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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第4章:チカラアリ少女行(В Чикараари)
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061_新生”おおさじ亭” (Таверна”Новая ЛОЖКА”)

「ジュネ!」


 浮かれ騒いでいる”自由チカラアリ”の兵士たちを、ジュリはかい潜って進む。ジュリに構わず、ジュネはどんどん前へと進む。


 すでに日は沈み、濃紺の空の下で、星の瞬きが見える時刻となっていた。空の静けさとは対照的に、旧市街は祭りのような賑やかさだった。


 旧市街の解放。それがチカラアリ市民の悲願だった。悲願はまたたく間にに成し遂げられ、サリシュ=キントゥスの兵士たちは新市街へと潰走し、”自由チカラアリ”の兵士はひとりも死ななかった。これを喜ばずに、いつ喜ぶのか、という話だった。


 逃げ場を喪い、地下水路に身を潜めていたチカラアリの市民たちは、今、いっせいに街へ飛び出していた。チカラアリの人びとは、サリシュ=キントゥス帝国軍の兵士たちが置き去りにしていった外套や背嚢を燃やしながら、篝火を囲み、どこかから持ち出してきた酒を酌み交わしていた。


 街を寸断していたバリケードは、剥がされ、火にくべられている。喪われたものの大きさよりも、取り戻したものの大きさと喜びとを、チカラアリの人びとは実感していた。


「どこへ行こうってんのよ!」

「実家だよ、実家! ウチらの生まれた家――」

「やったぜ、ヒョーっ!」


 若い黒人の男性が、両手を高く掲げながら、ジュリの隣をすれ違う。


 男性は十字架を握りしめていた。ジュリが小さい頃から馴れ親しんでいるような、円環に囲まれた十字架ではなく、正真正銘、十字を模したものだった。


「ほら、バトンタッチ! 万歳(ウラー)!」

「ウラー……」


 男性の浮かれ具合に便乗するのが恥ずかしく、ジュリはそっと、差し出すようにして手を合わせる。


 本当は、男は


「ハイタッチしよう!」


 と言いたかったのだろう。しかしジュリは、そっとしておいてあげることにした。


「馬鹿野郎。てめえ、何だそれ」


 ジュリの後ろから、声がかかる。すっかり酔っ払って、顔を真っ赤にした中年の男性が、黒人の男性から、十字架を奪い取る。


「戦利品だよ。サリシュ=キントゥスの奴らの天幕(テント)の中から見つけたんだ」

「何が戦利品だよ、コンチクショウ!」


 中年の男性が、十字架を篝火へと叩き込む。



「何すんだよ!」

「ざまあみやがれってんだ」


 黒人の男性をよそに、中年男性は、手に持っていたルアモイ(うるち米から作られる蒸留酒のこと)の瓶をあおる。


「さあ、飲むぞ、飲むぞう!」

「ジュリ!」


 一部始終を見ていたジュリは、引き返してきたジュネに呼ばれる。


「何やってんだよ、早くすっぞ。実家を拝む前に、朝になっちまうよ」

「そうだけど」


 ジュリにはひとつ、気がかりなことがある。クニカとリンの安否だ。いくら勝つことができたとしても、二人の無事が分からないうちに、手放しで喜ぶ気分にはなれなかった。


「リンと、クニカ。だろ?」

「にゃーん……」

「心配スンナって! らしくねえなァ」


 ジュネは妹の肩を叩く。


「もっとチャラチャラしてろよ。無事に決まってんだろ? ウチらのいとこだぞ? あ、クニカは違うけどさ、それでもまぁ、家族みたいなもんだ。そうだろ?」

「うん? そっか……そうね……?」


 ジュネはだんだんと、自分の心配事が、ちっぽけなことのように思えてきた。今は、クニカとリンのを心配するより、自分たちにできること、やらなければならないことをやり遂げることが重要だと、ジュリはそう思えるようになってくる。


「そうかも!」

「ワンワン! だから行くぞ! 実家に戻ったら――」


 背負っていた風呂敷を、ジュネは体の前に持ってきて、ジュリに見せる。風呂敷から顔を覗かせているのは、鉄の打出し鍋に、よく研がれた包丁、鉄のヘラにまな板、それから玉杓子だった。いずれもジュネが、今は亡き父親から承け継いだもので、”おおさじ亭”の味を守る上で大切な、ジュネの商売道具だった。


「これ使ってさ、みんなに旨いもの食わせてやりてえんだ! ま、初めはチャーハンばっかりだろうけれど! だからさ、行こう!」

「アイヨ!」


 気を取り直したジュリは、ジュネと並んで、旧市街の通りを、人をかき分けながら進んでゆく。夜の帳は、刻一刻と街を暗く染め上げていった。雲ひとつない夜空が、二人を見守っていた。



   ◇◇◇



「ここ! ここ!」


 大通りを抜けた途端、ジュネが叫んだ。


「どれどれ。……あっ!」


 追いついたジュリも、目の前の光景に声を漏らす。狭い水路の上を、石でできた無骨な橋が掛かっている。花崗岩でできた名もない橋は、近所に住む人たちからは”げんこつ橋”と呼ばれていた。ジュネもジュリも、そんな”げんこつ橋”という愛称を知る、近所に住む人たちのひとりだった。


「この木も」


 橋の脇に生えている柳の木の、しなだれた枝葉に、ジュリは手を伸ばす。木の一部は焼け焦げ、皮は剥がれ、生々しい銃弾の痕が穿たれていたが、それ以外は奇跡的に、この辺りの景観は昔のままだった。小さい頃の記憶、思い出が、ジュリの中によみがえる。


「この辺りに違いない」


 ”げんこつ橋”沿いの家屋を眺めては、合間にある路地の向こう側の景色を、ジュネは爪先立ちになって見ようとする。分かったのは”げんこつ橋”くらいで、この辺りに立ち並ぶ家屋は、二人がウルトラに引っ越して以降、だいぶ入れ替わってしまったようだった。


「とにかく、行ってみない?」

「当ったり前よ!」


 掛け声とともに、ジュネは一目散に駆け出していく。そんな姉の後ろを、ジュリも追いかける。


 路地の先に広がるのは、チカラアリの下町である。モルタルで修繕された、ひびの入ったクリーム色の塀。無造作に横付けされたオートバイ。工場労働者に朝飯を振る舞うために備えられている、フォーの屋台。それらはいずれも、ウルトラや、チカラアリのほかの町でだって見ることのできるものだったが、今のジュネとジュリには、新鮮であると同時に懐かしくもある、そんな景色だった。


「どうだ?」


 地図と景色を交互に眺めながら、ジュネは坂道を登る。


 周囲は、お世辞にも無事とは言えなかった。ジュリの正面に見える建物などは、建物が木っ端みじんに打ち砕かれており、瓦礫が散乱している。その隣の建物は、外壁だけしか残っていない。


「ジュネ……?」


 ジュリは唾を呑み込む。喉の鳴る音が、周囲に響き渡ったのではと錯覚するくらい、周囲は静かだった。何より、ジュネがピタリと動作を止めていた。


「どうしたん? あっ?!」


 そのときだった。ジュリが言い終わらないうちに、ジュネが飛び上がって――文字通りジュリの目には、ジュネが跳躍したように見えた――それからある地点まで駆け出すと、その場で立ち尽くした。その場所は、つい最近までは、何かの建物があったのだろう。瓦礫のなぎ払われた痕跡があり、瓦礫は煤けていた。


「もしかして――」


 言葉を続けるよりも前に、まぎれもない証拠を、ジュリも見出してしまった。ジュリの目に映るのは、黒焦げになった木の株である。遠い昔、ジュリがまだ小学校に上がる前、そこにあったはずの菩提樹にはタイヤが吊るされてあって、ジュリはそれをブランコ代わりにして、友達と一緒に、遊びに興じたのだった。


 思い出が、津波のようになって、ジュリの下に到来する。何もかもが無くなってしまっていたが、ここが間違いなく、二人の生まれた家があったところ、かつての”おおさじ亭”があったところだった。


「って、ちょっと?!」


 ジュリは慌てて、姉の側まで駆け寄る。黒焦げになった菩提樹と、瓦礫が山積みになった空き地を前にして、ジュネが突然、その場で尻もちをついたからだ。


「どうしたの?!」

「こ、腰が抜けちゃって」

「えぇ?」


 手足をばたつかせている姉を前にして、ジュリは声を漏らす。


「大げさな」

「だってさ、ビックリするじゃんか。故郷(ふるさと)に戻ったら、家、無くなっちまってるんだぜ?」

「そりゃそうだけど」

「玄関があったんだよ、ここら辺に」


 妹に支えられながら、ジュネは立ち上がる。立ち上がる間にも、ジュネは腕を伸ばしながら、地面のある一点を指差して、腕を振り回した。


「玄関の柱にさ、毎年、身長が伸びるたびに、ナイフで切れ込みを入れてたのさ。『どこまで伸びるんだろうね?』とか言っちゃってさ。おふくろも言ってたんだよ、『もしかしたら、ジュリの方が、ジュネを抜いちゃうかもね』って」

「お母さん……」

「懐かしいんだ」


 声を詰まらせているジュネを見て、ジュリは口ごもる。一家がウルトラへ引っ越したのは、ジュリが小学校へ上がってすぐのことだった。そのときにはもう、ジュネは小学校の高学年で、両親に混じって”おおさじ亭”の仕事を手伝っていた。ジュネの方が、街に対する思い出も、生家に対する思い出も、ジュリより強い。


「行こうよ、姉ちゃん」

「懐かしかったんだ!」


 ジュネはうわ言のように、何度もそう呟いた。ジュネの背負う”商売道具”たちも、せわしなく音を立てる。


「ジュネ、それ、置いちゃえば?」


 ジュリは訊いてみる。鉄製の”商売道具”に加えて、腰砕けになっている姉を支えるのは、ジュリにとっては難儀だった。


 不意に、ジュネが足を止める。ジュネを引きずるようにして歩いていたジュリは、姉が急に立ち止まったために歩調を乱され、さすがに苛立った。


「ちょっと、姉ちゃん!」

「ジュリ、あの建物」

「え?」


 ジュネが指差す方向に、ジュリも目を向ける。”おおさじ亭”があった敷地の斜向かいに、白い外壁を持った家屋が佇んでいた。建物は、心なしか傾いているように見えたが、周囲の建物に比べれば、無傷に等しかった。


 何より目を引いたのは、その建物の、一階部分が店舗になっていることだった。そこには車のボンネットや、錆びついたドラム缶の残骸や、風雨に曝されて散らばったダンボールの破片などが、無造作に押し込められていた。


「何?」

「あんな場所に、店なんてあったか?」

「さァ?」


 なけなしの記憶を、ジュリは思い返してみる。近所の思い出は、ジュリの中ではおぼろげだった。むしろジュネの方が、よほど覚えているのではないだろうか?


「どっちかって言えばジュネの方が――あっ?!」


 ジュリは声を上げた。ジュネがいきなり、その建物めがけて走り出したためだ。あまりにも突然にすっ飛んで行ってしまったために、今度はジュリが重心を喪って、その場に尻もちをついてしまう。地面に手をついたとき、ジュリは傍らに、ジュネの”商売道具”が置かれていることに気付いた。


「ちょっと!」


 起き上がったジュリは、建物まで近づく。軒下に溜まっている瓦礫やガラクタを、ジュネは外にかき出している。


「何やってんのよ」

「なぁ、ジュリ、このくらいの広さだったら、ウチと変わんねぇよな?」


 ジュリは息を呑んだ。


「何? 使うわけ?」

「ピンと来たんだよ。ほら、イーゴリ爺さん!」

「爺さんがどうしたのよ?」


 そう言いながらも、ジュリも一緒になって、軒下から瓦礫やガラクタのかき出しはじめる。


「料理やってて良かったって、あのときそう思ったんだ!」

「そうね。そう言ってた」

「ここに来た理由も、それだったろ?! 実家探しに夢中になってたけど、本当の目的はそれなんだよ! ウチらはさ、旨いもの食わせに来たんだ、この街の人たちに! どこでやろうが関係ない。だから、ここで始めっぞ! 新生”おおさじ亭”! 朝までに片付けっからな、待ってろよ!」


 それまで以上に猛然と、ジュネは店を片付け始める。「朝までに」と言い切った以上、ジュネは必ずそれを成し遂げるであろうことを、ジュリは知っていた。そして、そのようになっているときのジュリは誰よりも前向きで、誰よりも希望に満ちているのだということを、ジュリはよく知っていた。

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