071_魔法陣少女(Девушка волшебного круга)
「おい、よそ見すんな」
クニカの耳元で、リンの怒号が響く。クニカは今、リンと手をつなぎながら、空を渡り、新市街を目指している。
隣では、ニコルに連れられながら、カイが両足をばたつかせていた。リンとニコルの外側では、ジイクとアアリの姉妹が、翼もないのに、自由に空を飛んでいる。
――鵺?
離陸間際、聞き慣れない名前に、リンは目を白黒させていた。
――何だよ、それ?
――空棲類にして、神聖類なのよ、あたしたちは。
空中で直角に軌道を変更すると、クニカとリンを囲むようにして、アアリはジグザグと空を飛ぶ。
――ま、見てなさい。じきに分かるわ。
「あそこだ!」
クニカの思念が、リンの叫び声に呼び戻される。目を向ければ、四本の尖塔を有した巨大な建造物が、前方に屹立していた。結界はすっかり中和され、日蝕の合間だというのに、外壁の白さは眩しいくらいだった。
チカラアリ大聖堂――その形姿に、クニカは息を呑む。周囲の建物と比べても、大聖堂はひときわ高くそびえている。大瑠璃宮殿のようなドームを想定していたクニカだったが、むしろ塔と形容した方が正しいだろう。建物の中央には、円形の巨大なステンドグラスが凝らされており、一人の女性を象っていた。
「アスイさんだよ。天女の!」
風にかき消されないほどの大声で、リンが言った。チカラアリ人の始祖にして、伝承上の初代チカラアリ巫皇・天女アスイ。多産とされた逸話のとおり、ステンドグラスの中のアスイも、その腕に嬰児を抱いていた。
クニカの耳に、花火が打ち上がるときの音に似た、かん高い汽笛のような音が響く。それと同時に、細長い鉄の塊が、煙の軌跡を描きながら、クニカのもとへ殺到する。――それが、高射砲から放たれたミサイルだと気付いたときには、クニカたちのはるか手前で弾け、潰えた。ジイクの張る結界のお蔭だった。クニカたちのところには、熱も、煙も届かない。
「なあ、どうする?」
側面から迫ってきたミサイルが、アアリの”稲妻の鞭”でなぎ倒される。その様子に仰け反りながら、ニコルが尋ねる。
「降りるのか?」
「突っ込むのよ、ステンドグラスに!」
「何だって?!」
リンの目の色が変わる。
「『街は壊さない』って約束だろ!」
「勝ちにこだわるのよ、リン」
握りしめていた稲妻の束を、アアリは正面へ殺到させる。ミサイルや、地上からの弾丸は薙がれ、ときにその尖端はしなやかに伸びきり、地上の戦車の群れ、空中の戦闘機をもなめ取った。
「どうしてもぶっ壊すんだな」
「当たり前よ――」
「クニカ、覚えとけ!」
「え?」
急に話を振られ、クニカはまごつく。
「いいか、まずニフリート、お前がこいつをぶっ叩く。そしたら、すぐにステンドグラスを思い出して、祈りで戻すんだ。分かったな!」
「は、はい――」
「あっはっは」
結界を展開しながら、ニコルの脇を滑空していたジイクが、高度を下げて、カイの近くまで身体を寄せる。
「”竜”の椀飯振る舞いだ。ペルジェが聞いたらぶっ飛ぶぞ。カイ、大聖堂に何人いる?」
「二人!」
「二人……?」
アアリが目を細める。
「ニフリートと……もうひとりは?」
「ウーン。……ワカンネ!」
カイの返事は、いさぎよかった。
「だれだっていい。いる奴はみんなぶっ叩く。ほら、すぐそこ――」
リンの言うとおり、ステンドグラスは目と鼻の先だった。
「いいかい、クニカ?」
ジイクがそっと、クニカに呼びかける。
「目を閉じて。イメージを送るから、そのイメージを自分のものにしたら、目を開けて」
「分かった」
「突っ込むぞ――」
「おう――」
リンと、ニコルのかけ声。天女アスイの懐が、クニカの目前に迫る。
クニカは目を閉じる。次の瞬間、クニカのまぶたの裏に、まだら模様を描きながら動く、らせん状の魔法陣が投影される。クニカは、その軌跡を目で追うことなく、ありのままのイメージとして、心に思い描く。”竜”の魔法、思考を現実に置換する能力がクニカからほとばしり、ジイクとアアリの魔力がなだれ込んで――それは文字通り、すさまじい魔力だった――大聖堂の内部に殺到する。ステンドグラスの割れる音と、鞘なりの音とが、少し遅れて、クニカの耳に到来する。
まぶたの裏に描かれた魔法陣が、暗闇の中へと消えていく。それを合図に、クニカは目を開けた。
クニカの正面では、ジイクとアアリが剣を抜いて、腕を突き出している。剣の先端は空中で交差し、正面に立つ人物の胸を刺し貫いている。
「どうした……笑えよ?」
貫かれていたのは、ニフリートだった。顔色ひとつ変えず、ニフリートは言い放つ。ニフリートの視線が、まっすぐ自分を捉えていることに、クニカは気付いた。
そのとき、クニカは自分の視覚の隅で、歯車のような魔法陣がうごめくのを感じ取った。眼球に入ったゴミを目で追おうとしてしまうために、かえって見つけられなくなってしまうようなもどかしさが、クニカを襲う。しかしクニカは、次第にその魔法陣が、まばたきをしても――目を見開いても――しまいには、自分の意識から追い出そうとしても、まるで意識に直接与えられたもののように、自分に吸い付いて離れないことに気付いた。
「あ……!」
視野に迫る、魔法陣の質感を前にして、クニカはうめいた。次の瞬間、クニカは、自分の魔力が、どこか別のところへ投げ込まれるのを感じ取った。
「違う!」
カイが叫ぶと同時に、ニフリートの姿が忽然とかき消える。
「罠か……!」
ジイクが舌打ちする。大聖堂の奥から、黒い影が二体、立ち上がる。二体の影は点滅し、渦を巻きながら、実体を帯び始める。中心にあるのは、人の死体だった。頭が変形しているために、もとはコイクォイだったに違いない。
「お、おい……?!」
「リン、離れて!」
クニカがよろめいたことに気付き、リンが手を貸そうとする。そんなリンの手を払いのけると、アアリが剣を振りかぶる。
「ううっ?!」
次の瞬間、アアリの長剣が、クニカの目の辺りを一閃する。それと同時に、クニカの意識を覆い尽くそうとしていた魔法陣が、視界から消え去った。だれのものでもない悲鳴が響き渡り、クニカの全身が総毛立つ。魔力がしぼり取られるような感覚が抜け、クニカは息をついた。
「何だ……?!」
正面をにらんでいたニコルが、更に目を細める。
渦は、中心にいる二体のコイクォイを取り巻いていく。初めこそぎこちなかった二体のコイクォイの動きは、影と重なり合い、クニカたちの前に立ちはだかったときにはもう、生者と変わらないほど、しなやかに動いていた。
かつてコイクォイだった二体は、形姿までもが変容し、生身の少女のような外観を帯びる。二体の少女は、どこからか取り出した剣を構え、クニカたちに対峙する。
「擬人化だ」
剣を構え直すと、ジイクが言った。
「コイクォイを媒介にして、クニカの魔力を吸って、魔法陣を擬人化したんだ。うかつだった」
「フランが危ない」
アアリの言葉に、クニカははっとなる。
はじめから、ニフリートの思惑どおりだったのだ。大聖堂にニフリートがいると考えた一行は、全勢力を傾け、大聖堂へと乗り込む。だが、ニフリートのねらいは、フランチェスカにあったのだ。
「リン、戻ろう!」
「戻るって――」
「ここは任せて」
擬人化された二体の“魔法陣”を正面に、アアリが言った。
「フランの確保が先よ。ニフリートに見つかる前に」
「分かった」
「急ごう!」
ニコルのかけ声とともに、カイとリンが、大聖堂の外へ向かって駆け出した。一緒に駆け出したクニカの背後から、稲妻の迸る音と、剣同士が触れあう音が響いてくる。
◇◇◇
大聖堂の正面玄関から、クニカ、リン、カイ、ニコルは、外へ出る。足下では、突入の際に砕け散ったステンドグラスの破片が、乾いた音を立てる。
「どうする?」
「旧市街まで戻る」
リンの問いかけに、ニコルが答える。
「フランは、正面からまっすぐ、新市街へ乗り込む作戦だった。陽動のために。だから――」
全てを言い終わらないうちに、ニコルが言葉を切る。ニコルが視線の先に、リンも、カイも、それからクニカも、自然と目を向ける。
ひとりの人物が、ゆっくりと、クニカたちのところまで歩みを進めてくる。
ミカイアだった。




