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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第4章:チカラアリ少女行(В Чикараари)
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072_神の鉄槌(Молот Господень)

――そして、もしかれが隠された者(カリュプトス)たちのひとつを見るならば、かれが見るのは、不滅の王国(バルベーロー)楽園(アイオーン)である。

(『異邦人の福音(アロゲネース)』、46頁)

「ミカイア!」


 クニカの前に出ると、ニコルがミカイアに声を掛ける。ミカイアは足を引きずっており、返事はなかった。


「ニコル――」

「怪我してる」


 リンとニコルは、互いにうなずき合う。“鷹”の魔法属性である二人は、遠目が効く。ミカイアが怪我を負っていることが、二人には分かるようだった。


「おおい!」


 ニコルが駆け出そうとした、その矢先。轟音とともに、地上に影がたなびいた。その影が航空機の輪郭を帯びるやいなや、みな本能的に、地面に身を伏せた。


 一台の戦闘機が、クニカたちの頭上をすり抜け、大通りの奥、突き当りの建造物に衝突する。間近に雷が落ちたような音に続いて、鼻づらの折れた戦闘機が、建物に重なってひしゃげ、またたく間に炎に包まれる。噴き上がった火柱は、赤いツツジの花のようだった。クニカたちの辺りにも、熱風が押し寄せる。


 ミカイアは、なおもゆっくりと、クニカたちのところまで近づこうとする。炎に照らされ、ミカイアの全身が逆光で暗くなる。


 ミカイアの心の辺りで、光がまたたく。


「あっ」


 クニカは叫んだ。ミカイアの胸の裡でまたたいた光は、青い光を放っていた。青い、鉛色の光――。


「ニフリート……!」

「え?」


 隣にいたリンが、目を細める。


「どういうことだよ?」


 そのとき、進路にあったガス灯に、ミカイアは左手を突き出した。ミカイアの手に、尋常でない力が込められているのが、遠くからでも分かった。


 ガス灯が、地面から根こそぎになる。クニカは戦慄する。ミカイアはまっすぐ、クニカをにらみつけていた。


「危ない!」


 ミカイアがガス灯を振りかぶったのと、その軌道上に、ニコルが割って入ったのは、ほぼ同時だった。ニコルに突き飛ばされ、クニカは石畳に肩を打ち付ける。クニカの視界の中で、投げつけられたガス灯と、ニコルとが交差する。あり得ない速度で、ニコルはクニカの視界からはじけ飛んだ。


「ニコル!」


 石畳に叩きつけられ、ニコルは動かなくなる。ガス灯は真ん中からへし折れ、後方に転がった。


 石畳を踏みしめるミカイアの(くつ)音に、クニカは我に返る。ミカイアは確実に、クニカを狙っていた。その心には、ニフリートの青い光を宿している。ニフリートが化けているのか――。


「そんな……」


 ミカイアが、ニフリートに操られているのか。


 倒れ伏しているニコルに近付くと、リンがニコルの(ベルト)から、何かを引っ張り出して構える。リンの手には、銃が握り締められていた。


「ミカ、撃つぞ!」

「リン……!」


 ミカイアとニコルとを、クニカはかわるがわる見つめる。ニコルは意識がないようだった。打ちどころが悪ければ、死んでいてもおかしくはない。


 ミカイアは、なおもクニカに近付いてくる。


「言ったからな!」


 両腕を前に突き出すと、リンが発砲した。銃丸はミカイアの身体に命中し、はじき返されるか、粉々になって、周囲に飛び散った。銃丸はねずみ花火のようになって、クニカの視野に残像をはびこらせる。


 “(アクーラ)”の魔法属性であるミカイアは、全身を、その歯のように硬化させることができる。シャンタイアクティの使徒騎士として修練したミカイアの前には、銃弾さえも、丸めた紙くず程度の威力しかないようだった。


 引金の空振る音が、クニカの耳に響く。ミカイアは既に、クニカの正面に立ちはだかっている。


「おい!」


 ミカイア目掛けて、リンが拳銃を投げつける。拳銃はミカイアの顔に当たり、引っかかった眼鏡が石畳に落ち、砕けた。それでも、ミカイアは微動だにしない。


 クニカの目の前で、ミカイアが右手の拳を握り締める。クニカはただ、その動きを見つめるだけだった。拳を固め、腕を振り上げる。その姿勢で、ミカイアの動きが止まる。


 ぎこちなく唇を震わせて、ミカイアが言った、


「逃げろ」


 と。


 唇のわなめき、奇妙な間、ぎこちなく固められたミカイアの拳。クニカは悟った。ミカイアは、ニフリートに操られている。だが、クニカを傷つけないよう、必死になって抵抗しているのだ。ミカイアの身体の内側で、ミカイアの精神と、ニフリートの精神とが、火花を散らしている。


 逃げなきゃ――そう思い立った瞬間、クニカの脇腹に腕が回され、這いつくばった姿勢のまま、クニカは横へと引きずられる。カイだった。


「カイ!」


 クニカが叫んだのと、ミカイアの拳が、クニカのいた位置を叩いたのとは、どちらが早かったか。ミカイアは、障子をたたき割るかのような軽さで、石畳に亀裂を走らせる。亀裂は広がり、溝のようになり、谷のようになり、その黒ずんだ(あぎと)の中へ、瓦礫を呑み込む。


 大聖堂の下、クニカたちが立っていた大通りの下には、地下水路が隠されていた。ミカイアの一撃により、その天蓋が崩落した。


 慌てて腕を伸ばしたクニカだったが、遅かった。叩き壊された石畳に引きずられ、クニカの身体は、地下水路へすべり落ちる。周囲にあった街路樹、ベンチ、屋台の残骸、ガス灯、墜落した戦闘機の機体、重油が、混然一体となって、地下水路へと降り注ぐ。


 クニカは背中から、水面へと叩きつけられる。鞭で打たれたような痛みを、クニカは歯を食いしばって堪える。水面に出ようとするものの、次々と降ってくる瓦礫に、水流はかき乱される。クニカの身体は、木の葉のように頼りなく、されるがままに動くしかなかった。


 そのとき。水中でもがいていたクニカの腕を、だれかが掴む。


(うっ……?!)


 声を出すことも、目を開けることも、今のクニカにはできなかった。その代わり、クニカの意識は自然と、相手の心へ向けられる。相手の心は、白い光を放っていた。カイだけが備える純真の光だ。(カサートカ)の魔法属性であるカイは、水の中でこそ本領を発揮する。カイはクニカを捕まえて、瓦礫を避けながら、その場を離れようとしていた。


 しかしクニカは、そんなカイの白い光を、あの青い、鉛色の光が、追いかけてきていることに気付いた。白い光を呑み込み、クニカを、水の中に引きずり込むため、ミカイアが追跡を始めたのだ。


 カイが(カサートカ)ならば、ミカイアは(アクーラ)である。シャチに(かな)うサメは、野生にはいないだろう。しかし魔法の技術に関して言えば、ミカイアの練度はカイを圧倒している。カイの泳ぎは、ほとんど風を切るような速さだったが、それでもクニカは、ミカイアがじわじわと距離を詰めているのを感じ取っていた。


 それだけではない。水圧に揉まれ、クニカは息苦しくなってくる。水中でも呼吸ができるように、クニカは祈ろうとした。しかし、頭の中に(もや)がかかったようになり、クニカは上手にイメージを結びつけることができなかった。自分の魔力が魔法陣に吸い取られ、底をついてしまったのだと、クニカは直感した。魔力を振り絞れない経験は、クニカには初めてだった。


 青い光は、ほとんどクニカのつま先にまで差し掛かっている。息苦しさは喉から肺へ、肺から心臓へ押し寄せ、張り裂けそうになる。


「助けて!」


 我慢できず、クニカは水の中で叫んだ。声は水深に埋もれ、クニカの呼気は大粒の泡となって飛び散る。カイが全身の筋肉を震わせたかと思うと、次の瞬間、クニカは水の束縛から解き放たれ、大気の中へと放り出された。


「あ……っ?!」


 水の支えを失って、クニカはそのまま、地面へと転がり込む。クニカの周辺は水浸しになり、溜まっていた埃が浮かび上がって、まだら模様を描く。


 クニカの視界には、柱と壁画とが映り込む。一部の柱は根元から崩れ落ち、一部の柱は横倒しになって、埃を被っている。水路は地上まで通じており、クニカたちが今いるのは、列柱廊を持った礼拝堂のようだった。


「ハー……ハー……」

「カイ?!」


 クニカの正面で、浅い息をつきながら、カイがむくりと起き上がった。そんなカイの姿に、クニカはぎょっとする。カイの全身は真っ黒で、銀色の髪も、白い肌も、すっかり重油にまみれていた。入り組んだ地下水路を突破する中で、カイは機械油の洗礼を浴びたのだ。


 横倒しになった柱の側まで近づくと、カイは膝から崩れ落ち、そのまま柱の上に寝そべってしまった。息はあるようだったが、全身を覆う油の重みに耐えきれず、カイは気を喪ってしまったようだった。


 そして――水の跳ねる音とともに、水路から垂直に何者かが飛び出し、クニカの手前に着地した。ミカイアだった。


 気絶しているカイを一瞥すると、ミカイアはクニカに一歩近づく。


「ミカ……!」


 後ずさろうとしたクニカだったが、すぐに、背後に壁があることに気付いた。ミカイアを止めようと、クニカは右手を前に突き出す。


「分かるでしょ……わたし……つ、強いんだから……」


 クニカは言った。これは虚勢だった。祈りの力を行使しようにも、魔力は尽きてしまっている。


 しかし、もし魔力が残っていたとして、自分は何をすれば良いのだろうか? 追いつめられている状況を忘れ、クニカは自問自答する。魔力が残っていれば、クニカは祈るだろう。しかし、何を祈るというのだろう? ミカイアが倒れることを? それは本当に、自分が望むことなのだろうか?


「アア、ハ、ハ……! ハ……!」


 唇の端を歪ませて、ミカイアが笑う。その笑い方は、紛れもなくニフリートのものだった。その笑い声を聞いただけで、クニカはもう、全身から力が抜けたようになって、その場にへたり込んでしまった。


 左足を一歩踏み出すと、ミカイアが右手の拳を、ぎこちなく握り締める。


〈諦めるな、クニカ〉


 そのとき、クニカの脳内に声が響いた。ジイクの声だった。


(ジイク……?)

〈目ェつぶるんだ〉


 ジイクに言われるがまま、クニカは目を閉じる。目を閉じたと同時に、クニカの瞼の裏に、ジイクの姿が浮かび上がる。


〈手ェ取ってくれ〉


 影像(イメージ)の中で、ジイクが手を伸ばす。クニカは、その手を取った。クニカの身体の内側から、魔力がよみがえってくる。


 今ならば、また祈ることができる――。


〈今だ!〉


 ジイクのかけ声とともに、クニカはジイクの身体をたぐり寄せるようにして、目を見開いた。それはちょうど、ミカイアがクニカに殴りかかる、まさにその瞬間だった。


 薄暗い室内に白刃がきらめき、斬り飛ばされたものが、放物線を描いて床に落ちた。ミカイアの右腕だった。


 クニカとミカイアとの間には、長剣を抜き放ったジイクが立っている。大聖堂から礼拝堂まで、ジイクは、みずからの魔力をクニカに送り込むことで、クニカの魔力を回復させ、その祈りの能力を使って、転移(ワウプ)を図ったのだ。


 右腕を斬り落とされたにもかかわらず、ミカイアは痛む素振りさえ見せず、左腕で、ジイクの胸倉を掴んだ。剣を取り落とすと、ジイクは両手で、ミカイアの手に抵抗する。ミカイアに持ち上げられ、ジイクのつま先が、床から離れる。


「ジイク……!」

「許せよ、ミカ」


 危機を察知し、クニカは叫んだ。だが、ジイクに慌てた様子はなかった。


「分かってくれよ。クニカ、伏せるんだ……!」


 ミカイアの左腕を、ジイクが両手で押さえつける。ここに来てクニカは、ジイクがわざとミカイアに捕まることで、自分に手出しをさせないようにしたのだと気付いた。


 そのことを、ミカイアも察知したのだろう。ミカイアはジイクを放り投げようとするが、ジイクが右足を突き出して、ミカイアの左脚に引っかけていた。


 そして――ジイクの姿が、突然点滅する。次の瞬間、ミカイアに捕まれていた人物が、ジイクからアアリへと入れ代わった。身をかがめていたクニカも、立ち尽くしていたミカイアも、その一部始終に目をみはる。


 アアリは、口を大きく開いていた。口の辺りには白い光球があり、それは小刻みに稲妻を放って、周囲を震わせた。男が大笑いするような大きな音が漏れ、光球が一気に膨れ上がる。


〈ミカ、ごめん――!〉


 クニカの脳裏に、アアリの念話がまぎれ込む。


 光球は爆発するのだろう――クニカはそう考えたが、その様子を最後まで見届けることはできなかった。光球が解き放たれ、それが一本の光線に集約される、まさにその瞬間、クニカは放たれたエネルギーの大きさを前にして、自らの五官が全て漂白されたようになったからだ。


 クニカが最後に感知したもの。それは、アアリの口元から放たれた極太の光線が、ミカイアを貫通している、そのわずかな影像(イメージ)だけだった。

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