084_新星(новая звезда)
炎が収まっていく。棺は跡形もなく、灰に埋没していた。体育座りをしていたクニカは、自分の服に染み付いた、煙の臭いを嗅いだ。
「あの」
後ろから声を掛けられ、クニカは振り向く。二人の少女が、クニカの側までやって来ていた。二人とも、クニカの知らない人物だった。
「わたし、サーシャっていいます。こっちはリーリャ」
「はじめまして。クニカ様……ですよね?」
「は、はい」
二人の気負った様子が伝染し、クニカもしどろもどろになる。
「その、お願いしたいことがあって」
リーリャが言う。
「お願い?」
「祝福してほしいんです。わたしたち、みんなを」
続けて、サーシャが言った。
「祝福?」
クニカは戸惑う。「けがを癒してほしい」のような、具体的なお願いならば、クニカはこれまでに何度も応えてきた。しかし、「祝福してほしい」というお願いは初めてだった。
「えっと、何をすれば――」
「よ、リーリャ」
クニカの背後から、折がの声がした。オリガが、クニカの隣に並んで立ったときには、サーシャとリーリャの二人は、すっかり身を固くしていた。
「久しぶりだな、へへへ」
そう言いながら、オリガは肘で、クニカの腰の辺りを小突く。準騎士たちを前にして、オリガがわざと自分に馴れ馴れしくしているのだということを、クニカは感じ取った。
「で? 何やってんだ?」
「祝福を……クニカ様から……」
「人気者だな、クニカ!」
「どうしたんです?」
シノンもやってくる。オリガの口調には辛辣な響きがあったため、クニカは内心、シノンの登場にほっとしていた。
「祝福が欲しいんだってさ、クニカから」
「クニカから?」
シノンが眉をひそめる。サーシャとリーリャとは俯いていた。
「祝福は巫皇の秘蹟だ」
マナーを思い出すような、言葉の意味を確認するような口調で、シノンが言う。
「巫皇だけが、その権能を天から授かっている。クニカ・カゴハラは救世主ではあるが、巫皇ではない。よって、その権能はない」
「煩悩だよ」
オリガは言い放った。
「みんな、心が弱くなってる。だけど、そこから逃げちゃダメだろ? お前たちはもう準騎士で、見習い騎士たちの模範になんなきゃならない。心を欠いてるよ」
「――待ってください」
オリガの言い方が説教めいてきた、そのとき。別の方向から声がり、その人物が近づいてきた。
近づいてきた少女は、金色の長い髪を、ひと房に束ねている。肌は、透き通るように白い。少女の瞳の色が、深い緑であることに気付き、クニカははっとする。瞳の色は、ペルガーリアと同じだった。
「イリヤ……」
オリガが、苦虫をかみ潰したような表情になる。少女の名前は、イリヤというらしい。
「オリガ先輩、シノン先輩、話は全て聞いておりました。その上でのお願いです。クニカ様から、祝福を賜ることを、認めてください」
「話全て聞いてた、っつってたよな?」
突き放したような口調で、オリガが尋ねる。オリガの“心の色”が立ち現われ、それは灰色にくすんでいる。
「はい!」
「だったら、結論出てるだろ? 祝福は巫皇の権能で――」
「祝福の権能は、巫皇だけのものではありません」
オリガの言葉を、イリヤは遮る。
「祝福は、天道に生を享く全ての者が、衆生への大悲として行使する力です。巫皇が天道の者なれば、救世主もまた天道の者のはず」
「ウチらは“衆生”じゃない」
灰色にくすんでいたオリガの“心の色”に、赤色が混じり始める。
「星誕殿において、ウチらは星室の藩屏だ。天道に連なる者だ。使徒騎士だろうが、見習い騎士だろうが、そんなの関係あるか。救う側の人間が救われようとして、どうすんだ――」
「オリガ……イリヤの言うことも、一理あるかもしれない」
「何だって」
オリガの声が大きくなる。このときまで、オリガとイリヤの応酬に関心を持っていたのは、周囲の者たちだけだった。しかし、今のオリガの一声で、“歳星の間”にいる全ての者が、何かが起きていることに気付いたようだった。
「何言ってんだ」
「『大悲は、遍く地を照らす世の陽にして、妨げなく、隔てるものなし』、アナスタシア三世の教書で、大悲の原則的な定義だ。大悲は陽の光で、それが善人にも悪人にも均しく降り注ぐのならば、祝福もまたそうあってしかるべきだ。祝福を巫皇に限定するのは、大悲の理に悖るし、騎士として義がない」
「ちょっと待って、ちょっと待って!」
かん高い声が、オリガとシノンの間に割って入る。アアリだった。薄暗い“歳星の間”において、使徒騎士たちの着る白衣は目立ったが、アアリは白色種のため、誰よりも白さが際立っていた。
「大悲の理は、シノン、あなたの言うとおりよ。でもね、テンシュリナガル公会議で、ウルトラ巫皇の権能として、祝福があることが明記されているの。そこからの解釈で、シャンタイアクティ巫皇の権能についても、その範囲の基礎が構築されている、と考えるとともに、祝福の行為者を巫皇に限定している、と読むのが通説になっているのよ」
アアリの解説に、クニカは目が回る思いだった。チカラアリ市で初めて会ってからというもの、クニカは何となく勘付いてはいたが、アアリは役人気質で、手続や解釈には特にこだわりがあるようだった。
「よって、救世者が祝福の権能を備えている、という考えは認容できないわ。オリガの言葉を借りて言うなら、私たちは星室の藩屏。先人の叡智を承けて、将来へと引き継ぐことが、私たちの使命よ――」
「あのさ、アアリ」
先ほどから、双子の妹の言葉をじっと聞いていた、黒色種の姉・ジイクが、おもむろに口を開いた。
「何よ?」
「その通説なんだけどさ、テンシュリナガル公会議に出ていた昔の人たちも、通説を考え出した昔の人たちも、まさか本当に、未来に救世主が現れるなんて、思ってもいなかったんじゃないかな?」
「それは……そうね。そうかもしれない」
「だとすれば、クニカがみんなに祝福を与えてあげても、絶対にやっちゃダメ、ってことには、ならないんじゃないかな?」
「だけど、そしたら、ペルジェの権威はどうなるのよ? それを蔑みすることにならないかしら? 『天に二王なし』よ」
「そこはさ、祝福の権能と、巫皇の権威とは、別に考えることになるんじゃないかな――」
「すぐに結論を得られる問題じゃないでしょう。今必要なのは、当座の解決策で――」
――ジイク先輩と、アアリ先輩が言い合ってる。
――先輩たちの意見が割れるなんて……。
“歳星の間”のあちこちから、動揺する準騎士たち、見習い騎士たちの声が聞こえてくる。
「イリヤ、もういいよ」
解釈を巡って議論をしている使徒騎士たちの横で、イリヤの着る緑の服の裾を、サーシャが引っ張っていた。
「わたしたちが軽率だったよ」
「ダメだよ、サッちゃん!」
そんなサーシャを、イリヤが反対に勇気づけている。
「サッちゃんは良いこと言ったんだよ! 難しい状況だからこそ、みんなで知恵を絞らなくちゃ!」
使徒騎士たちの意見が割れるのは、星誕殿では異例なことのようだった。オリガとシノン、ジイクとアアリの議論を聞いている間じゅう、クニカは汗が止まらなかった。議論の中心が、自分自身のことだったからだ。
「待って……!」
使徒騎士たちに向かって、クニカは声を上げる。オリガとシノン、ジイクとアアリが、クニカの方を向いた。
「祝福って、何をしてあげれば……」
「手を握って、『あなたを祝福する』と言うことです」
シノンが答える。
「それだけのことなら……」
「それ“だけ”が問題じゃない」
オリガが腕を組む。
「ウチらの問題でもあるんだ。内輪の論理? そりゃそうさ。ハッ! 最低だよ」
「どうした?」
そのとき、クニカの反対側から、声が聞こえてきた。ペルガーリアの声だった。隣には、プヴァエティカが立っている。
プヴァエティカは、クニカを認めるやいなや、そっと手を振ってくる。思わず手を振り返しそうになって、クニカは指をひっこめる。
ほかの使徒騎士たちと同様、ペルガーリアも白衣を身に着けている。ただ、使徒騎士たちと異なるのは、ペルガーリアは白い長衣を羽織っているだけで、その下は真裸だということだった。禊のためか、これからの儀式のためか。いずれにしても、ペルガーリアは堂々としていて、恥じらうそぶりはなかった。
「星下!」
ペルガーリアの下に駆け寄ると、イリヤが床に膝をついた。
「クニカ様から、祝福の秘跡を賜りたく、使徒騎士の皆さまにお伺いを立てていたところで――」
イリヤの言葉を、ペルガーリアは手を振って遮る。憮然とした表情のイリヤの横を通ると、ペルガーリアは、“歳星の間”の中央まで歩いていく。
「ちゃんと、ミカを見送ってやったんだよな? ん?」
“歳星の間”に居合わせる全ての人々を、ペルガーリアは見回した。あえて口を開く者はなかったが、ペルガーリアの言おうとしていることを理解し、皆が恥じ入っているようであった。
「騒動の原因は?」
「星下、私です」
イリヤが口を開くよりも先に、オリガが言った。オリガは腕を組んでいて、天井と床とを、交互に見やっている。
「後輩たちの心を、預かることができませんでした」
「分かった、ありがとう。後で来てほしい。全てが終わった後。ジイク、アアリ、シノンも」
「はい。申し訳ございません」
シノンが言った。ジイクもアアリも、バツが悪そうだった。
「祝福が欲しい……そういうことですね?」
「え……?」
茫然としているイリヤに向かって、プヴァエティカが言った。
「ええっと……」
「祝福は巫皇の秘跡。少なくとも、今のうちは。お姉さんに似ていますね?」
プヴァエティカの言葉に、イリヤの頬が赤くなる。
「ウルトラには、難しいルールはありません。祝福は、誰にでも均しく与えられます。私がそれを引き受けましょう――」
その言葉とともに、“歳星の間”で成り行きを見守っていた者たちが、一斉に動き始める。ある者は、煙とともに立ち昇っていったミカイアの魂を悼み、その骨を拾うために。またある者は、巫皇・プヴァエティカから祝福を受けるために。
ミカイアの骨を拾うために、広間の中央へ向かおうとしたクニカは、途中でイリヤとすれ違った。臆さずに、必要と思ったことを言う勇気、友達のためを思って、誰かのために、何かをする勇気。イリヤの勇気は、クニカが持ち合わせていなければならないはずのものだった。
イリヤの目線に応えられず、クニカは顔を背けた。救世主でありながら、誰かを救う勇気を、自分は持ち合わせていない。そんな気がして、クニカはみずからを恥じた。




