずなのに。『早く騎士になるんだ』って、いつも言ってるのに」
“歳星の間”で、背筋を伸ばして、オリガに異議を唱えていたイリヤのことを、クニカは思い出す。屹然とした振る舞いの裏側で、イリヤは騎士になる機会を逸し、一番身近なはずの先輩を喪っている。
「ジイク先輩、アアリ先輩、お願いです」
すすり泣くエリカの手を、リーリャが握りしめる。
「一言おっしゃってください、『イリヤを騎士にする』って」
「今、ここで決められることではないわ」
「だから、お願いしているんです」
サーシャも畳みかける。
「使徒騎士の皆さまで、話だけでも……」
「当面の間、イリヤは騎士にはならない」
そのとき、ジイクが口を開いた。ジイクの口調に、気負った様子はなかったが、そうであったがために、言葉の響きは異様だった。クニカの全身も総毛立つ。ジイクとアアリを除き、この場に居合わせた全員が、凍り付いてしまったかのようだった。
「『当面の間、イリヤは騎士にしない』。クニカを使徒騎士に昇叙させるよりもずっと前に、巫皇と、ウチらで話し合って、もう決めている。アアリはさ、優しいからさ、キミたちに、そのことを言わないようにしてたんだ」
ジイクが話している間にも、準騎士たちの表情は蒼白になっていく。
「『巫皇の命令は星よりも重い』。分からないあなたたちではないでしょう?」
「撤回してください」
エリカが言った。
「あの場に居合わせた者たちは、誰も決定に異を唱えなかった。星の定めを覆そうとすれば、私たちに義はない。ちょうど、あなたたちの申立てに義がないのと同じように――」
「そんなのは……認められません」
サーシャは一歩前に進み出て、エリカとキーラに並ぶ。
「巫皇への背反よ、あなたたちの行いは」
「イリヤの騎士昇叙が認められないのなら……」
リーリャも足並みを揃える。エリカ、キーラ、サーシャ、リーリャの四人は、横一列に並び、ジイクとアアリの行く手を、完全に塞いでしまった。
「私たちは、ここから一歩も動きません」
「キミたちの総意かい?」
ジイクの問いに、四人は一斉に頷いた。
「ハハハ」
それを見届けると、ジイクは笑って、クニカとリンの方を向いた。
「すまんね、クニカ。内輪ネタばっかりだ」
クニカは何も言うことができなかった。
「悲しいね、アアリ。どうやらウチらは、後輩ちゃんたちからは、もう愛してもらえないみたいだ」
ジイクの言葉に、エリカとキーラとが、お互いに顔を見合わせる。
「そんな……」
キーラが口を開いた。
「わたしたちは……そんなつもりは」
「騎士に昇叙した以上は、準騎士以下を愛さなければならない」
アアリが言った。
「あなたたちが、道を踏み外さなくても済むように、私たちは愛し続けなければならない。でもね? それでももし、あなたたちが一歩も退かないというのならば、私たちはもう、あなたたちを愛してあげることができなくなってしまう」
アアリは床に膝をつくと、準騎士たちを前にして、頭を垂れる。
「エリカ、キーラ、サーシャ、リーリャ。お願い。私とジイクに、あなたたちを愛させて」
「――待ってください!」
そのとき、四人の準騎士たちの後ろから、声が聞こえてくる。イリヤだった。
「イリヤ?!」
「みんな、どうしたの?」
イリヤは尋ねる。しかし、扉を塞ぐようにして立つ四人と、その正面で膝をついているアアリを見て、イリヤは全てを察したようだった。
「アアリ先輩!」
準騎士たちの間を通り抜け、イリヤはアアリに近づく。
「どうぞ立ってください」
アアリが立ち上がり、膝の辺りを払う間、イリヤは振り返り、四人を見る。うつむきがちになっている四人を見て、イリヤは息を吐く。
「私がやりました」
ジイクとアアリに向き直ると、イリヤは言った。
「どうしても騎士になりたかったので、私は、エリカ、キーラ、サーシャ、リーリャを、ジイク先輩と、アアリ先輩のところまでけしかけました。悪いのは私で、四人は悪くないです」
――それで、騒動の原因は?
――星下、私です。
“歳星の間”で騒動があったとき、ペルガーリアの追及に応じたのは、オリガだった。
――後輩たちの心を、預かることができませんでした。
クニカは状況を重ね合わせる。オリガがそうしたように、イリヤもまた、周囲を庇い、責任を引き受けようとしている。
後ろから進み出ようとしたエリカを、イリヤは腕で制止する。
「馬鹿ね」
アアリが鼻を鳴らす。
「庇われる側なのに。庇ってどうするのよ」
「キミたちが不安に思っていることは分かったよ」
ジイクが続ける。
「その不安を、オイラもアアリも、受け止めてあげることができなかった。責任はオイラたちにあるよ。そのことはちゃんと、ペルジェとも話しておく」
「みんな、もういいよ。行こう」
何か言いたげな準騎士たちに、イリヤは呼びかける。
「私は大丈夫だよ、みんな。ありがとうね」
語気を強め、イリヤは更に言う。それからイリヤは、四人の準騎士たちを引き連れるようにして、ジイクたちの下を離れていった。
去っていくイリヤに、クニカは声を掛けようとする。しかし、ここで声を掛けたとして、イリヤにばつの悪い思いをさせてしまうだろうと考えると、クニカは、喉から出かかっていた言葉を、押しとどめざるを得なかった。
クニカの頭上から、鐘の音が聞こえてくる。フランチェスカが、チカラアリ巫皇として、即位灌頂の儀式を始める合図だった。




