066_天雷の姉妹(Воанергес)
「ここで
∑[k=1→n]1/2^k → 1 (k → ∞)
だから、永遠に”新市街”にはたどり着けない、と言ってしまってもいい。ハ、ハ!」
公会堂の会議室は、”自由チカラアリ”の兵士たちでごった返している。少しでも頭を動かしたら、鼻先がぶつかってしまうくらいの混み方だった。
そんな会議室の中央で、フランチェスカは、額を黒板にこすりつけながら、機関銃のように”新市街奪還作戦”をまくし立てている。フランチェスカは、話すのと同じくらいの速度で黒板に数式を書きつけており、前に書いた数式の上に、平気で数式を重ねていた。クニカは全然、作戦の内容が頭に入ってこなかった。
目玉だけを動かして、クニカは周囲をぬすみ見る。兵士たちは、あいまいなほほえみを唇の端に浮かべつつも、みな遠いところを見つめていた。フランチェスカに着いていけていないのだろう。
「ニキータさん、」
隣で眠そうにしているニキータに、クニカは尋ねる。
「いつもこんな感じなの?」
「ビックリするよなァ。黒板と喋ってるんだから」
笑顔で答えるニキータに、クニカはため息をつく。
フランチェスカの隣には、ミカイアも座っている。腕を組んだまま、ミカイアは床のタイルをじっと見ている。
「というわけ。理論は完璧!」
満足したのか、小さくなったチョークを、フランチェスカは放り出す。
「具体的な指示は後で」
「だそうだ、みんな、良かったな」
ミカイアの言葉は、まるでみずからに言い聞かせるかのようだった。周囲の人たちは、みな息を吹き返したようになって、ざわめき始める。口より先に手が出るのが、チカラアリ人の性分である。その割には、よく忍耐したな、とクニカは思った。
そのとき、
「戦争だ!」
会議室の後方、扉の辺りから、声が飛んだ。居合わせた人々が、一斉にそちらを向く。
「カイ?!」
扉の前に立つ人物を見て、クニカは声を上げる。そこにはカイが立っていて、白くて長い髪が、濡れそぼっていた。足下には水たまりができていて、何より、両腕でカツオを担いでいた。
「おっ。幸先いいじゃないか」
ニコルが言った。遅れて、クニカの鼻孔を、磯の香りがくすぐる。カイは海に行ったのだろう。
「戦争だ! セ・ン・ソ・ウ!」
「ちょうど作戦会議だったんだ」
リンが言う。
「よく分かんなかったけど」
「おおさじ亭!」
カイがなおも叫んだ。
「おおさじ亭……?」
リンの眉間にしわが寄る。
「まさか……ジュネとジュリが……?」
「行ってみよう、リン」
クニカは胸騒ぎを覚えた。
思えば昨日から、ジュネとジュリには会っていない。人づてに聞いた話では、生家はなくなっていたが、すぐ近くで新生”おおさじ亭”を立ち上げ、料理に奔走しているという。
「カイ、案内して」
「オッシャー!」
カツオを手に持ったまま、カイが両腕を振り上げた。
「オレも行く」
「待ってくれ」
ニコルが言った矢先、ミカイアが口をはさんだ。
「悪いけど、ニコルには残ってほしい」
「オレに?」
「話したいことがある。フランも」
そう言うと、ミカイアはクニカに目配せをする。意図が分からず、クニカはミカイアの“心の色”をのぞこうとする。
「ほら、クニカ、さっさと行くぞ――」
しかし、リンの方が早い。
「うん」
リンにせかされ、クニカは会議室を、すぐに去らなければならなかった。出ていく間際、ミカイアの視線が背中に注がれるのを、クニカは感じ取った。
◇◇◇
惨劇が繰り広げられていた。
「ふんっ!」
という声とともに、ジュネのフロントスープレックスによって、クニカの知らない人が、石畳に叩きつけられている。
「ちょっと、ジュネ!」
すぐ隣には、暴れている姉に近づこうとしているジュリと、やはりクニカの知らない、真珠色の長い髪をツインテールに束ねた、白い肌の少女がいた。
「キャーッ! イヤーッ!」
と、白い少女は、絹を裂くような高い声で悲鳴を上げている。
「フンッ!」
フロントスープレックスをお見舞いした相手に馬乗りになると、ジュネは背後から、相手の関節を極めはじめる。
「ぐえーっ。苦しいー。アンコが出るー」
極められている相手が、音を上げる。その人の顔を見て、クニカは白い肌の少女を二度見する。同じ髪型に、同じ輪郭、同じ背格好で、違うのは肌の色と、声だけだった。
「どうなってんだよ?!」
風変わりな双子の少女を、交互に見やりながらも、リンはジュリに尋ねる。
「それが、このお客さんが、バインセオにオイスターソースかけちゃって……」
「バインセオ?」
バインセオなら、ウルトラにいたときも、クニカは何回か食べている。テーブルに目を向けてみれば、ソースのかけられたバインセオが、湯気を立てていた。
「バインセオにオイスターソースをかけただと?!」
リンの目が、血走りはじめる。
「クニカ、ためらうな。ジュネに加勢すっぞ!」
「リン、落ち着いて……」
「フンガーッ!」
「クニカちゃん、カイちゃん、手伝って――」
相手の首を締め上げているジュネを、ジュリが引き剥がそうとする。クニカとカイ、それからジュリは、三人がかりになって、暴れるジュネをようやく引き離した。
「コノヤロー」
三人に取り押さえられながらも、ジュネはまだ足をばたつかせていた。
「許さねーかっな! バインセオにソースをかけるなんて、シャンタイアクティ人みたいな真似しやがって」
「知らないわよ、そんなの!」
白い肌の少女が言い返す。
「それに、シャンタイアクティではそれがフツーなんだから!」
「むむっ! さてはシャンタイアクティ人だな?!」
「にゃーっ!」
その言葉に、リンとジュリまでもが反応する。シャンタイアクティ人とチカラアリ人は仲が悪い――そんな因縁を、クニカは思い出した。
「みんな、落ち着いてって……」
「シャンタイアクティ人が、何しに来たってんだよ」
「決まってるでしょう? あなたたちに会いに来たのよ」
白い肌の少女が答える。周囲は水を打ったように静まりかえった。
「正確には、クニカに会いに来た、ってこと」
立ち上がると、黒い肌の少女がつけ加える。
みなの注目が、黒い肌の少女に集まる。乱闘のせいで誰も気付いていなかったが、黒い肌の少女の声は、男性のように低かった。ペルガーリアを思い出し、クニカはぎょっとする。
「オイラの名前はジイク。こっちが妹のアアリ」
黒い肌の少女――ジイクは、自分たちを紹介する。
「ウチらは使徒騎士で、オイラもアアリも“天雷”を拝命してる。クニカに会いに来るために、シャンタイアクティからやって来たんだ。会えて嬉しいよ、クニカ」
「どうして、わたしのことを……」
「直感さ」
ジイクの言葉に、リンが鼻を鳴らす。
「オリガも、同じことを言ってたな」
「オリガに会ったのね」
アアリが言った。
「なら話が早いわ。クニカのお友達、ってところ?」
「加勢に来た……って?」
「まぁ、そんなところかな」
ジイクの答えに対し、リンがクニカを肘で小突く。「ジイクとアアリが何を考えているのか、心を覗いてほしい」、リンはそう考えているようだった。
「あのね」
不意に、アアリが声を上げる。その声が、明らかに自分に向けられたものだったため、クニカはぎくりとなる。
「私たちの心を覗こうとしているでしょう?」
「ええっと……」
「お見通しなのよ、その程度は」
「あっはっは」
「ジイク、笑いごとじゃない」
「まあまあ、アアリ」
咳ばらいをしてから、ジイクは言った。
「クニカ、それから、リン。オイラとアアリは、ペルガーリア……ペルジェに派遣されて、ここまで来た。理由は二つ。ひとつはクニカと、フランチェスカに会うため。もうひとつは、実は、これはまだ言うことができないんだ」
「言うことができない?」
ジイクの言葉を、リンがくり返す。
「どうして?」
「事情がフクザツなのよ」
アアリが肩をすくめる。
「当事者にあることを言わなきゃいけないんだけど……言う前にこう、ドンパチやんなきゃいけなくなっちゃうかもしれないし。ほら、あれよ、『既定路線で考えればこうなるけれど、今回はそのような事案には該当しませんでした』ってことを、既定路線が確実だと思ってる人に伝えなきゃなんないわけ。分かる?」
アアリの言い方が小難しいため、クニカもリンも、顔を見合わせるしかなかった。
「難しいってさ、アアリ」
「そうよねぇ。だって、これって要するに内輪ネタでしょ? 分かってもらえるわけがないのよ」
「取込み中悪いけどさ、もういいよ」
大げさに手を振りながら、リンが言った。リンはもう、これ以上よく分からない話を続けるのが嫌なようだった。
「何でもいいけど、じゃあ、証明してくれよ。あんたたちがオレたちの味方だってことを」
「言葉を返すようで悪いけれどね、リン」
アアリが答える。
「人々は“徴”を欲しがるけれど、使徒騎士の業は、みだりに出せるもんじゃないのよ――」
「オッケー。いいよ」
アアリがすべてを言い終わらないうちに、ジイクがあっけらかんと返事をする。アアリが渋い表情をする。
「ちょっと!」
「いいじゃんかー。力を見せつけたいわけじゃない。みんなに分かってもらうため、みんなを安心させるためさ」
まったく、と愚痴をこぼしながらも、アアリはジイクとともに身を翻し、坂道を上っていく。
「クニカ。信じられるか?」
「信じてみようよ」
クニカは、ジイクとアアリの背中に目を向けていた。二人は長剣を背負っている。オリガ、ニフシェ、ミーシャ、それにミカイア。これまでに出会った使徒騎士で、長剣を背負っていない者はいない。
「信じて良いと思うぜ。あいつらは間違いなくシャンタイアクティ人だ」
ジュネが言う。
「バインセオにソースかけるんだもんな。そんな食い方する奴、シャンタイアクティ人くらいだぜ。間違いない。それより、カイ、でっけえ魚だな!」
「ン!」
カイは誇らしげに、捕らえてきたカツオをジュネに差し出した。ジュネの関心は、既に魚料理に向いているらしい。
「よし、魚料理だ。ジュリ、カイ! バインセオは三人で食うぞ」
「ええ、あたしも……?」
「もったいねぇじゃねえか。ソースはかかってるけど、絶対美味い。ほら!」
そう言いながら、妹とカイとを引き連れ、ジュネは新生”おおさじ亭”へと引き返す。クニカとリンは、少し遅れて、ジイクとアアリの後ろをついて行く。
◇◇◇
坂道は尽き、見晴らしの良いところまで、四人は到着する。この場所からは、低地にある新市街の様子が、手に取るように分かった。
「始めよう」
そう言うと、ジイクが一歩踏み出す。次の瞬間、ジイクの身体が宙に浮いた。クニカの見守る中、ジイクは空中で胡座をかく。周辺の空気が張り詰めたのを、クニカは感じ取る。
ジイクの隣では、アアリも同じようにして、空中に正座していた。着物の縁が地面に着くのを、アアリは気にしているようだった。
ジイクとアアリ、二人のツインテールの房が、静電気を放つ。クニカの二の腕が、一気に鳥肌になる。二人から解き放たれた魔力のためだと、クニカは気付く。
両手を掲げ、ジイクが手のひらに息を吹き込む。息にあおられ、白い花びらのようなものが空中を舞い、大気に溶け出す。
並行して、アアリが右腕を振り上げ、指を鳴らす。アアリの手からは稲妻がほとばしり、地上から天上へと、白い稲光が垂直に跳ね上がる。すると、稲妻の先端が弾け、花火のように上空で展開する。稲妻は立て続けに打ち上がり、花火の幕は途切れることなく、”旧市街”を包み込み始める。
「これは……!」
リンが息を呑む。
瞬く間に、チカラアリの旧市街が、ドーム状の結界に覆われる。結界はシャボン玉のような色味で、陽光を受け、紫に、緑に、まだらな光を返す。
「これで大丈夫さ」
地面に足をつけると、ジイクが右腕を伸ばす。ジイクの手の内に、光が集められる。奥義・”天雷”だ――とクニカが気付いたときには、ジイクは天雷を、上空へと投げつける。天雷は、結界の表面に当たった途端、散逸してしまった。
「マ、自分で作った結界だから、説得力ないけど」
「向こうの攻撃もそうだけど、こっちの攻撃も通さない」
アアリが咳払いをする。
「破られたら、どうすんだ?」
「破られない」
リンの言葉に、アアリが答える。
「私たちより強い奴が来ない限り。でしょう?」
「うんにゃ」
クニカもリンも、顔を見合わせる。ジイクとアアリのやりとりは、うぬぼれのためというよりも、正真正銘、二人が強いためのやりとりであると、クニカもリンも感じ取った。
「徴はこれで十分かしら?」
アアリの言葉に、クニカは無言で頷いた。
「ではクニカ、連れていって。私たちを”姫”のところまで」




