067_星の重み(Гравитация Селестии)
――私はお前に王国の秘密を明かし、星々の誤りについて教えたのである。
(『ユダの福音書』、第45-46頁)
公会堂が見えてきた。正面には、フランチェスカが立っている。腕を組んだ姿勢で、まるで立ちはだかっているかのようだった。
「フラン!」
クニカはフランチェスカに呼びかける。
「あの子がフランチェスカ。みんなからは”姫”って呼ばれてるけど、わたしはフラン、って呼んでる」
後ろにいるジイクとアアリに、クニカはフランチェスカを紹介する。
「初めまして」
アアリが言った。
「初めまして」
フランチェスカも答える。
初対面のはずなのに、フランチェスカに物怖じした様子はない。そして、フランチェスカの“心の色”は、黄色く点滅していた。黄色は、警戒を表す色だ。
嫌な予感がして、クニカはフランチェスカの表情をのぞく。フランチェスカは顔色ひとつ変えず、微動だにしなかった。
フランチェスカは、ジイクとアアリに対峙しようとしている。
しかし、何のために?
「やあやあ、フラン」
ジイクがフランチェスカに挨拶する。
「オイラはジイク。こっちは妹のアアリ。会えてうれしいよ。ミカは元気かな? 彼女に会えると良いんだけれど」
「ミカイアは死んだ」
フランチェスカが答える。
隣にいるリンと、クニカは目配せし合う。何か、良くないことが起きようとしていることに、リンも気付いたようだった。
(フラン……?)
クニカの額から、汗が噴き出しはじめる。フランチェスカの”心の色”の点滅は、激しさを増している。
フランチェスカは、嘘をついている。
――嘘をついてるな?
浴場でのミカイアとのやりとりが、クニカの心の中をよぎる。
――使徒騎士相手に嘘をつくとは、ずいぶんな度胸だ。
しかし今、フランチェスカはそれをやろうとしている。
「チカラアリ人にしては、嘘が上手いじゃない」
周囲に垂れ込める、奇妙で、気まずい沈黙の中、アアリが乾いた拍手を送る。
「あれかしら、嘘をつくときに、堂々としちゃうタイプかしら?」
フランチェスカは答えない。
「ミカだけじゃない。サリシュの兵士を、あなたは匿っている」
アアリの言葉に、クニカはドキリとする。ニコルのことを言っているのは明らかだった。隣では、リンが息を呑んでいる。
「おたがい、暇じゃないはずよ。いい、フラン? 〈あなたは、ジイク及びアアリを、ミカイアのところまで連れていく〉」
「私はジイク及びアアリを――」
途中まで言いかけ、フランチェスカは喉元を押さえる。アアリはフランチェスカを催眠に掛けようとしている。
「やるじゃない」
フランチェスカに腕を伸ばしながら、アアリが言う。
「必要な麻酔は人間の数倍、ってところかしら――」
次の瞬間、苦しんでいたはずのフランチェスカが、まるで蒸気にでも当てられたかのように忽然と消える。と同時に、クニカの視界の中で、アアリが飛び上がった。否、瞬間移動をしたフランチェスカが、アアリの身体を押しのけたのだ。
押しのけられた勢いのまま、アアリは空中で一回転する。右手には、背負っていたはずの長剣が、逆手に構えられている。フランチェスカの移動も、アアリの抜刀も、クニカは見切ることができなかった。
アアリの爪先が、地面に触れる――。
「あっ……!」
次の瞬間、アアリは悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。アアリの表情は苦痛に歪み、額から脂汗が流れだす。
アアリの取り落とした剣が、芝生に突き刺さる。既にフランチェスカは、アアリに追撃の体勢を取っている。フランチェスカの手が、アアリまで伸びる――。
「おっと、動くな」
アアリに触れる直前で、フランチェスカの動きが止まる。喉元には、ジイクの長剣が突きつけられている。
「さすが、象の魔法使い。だけど、舐めてもらっちゃ困る」
これまでの様子とはうって変わって、ジイクは真剣な口調だった。傍らでは、咳き込みながらも、アアリが再び立ち上がる。
ジイクを見据えたまま、フランチェスカは動かない。そんなフランチェスカの横顔を、クニカは見つめる。瞬間移動も、アアリを行動不能に追いやった能力も、フランチェスカの魔法属性・”象”によるものなのだ。
「出会い方がまずかったよ。それは謝る。無駄な血は見たくない。お互いのためにならない。そうだろう?」
――約束してほしいんだ。フランの友達作りの世話をしてくれる、って。
ミカイアの言葉を思い出し、クニカの心に、冷たい風が吹く。ミカも手伝ってよね、と、そう訊いたクニカに対し、ミカイアは答えなかった。
答えがなかったことの意味、フランチェスカがミカイアをかばう理由、ジイクとアアリがチカラアリへとやって来た、もう一つの目的。――クニカの中で、それらが一本の線を描く。
「待って」
駆け寄ると、クニカは、ジイクとフランチェスカの真横に立つ。
「クニカ、来ちゃダメ」
「ミカに会って……どうするの?」
フランチェスカの制止にもかかわらず、クニカはジイクに尋ねた。
「ニコルのことも……」
「ニコルって名前なのね?」
クニカと相対するようにして、アアリが立つ。バカ、と、フランチェスカが口だけを動かし、クニカをののしる。
だが、今のクニカに、そんなことは関係なかった。ジイクとアアリがチカラアリにやって来た、もう一つの目的を、クニカは知りたかった。
クニカの指先に、自然と力がこもる。
「もし……ミカのことを……」
「言ったろう、クニカ」
ジイクは言う。
「出会い方がまずかった。無駄な血は見たくない。君たちは思い違いをしてる」
「クニカ、フラン、あなたたちを傷つけるワケにはいかないのよ。あたしたちの立場くらい、分かるでしょう」
アアリの言葉に、フランチェスカの息が荒くなる。
「あんたの立場なんて――」
「待ってくれ」
そのとき、公会堂の後ろから、別の声が届いた。
「いいんだ、ニキータさん。ありがとう」
引き留めようとするニキータを制止し、ひとりの少女が、柱の陰から姿を現した。ミカイアだった。
「ミカ!」
「ありがとうな、クニカ」
そう言うと、ミカイアは近づいて、クニカの身体を抱きしめる。
「勇気あるんだな。それだけで嬉しいよ」
クニカは足がしびれたようになって、立っているだけで精一杯になった。
静かにフランチェスカの側まで来ると、ミカイアは地面に膝をついた。アアリが回転拳銃を構えて、ミカイアの後頭部に銃口をあてがう。
「私は星誕殿に戻らず、星旨を損ないました」
「どうなってんだよ……?」
リンが声を震わせる。
「何だよ、これ……」
「”黒い雨”が降ってすぐ、ペルガーリアはミカイアに、戻るように命令した。だけど、ミカイアはそれをしなかった」
「そんな……」
ジイクの説明に、クニカは声を発した。
「戻れるわけないのに……」
「巫皇の命令は、星よりも重い……!」
透きとおった声で、アアリが言った。
「オイラは”ヤコブ”を、アアリは”ヨハネ”を襲名してる」
ミカイアを見据えたまま、ジイクが続ける。
「歴代、”ヤコブ”と”ヨハネ”を襲名した者は、異端審問と綱紀を司る。身内の規律違反をどう処すかは、ウチらに委ねられている」
星命、星旨、聞き慣れない言葉を聞くたびに、クニカの脳裏に、東の巫皇・ペルガーリアの姿がよぎる。星誕殿の騎士たちにとって、ペルガーリアは大きな天体なのだ。
アアリが撃鉄を起こし、銃口をミカイアのこめかみにあてがう。銃口に頭を押しやられ、ミカイアがよろめく。
「おい、いい加減に――」
我慢できないとばかりに、リンが飛び出そうとする。その瞬間、アアリが引金を引いた。薬室から漏れた火薬の発光と、鼓膜を直に叩きつけるような轟音のために、クニカは目をつぶる。
それから、クニカは目を開けた。
フランチェスカは、地面にへたり込んでいる。
銃からは紫煙が噴き上がっている。
ミカイアは、地面に膝をついたままだった。
銃弾は、ジイクとミカイアの間に穿たれ、煙を上げていた。
「ミカ、あなたは死なないわ」
銃を仕舞うと、アアリはミカイアに手を差し出す。
「死なせるものですか」
「いいのか?」
「当たり前でしょ?! でなけりゃ、何のためにあたしたちが来たと思ってるのよ!」
かん高い声で、アアリが怒鳴る。それは、怒っているからというよりも、照れ隠しのためのようだった。
「な、言ったろう? 『思い違いをしてる』って」
いたずらっぽくウィンクすると、ジイクはフランチェスカの両手首を掴んで、彼女を立ち上がらせる。
「身内で殺し合うのなんて、お馬鹿さんのやることさ。もっとやらなきゃいけないことが、ウチらにはある。そうだろ、クニカ? フラン?」
「う、うん……!」
クニカはほっとして、ジイクの言葉に何度も頷いた。
「ハァ、驚いた……」
ため息をつくと、リンがクニカの肩を掴む。
「ビックリしたな。心臓が止まるかと思ったよ」
リンが体重を寄せてくるために、クニカはよろめく。立ち上がったミカイアが、ヒヤッとしたよ――と呟いている。
太陽が陰った気がして、クニカは空を見上げようとする。しかしクニカは、同時に、自分の足に力が入らなくなっていることに気付いた。
倒れる直前まで、クニカは危機感を覚えることができなかった。ミカイアの言葉に、ジイクとアアリが笑っている。そっぽを向いているが、フランチェスカはミカイアが無事だったことを喜んでいるようだった。リンがクニカの異変に気付き、何かを言っている。だが、リンが何を言っているのか、クニカには分からない。
声を上げようとした瞬間、クニカの視界が反転する。クニカの身体は闇に呑まれ、奈落へと突き落とされる。




