057_度肝を抜く作戦(Потрясающая стратегия)
――肉が霊ゆえに生じたとすれば奇跡である。しかし、霊が肉ゆえに生じたとすれば、奇跡の奇跡である。
(『トマスによる福音書』、第29章)
「さあ、こっちだ」
“自由チカラアリ”の兵士に誘導され、クニカたちは、旧市街の路地を静かに進む。旧市街の路地は、水路と同じくらい入り組んでいた。街並みは、すき間なくレンガに覆われている。
「大丈夫か?」
使徒騎士のミカイアが、後ろを振り返る。毒ガスに当てられたクニカのことを、心配しているようだった。
「えっと……舌がヒリヒリするかも」
「ハハハ」
ミカイアは笑った。笑い声を聞いて、自分たちは助かったのだと、クニカは改めて実感する。
「ここだ」
道を曲がった先で、クニカの視界が開ける。通りの一角に、青銅の門を備えた、大きな建物がある。周囲はバリケードに覆われ、ものものしい。
先頭を歩いていた兵士が合図をしてくる。姿勢を低くしながら、クニカたちは小走りに、建物まで駆け寄った。入口にはうず高く土嚢が積まれていて、兵士の助けを借りながら、それをよじ登らなければならなかった。
「よっ、大将!」
建物の中にいた男の一人が、ミカイアに声をかける。
「無事なお戻り、何よりで! ビックリしたよ、いきなり飛び出しちゃうんだから」
「しょうがねえだろ」
手に巻いた包帯を緩めながら、ミカイアが言った。
「『助けて』って聞こえたんだから。『弱きを助ける』、それが星誕殿の、昔ながらのやり方さ」
「ハハハ。……ん?」
軽口を叩いていた男性が、ふと真顔になると、ミカイアの肩越しをのぞき込む。
「おい、ちょっと待て――まさか、ジュネちゃんかい?!」
「あっ、オッサン! 靴屋の!」
男性を見るやいなや、ジュネが叫んだ。
「知合いか?」
「料理屋のオレグのとこの娘だよ。ジュリちゃんも――あっ、一緒か! ウルトラにいたんじゃなかったのかい?!」
「エゴールおじさん、ウチら戻って来たんよ。ね?」
「お、おう」
ジュリにウィンクされて、リンがしどろもどろに答えた。
「へえ、地元だったんだ」
ミカイアが、打ち解けた調子で言った。
「それにしても、ウルトラの方が安全だろ? どうしてチカラアリまで――」
「ミカちゃん!」
ミカイアが言い終わらないうちに、別の扉から、恰幅の良いおばさんが現れた。
「なに、おばさん?」
「姫からよ、共感覚で」
“姫”の言葉に、クニカとリンは、互いに顔を見合わせる。クニカたちがチカラアリへ向かったのも、“姫”に会うことが目的である。
「話したいことがあるんだって」
「おう。あたしもそう思ってたんだ」
「あ、あの……」
別の部屋へ行こうとするミカイアを、クニカは引き止めた。
「あの、わたしたちも、できれば“姫”に――」
「あー。ちょっと今回はパスな」
「どうして?」
「人見知りすんだよ、あの人。いや、人見知りじゃないんだろうけど、ああいうのは。まぁ、人見知りみたいなもんかな」
「でも……」
「とりあえず、休んどけ。ここなら安全だから」
おばさんと一緒に、ミカイアは扉の奥へと消えてしまった。
「オレグが亡くなったって聞いたときは、ホントにびっくりしたよ」
広間の中央では、ジュネとジュリを囲むようにして、人だかりができている。
「ジュネちゃんとジュリちゃん、どうしているかなって、下町のみんなが心配してたんだ。それがまあ……こんなに大きくなって……よく無事で……」
「やーね。しみったれた顔しないでよ、おじさん!」
ジュリが肩をすくめる。
「そうそう! ウチらさ、ウルトラで“おおさじ亭”、続けてるんだ」
ジュリに続いて、ジュネが腕を組んだ。
「でさ、リンたちがチカラアリに戻る、っていうから、ウチらも着いて来たんだよ。みんなに、旨いもん食わせてやろうと思ってな」
「ソイツは嬉しいね! ウチらは始終腹ペコだから。な、ニキータ?」
「失礼しちゃうなぁ! オレをそうやって、食い意地張ってるみたいに言いやがって」
ニキータおじさんの言葉に、みながどっと笑う。
「リンちゃんも、無事で何よりだよ」
「ええ……まぁ……」
「リヨウちゃんは?」
そう言いながらも、男性はじっと、クニカを見つめていた。自分が見られていることの意味を理解していたから、クニカは気まずい状況に耐えるしかなかった。
リヨウとは、リンの実の妹の名前である。その昔、リンとリヨウは、チカラアリからウルトラまで、疎開するはずだった。しかし、乗り込んだ列車はコイクォイに襲われ、リヨウは命を落としてしまった。
忘れてはならない事実が、ひとつある。クニカの顔かたちは、リヨウとうり二つだった。
「リヨウは死んだんだ。オレが守れなかった」
一語一語を、みずからに言い聞かせるようにして、リンは言う。広間が静まり返った。
「リヨウを守れなかった分、ほかのみんなは守りたいと思ってるんだ。オレたちがここへ来た理由さ」
「そうだったのか……すまなかったな」
「いいんだ。今ではリヨウと同じくらい、大切な人たちがいるんだ。カイと、ニコルと、それから――」
「――大変だ!」
リンが、クニカのことを紹介しようとした矢先、扉が開け放たれ、“自由チカラアリ”の兵士が駆け込んできた。
「どうしたんだよ?」
「ボリスが撃たれた!」
「何だって?!」
「機銃掃射だ。逃げ遅れちまったんだ。足をやられちまって、血が止まらない――」
「クニカ、」
リンが囁く。
「いけるか?」
「うん……」
返事をしながらも、クニカの心はざわついていた。ウルトラ市中央病院で行ったように、これからクニカは、怪我人を癒すことになる。
だが、心持ちは、その時と同じではない。“竜の魔法使い”として、救世主の立場を引き受けて、クニカは怪我人を癒さなければならない。それが、クニカがチカラアリへとやって来たことの意味でもあるからだ。
「なあ、連れてってくれよ」
「ダメだ! 危ないから――」
「だ、大丈夫です」
クニカは言う。皆の注目が、一斉に自分に集まり、クニカは汗が止まらなくなる。
「その、わたし、何とかできると思います」
「何とかって、何だよ。奇蹟でも起こすってのか?」
「は、はい」
緊張するあまり、クニカは率直に応答してしまった。“自由チカラアリ”の兵士たちの間から、失笑が漏れる。
「とにかく、頼むよ」
「変な真似したら、承知しねえからな」
リンに負けたのか、兵士は舌打ち混じりに、二人を案内する。
◇◇◇
角を曲がると、クニカとリンは、早足で廊下を抜ける。建物は、クニカが考えていたよりも、奥まで続いていた。
「天女堂だよ、ここは」
クニカが辺りを見回していることに気付いたのか、リンが言った。
「歴代の巫皇を讃えるための場所さ。チカラアリには幾つもあるけれど、ここの“セラフィマ天女堂”が一番大きいんだ」
「ここだ」
男が顎で、扉を示す。クニカは扉を開いた。むせるような血の臭いとともに、男のうめき声が聞こえてくる。とにかく声を上げていなければ、自分の命をつなぎとめていられないとでもいうような、切実な響きがあった。
「ボリス、しっかりしろ!」
メガネの男性が、横たわる男性――かれが、ボリスなのだろう――に向かって、声をかける。その隣では、白衣を血まみれにした女性がすすり泣いている。
「おい、ボリス! こんなところで死ぬってか? ええ? 冗談じゃない――」
「ちょっと待て」
一歩踏み出そうとしたクニカのことを、案内してきた兵士がさえぎろうとする。
「言っただろ、変な真似したら――」
「クニカの好きにさせてやってくれ」
ボリスの隣に膝をつくと、クニカは、毛布にできた赤黒いシミを凝視する。袖をまくると、クニカはそっと、毛布をどけようとする。
ボリスのうめき声が大きくなる。女性から悲鳴が上がった。
「おい!」
「オッサン、黙って見てろ――」
兵士の怒声に、リンの声が重なる。クニカの前に、傷口があらわになる。右足が銃弾を浴び、膝は引き裂かれ、腿の辺りは、肉がかき混ぜられたようになっている。
息を殺すと、クニカはボリスの傷口に触れる。クニカの両手から、光が解き放たれる。
「何だ……?!」
光を前にして、兵士が息を呑んでいる様子が伝わってくる。隣では、女性が悲鳴もなく、口元を両手で覆っていた。
救済の光。クニカの魔法により、ボリスの傷口は包まれる。光に目を細めながら、クニカは、ボリスの脚が元どおりになる様子を思い描いた。
光が収まる。
「嘘だろ……」
兵士が声を上げる。ボリスの脚は元どおりになっていた。
興奮と緊張のあまり、クニカは肩で息をする。その視界には、茶色いアンスリウムの花が映りこんでいる。
「ピャーッ?!」
背後から、突拍子もない声が聞こえてくる。ニキータが立っていた。クニカたちに遅れて、ここまでやって来たようだった。
「ボリス! ボリスよう……。何だ、おめェ、ピンピンしてるみたいじゃねぇか!」
「お前……お前がやったのか?!」
正面に膝をつくと、クニカの肩に、兵士が手を掛ける。
「え、っと……」
「信じられん……お前、自分が何をしてるのか、分かってるのか?!」
「奇蹟よ……これは奇蹟よ!」
白衣の女性が天を仰いだ。
「救世主だわ!」
救世主、その言葉を誇って良いのか、打ち消すべきなのか分からず、クニカは曖昧に頷くことしかできなかった。自分がチカラアリまでやって来た理由。それはまぎれもなく、“救世主”としての役割を果たすためだったが、相変わらずクニカは、その言葉に居心地の悪さを覚えていた。
「ねえ、手を握ってくれないかしら?」
だが、そんなクニカの感情とは裏腹に、白衣の女性はクニカの側に膝をつくと、両手をクニカの正面に差し出した。
「ずるいぞ! なあ、小さい救世主さん、俺のことも、祝福してくれよ」
「何だい、まったく!」
腰に手を当てて、ニキータが怒鳴った。
「どいつもこいつも、だらしがないんだから――」
ニキータが全てを言い終わらないうちに、外から轟音が聞こえてくる。
「何の音だよ……?」
「シッ! リンちゃん、伏せろ!」
音を聞くやいなや、ニキータは姿勢を低くして、窓の近くへ寄った。
「セントウキだよ、セントウキ!」
「何だよ、それ?」
「なら、見てみろ」
ニキータに手招きされ、リンは窓の下にしゃがんで、空を見上げる。クニカもリンに倣った。
日が沈みつつある中、天女堂の上空を、航空機の一群が横切った。昔、この世界へと転移する前に、クニカは航空自衛隊のセレモニーを見学して、似たような航空機を見たことがあった。
「飛んでる……」
だが、リンは初めて戦闘機を見たようだった。戦闘機が通り抜ける轟音とともに、巻き起こした風にさらされ、窓が小刻みに震える。
「あんなに速く、空を飛べるなんて」
「行ったみたいだ……」
身を起こすと、窓の外を、ニキータは慎重に確認する。
「ここがバレるのも、時間の問題だ」
兵士の一人がぼやいた、その時。扉を開け放って、ミカイアが戻ってきた。
「ミカ嬢!」
「ここにいたのか……」
床で眠り込んでいるボリス、窓辺にしゃがみ込んでいるクニカとリンを交互に見ながら、ミカイアが言った。
「何かあったな」
「この子は救世主だ、ミカ嬢!」
クニカのことを指さしながら、兵士が言った。
「救世主だよ、俺たちを救ってくれる――」
「とにかく、作戦開始だ」
興奮気味の兵士の言葉を、ミカイアは遮る。
「おう。姫と合流するんだな?」
「いや、合流しない」
ミカイアはそう言ったが、その言い方には、奇妙な響きがあった。まるで、ミカイア本人が、自分の言ったことを信じていないような、そんな言い方だった。
「合流しないって、どういうことだよ?」
「気が狂ったと思わないんでほしいんだけど……。うって出るんだよ、敵の本拠地に」
「ピャーッ?!」
ニキータが、素っ頓狂な声を上げた。
「おっさん、変な声出すなって!」
両腕を抑えながら、リンが言った。
「鳥肌立ったろ!」
「だってよう、その作戦は、さすがに頭おかしいだろ! いったいどうしちまったんだよ、姫は!」
「だけど……できないわけじゃない」
ミカイアの視線が、自分に向けられたことに、クニカは気付く。
「それもこれも、クニカの働きにかかってる。分かるか、クニカ、あたしの言いたいこと?」
「は、はい」
「そうか、よし! なら話は早い。作戦はこうだ――」
作戦を、ミカイアは話し始める。




