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ラヴ・アンダーウェイ(LOVE UИDERW∀Y)  作者: 囘囘靑
第4章:チカラアリ少女行(В Чикараари)
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058_ふつうの人々(Обычные люди)

――父が与えたのは、分かちがたいこれらのものをお前が分かつため、群衆の解しがたきものをお前が解するため、お前が救われ、お前のものである者の下に至るため、先に救われた者、救いを不要とする者の下に至るためである。

(『アロゲネース』、第3章 第二の啓示)

「おい、起きろ」


 眠り込んでいた兵士の隣に、もう一人の兵士がやって来ると、自動小銃の銃床で、その頭を小突いた。


「痛ぇな、何だよ」

「『寝るな』って言いに来てやったんだよ。親切だろ?」

「ああ、ずいぶんな親切だ」


 不貞腐れたように言うと、兵士は身を乗り出し、重機関銃の正面にしゃがみなおした。男たちはサリシュ=キントゥス帝国の兵士であり、大通りに土嚢を積み上げ、即席で作り上げた検問所から、旧市街の周縁部を見張っていた。


「ったく」


 胸ポケットから支給品のタバコを取り出そうとして、ケースが空であることに気付き、兵士はそれを地面に叩きつける。


「いつまで待ってりゃいいんだよ。脱走する奴の気持ちが分かるぜ」

「何言ってんだ」


 もう一人の兵士は肩をすくめる。


「昨日脱走した連中、もう捕まったって話じゃねえか」

「ウソだろ?」

「ウソじゃねえ。“競技場”に連れてかれて、そのままズドン、だ」


 もう一人の兵士は、両腕を使って、銃を構える仕草をしてみせる。


「やるんだったら、その場でやれってんだ。なっちゃいねえよ。せこせこしてやがる」

「これ以上脱走兵が増えるのを怖れてんだろ?  “黒い雨”、“自由チカラアリ”、何考えてるか分かんねぇお(かみ)、最高じゃねえか」

「ははっ、違いねえ」


 兵士は吐き捨てると、機関銃の脇で頬杖をつく。


「爆撃機がありゃあなァ。空軍が、問答無用で街ごと根こそぎにしてやるってのによ」

「ないものねだりじゃよせよ。マ、気持ちは分かるがな」


 爆撃機は全て、キリクスタン東部、シャンタイアクティ方面に出払ってしまっていた。もちろん、初めからそうと決まっていたわけではない。最初の計画では、チカラアリだけでなく、ウルトラ方面にまで、爆撃機は按分されるはずだった。


「強過ぎんだよな、騎士どもが」


 帽子を脱ぐと、兵士の一人が、額の汗を拭う。


「そんなバカな話があるかい。爆撃機を、全部東に集めなきゃならんなんて」

「お前だって分かるだろうが」


 そう切り返され、もう一人の兵士は、口ごもるしかなかった。


 サリシュ=キントゥス帝国のキリクスタン侵攻作戦は、大きくつまずいていた。順調だったのは、最序盤におけるチカラアリ新市街の制圧だけだった。その後帝国軍は、矢継ぎ早にシャンタイアクティに攻め入ったのだが、ここで大きく勢いを削がれることとなった。シャンタイアクティ方面で、大敗を喫したのだ。


「『半分死んだ』ってさ。聞いただろ、お前だって」


 東部方面における帝国軍の壊滅は、シャンタイアクティ騎士団のなせるわざだった。特に使徒騎士が強かった。東部前線からは、巨大な翼が立ち現れ、戦闘機が正面から斬り捨てられたという報告や、ありったけの砲弾を叩きつけても、(ひる)むことなく前進し、全てを焼き尽くす炎が現れたという報告が上がっていた。


 このままでは、シャンタイアクティに進行することはおろか、せっかく制圧したチカラアリにまで、シャンタイアクティ騎士団を呼び込むことにつながりかねない。結果、東部戦線を維持するために、ウルトラに割くはずだった軍団を、シャンタイアクティ方面に投入せざるを得なくなった。


「ちなみにな、興味深い話があるんだ」

「何だよ」

「東に集められる爆撃機なんだが、何でも、爆薬は全く積まねえらしいんだ。それに、出撃させられるのは、脱走を企てた奴が優先される」

「は?」

「騎士たちが気付いちまったからだよ、『爆撃機を野放しにしておくと、街がやられる』って。だから、何にもまして爆撃機が狙われる。お(かみ)は、それを逆手に取ってる」

「事実上の死刑、ってワケか。無茶苦茶じゃねえか」

「どこも同じ、ってことさ」


 兵士たちの脳裏には、この前脱走した一般兵のことが頭をよぎっていた。かれは二週間ほど前に、行方をくらました。しかし、異国の地で行く当てなどなく、“黒い雨”とコイクォイとに恐れおののきながら、結局のところ、旧市街の郊外にある橋のたもとに潜伏していた。そうして、腹が減って、腹が減って、どうにもできずに飛び出したところを、かつての仲間であったはずの、ほかの兵士に捕まった。


 かれは上官からさんざんに殴りつけられ、シャツ一枚にされると、そのまま営倉へと押し込まれ、外から鍵をかけられた。初めは泣きわめいていたが、二日目には声がしなくなり、その日の終わりごろには、営倉の扉を叩く音もなくなった。声をかけても返事はなく、運び出されたときには、唇は黒く変色し、死んでいた。


 それでも、脱走を企てる兵士は後を絶たなかった。風の噂では、壊滅したウルトラ方面の兵士たちは、互いに身を寄せ合い、小さなコロニーを作って、ひっそりと生き延びているという。


 東部の戦線は膠着し、西部の戦線は壊滅したまま、野放図になっている。にもかかわらず、帝国軍の上層部から、具体的な指示はない。このチカラアリ旧市街の治安維持を任されているはずの司令官も、ごく稀に全ての兵士に訓示を与える以外には、全く音沙汰がなかった。


「このままじゃ埒が明かねえぞ」

「さあ、案外何も考えてねぇかもな。頭が空っぽでさ、司令官、とっくにゾンビにでもなり果ててるかもしれないぜ」


 相方はそう言っておどけてみせたが、兵士は笑う元気もなくなっていた。


 帝国軍の兵士たちは、慣れないキリクスタンの亜熱帯の気候の中、“黒い雨”に怯えながら、何とかチカラアリを維持している有様だった。


 だが、足元のチカラアリの情勢も、決してサリシュ=キントゥス帝国に有利というわけではなかった。チカラアリを制圧してすぐに、帝国軍に対して武装闘争を展開する一団が現れたのだ。


“自由チカラアリ”


 を自称するその一団は、“(プリンツェーサ)”と呼ばれる首班を戴き、地下水路を利用したゲリラ戦で、帝国軍を苦しめてきた。


 その急先鋒が、使徒騎士のミカイアである。チカラアリ侵攻作戦は、先代のチカラアリ巫皇(ジリッツァ)の薨去のタイミングで決行されたが、それがまずかった。結果として、故郷のチカラアリに舞い戻り、葬儀に参列していたミカイアを、図らずも戦線に引き出すことになってしまったからだ。


 厄介なのは、ミカイアの魔法属性であった。帝国軍が入手した情報によれば、ミカイアは象徴(イコン)系の“(アクーラ)”の魔法使いである。ミカイアはその能力を駆使して、自らの全身を、“鮫”の歯のように硬化させることができた。銃撃はおろか、砲撃でさえも、ミカイアはたやすく跳ね除けてしまい、傷ひとつない。


 何よりミカイアは、格闘術に通暁していた。騎士団においても、武術師範を務めるほどの腕前だという。“鮫”の能力と相まって、ミカイアは拳の一閃で装甲車に穴を空け、蹴りの一撃で、戦車を空のマッチ箱のように軽々と吹き飛ばしてしまう。(プリンツェーサ)の神出鬼没な戦略と、ミカイアによる強襲、一撃離脱を前にして、旧市街を守る帝国軍も、疲弊が色濃くなっていた。


「だけどな、もう終わりだよ」

「何がだよ?」

「本国から、これが届いたんだ」


 差し出されたものに、兵士のもう一人は目を細める。突起のついた覆面の上に、金属製の小さなカップのようなものが載せられている。そして、そのカップは既に使用済みのようだった。兵士は初め、それを手榴弾だと考えたが、それにしては、余りにもいかつい印象を、兵士に与えた。


「神経ガスさ。トリガーを弾いて、放り投げれば、あっという間に地下水路に充満する。少しでもガスを吸い込んじまえば、身体に力が入らなくなる。コウカンシンケイ? をやっちまうらしいんだ。難しいことは分かんねえけどよ」

「オレたちも危険なんじゃねえのか」

「だから、この防護マスクがあるんだ。これで、目と鼻と口が守られる」


 神経ガスが収められていた擲弾の残骸を、兵士は土嚢の上に放り投げた。


「明日には、工兵部隊を中心に作戦が展開される。これで、“自由チカラアリ”の奴らは地下水路からあぶり出される。地上に出てきて、散りじりになってるところを、オレたちはガムでも噛みながら、一人ずつ撃ち殺していけばいい。ミカイアだって、さすがに一人じゃ何もできまい」

「ははっ、そりゃ愉快だな!」


 兵士は手を叩いた。


「この状況が変わるってんなら、神だろうが(ジアーボ)だろうが大歓迎だぜ――」


 全てを言い終わらないうちに、兵士は空の様子に違和感を覚え、土嚢から身を乗り出し、目を細める。


「どうした?」

「双眼鏡、双眼鏡!」


 相方から双眼鏡をひったくるように掴むと、兵士は空を仰ぎ見る。二人の人間が、中空を舞っていた。一人は少女で、その背中には羽が生えている。羽は凛々しく、くっきりとした質感を放っており、鷹の翼を兵士に連想させた。


 もう一人は中年の男性で、身なりからして“自由チカラアリ”の兵士のようだった。だらしない格好で、少女に吊り下げられていた。もし少女が鷹だとするならば、さながら仕留められた小動物のようだった。


「何だあれ……?」


 銃を構えるのも忘れ、兵士はそう呟いた。その間にも、二人は検問所の方角目掛け、まっすぐに近づいている。


「ダメだ、仰角が足りねぇ」


 相方の兵士が、機関銃の銃口を目一杯上に向けようとして、舌打ちしていた。


「どうする? あいつら、もしこのまま空から突破しようとしたら――」

「何言ってやがる。二人で何ができるってんだ。――あっ?!」


 兵士は声を上げた。少女が突然、ぶら下げていた中年男性を手放したのだ。中年男性は、中空で重心がぶれ、半円を描くようにして、地面に吸い込まれていく。サリシュ=キントゥスの二人の兵士は、中年男性が地面に叩きつけられたときの惨状を予感したが、何が起きているのか分からず、ただ中年男性の自由落下に釘付けになっていた。


 中年男性が、頭から地面に着陸する。次の瞬間、土埃が蒸気のように吹き上がったかと思えば、粉々に砕け散った石畳が、土嚢の影に隠れていた兵士たちに殺到した。


「うっ、危ねぇ。――あっ、ずるいぞ!」


 服の袖で鼻と口を覆った兵士は、その隣で、相方の兵士が、ちゃっかりとガスマスクを被っているのを目撃した。


「ずるい――」


 兵士は相方に抗議しようとしたが、吹き上がった土煙が風に流され、兵士たちの方にまで押し寄せてきたせいで、ただ押し黙って、土埃が収まるのを待つしかなかった。


 それにしても、と、兵士は考える。中年男性が地面に叩きつけられたのは、間違いない。しかし、ここまで激しく石畳が壊れ、土埃が立ち昇ったりするだろうか。まるで、鉄の塊が、地面に投下されたかのようではないか。


「ひゃっほう!」


 そのとき、兵士の頭上から、聞き覚えのない男の声が上がった。それとともに、土嚢の間に設置されていた機関銃が、地面から根こそぎにされる。


 土煙が収まっていく。


「い……?!」


 兵士は絶句した。地面に叩きつけられたはずの中年男性が、土嚢の上で仁王立ちしていた。中年男性は傷一つないばかりか、機関銃の砲塔をバットのように握り締め、軽々と持ち上げていた。


「おりゃあっ!」


 一声上げると、中年男性はそのまま、機関銃を放り投げる。石畳に叩きつけられ、機関銃の砲塔がひしゃげた。


「このやろう!」


 ガスマスクをつけた相方が、脇に抱えた自動小銃の照準を、中年男性に合わせる。兵士が頭を庇った矢先、小銃が火を噴いた。火花がトタンを叩くようなチリチリとした音が、中年男性の腹の辺りから聞こえてくる、銃弾は確かに中年男性の腹に命中しているはずなのに、中年男性はびくともしなかった。


「へへん、そんなもんか?」

「な、何だお前……?!」


 相方の兵士は、なおも小銃を撃ち込んだが、中年男性は構わず前へと進む。中年男性の腹に命中したはずの銃弾が、兵士の足下に大量に散らばっていた。


「今度はこっちの番だ。それっ!」

「ひぎいっ?!」


 大きく振りかぶると、中年男性は、相方の兵士にビンタを喰らわせた。そのビンタは空振り気味だったが、相方の首が、ビンタの衝撃で直角に折れ曲がったようになった瞬間を、兵士は目撃してしまった。と同時に、密着していたはずのガスマスクが、まるで意思を持ったかのように相方の顔から飛び出し、地面に転がった。ビンタの衝撃が、それだけ強かったのだ。


「ふーっ、スッキリしたぜ。よお!」


 ビンタで使った右手をぶらつかせながら、中年男性が、兵士の方を向いた。


「ヒイっ?!」

「ウチらの街で、ずいぶん好き放題やってくれたじゃねえか」

「――突撃!」


 中年男性がそう言った矢先、土嚢の背後から、幾人もの叫び声が轟いた。自分が置かれている状況も忘れ、兵士は身を翻し、反対側に目をやった。


 “自由チカラアリ”の兵士たちが、一斉に検問所の方まで向かっていた。奇妙なことに、突撃してくる者たちは、誰一人武器を持っていなかった。皆、拳を振り上げながら、検問所まで殺到している。“自由チカラアリ”の兵士たちは、着の身着のままだ。それこそ平時であれば、街をぶらついているおじさん、おばさんといった身なりである。そうした普通の人々が、大声で叫びながら殺到してくるのは、不気味な迫力こそあったが、余りにも無謀に思えた。にもかかわらず、行動を実行している兵士たちは、みな勝利を確信したかのような表情をしている。


 先頭を走っていた、エプロン姿に長靴を履いた、痩せ身の男性が、バリケードを構成していた車のスクラップに、肩からぶつかった。次の瞬間、車のスクラップが、まるで紙風船か何かのように軽々と吹き飛んだ。続けてやって来た看護服姿の女性が、土嚢を蹴り飛ばす。土嚢は直線を描いて飛び上がり、三階建ての建物の壁に当たってめり込んだ。


「今度はこっちの番だぜ。うりゃあっ!」


 中年男性の拳が眉間に当たった瞬間、兵士の脳天には火花が飛び散り、兵士はそのまま、意識を失った。

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