059_異常な愛情(странная любовь)
「見たか?!」
ガラス細工職人の男性が、バリケードを紙屑のように破りながら、サリシュ=キントゥス帝国軍の陣地に分け入っていく。自動小銃を構えて必死に応戦していた帝国軍の兵士たちも、男性がいっこうにひるまないと見るや、悲鳴を上げて逃げ出していった。
「待て待てぇ!」
「よくもうちらの街を――それっ!」
もう一人の“自由チカラアリ”の兵士が、土嚢を掴むと、逃げていく帝国軍の兵士たちに投げつける。二人掛かりで持ち上げるのがやっとのはずの土嚢が、まるで石の礫か何かのように放り投げられ、帝国軍の兵士たちの頭上を飛び越え、有刺鉄線の柵に激突する。
「ざまあみろってんだ」
そう言いながらほくそ笑む男性は、これまでに肉体労働とはほとんど無縁であった、時計技師である。
旧市街のあちこちで、異変が起きている。それまで、地下水路に潜伏してゲリラ戦を展開していた“自由チカラアリ”の兵士たちが、突然地上に現れ、一斉にサリシュ=キントゥス帝国軍の陣地に突撃を始めたのである。しかもかれらは、老若男女を問わず丸腰だった。
あり得ないことが、もうひとつある。いくら小銃を撃ち込んでも、かれらはびくともしないのだ。それどころか、拳の一撃、蹴りの一撃で、バリケードをなぎ倒し、兵士を蹴散らしている。
「鮫だ」
サリシュ=キントゥス帝国の兵士がうめく。
「鮫だ……!」
悲鳴を上げて逃げる歩兵と入れ替わりに、一台の戦車が、建物の角から姿を現す。石畳を破壊しながら、戦車は砲塔をうならせ、ガラス細工職人と時計技師に照準を合わせる。
「行くぞ!」
「おうっ!」
戦車に向かって、二人はまっすぐに駆け出す。戦車の砲塔が火を噴く。男たちに砲弾が殺到する。砲弾は男たちを逸れ、レンガの塀を打ち砕く。だが、飛散したレンガの破片が当たっても、二人が痛がることはない。
「こっちの番だぜ、やあっ!」
ガラス細工職人が、拳を突き上げる。プラスチックのストローのように、砲塔はあっさり折れ曲がる。
「ほら、ねんねしてな!」
戦車の脇に回り込むと、時計技師は体当たりをする。戦車は一回転し、そのまま裏返しになった。
「やったぜ!」
「どんどん行くぞ、お礼参りだ!」
二人はなおも、敵陣にまで分け入っていく。これと同じようなことが、旧市街のあちこちで起きている。
◇◇◇
「すげえ! すげえよ!」
“自由チカラアリ”の兵士のひとりが、クニカのところまで舞い戻ってくると、鼻息を荒くしながら、早口でまくしたてる。兵士の身体は真っ黒に煤けていた。戦車の砲弾が直撃したのだろう。
「痛くも痒くもねえ。目に入ったって、どうってことねえ。ミカ嬢の身体、マジで最高だぜ!」
「やめろよ、オッサン!」
うすら寒そうに、ミカイアは二の腕のを抑える。
「気持ち悪いなァ。セクハラだぜ、そういうの」
「クニカちゃん、大成功だよ!」
遅れてやってきたニキータが、満面の笑みで言った。ニキータの服はあちこちが破けていたが、身体には傷ひとつない。
姫の、“度肝を抜く作戦”。それは、ミカイアの鮫の能力を利用したものだった。ミカイアは、みずからの能力を駆使して、身体を鮫の歯のように硬化させることができる。この能力を、クニカの竜の能力を利用して、“自由チカラアリ”のすべての兵士たちに共有したのだ。
使徒騎士として鍛錬を積んでいるミカイアは、自らの能力を鉄の硬度にまで精緻化していた。だから“自由チカラアリ”の兵士たちは、銃弾はおろか、砲弾でさえも真正面から受け止めることができた。これまで一人きりだったミカイアが、何十人、何百人と増殖したも同じだった。
「何でもできるんだなァ。羨ましいよ」
前線まで突っ走っていく“自由チカラアリ”の兵士たちを見ながら、ミカイアはぼやいた。能力の都合上、近接戦闘を余儀なくされるため、火器を持っていると誘爆の危険がある。“自由チカラアリ”の兵士たちが丸腰なのは、これが理由だった。
「山に命令して、『海に飛び込んでください』とか言えば、その通りになるのかもな。ハハハ」
「クニカ、大丈夫か?」
冗談を飛ばすミカイアの傍らで、リンが尋ねてくる。
「うん……」
“竜”の能力による“祈り”によって、クニカは今、ミカイアの能力を共有している。みずからの思考を流し込んでいるようで、クニカは落ち着かなかったし、集中のあまり、気分も悪かった。
「いや、大丈夫! 平気だよ?!」
頼りない返事をしてしまったことに気付き、クニカは言葉を重ねた。もしここで、集中を切らし、魔法から解き放たれてしまえば、前線に深入りしている“自由チカラアリ”の兵士たちを死に追いやることになる。
「大変だ!」
そのとき、“自由チカラアリ”の兵士のひとりが、慌てて戻ってきた。
「どうした?」
「増援だ! 新市街からなだれ込んでやがる」
「それだけじゃねえ」
もうひとりが、何かを言おうとした矢先、空の奥から、重苦しいプロペラの音が響いてきた。
「爆撃機だ!」
ニコルが声を上げる。三台の爆撃機が隊列を形成し、クニカたちの方角に近付いてくる。
左右に控えていた機体が、前方で旋回し、下部のハッチが開く。爆弾が吐き出され、地面に落下する。建物がこなごなになって、周囲が炎の渦に変わった。
「こっちに来るぞ!」
中央の爆撃機が、クニカたちまで迫ってくる。ハッチが開いた。
「ヤバい、逃げろ――!」
兵士が言い終わるよりも、ミカイアが動き出す方が速い。クニカは、瞬きもせずにミカイアを見ていたが、それでもミカイアが剣を抜き放つ瞬間を見逃してしまった。
何の予備動作もなしに、ミカイアは剣を放り投げる。剣は中空を直進し、吸い込まれるようにして、爆撃機のハッチに呑み込まれる。次の瞬間、尾翼が弾け飛び、爆撃機が真っ二つになる。
「うっ……?!」
閃光を前にして、クニカは目をつぶる。暴風と熱気、轟音が、少し遅れて、クニカたちに殺到する。
「熱っちいな」
クニカはまぶたを開く。ミカイアが額の汗を拭っていた。クニカははっとした。いかにミカイアが鉄の硬度を誇っていたとしても、熱さや寒さなど、皮膚を通じての感覚は人間と変わらないのだ。爆風に巻き込まれてしまえば、“自由チカラアリ”の兵士たちはひとたまりもない。
「ミカイア、あの――!」
「分かってるさ、」
ミカイアが腕を伸ばす。煙を切り裂き、何かが飛んできたかと思えば、ミカイアの掌中に収まる。長剣だった。
「前線にいる奴らに、水路へ逃げるよう伝えるんだ」
「ミカ嬢は?」
「敵陣を突く」
「ピャーッ?!」
ミカイアの言葉に、ニキータが素っ頓狂な声を上げる。
「おっさん、変な声出すなよ! 鳥肌が立つだろ!」
リンが怒鳴った。
「旧市街が突破されんのを、連中は怖れてんだよ。だから爆撃機なんか持ち出してんだ。こっちが旧市街を抑えれば、連中は新市街に引きこもるさ。爆撃も止む。意味がなくなるからな」
「このまま突っ込むってのか?」
「いや……空を飛ぶ」
ミカイアは振り返ると、リンとニコルとに、目で合図を送った。
「行けると思う」
ニコルが切り出した。
「爆撃機は、空の敵には対応できない。むしろ空を縫っていけば、目的地まで安全かもしれない」
「だけど……誰が行くんだよ?」
「オレと、クニカだ」
「危険すぎるだろ!」
クニカを守るように、リンがミカイアの前に立ちはだかった。
「リン、大丈夫だって」
「大丈夫なわけないだろ」
リンを前にして、クニカは慎重に言葉を選ぶ。
「わたしが行かないと。その、みんなを危険に巻き込んじゃうから……」
「だけど……!」
「クニカはオレが守るよ」
ミカイアがクニカにウィンクする。
「死なせやしないさ」
「信じるぞ、その言葉」
次の瞬間、リンの背中には、鷹の翼が広がっていた。
「ニコル!」
「ああ、」
ニコルも同じように、鷹の翼を広げる。
リンとニコル、それぞれから差し出された手を、クニカとミカイアは掴む。
「行こう!」
ニコルのかけ声とともに、クニカとミカイアの足が、石畳から離れる。




