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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第4章:チカラアリ少女行(В Чикараари)
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077_審問(Инквизиция)

「ここだ」


 旧市街の一画で、リンが足を止めた。リンの見つめる先には、煤けて、がらんどうになった土地が、何区画にもわたって続いている。瓦礫が残っていれば良い方で、土地の大半は焼夷弾に舐め取られていた。焦げ臭さだけが、この場所にかつて建物があり、人の営みがあったのだということを、ほのめかしていた。


 ウルトラに脱出する前、リンが住んでいたはずの家。クニカは本来、そこへ案内されるはずだった。


「何にもないや。ハハ」


 短く笑うと、リンは腰にぶら下げていたタオルで、額から流れる汗を拭った。


「何だか、スカッとするな。こんだけ何もないと」

「寂しくないの?」

「寂しくない、って言えば、(ローシ)になる」


 家の跡地を見続けながら、リンは言う。


「でもさ、残ってたら残ってたで、喪っちまったもの、数えてたと思うんだ。リヨウのこととかさ」


 リヨウは、リンの妹である。リヨウはクニカにそっくりで、リンがウルトラへ疎開するときは、リヨウも一緒だった。ただ、乗っていた列車はウルトラまでたどり着けず、リヨウは死に、リンだけが生き残った。


 焼け焦げた空き地に、クニカは目を細める。この空き地にも、かつては建物があり、人が住んでいた。リンと、リヨウと、その家族だ。頭では分かっていても、クニカには実感が湧かなかった。初めて出会ったとき、リンはひとりだったからだ。


 しかし、リンに家族がいるのは、当たり前のことなのだ。誰しもが、誰かの子供で、誰かの家族である。そうした繋がり、無数の連関の交点に、リンという実像が結ばれている。ほかの全ての人だってそうだ。


 しかし、クニカは?


(自分は……)


 引き潮に足元の砂が奪われていくような、頼りない感覚に、クニカは襲われる。この世界に転移したとき、クニカは完全に孤立していた。もし“黒い雨”が降っていなければ、クニカはリンに巡り合うこともなく、この異世界で、誰からも認知されなかったかもしれない。そのときクニカは、世界の人々の網の目に絡め取られることなく、ただ自由落下を続けていたことだろう。落下を続けて――その先は?


「なあ、クニカ」


 リンに呼びかけられ、クニカの思考は中断する。


「まだ持ってるか、“お守り(アムニエ)”」

「あ……うん」


 タオル地のパーカーの胸元から、クニカは“お守り”を取り出す。それは銀製のロケットで、その中には、リンとリヨウの姉妹の写真がある。


「そうそう、それそれ」


 白い歯を見せて、リンが笑う。


「オレはさ、それがあれば、過去はもう十分さ。触っていいか?」


 言われるがまま、クニカはリンの手に、ロケットを委ねる。リンはそれを、強く握り締めた。


「リン……」


 リンの“心の色”が灰色に揺らぐのを、クニカは見て取った。


「落ち着いて、リン。ニコルなら大丈夫だよ」


 クニカの言葉に、リンは黙って頷く。リンの表情は硬かった。


 今日は、クニカたちがシャンタイアクティへと旅立つ日であり、“裁き”が下される日でもあった。“裁き”の対象はニコルで、サリシュ=キントゥス帝国の出身者であるニコルの生命と自由とを巡り、ジイクとアアリが審問を行っている。


 審問の結果が公示されるのは、正午になってからのことだ。“利害関係者”として排除されたクニカたちは、正午になるまで、チカラアリの街を散策し、時間を潰さなければならなかった。



   ◇◇◇



「あーあ、」


 目を細めて、リンは正面の建物を見上げる。


 旧市街から引き上げたクニカとリンは、そのまま新市街までやってきた。二人は今、新市街の中心にあるチカラアリ大聖堂(サヴォル・チカラアリ)の前に立っている。


「派手にやっちまったな」


 建物の中央、ステンドグラスが嵌められていたはずの箇所は、円形の枠だけが残っている。室内へ突入するに当たり、クニカたちが、ステンドグラスから突っ込んだためだ。


「アスイさんが描かれてんだよ」

「アスイ“さん”?」

「そう、初代チカラアリ巫皇のさ」


 その話ならば、クニカは以前も聞いた。気になったのは、“アスイさん”というリンの言い方だった。


「どうした?」

「アスイ“さん”って、親しそうだなァって」

「ええ? でも、ウチらはみんなそうやって言うんだぜ」

「そうなんだ?」

「親父もおふくろもそうだったし。ずっと昔から、そうだったのかも。でも、何でだろうな? ……あ」


 思い出したように、リンが話を続ける。


「思えば、うちの巫皇(ジリッツァ)はみんなそうだな。ハラニさん、キオウさん……。伝統なのかもな」

「じゃあ、フランが巫皇(ジリッツァ)になったら、フランチェスカさん?」

「フランさん、かな? 『フランチェスカさん』だと、他人行儀だろ?」


 リンとともに、クニカは大聖堂を見上げる。大聖堂の外壁は白亜に覆われており、周囲の建物よりもひときわ高い。大聖堂の四隅にある、尖塔の頂上を視野に収めるために、クニカは思い切り、真上を見なければならなかった。


「入ろう」


 リンとともに、クニカは大聖堂の扉をくぐる。内部に照明はなかったが、外からの陽射しで、部屋は明るかった。


 室内は、何もかもがめちゃくちゃだった。天井にあったはずのシャンデリアは、床に落ちて、粉々に砕け散っている。壁に掛かっていたはずのビロードの覆いも、燭台などの調度と一緒になって、部屋の隅にたくだまっている。絨毯の一部などは、黒ずんだシミが付着していて、二度と使い物にはならなそうだった。


 クニカたちを逃すべく、ジイクとアアリは、ここで擬人化された魔法陣と闘っていた。しかし、この大聖堂が荒れ果てたのは、それよりも前のことだろう。南大陸で、一番初めに“黒い雨”が降ったのは、このチカラアリだった。大聖堂は、流れた雨、流れた血の中で、ずっと屹立していたのだ。


「ちょいと、ごめんよ」


 その時、クニカたちの後ろから、声がかかった。振り向いてみれば、職人風の格好をした男性が、両手に何かの破片を持って、通り過ぎようとしているところだった。


「あ……」


 男性を見て、クニカは声を上げる。頭にバンダナを巻いた、固太りの男性――ミカイアのために、桜の木材で棺を(こしら)えていた、職人たちのひとりだった。


「おっさん、それは?」

「へへっ、こっち来てみろ」


 リンの呼びかけに、職人の男性は、嬉しそうに応答してみせる。クニカとリンが案内された先には、周囲の物が取り除かれ、大きなブルーシートが広げられていた。その上には、粉々になったガラスの破片が並べられている。天女アスイのステンドグラスだ。


「これは……ここかな?」


 職人の男性が、拾い集めたわずかなステンドグラスの破片を、近くに座っていた仲間に手渡した。おぼろげながら、ステンドグラスの全容が、クニカの前にも立ち現れている。


「修復すんのか?」

「いんや」


 リンの質問に、職人の男性がかぶりを振る。


「粉みじんになっちまったヤツは、かき集めらんねえ。だからよ、こうして破片を組み合わせて、スケッチするんだ。で、スケッチを基にして、新しいステンドグラスを作る。――おい、どうよ?」

「いちいち話しかけんな。気が散るだろ」


 線の細い、職人というよりは芸術家風の男が、職人の男性に肩を叩かれ、ムッとした表情をする。


「何だよ、繊細なこと言いやがって、ガハハ」


 しかし、職人の男性は気にも留めていないようだった。


「ちゃんと復元できんのか」

「おっと、違うぜ、ただの復元じゃない。更新するんだ」


 今度は、スケッチを描いている男がそう言った。


「更新?」

「そうさ。知ってるか? チカラアリ大聖堂ができてから、ここのステンドグラスがぶっ壊れたのは、今回が初めてじゃない。この大聖堂を建立した巫皇(ジリッツァ)・キオウの時から、かれこれ三回はぶっ壊れてる。そのたんび、ここの職人が一から作り直してんだ。そん時の奴らが、一番最高だと思えるものをな」

「そうなんだ」

「何年かかるか分かんねえけどよ、前作った奴らに負けねえような、すげえ奴を作るつもりさ。そうだろ?」


 職人の男性の言葉に、周囲にいたほかの人々も、みな笑顔で頷き合っていた。



   ◇◇◇



 正午になった。新生“おおさじ亭”目掛け、クニカはリンに連れられて、空から舞い戻る。


 新生“おおさじ亭”の軒先には、“自由チカラアリ”の人たちでごった返していた。その最前列には、カイ、ジュネ、それからジュリの姿がある。


「見ろ、救世主だ!」


 空からやって来たクニカとリンを見やり、誰かがそう叫んだ。皆の注目が、クニカに一斉に集まった。クニカは黙って地面に降りたが、何をするにも注目が集まるようで、居心地が悪かった。


「フランは?」


 人だかりの中に、フランチェスカの姿はない。クニカは心配になった。


「『用がある』って言ってたゾ。」


 カイが答えた。リンの眉間にしわが寄る。


「用? これよりも大事な?」

「なぁ、クニカちゃん」


 皮なめし職人のニキータが、クニカに尋ねる。


「どうすんだよ、もしニコル君が死刑なんかになったら――」

「アイツがスパイなんかするわけないだろ」


 クニカに代わって、リンが言い返した。


「だから大丈夫、心配要らないよ。な、クニカ?」


 とは言うものの、リンはつま先で、せわしなく地面を蹴っている。


「だけど、万が一、ってこともあるじゃねえか」

「そんなことになったら、ウチらが黙っちゃいないさ。な、ジュリ?」


 腕を組んだまま、“おおさじ亭”の料理番長・ジュネが、妹のジュリに呼びかける。


「『審問のために密室を使いたい』っていうから、ウチんとこの部屋、貸してやってんだ。変な結果返しやがったら、鍋でぶっ叩いてやる」

「当ったり前じゃんね」

「ハ、ハ!」


 そんな姉に、ジュリもしきりに頷いていた。隣では、意味が分かっているのか、いないのか。カイが笑った。


 そのとき、厨房の扉が開け放たれて、中にいた三人組が、新生“おおさじ亭”の軒先までやって来た。ジイクとアアリの姉妹に、ニコルが挟まれている。


 両腕を後ろに縛られた格好のニコルは、アアリの促しによって、地面に膝立ちにさせられる。背負っていた長剣を、ジイクが目にも止まらぬ早業で抜き放った。陽射しを受けて輝く刀身に、居並ぶ人々が騒然となる。


「第七百九十九代の巫皇であるペルガーリア・トレ=シャンタイアクティの(しん)()により、異端審問を司るところのジイク・シャンワウスキー及びアアリ・シャンワウスキーは、()()()いて(せい)(しん)の意をもって裁きを下す――」


 いつになく低い声で、淡々と言いながら、ジイクがニコルの首筋に、長剣を添える。結審に当たっての、決まり文句のようだった。


 ジイクの言葉を()けて、アアリが朗々と述べる。


「チカラアリは天女・ハッルッエラの()(しん)におけるゼラブランカ公会議において、その法域における万事の処理については、ひとえにその法域に立つ巫皇に委ねられるべしと定めらるるものなり。しかるに、本件は被審者の四天の域外におるところ、シタデリア四世の()(しん)におけるチカラアリ公会議において、四天の域外における交渉はシャンタイアクティの巫皇がこれを代表すべしとの定めをもって、チカラアリの法域において異端審問を行うものなり――」

「おい、何言ってんだ?」


 クニカの隣で、ジュネがジュリのことを、肘で小突いている。ジュリは首を横に振るだけだった。ジイクとアアリの言葉は、クニカにとってもさっぱりだった。チャイハネならば、何を言っているのか分かったのかもしれない。


「結審の主文!」


 分かるか? 分かんねえ――そんな、周囲にいるチカラアリ(びと)たちのぼやきが、耳に入ったのだろう。アアリがよく通る声を、ことさら大きく張り上げる。


「主文。被審者の生命、自由及び財産について、チカラアリの巫皇(ジリッツァ)の預かりとする。――以上。結審終わり!」

「預かり?」


 クニカの隣で、リンがアアリの言葉を繰り返した。「無罪」とか「死刑」とか、そういう言葉を想定していたために、クニカも、アアリの言葉がよく分からなかった。


「何よ? 何か文句でも?」


 アアリが鼻を鳴らす。きょとんとした周囲の様子が、気に喰わない様子だった。


「よく分かんないってさ、アアリ」

「そう……そうよねぇ……」


 ジイクの言葉に、アアリが溜息混じりに言った。


「いい? 一回しか言わないから。被審者――ニコルのことね。その身柄はチカラアリの巫皇に預ける決定をしたのよ。ニコルを煮るのか焼くのかは、チカラアリ巫皇が決めればいい」

「ええっと……それで……?」

「それで、チカラアリ巫皇ってのは、今はいないわけ。いない人に、その身柄を預けたわけ。だから、『結審した』っていう実績だけが残って、ニコルは異端審問の対象から外れるの。無罪よ、そう、無罪――」


 アアリの最後の「無罪(ニヴィーナシチ)」という単語は、周囲の歓声に紛れて、全く聞こえなかった。ジイクが鮮やかに剣を振るって、ニコルの手を縛っていた縄を切断する。ニキータが、ジュネとジュリが、カイが、ほかの人々と一緒に混じって、ニコルの胴上げに参加しようとする。


「うげえっ?!」


 クニカも参加しようとして――突然、首に腕を回され、思い切り後ろに引き倒される。相手の腕を掴み取ってみれば、それはリンのものだった。


「リン?」

「こ、腰が……」


 驚いて身を起こしたクニカの後ろ側で、リンが尻餅をついていた。


「腰が……抜けちゃって……」

「ハハハ、何やってんだ、リン!」


 ジュネが近づくと、リンを起こしてやり、それから思い切り、リンの尻をひっぱたいた。


「よっしゃあ。今日はお祝いだ。待ってろよみんな、今からうまいもん作ってやる――」


 ジュネの言葉に、周囲の歓声が、一段と大きくなった。

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