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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第5章:時間と自由(Опыт о непосредственных данных сознания)
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083_掴むことができるほどまぢかに(Па́уль Це́лан)

わたしたちはまぢかにいます、主よ、/掴むことができるほどまぢかに。(パウル・ツェラン「夜の祈り」、飯吉光夫訳)

 稲光により、室内が明るくなる。


「失礼します」


 雷鳴に遅れ、ひとりの女性が入ってくる。クニカよりは年上で、ペルガーリアよりは年下のようだった。女性は、ウェーブのかかった、亜麻色の長い髪を持ち、黒色の瞳の持ち主だった。


 目を引くのは、女性の身なりだった。外套(マント)も、胴衣(シャツ)も、襦袢(ズボン)も、(ブーツ)も、すべて純白だった。


「紹介するよ」


 ペルガーリアが言った。


「カノジョはルフィナ。ルフィナ・トウイ=トイオカサン・エルミン。使徒騎士“檮衣者(ヤコブ)”で、オレの“元”妹だ」

「元?」


 クニカは訊き返した。


「ペルジェは幼い時に、我がエルミンの家に、養女として出されました」


 ペルガーリアの座る椅子の縁に手を乗せ、女性――ルフィナは言った。


「シャンタイアクティの貴族(クシャトリヤ)にとっては、男子も女子も欠かせない存在。当時、エルミンの家に(むすめ)はいませんでした。しかし間もなく私が生まれ、ペルジェの生家・ホークハイエスト=ラァの女子が亡くなったので、結局ペルジェは生家に戻ることになった。そういう経緯(いきさつ)です」


――階級社会なんだよね、あそこは。

――一口に『貴族』と言っても、ピンキリでさ。


 大瑠璃宮殿ラズール・ドヴァリエーツでのチャイハネの講義を、クニカは思い出す。思えば、ジイクとアアリの姉妹も貴族で、ニフシェも貴族で、ミーシャも恐らくは貴族の出身だろう。生まれながらにして、身分の差異があるということは、クニカには馴染めそうもない感覚だった。


「フフフ、クニカ」

「は、はい?」

「似ていないでしょう?」

「あ……」


 ルフィナに微笑を返され、クニカははっとする。自分でも気づかないうちに、クニカは、ペルガーリアとルフィナ容貌を、代わるがわる目で追っていたようだった。


「す、スミマセン」

「ホークハイエスト=ラァもエルミンも、血縁上は遠い親戚です。ただ、私は母に似て、ペルジェは父に似ている。だから、似ていない」

「おいおい」


 ペルガーリアが、肩をすくめてみせる。


「オレは今でも、妹だと思ってるぜ」

「そうですね、“お姉様”」

「ハハ、心が死んじまうよ」


 ペルガーリアは愉快そうだった。


「準備はできたか?」

「ええ」


 そう言うと、ルフィナはフランチェスカに手を差し伸べる。


「え……私?」

「フランチェスカ・オツヴェル、“檮衣者(ヤコブ)”を(なの)る使徒騎士は、この星誕殿(サライ)において、伝統的に儀礼を所掌しています」


 フランチェスカを椅子から立たせながら、ルフィナは言う。


「あなたはこれから、即位灌頂(バプテスマ)の儀に入る。フランチェスカ・トレ=チカラアリとして立皇し、その法域に君臨する。湯殿へ案内します」


 ルフィナに手を引かれ、フランチェスカは、“異邦人の間”を抜けようとする。


 扉をくぐる直前、振り向いたフランチェスカと、クニカは目が合った。フランチェスカにしては珍しく、その瞳には憂いの色があった。だが、クニカが声をかける間もなく、フランチェスカは去ってしまった。


「さあ、オレたちも行こう」


 残っていた茶を飲み干すと、ペルガーリアが言った。


「ミカの葬儀だ」


 ペルガーリアの横顔を、クニカは思わず見つめる。ペルガーリアが自分に声を掛けてくれることを、あるいは、そうでなくとも、その表情から何かを読み取ることができるのではないかと、クニカは期待した。


 しかし、ペルガーリアは真顔で、黙ったままだった。それでも反応を探ろうとするうちに、クニカの心の中に、冷たい疑問が噴き上がってきた。何かを読み取れたとして、何か声を掛けられたとして――それは自分の空虚を埋めてくれるのだろうか、という疑問だった。


 ミカイアは戻ってこない。ミカイアを死なせたことの正しさを、誰も教えてはくれない。ミカイアが死んだことは正しくないからだ。では、何が正しかったのか? それを知ったとき、クニカはどうすればいいのか? 答えは出ないだろう。


 錫杖(カッカラ)を打ち鳴らしながら、ペルガーリアは部屋を抜けていく。そんなペルガーリアの後ろを、クニカも着いて行く。



   ◇◇◇



 クニカとペルガーリアは、回廊を抜けた。回廊は()りガラスの窓に覆われ、流れる雨の水滴が、ガラスの紋様を黒く(かたど)っている。回廊に照明がなければ、そして、外からの雷で光が差し込まなければ、クニカは恐らく、外を夜と見違えていたかもしれない。


「夜みたいだな」


 クニカの気持ちを読み取ったのか、ペルガーリアが言った。


「だが大丈夫だ。夜になる前に、すべての儀式が終わる。止まない雨はない」


 ペルガーリアは右手を払う。その動きに合わせて、正面の鉄扉が、ゆっくりと口を開ける。


 扉が開くと同時に、クニカの鼻孔を、(じゃ)(こう)の甘い香りがくすぐった。扉の向こう側には暗闇が広がっていたが、クニカはすぐに、向こう側が広間であると気付いた。広間の周縁では、無数の蝋燭の炎が揺らめき、その揺らめきのそれぞれが、人影を照らし出していた。人影は、広間の床にたなびいて、光の動きに合わせて、頼りなく揺れていた。星誕殿にいるすべての騎士たちが、この広間に集結しているようだった。


 惑星の()のようにたなびく騎士たちの、中心に近い位置には、白衣の騎士たちが立っている。ジイクとアアリ、シノン――オリガもいた。白衣は、使徒騎士たちの正装のようだった。


 使徒騎士たちに囲まれ、最大の天体が、広間の中央に座している。ミカイアの棺だった。


(さい)(せい)の間だ」


 クニカの耳元で、ペルガーリアが囁く。


星誕殿(サライ)の心臓だ。多くの儀式が、ここで行われる。演武も、祝いも、弔いも」


 ひとりの少女が、蝋燭を携えて、ペルガーリアに近づく。


「いや、いいよ」


 少女から差し出された蝋燭を、手で制すると、ペルガーリアはクニカの方を向いた。


 ペルガーリアの視線に導かれるように、周辺にいた少女たちの視線が、一斉にクニカに集まる。巫皇(ラ・ワン)・ペルガーリアは、星誕殿(サライ)において、紛れもなく最大の天体なのだと、クニカは直感した。ちりばめられた無数の星は、その引力に導かれずにはいられない。集まった視線に圧し潰されるような心地になり、クニカは気が気ではなかった。


「それより、カノジョを案内してほしい。ミカの近くに。そうだ。カノジョは“星”だ」


 星――星だって――あの人が――。クニカのいる位置からでも、周囲の少女たちのざわめきが聞こえてくる。少女は、今度はクニカに蝋燭を差し出してきた。おっかなびっくりになってそれを受け取ると、周囲のざわめきに耳を貸さないようにしながら、クニカは敷物に腰を下ろした。


「人の狂気は天の正気。人道は勧善とともにあり。天道は大悲とともにあり」


 経典の一節が、朗々と読み上げられている。アアリの声だった。ミカイアの棺を前にして、アアリは正座をしている。その周辺を、使徒騎士たちが、時計回りに回っている。彼女たちは、携えていた細い(たきぎ)を、そっとミカイアの棺に添えていた。


「ミカを送り出してやれ」


 身にまとっていた黒いローブを、別の少女に預けながら、ペルガーリアは言う。


「ペルジェ、どこへ?」

即位灌頂(バプテスマ)の準備だ。ルフィとリティがオレを待ってる」


 そう言い残すと、ペルガーリアは別の扉から、“歳星の間”を抜けていく。


 取り残されたクニカは、ふと自分の真横に目を向けた。その方角にいた二人の少女が、慌てた様子で、クニカから目を反らす。居心地の悪さを覚えながらも、クニカはミカイアを見送ることに集中する。


「我ら、冥府に友たらん。(とも)(とも)に冥府を()かん。冥府を征きて、(こん)(じき)の雲の果て、王国においてその安息に浴し、四天の柱で天界を支えん――苦しみは(ひと)(とき)、歓びは永遠(とこしえ)。さらば」


 アアリが立ち上がる。周囲にいた使徒騎士たちが、棺に一歩踏み出すと、手にしていた松明を、敷き詰められた薪にくべる。炎はたちどころにして大きくなり、ミカイアの棺を包む。


 広間の中央で、炎は渦を巻きながら、煙を立ち昇らせる。天蓋の横に張り出された窓から、煙はそのまま、“黒い雨”のたぎる空へと吐き出されていく。


 燃え盛る炎の暑さと、使徒騎士たちの白衣の眩しさに、クニカは顔を背ける。そのときクニカは、自分の側に座る少女の横顔が、偶然にも目に留まった。少女は、クニカよりも年下のようで、まだ幼く、見習いのようだった。クニカの視線に気付いていないのか、目元から溢れる涙を、少女は必死に拭っていた。


 星誕殿において、少女はきっと、クニカよりも長い時間を、ミカイアとともに過ごしたのだろう。そう考えたとき、クニカは、ミカイアに代わって、自分が少女を慰めるべきなのではないかと、そんな気持ちにさえなった。


 しかし、ここで声を掛けたところで、少女は戸惑うにちがいない。自分の慰めが、何になるというのだろう。掴むほどができるほど間近にいながら、自分の手は、永遠に少女には届かないのではないか。――そんな予感を前にして、クニカの心は震えた。


 ミカイアの身体は、煙となって、ゆっくりと立ち昇っていく。

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