082_復活(Воскресение)
彼女は造物主を深淵に投げ込むであろう。かれらは不義のゆえに拭い消されるであろう。すなわち、かれらは火を吐く山のようになり、互いに食い合って、かれらの造物主によって滅ぼされるときにまで至るであろう。(『この世の起源について』)
ニフリートは生きている。
「そんな……。ニフリートはあのとき、確かに死んだはずです」
「オレも、ジイクからそう聞いた。アイツはキミの首を噛み、キミは血を沸騰させた。アイツは粉々になった」
「どうして……!」
礼拝堂の床に転がった、ニフリートの亡骸の影像が、クニカの脳裡によぎる。
「アイツの使った手口は、オレにも分からない。もともとアイツは、一年ほど前に、キラーイ火山に落ちて焼け死んだはずなんだ。オレも、ほかの使徒騎士たちも、アイツが溶岩に舐め取られたのを見ている。にもかかわらず、あいつは現れた。キミの夢に、現実に。違うか?」
クニカは頷いた。
「火山に落ちた奴がニセモノか、チカラアリに現れた奴がニセモノか。あるいは、どっちもニセモノなのかもしれない。現に、アイツは生きている」
「どうして、それが?」
フランチェスカが尋ねた。
「今回の戦争で、星誕殿では、サリシュ=キントゥス帝国の動向を追っていた」
ペルガーリアが答える。
「オレたちは初め、“黒い雨”の原因が、帝国にあると考えていた。だが、戦況が見えてくるにつれ、そうでないと分かった。進軍してきた帝国軍も、“黒い雨”にやられている。コントロールできていない。では、“雨”の原因は何か? その情報を、オレたちは探し求めていた。リティ――リテーリアは、もう分かるよな?」
クニカもフランチェスカも、同時に頷く。
「彼女は、“獏”の魔法使いだ。 “獏”は、他人の無意識に侵入して、記憶を書き換えたり、幻覚を植え付けたりできる。アイツの場合は特殊で、白昼夢を見せたり、催眠術を使ったり、他人の意識を伝播して、情報を仕入れたりできる。だから、星誕殿の内務管掌であると同時に、諜報活動も引き受けている。リティのお蔭で、オレたちは帝国軍の侵攻作戦から、参謀本部の狙いまで、手に取るように分かっていた。つい、この前までは」
「それができなくなった?」
クニカの問いに、ペルガーリアは頷く。
「他人の意識への闖入に、妨害が入るようになった。魔法での干渉は、魔法でしか妨害できない。リテーリアを妨害する魔法使いは、星誕殿にはいない。向こうの連中に、リテーリアを妨害できるほどの能力を持った魔法使いはいない。もともと星誕殿にいて、帝国に寝返った人物だけ、それが可能になる。ニフリートだ」
「だとしたら、どうして今になって、ニフリートは妨害を?」
クニカは尋ねる。
「侵攻のときから、ずっと妨害を行っていれば、もっと侵略しやすかったはずじゃ――」
「オレたちも、その点は不思議だった」
立ち上がると、部屋の隅に置かれていたサモワールの上蓋から、ペルガーリアはティーポットとカップを取り出した。サモワールの蛇口を開くと、ペルガーリアは、ティーポットに湯を注いでいく。
「しかし、思い当たることが、ひとつある。もしかしたら、キミはもう知っているかもしれない」
ペルガーリアは目を閉じる。すると、クニカの脳裏に、影像が喚起された。
影像を前にして、クニカは叫ぶ。脳裏に浮かんだのは、うす暗い室内だった。室内には、円筒形のガラスの容器が、無数に並べられている。ガラスの容器は、液体に満たされており、その液体に包まれて、人間の子供が、胎児のように丸まっていた。子供はみな、クニカに似ていた。
ウルトラへ向かう途中のことを、クニカは思い出す。リンを救うために、サリシュ=キントゥス帝国の基地に、クニカは乗り込んだ。ニコルの助けを借りて、基地の深奥へ進むうち、クニカは、同じ光景を目の当たりにしていた。
「クニカ?」
脳内のイメージを振り払おうと、自然と手で払いのける動作をしていたクニカの隣で、フランチェスカが、クニカの顔を覗き込んできた。
「すまない」
ティーポットから茶を注ぐと、ペルガーリアは、カップをクニカに差し出した。
「キミもやはり、現物を見たんだな? おそらくは、キミの生まれ、実存にも関わってくることだ。茶を飲んでくれ。少しは気分がマシになる」
弾んだ息を抑えながら、クニカはカップに口をつける。茶の熱さを前にして、クニカの額からは汗が噴き出す。しかし、茶の香りを嗅ぐうちに、クニカは次第に、落ち着きを取り戻していった。
「ニフリートが復活した理由も、オレは今の影像にあると思っている」
カップの茶を、ペルガーリアは底の深い皿に注ぎこむ。
「帝国がキミを欲しがる理由も、おそらくは同じだ。チカラアリで、ニフリートはキミに何て言った?」
「わたしを複製したい、って」
「つまり、キミを殺すつもりはなかった」
「戦勝記念競技場で――」
フランチェスカが続ける。
「敵の司令官も言っていた、『“竜の娘”は、生きて確保しなければならん』と」
「そう。クニカの確保を、向こうは望んでいる」
「もしそうだとして、それが『リテーリアが妨害された』ことと、どう関係が?」
「いい質問だ、フラン。それを考えるためには、補助線がいる。創世神話は知っているだろう?」
その質問に、フランチェスカはすぐに答えなかった。気になったクニカが、フランチェスカに視線を向けた矢先、フランチェスカは、
「ハ、ハ!」
と、声を立てて笑った。
「なぜ笑う?」
「ナンセンスだから。“霊長の魔法使い”は、伝承に過ぎない」
「だとすれば、クニカは? “竜の魔法使い”だ。それこそ伝承の」
「それは――」
「クニカだけで、途方もない魔法が使える。もし、“霊長の魔法使い”が、魔法を使ったら? それこそ、世界を一度終わらせて、もう一度始めることだってできるかもしれない」
世界を終わらせて、もう一度始める。ペルガーリアの言い方はさりげなかったが、言葉自体が備える迫力を、クニカは無視できなかった。無言のまま、クニカはもう一度、カップの茶に口をつける。
「ここから先は、全て憶測だ」
皿に注いで冷ました茶を飲みながら、ペルガーリアが言った。
「第一に、ニフリートは生きている。第二に、帝国はクニカを欲している。その意が“霊長の魔法使い”にあると考えたとき、クニカが求められる理由は二つに一つだ。一つは、“霊長の魔法使い”と“竜の魔法使い”とを揃えて、帝国は何かを企んでいる。もう一つは“霊長の魔法使い”を復活させるためには“竜の魔法使い”が必要になる」
ペルガーリアは言葉を切った。フランチェスカも、クニカも、何も言うことはできなかった。
「“霊長の魔法使い”の復活に、向こうがどれだけ本気なのか。それを探ろうとした矢先で、オレたちは妨害を喰っている。しかし、『妨害を喰った』という事実が、ひとつの手がかりになる。クニカ、向こうはキミが必要なんだ」
「もし、わたしが死んだら?」
クニカは尋ねる。自分でも、声がかすれていると分かり、クニカは恥ずかしい気持ちになった。
「わたしが死んだら、“霊長の魔法使い”は、復活しないかもしれない」
「ハ! ナンセンス!」
フランチェスカが笑う。
「ナンセンス! もしそうだとするならば、チカラアリで、ニフリートがクニカを殺さない理由がない」
「フランの言うとおりだ。アイツも騎士の端くれ。目的を果たすためには、手段を選ばない」
そのとき、翼がうねるような音とともに、星誕殿全体が震えた。結界の幕が、ドームのようになって、星誕殿の敷地を覆い始めていた。
「だから、『事情が変わった』んだ」
半透明の結界が星誕殿を包み込むのを眺めながら、ペルガーリアは椅子から立ち上がる。扉が開くと、ペルガーリアの露払いを務めていた準騎士が、再び部屋へと入ってくる。
「ルフィナを呼んでくれ」
「共感覚を使えばいい」
準騎士が退出した後、フランチェスカが言った。
「魔法を使えばいいってもんじゃない」
ペルガーリアは肩をすくめてみせる。
「話を戻そう。クニカ、ニフリートは、キミを狙っている。これは危機かもしれないが、同時に機会でもある。もし向こうが“霊長の魔法使い”を復活させるつもりなら、オレたちは、“霊長の魔法使い”の復活を阻止できるかもしれない。フラン、そのためには、万全を期す必要がある。“黒い雨”に苛まれているだけの時間が惜しい。だからキミには、早急に巫皇として、チカラアリを背負ってもらいたい」
「もとより、そのつもり」
ペルガーリアから、やや目線を反らし気味に、フランチェスカは答える。
「ハハハ」
ペルガーリアは笑った。屈託のない笑顔だった。
「クニカ、どうだ? 救世主として、キミの力が必要だ」
「できます、わたしも」
膝頭に乗せた手に、クニカは力を込める。
そのとき、クニカの脳内に、ひとつの記憶が浮かび上がってきた。ミカイアを喪ったその日に見た、“うすあかり”の世界での記憶。黒い巨人に追いついた途端、その姿は煙のように消え、代わりに現れたのが、霊長と竜だった。
天地の開闢において、共に倶にあったのが、霊長と竜である。そうだとすれば、世界を滅ぼそうとする“霊長の魔法使い”に対峙できるのは、“竜の魔法使い”しかいない。クニカは、そう考える。
「救世主として!」
クニカは言った。
結界の外が、闇に包まれる。“黒い雨”の、降り始めだった。




