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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第4章:チカラアリ少女行(В Чикараари)
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069_ワライカワセミに話すな(Не разговаривайте с Смеющаяся кукабара)

 世界と世界の狭間、頭上に広がる闇と、足下に広がる闇との合間で、クニカは両足をばたつかせる。爪先が足場に触れようとしては、それは闇の中へ溶け出し、虚空に消え、クニカは再び中空へ投げ出される。着地するための運動を、クニカは幾度となく繰り返しては失敗した。


 それでも、いつかは終わりがやって来る。クニカの右足、土踏まずの辺りに、固く、細長いものが食い込んだ。それは足場には違いなかったが、クニカは左足を前に伸ばして、別の足場を探ろうとする。


 クニカの視界が、闇から解き放たれる。世界全体の鮮やかさが、渾然一体となって、クニカの網膜に殺到する。次の瞬間には、クニカの左足は虚無を踏み抜いて、全身が自由落下の体勢を取った。


「クニカ!」


 後ろから、男性の声が響く。ジイクの声だと気づいたときには、クニカは後ろ手に振った左腕を、ジイクにつかみ取られていた。


「ふわあっ?!」


 体重を支えるものを喪い、クニカの喉から、間の抜けた悲鳴が迸る。ようやくクニカも、自分の身体が公会堂の二階、開け放たれた窓の外に投げ出されていることに気付いた。記憶の(とばり)に知覚が覆われ、鮮やかさは明瞭さに取って代わる。自分は宙づりの状態で、視界に映り込んでいるのは、公会堂の中庭の芝生であると、クニカは理解した。


「助けて――」

「何やってんだ、バカ――」


 悪態をつきながら、リンはジイクに手を貸す。


「気ィ喪って倒れたかと思えば、急に飛び出そうとしやがって……」


 リンの言葉を聞きながらも、クニカは空の様子に釘付けだった。空を三重に覆っていたはずの、ジイクとアアリの結界。その結界の、一番外側の赤い層に、亀裂が走っている。


 何より奇妙なのが、空のほの暗さだった。結界の向こう側にある天体を、クニカは見上げる。新月のように見えたそれは、輪郭の外側から、攪拌した七色の光を、鬼火のように仄めかせている。


「日蝕だ――」


 子供の時分、図鑑の写真を眺めた記憶を、クニカは思い出す。引き上げられたクニカは、窓の(さん)を乗り越えて、室内に半身を戻す。


「でも、どうして――」


 クニカが問いかけたのと、ジイクがリンとクニカの手首を引っ張り、床に引きずり倒したのとは、ほぼ同時だった。


「おい――」


 リンの声が、クニカの耳にも届く。しかし、それとほぼ同時に、クニカの視覚が、中天から押し寄せるおびただしい光を感じ取った。それは青い、鉛味の光で――ニフリートの光だった。


 空全体から、女性の悲鳴が響き渡る。声は直截に、クニカの心に斬り込んだ。公会堂全体が大きく揺れ、天井から土埃がこぼれ、照明は点滅し、調度の抽斗(ひきだし)は抜け落ち、窓ガラスは砕け、破片が絨毯に散らばった。


 腰が抜けそうになり、クニカは思わず、リンにすがろうとする。しかし、ジイクがクニカの手を離さなかった。


「ジイク?」

「知ってるのか?」


 ジイクの問いかけに、クニカの喉が鳴る。ジイクは、ニフリートについて尋ねている。クニカの脳裏に映り込んだイメージが、つないだ手を伝って、ジイクにも伝わったのだろう。


 クニカは頷いた。と同時に、先ほどまで見ていた白昼夢を、ペルガーリアとニフリートの対峙していた白昼夢を、クニカはもう一度、鮮明に思い出そうと努める。


「ペルジェも! そうか……もうばれてる……そういうわけか」


 自分自身に言い聞かせるように、ジイクが何度も頷いた。


「何だよ、今の――」


 声を震わせるリンをよそに、ジイクは無言のまま、窓辺まで近づく。クニカも連れ立って、ジイクの後ろから、窓の外を眺める。先ほど、亀裂の走っていた結界の第一層、赤色の層が、今では蝶の羽のようになって、空中に散らばっている。その下にある、緑の第二層にも亀裂が走っていた。クニカは、先ほどの悲鳴が、砕け散った赤い結界のものであると気付いた。


「どうなってんだよ」


 隣に来たリンが、結界に目を細める。”鷹”の魔法属性であるリンは、クニカよりもはっきりと、損なわれた結界の様子を見て取ったのだろう。リンの腕には、鳥肌が立っていた。


「壊れないんじゃなかったのかよ」

「ニフリートよ」


 背後からの声に、クニカ、リン、ジイクの視線が注がれる。部屋の入口には、アアリが立っていた。その後ろでは、カイとニコル、それからニキータが、所在なさげに周囲を見回している。


「ニフリート? 何だよ?」

「ニフリート・ダカラー。元シャンタイアクティの使徒騎士で、ニフシェのお姉さん」

(ニフシェの……?!)


 アアリの言葉に、クニカは顔を上げた。ニフシェとは、大瑠璃宮殿で、二言三言、言葉を交わしている。オリガを助け起こそうとして、オリガから邪険に手を振り払われたときの様子が、クニカには印象に残っている。


 しかし、ニフシェはニフリートよりも背が高く、髪の色は夜空の星のような銀色で、紺色の瞳を持っていた。亜麻色の髪に、水色の瞳を持つニフリートとは、似ても似つかない。姉妹のようには、クニカは思えなかった。


「一年前に、キラーイ火山の噴火口に滑落して、焼け死んだ……」

「だけど……生きていた」


 続きを口にしたクニカに、アアリが目を丸くする。


「分かるの?」

「クニカは、もう会ってる」


 クニカに代わって、ジイクが答えた。


「ミカの命を安堵してすぐ、クニカは倒れた。夢の中で、ニフリートに襲われてたんだ。そこに、ペルジェが干渉した。もし干渉してなければ、クニカは夢の中で、精神を破壊されていたかもしれない」

「ペルジェにも?」


 アアリの尋ねに、クニカは黙って頷いた。


「その様子……初めてじゃない、ってカンジかな?」


 ジイクが肩をすくめた。


「いつから干渉してきたんだ、ニフリートは?」

「ウルトラで……オリガたちが来た日に……」

「なんだって……?!」


 リンの表情が険しくなる。


「どうして早く言わないんだ」

「ごめんなさい。でも……」

「言えなかったんだよな?」


 ジイクが言った。


「もし誰かに話したら、その人にまで、危害が及んでしまう。そんな気がするって。そうだろ?」


 クニカは頷いた。ニフリートが放つ、人ならざる者のオーラ。ジイクは、そのことを言おうとしているのだと、クニカには分かった。


「それで……実際に危害を及ぼしに来た、ってワケか!」


 リンが腕を組む。


「で? どうすりゃ良いんだよ、オレたちは?」

「クニカとフランには……シャンタイアクティまで行ってもらう。今すぐに」


 アアリの言葉に、部屋は静まり返った。


「この街はどうなる?」

「あたしとジイクが、おとりになる。それから――」

「なぁ、違うんだよ」


 失笑気味にそう言うと、リンはアアリの近くに寄り、側にあった椅子に腰掛ける。それからアアリの手首を掴むと、傍らにあった椅子に、アアリを座らせようとする。


「オレはさ、街の話をしたかったんだ。いいよ。分かったよ。クニカもフランも、シャンタイアクティに行けばいい。……なあ。オレの言いたいこと、分かるだろ?」


 立ったままのアアリに、リンは単語をはっきりと区切りながら、そう繰り返す。リンの言いたいことを察知し、クニカは息が詰まる思いだった。リンは辛抱していた。


 アアリは一瞬目を背けたが、みずからの服の袖に食い込むリンの指を前にして、もう一度リンに向き直った。


「この街は――」


 アアリが言いかけた矢先、半開きだった扉が勢いよく開かれ、稲妻のように誰かが押し入ってきた。アアリの言葉を、固唾を呑んで待っていたクニカは、開け放たれた扉の音に驚き、反射的に身震いする。


 入ってきたのは、フランチェスカだった。あっけにとられているリンを後目に、フランチェスカは、アアリが座らせられる予定だった椅子を引き寄せると、小脇に抱えていた携帯用の黒板を置き、その場にしゃがみ込んで、何やら数式を書き始める。


「悪いな、みんな。止めようがなかった。……どうした?」


 一拍遅れて、ミカイアが入ってくる。ただ、ただならぬ部屋の雰囲気に、ミカイアは、フランチェスカとジイク、それからアアリを、代わる代わる見返していた。


「フラン、ちょうどよかったわ。あのね、あなたに言いたいことが――」

「話しかけたら自殺する!」


 部屋に反響するほどの大声で、フランチェスカが叫ぶ。あまりにも突飛な発言に、アアリは仰け反ってしまった。


 一心不乱に数式を殴り書くフランチェスカを前にして、誰も何も言えない。しばらくその状態が続いた。


「できた! 完璧な作戦!」


 立ち上がると、フランチェスカはそう叫び、短くなった白いチョークを、口に放り込んだ。クニカの隣では、ジイクがしきりにまばたきをしている。


「いいかい? みんな」


 手を二回打ち鳴らすと、フランチェスカが言った。


「窓の外に、結界が見えるだろう? あれを……反転させる!」

「ムチャ言わないでよ」


 チョークの粉末を、口から噴射しているフランチェスカをよそに、殴り書きにされた黒板の数式を、アアリがにらんだ。


「その上で……収縮させる!」

「簡単にできるもんじゃないわ。二重の結界の、それぞれに解析をかけなきゃならないのよ」

「フフン、大丈夫」


 妙に渋い笑みを浮かべると、フランチェスカが、クニカのところまで寄った。


「え……?」

「キミなら、できる! ハ、ハ!」


 そう言いながら、フランチェスカは、クニカの両肩に手を添える。戸惑ったクニカは、部屋にいるほかの人たちに目をやった。唇を噛んでいるリンの様子が、クニカの目に留まる。


 リンだけではない、と、クニカはそう考える。故郷に戻るのを楽しみにしていたのは、ジュネもジュリも同じのはずだった。夢や、希望や、”旧市街”の奪還に喜んでいる自由チカラアリの人たちの喜びが、ニフリートの影に塗りつぶされようとしている。


 クニカがこの世界に来たことの意味。


 クニカが”救世主”と呼ばれることの意味。


「やってみる……!」


 自らの決意を噛みしめるようにして、クニカは答える。


「そうだ。試してみる価値はある。何がどこまでできるか――手を貸して」


 早口でそう言うと、ジイクは再び、クニカの手を掴む。


「今から、結界の収縮を共感覚(テレパシー)で伝える。脳裏に映ったイメージを、現実のものと思うんだ」

「分かった」

「行くぞ――」


 ジイクのかけ声と同時に、クニカは目をつぶる。すると、まぶたの裏側に、ドーム状になった結界が映り込んだ。自分が想起していないイメージが頭の中に浮かぶのは、クニカにはこそばゆい。


 映り込んだイメージを、クニカは自分のもののようにして思い描く。そのイメージが現実に置換されるよう、クニカは”祈った”。ジイクから伝わるイメージは、クニカの脳内でも、刻一刻と姿を変える。”旧市街”を覆っていた結界は裏返り、今度は反対に新市街を包むようになる。その上で、外側にあった緑の層が、三つ目の青い層よりも早く収縮し、層の順番が入れ替わる。アアリが「簡単じゃない」といった理由が、クニカにも何となく分かる。


 固く目をつぶるクニカの耳に、息を呑む音が聞こえてくる。


「すごい……!」


 窓の辺りから、桟の軋む音とともに、アアリの声がした。窓枠から身を乗り出して、アアリは結界の様子を眺めているようだった。


「クニカ、目を開けろ! 成功だ! こりゃすごい……!」


 笑いの入り交じったジイクの声に、クニカは目を開ける。思い描いていたとおりに、ジイクとアアリの張った二枚の結界は、旧市街から新市街へと裏返り、新市街全体を覆い潰すようにして、収縮を続けている。


「待て」


 外を眺めていたニコルが、収縮を続ける結界を前にして、言った。


「あの後、どうなる?」

「結界の影響を受けるのは、魔法使いだけだ」


 縮みゆく結界に目を細めながら、ミカイアが言った。


「結界を破ろうにも、焦点距離が近すぎると、破壊の衝撃波で自分が被害を受ける」


 ミカイアの後を受けて、アアリが説明を続ける。


「そもそもリアルタイムで収縮する結界相手には、焦点距離が割り出せない。だから、ニフリートは別の方法で防御しようとする」

「別の方法?」


 と、リン。


「逆函数から編成した結界で、もう一方の結界を中和するんだ。見ろ!」


 全て言い終わらないうちに、ジイクが叫んで、ある一点を指さした。収縮を続ける結界中から、黄色い結界が出現したかと思えば、一気に膨れ上がって、クニカが反転・収縮させた結界にぶつかった。結界の収縮は止まり、湯気のようなものが立ち上り始めたのが、クニカの視界からもはっきりと分かった。


「中和結界だ」


 ジイクが言った。


「こんな即席で作れるなんて……ということは……」

「そう。そこに標的がいる」


 またしても、唇を端を歪めるようにして、フランチェスカが妙に渋い笑みをこぼした。


「作戦大成功! ハ、ハ!」

「チカラアリ大聖堂だ。……今ならいける」


 掛けていた眼鏡を外すと、ミカイア目の辺りをこすった。


「中和しきるまでは、あそこに足止めだ。いくらニフリートでも、蒸発させるには時間がかかる――」

「さあ、行こう!」


 いつになく高らかな調子で、フランチェスカが言う。自分が立てた作戦を実行している最中、フランチェスカの人見知りは収まるようだった。


「うん! リン、行こうよ!」

「分かった!」


 うなずき返すリンに対して、クニカは、自分が収めた成果に、静かに興奮していた。


 チカラアリ大聖堂、そこにニフリートがいる。今度は、クニカがニフリートの下まで行く番だった。

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